グウェンドリン・イグレシアスのお気に入り

衣更月

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 貧乏暇なしとは良く言ったもので、辺境伯領の人間はよく働く。
 兵士たちは筋肉は裏切らないをモットーに、朝から晩まで筋肉を苛め抜き、大森林へ突撃しては魔物を間引いている。
 魔物を間引くことで、スタンピードの発生率が下がるのだと信じているのだ。
 実際は魔素の濃度が関係しているので、人間がどうにかできる問題ではない。
 魔素とは厄介だが、大地の息吹の一端を担っているのも魔素だ。
 高祖父はそれを研究し、魔素の発生しない最南端の島へ行き、枯れ果てた不毛の大地を確認してきた強者になる。
 大森林は魔素が濃いからこそ大森林として成り立っているのだろう。
 その大森林に、小隊を組んだ兵士たちが魔物討伐に入って行く。
 掛け声は、「肉、肉、肉ー!」だ。
 それを羨ましそうに見送っているのは、先日半裸で城内を疾走して怒られ、罰として1ヵ月の入林禁止となったルイスだ。
「ルイス」
 樹木から飛び降りてルイスの隣に並べば、ルイスの肩がびくりと跳ねる。
「び…びっくりした」
「何をぼーっとしている。大森林に入るなとは言われても、訓練を禁止されたわけじゃないだろう?」
「分かってますっ。それより、気配なく隣に立たれると驚きます…」
「私たちは気配が希薄なのだ。慣れろ」
 不貞腐れたルイスの頭をわしゃわしゃ撫でると、ルイスの頬が赤く色づく。
 ふむふむ。
 思春期男子は頭と言えど触れ合いには慣れていないらしい。
「私が超弩級の美女だったので緊張しているのか?」
「ちっ!違います…!」
「緊張するな。肌を触れ合った仲だろう?」
「あんたが勝手に触ったんでしょうがっ!」
 痴女め!とぶつぶつ文句を言っているが、その顔は真っ赤で、目は挙動不審に泳いでいる。
 つんと尖らせた口と怒らせた肩。虚勢を張った姿は、きゃんきゃん吠える子犬のようで愛らしさがある。
 これ以上からかうと、ルイスは不貞腐れて立ち去ってしまいそうなので話題を変えよう。
「ところで、常々疑問に思っていたことを質問してもいいかな?」
「………はい」
「なぜ人間は魔法を使わないのだ?髭もじゃワイアットは脳筋だから仕方ないにしても、領内に加護持ちの者は3分の2くらいはいるだろう?」
「俺は加護なしだから分かりませんが、人によって加護に差があるそうです。父は火の精霊の加護持ちで、国内最強を誇る火の使い手です。なので、父が魔法を使えば、大森林で火災が発生しかねないので父は剣を使います。その他の加護持ちは、加護が強くないのか、魔法の威力も強くありません。殺傷力の低い魔法を使うよりも剣を振るった方が効率的なので、魔法は使わないと聞きます」
 うん、違うな。
 加護に差というものはない。
 恐らく、力の引き出し方が分からないのだろう。
 魔法とは言うが、”使い手”なのだ。精霊にお願いして、精霊が”使い手”の望む魔法を行使する。代価は少量の魔力と感謝の言葉だ。
「もしかしてだが、人間は精霊が見えないのか?」
「は?精霊って見えるものなのですか?そんな話、聞いたことありません」
 人間ルイスを選んで正解だ!
 人間には精霊が見えないなんて思いもよらなかった。これは遠くから観察しただけでは分からなかった新発見だ。
 ノートに急いで書き足す。
 それを覗き込んだルイスは苦い表情だが、盗み見を無礼だと咎めるつもりはない。覗かれてやましいことは書いていないからだ。
「大森林の傍で生まれ育った者がそうなら、ここから離れた土地に暮らす人間は、余計に精霊など見えないだろうね」
「加護を得る人も少ないと聞きます」
 人間から魔法が消えるのも遠くないかもしれない。
 精霊というのは実体はないが、精霊王により生み出された生命体だ。人間ほどでなくとも、感情の機微はある。
 見えなくとも、加護を与えてくれた精霊に感謝の言葉を捧げるだけで、精霊は力を貸してくれるだろう。それを疎かにすれば、魔法の力は衰える。
 信仰とは別に、己の傍にいる精霊を慈しむのは基本の基。
 髭もじゃワイアットが最強なのは、駄々洩れの魔力と、馬鹿正直に「頼むぞ!」と吼えているからだ。意味不明の呪文を唱えられるよりずっと良い。
 あと、単純に精霊たちが髭もじゃワイアットの一本気な性格を気に入っているというのもある。
 他の人間は魔術に傾倒しつつあるので、精霊としても面白くないだろう。気まぐれとはいえ、せっかく加護を与えてやったのに、後ろ足で砂をかけるように魔術を扱うのだ。
 もしかすると、加護を取り上げられた人間もいるかもしれない。
 人間とは楽な方へ流れるのを良しとする、とノートに書き込む。
「あの…グウェンドリン様は幾つ加護を持っているんですか?」
「4つだよ。ハイエルフは例外なく4つの加護を持って生まれる。エルフは2つか3つだね。人間は1つ。私が生まれる前は、人間は誰もが加護持ちだったと聞く。新しい宗教が生まれる度に加護持ちが減り、魔術が台頭し始めて加護なしの方が多くなったんだろうね」
「俺の信仰心のなさ…ですか?」
「それは違う。元々精霊は気まぐれなんだ。そこに新たな宗教と魔術。多くの精霊が人間を見限ったってこと。数を減らした精霊の目に触れなかったのが、君のような加護なしだ」
「そうか…」
 運が悪かったのか、というやり場のない怒りと落胆に、ルイスはしょんぼりと俯いた。
 そんな子犬みたいな顔をすると構いたくなるな。
「魔法が使いたいのか?」
「そりゃあ…使いたい。…です。使えた方が戦闘力が増すので」
 戦闘力ときたか。
 さすがだ!
「身体強化があるじゃないか。金をかければ、他の魔術付与アイテムも手に入るだろう?」
「魔術の多くは使い捨てなんです。使い捨てに金はかけれません」
「身体強化は使い捨てには見えないぞ?」
「魔術というのは、魔石を粉にした特殊インクで紙に術式を描いたものを使用します。火を使えば紙は燃え、水を使えば紙は濡れ破れ、風を使えばビリビリに吹き飛び、土を使えば紙は大地に戻ります。そして、唯一紙以外に術式を転写でき、繰り返し使用できたのが身体強化なんです。ただ身体強化は、それを使うための訓練を必要し、さらに相性があるので、”使い手を選ぶ魔術”としてあまり評判が良くありません。現在は、他の魔術の術式転写の研究が進められていると聞きます」
「ふむ。使い手を選ぶ…か。私が強引に身体強化したらどうなる?」
 訊けば、ルイスはしげしげと私の頭からつま先まで見て、微かに苦笑した。
「恐らく、強烈な筋肉痛になります」
「筋肉痛?筋肉が痛むのかい?」
「はい。それもベッドから起き上がれないくらいの痛みが数日続きます。最悪は筋肉の断裂や骨折をします」
 それは嫌だな。
 試したいと思ったが、止めておこう。
「私としては、身体強化は魅力的だけどね。ハイエルフには向かないようだ」
 ため息一つ。
 すっとローブから腕を伸ばして、人差し指にとまった風の精霊を見つめる。
 精霊は実体はないが意思はある。
 私の指先にとまった風の精霊は、淡い緑色の光を放つ蝶の姿をしている。自由気ままに風に吹かれる風の精霊に相応しい姿だ。
「どうだい?与えてみる気はある?」
 尋ねれば、風の精霊はひらひらと舞い上がり、ルイスの頭の上にとまった。
 仄かな光が、瞬刻、ルイスの体を包む。
「ふむ。ルイスに加護が下りた」
「は?」
「風の精霊の加護だ。たまたま私の傍にいたのが風の精霊だったのだよ。加護を与えるかと訊けば諾と答えた。なので、君は今より風の使い手だ。風の精霊に感謝なさい」
 言えば、ルイスは琥珀色の瞳を見開き、ぼろぼろと涙をこぼし始めた。
 どうしたことだ!?
「迷惑だったか?それとも筋肉が痛いのか?」
「い、いえ…違います。人間は…悲しくも痛くもないのに涙がでます…。嬉しくても…泣きますっ」
 ぐっと歯噛みしたかと思えば、ルイスは声を上げて泣いた。
 顔をぐちゃぐちゃにして、鼻水まで垂らしながら、私と精霊に感謝の言葉を叫びながら泣き続けた。
 今すぐにでもノートに人間の感情の起伏について書きつなれた方が良いのだろうが、不思議と私の手はルイスの頭を撫でまわしていた。
 私よりも図体がデカいくせに、なんと泣き虫なことか。
「感謝して、早く身体強化した体を調べさせてくれ」
 ぐふぐふ笑うと、ルイスはぴたりと泣き止み、「変態めっ」と悪態をついて逃げて行った。
 今鳴いた烏がもう笑う。いや、”怒る”か。
 人間とはかくも感情が豊かだ。
 だから飽きない。
 遠目に、騎士たちの訓練にルイスが駆け込むのが見える。泣いていたのを揶揄われているのか、何人かの兵士から頭を撫でられ、それを跳ね除けている。
 楽しげに訓練に交ざったルイスを眺めながら、私はノートにペンを滑らせる。
 何十年後か、百何十年後か…ルイスの子孫、その中で、ルイスみたいに泣き虫な子供がいたら見せてやろう。
 泣き虫のくせに、たゆまぬ努力で体を鍛えていた先祖がいたのだと。
 きっと楽しいに違いない。
 そんな未来を想像しながら、私は今日も密やかにルイスのスケッチに勤しむことにした。
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