幽世の理

衣更月

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日向望海

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 街灯が灯る夜道を、部活帰りの少年たちが賑やかに歩いている。
 宵の口だ。
 空は夜の装いでも、時刻は19時にも満たない。ランドセルを背負った子供の姿はないが、犬の散歩をする年寄りや、買い物帰りの女の姿はちらほら目につく。
 塀越しの家々からは明かりが零れ、微かに笑い声が聞こえて来る。
 人間の暮らしに明るくはないが、きっと家族の為に夕餉の支度をし、テレビを見て、家族団欒で一日の出来事を報告し合っているのだろう。
 鍋だったか、シチューだったか、そんなテレビコマーシャルを見たことがある。
 なんとなく人間の暮らしを想像しながら、金木犀の香る道を進む。
 家の近くまで来ると、其処彼処に妖怪の気配が蟠る。
 人間を襲うほど力は強くはない。小物ばかりだ。
 そういう手合いは、大抵、悪戯に勤しむ。人間の足を引っ掛けたり、食べ物を盗み食いしたり、テレビのコンセントを抜いたり、物を隠したり。地味にイライラするやつだ。
 そして、僕の屋敷の前の街灯が常に明滅しているのも、小物の悪戯だ。
 電線の上を駆け、街灯の上で暴れ、どんな悪戯で愉しもうかと悪巧みしている。
 それらを無視して、他所の家とは異なる仰々しい数寄屋門を潜る。
「お帰りなさいませ」
 戸を閉める前に、正面に立った男が慇懃に頭を下げた。
 紺地の着物に同色の羽織を纏った、呉服問屋然りとした男だ。
 名を八十吉やそきちと言う。
 年の頃は65、6に見える小柄な男で、我が家の家令である。
 白髪に、常に弧を描く糸目と薄い唇。一見、好々爺と思える風貌も、実際は頑固とも偏屈ともとれる性格をしている。顔は笑顔だが、機嫌が悪いのだろう。どうにも纏う空気が冷ややかだ。
 ずっと門の前で待っていたのだろうか。
「予定より遅れた」
 僕が言えば、八十吉は徐に頭を上げる。
「そのように新様より聞いておりますが、若様。それは拐かして来られたのでしょうか?」
 なんとも物騒なことを言いながら、八十吉は僕の背後を指さす。
 僕のリュックサックには、駅からずっと根性だけで張り付いて来た女がいる。
「若様が人間を食されるとは存じ上げませんでした」
「冗談だろ。僕にそんな趣味はない」
 深々と息を吐いて、リュックサックを揺らすように肩を上下させる。
 女が呻きながら、力いっぱいにリュックに抱きついた。
「これが誘拐に見えるか?」
「確かに」と、八十吉はリュックサックを掴んだままの女を見据える。
 八十吉は小柄で威圧感はないが、底知れぬ不気味さがある。
 見てくれは人間なのに、表情の機微が人間とは違う。仮面めいたところがあるのだ。そんな些細な違いを、人間は目敏く見つけ畏れる。
 女もそうなのだろう。しげしげと顔を覗き込んで来た八十吉に、「ひゅ」と喉を鳴らし、怯えたようにリュックサックに顔を埋めた。
「このお嬢さんが勝手に付いて来たように見えます」
 八十吉が頭を上げた。
「では、夜伽の相手ですか?」
「冗談はそこまでにして、引き剥がして、外に捨ててくれ」
「よろしいのですか?」
「よろしいもなにも、僕が好き好んで連れて来たと思うか?引き剥がすことは簡単だが、外では人目があり過ぎる。人間は些細な違和感で僕たちを察知するところがあるから侮れない」
「若様の仰せのままに」
 恭しく頭を下げた八十吉に、今まで黙り込んでいた女が絶叫した。
「助けてほしいんです!」
 振り回されそうなほどリュックサックを握り、「見捨てないで!」と懇願だ。
 これだから人間は好きになれない。
 自分の都合ばかりを押し付け、こちらの事情を汲もうともしないのだ。
「さぁ、さぁ、お嬢さん。若様がお困りです。手を離して頂けますか?」
 にこにこと胡散臭い笑顔で、八十吉が丁寧に進言している。
 女はパニックだ。ぼろぼろと涙を零し、「お願いです!」と駄々をこね始めた。
「私、駅で妖怪に襲われそうになったんです!もしかすると、付いて来てるかもしれないんです!死にたくありません!」
 泣こうが叫ぼうが、僕に同情心は湧かない。
 八十吉が仕事をしてくれるのを、突っ立って待つだけだ。
 なのに、あまりにも五月蠅い悲鳴に、屋敷のあちこちから野次馬が顔を覗かせ始めた。人型のモノ、人間に化け損なった半端なモノ、二足歩行のケモノたちが、「何事だ」とこちらを伺っている。
惟親これちかくん」
 草履を突っ掛けて、「何事?」と玄関から小走りに出て来たのは、鬼頭新だ。
 天パというほどではないが、涅色の癖っ毛から、2本の角が出ている。牛の角に似ているが、牛の角ほど先端が丸くない。温厚そうな目元と、下がった眉尻のせいで、常に何かに困っているような顔つきをしている。無精髭と相俟って、冴えない中年男という風情だ。
 それでも角があり、190cmの体躯だ。
 紹介せずとも十二分に鬼だと理解できる。
 現に、女が泣き喚く声を引っ込め、硬直した。
 そんなこととは露知らず、鬼というには腰の低い新は、「おかえり」と僕の前で足を止めた。それから困惑顔で、リュックサックに張り付き、身を竦めている女を見る。
「さっきの阿鼻叫喚は…この子?みんな、惟親くんが女の子を手籠めにしてるって言ってたから驚いたんだ」
「おい。風評被害だ」
 僕は言って、ショルダーストラップを握ると、くるりと踵を返す。
 と、リュックサックにしがみついていた女も、よろめきながら回転した。
「へぇ~可愛いね」と、笑顔の新に対し、女は「ひぃ」と短い悲鳴を上げる。
「まだ子供だね」
「若様に引っ付いて離れないのです」
「それは仕方ないよ。惟親くんが逆ナンされるのを幾度も見てる私からすれば、なんら驚くことでもないよ」
 はははっ、と笑う新の脇腹を軽く殴る。
 新が大袈裟に身を捩り、非難がましい目で僕を見た。
「新」
 お前が引き剥がせ、と睨めば、新は頭を掻きながら腰を屈めた。
 女と視線を合わせて、愛想笑いを浮かべる。
「初めまして。私は鬼頭新。見ての通り、鬼だ」
 新が自身の頭部に生えた角を指差す。
 女が怖ず怖ずと頭を下げた。
「ひ…ひ日向ひなた望海のぞみです。希望の海で望海…」
 ぐずり、と洟を啜り上げ、女ーー日向望海が自己紹介した。
「望海ちゃんか。幾つかな?」
「も、もうすぐ…19」
「高校3年生?」
 談笑でも楽しむような新に、日向望海が警戒心を緩めながら頭を振った。
「大学1年です」と、リュックサックを離さず、肩口で涙を拭う。
「望海ちゃんは、どうして惟親くんのリュックを離さないのかな?もしかして、好きになっちゃった?」
「…え、駅で……化け物…妖怪がいたんです。怖くて動けなくて…どうしようって迷ってる時、この人が……」
 と、ちらりと僕を見上げる。
 新と八十吉も僕を見た。
「言っておくが、助けたわけじゃない。邪魔なヤツの首をへし折っただけだ。駅で獲物を物色して、僕に襲いかかって来たんだ」
「惟親くんを襲った?」
「若様を襲うとは…」
 新と八十吉が交互に呟き、呻くように頭を押さえた。
「まぁ、そういう事情だ。妖怪に襲われない助言を求められたが、僕にはそんな義理はないからな」
「つまり望海ちゃんは、最近では珍しいタイプなんだね」
 新は頭を掻いて、八十吉と視線を交わす。
 2人の顔が「ご愁傷様」と言葉なく語り合っている。
 その微妙な表情の変化に、望海は気が付いたらしい。
「わ、私は…どうすればいいですか?」
 嗚咽を噛んだ声に、新が向き直った。
 怖がらせないように、声音を和らげる。
「惟親くんが人間じゃないのは知ってるかい?」
 少しの沈黙の後、望海が「…聞きました」と頷く。
「望海ちゃんみたいに見える人間が狙われることも聞いた?」
「…はい」
「なのに、ついて来ちゃったの?」
「助けてくれたので……悪い人には見えなくて……」
 この答えに、新は目玉を回して星空を仰いだ。
「お嬢さん。たまたま若様が人間を捕食する方ではなかったというだけです。無害を装い、近づく妖怪は少なくありません。この屋敷には、多種多様のモノがいます。意味が分かりますか?」
 八十吉が笑顔で警告する。
 リュックサックから頑として離れないのであれば、脅して追い払う算段らしい。
 暇を持て余したモノたちが、窓から身を乗り出すようにしてこちらを窺っている。屋根の上にもいるのだから、今晩の酒のあては、面白おかしく脚色された僕の噂話なのだろう。
 日向望海はそんなモノたちを見て、顔面蒼白になった。
 あれら全てが捕食者だと思っても仕方ない。
「お嬢さんは、妖怪が3つに分類されることをご存じですか?」
 八十吉は首を傾げながら日向望海を見据える。
 表情の乏しい能面に、日向望海は身動ぎしながら頭を振った。
「よろしい」と、八十吉は頷き、人差し指を立てる。
「いち。普通の人間には見えないタイプの妖怪。若様を襲った痴れ者は、このタイプでしょう」
 に。と、八十吉は指を2本立てる。
「普通の人間にも見えるタイプの妖怪。人間に呵責を与えるという性質上、どんな愚鈍な人間にも見えます。駅などに現れれば大混乱になります」
 さん。
 八十吉は指を3本立てる。
「神格化したタイプの妖怪。元妖怪と言った方が良いでしょう。人間が言う所の”八百万の神”です。お嬢さんでも見えないかも知れません。神を見る目を持つ人間は、お嬢さんよりも稀有なんです」
 八十吉は小さく息を吐くと、ぽん、と手を打った。
「さて、この3種の妖怪の中、1番目は種の半数ほどが人間を捕食します。2番目は、元々が人間に呵責を与える為に生み出された存在ですので、全ての種が人間を好みます。特に鬼は、好んで人間の女子供を喰らうことで有名なのです」
 これに新がぎょっと目を見開いた。
 八十吉からの「行け」という目配せで、おろおろと戸惑い、「そうだね…」とぎこちなく笑う。
 悍ましい笑顔を作ったつもりなのだろうが、見た目が冴えない中年男な上に、コミカルな犬柄のポロシャツという格好だ。どこに鬼としての畏怖を感じればいいのか分からない。
 そもそも鬼と言うのは、妖怪の中では比較的人間に近い風貌をしている。地獄絵図に登場するようなビール腹で、赤や青の皮膚ですらない。肌の色は赤黒いが、それも人間としては許容範囲内の、日焼け後の赤黒さに似ている。犬歯は人間よりも大きく、骨を噛み砕くほど硬質だ。身長は個体差があれど、男なら優に2メートルを超える。体格は男女関係なく筋骨隆々。人肉を喰らい、殺戮を好む。
 だが、新は他の鬼に比べれば”もやし”だ。
 肌だって赤黒くないし、犬歯も人間に比べれば大きいが、歯科医に見せても「立派!」の範疇だろう。
 僕も背が高い方だが、そんな僕よりも立っ端のある新ですら、2メートル超えの鬼の群れの中では小柄になる。
 他の鬼と天地ほど違うのは、食生活に依るのだと思う。
 新は人肉を貪らないし、骨を噛み砕いて骨髄を啜らない。むしろ、酒盗をちびちび食べながら酒を嗜むのが好きだ。性格も穏やかで、暴力を嫌う。冴えない風貌からはお人好しの気配が滲み出ていて、簡単に詐欺に引っかかりそうなタイプに見える。
 正直、僕が日向望海の立場なら、新よりも八十吉が怖いと思うだろう。下手をすると、街を歩くチンピラの方が厳つい。
 初対面ながらに、日向望海も同意らしい。
 新以上の困惑の表情をしている。
 八十吉が新の脇腹を肘で突くと、新はやけっぱちのように叫んだ。
「人間の肉は美味しいよね!特に女子供の肉は絶品だよ!血の滴る肝は美味いんだ」
 叫んでおいて、それを想像したのか、昔を思い出したのか、具合が悪そうに両手で口を覆った。
 微かに、「おぇ…」と聞こえる。
 新はベジタリアンではないけど、肉を好んで食べているのを見たことがない。好物は稚鮎や小鯵の南蛮漬け。お煮しめの里芋といった具合だ。
 なるべくしてなった”もやし”なのだ。
「もういい」
 僕は嘆息する。
 日向望海を一瞥し、「新は肉は好まない」とおざなりに手を振り、リュックサックのショルダーストラップから腕を抜いた。
 日向望海がリュックサックの重みに手を下げながら俯く。
 自分の無謀さと傍迷惑さは理解しているらしい顔つきだ。
「お前は僕に何が出来る?」
「え?」と、日向望海が洟を啜りながら僕を見上げた。
「お前は僕に求めてばかりだろ?あまつさえ迷惑極まりない恥知らずの手段で付いて来たんだ。その時点で、僕は不利益しか被っていない。自分が助かりたい、喰われたくはない、そんな自分本位の考えばかりを押し付け、こちらの都合などお構いなしだ。まぁ、人間というのは、そういう生き物なのだろうが」
 僕が言えば、彼女は恥じ入るように俯く。
「惟親くん。その棘、少しオブラートに包めないかな?」
「包めないな。こんな無駄なやり取りで、僕の時間が失われているんだ。本来なら蹴り出しているところだ」
 腕を組み、憤慨して言えば、新は困ったように頭を掻く。
「で、お前を助けた時、僕に与えられる利益はなんだ?」
 ゆっくりと腰を屈めて日向望海を覗き込めば、潤んだ瞳が少しばかり力を込めて僕を見返して来た。
 睨むというには迫力に欠ける。
 決意を込めた目、とでもいうのだろうか。
「体で返します!」
 そう叫んだ彼女に、新は仰け反った。
 八十吉は笑顔で、「では、すぐに夜伽の準備を致しましょう」と頷く。
「若様に子が出来れば、ますます活気づきます」
 どこまでが本気か知れないが、八十吉の言葉に僕は堪らず吹き出した。
 日向望海は意味が分かっていないのか、きょとんと目を丸めて「よとぎ?」と首を捻っている。
 僕は目元にかかる髪を撫で上げ、「冗談だろ」と笑いが止まらない。
「見ろよ。胸がデカいだけで、色気のない、マグロっぽい顔を」
「まぐろ!?」
 素っ頓狂な声で、「私が魚類系の顔ってことですか!」と怒っている。
 マグロの意味も知らないらしい。
「なんだ。じゃあ、手練れなのか?」
 日向望海に顎を掴んで、親指と人差し指で口元を挟み込めば、なんとも不細工なひょっとこ面になる。
「夜伽ってのはな、女が男と夜を共にするって意味だ。つまり、セックス。お前はどれだけ奉仕できる?朝まで突っ込まれる覚悟と体力はあるのか?」
 冴え冴えと見下ろせば、日向望海は茹でだこみたいに真っ赤になった。
 ようやく夜伽の意味が分かったらしい。
 僕の手を払い除け、周囲を見渡し、わなわなと震えだす。
「ち、違います!から、体って!そういう意味じゃないです!働くという意味です!」
 僕だけじゃない。
 新や八十吉、興味津々と屋敷のあちこちから顔を出す妖怪に向けて、日向望海は叫喚した。
 よほど恥ずかしいらしい。
 耳まで真っ赤になった顔を俯かせ、手にしたリュックサックを、指先が白むほど握りしめている。
「若様。いかがなさいますか?」
「嫌がる処女を組み敷く趣味はない。ということで、僕に旨味はない。帰れ」
 門を指さす。
「ま、待って下さい!無給で構いません!大学に通っている時間帯は無理ですが…それ以外で。掃除でも洗濯でも料理でも、私に出来ることはなんでもします…。だから、お願いします」
 最後は鼻声で、彼女は深々と頭を下げる。
「あんなのに…食べられたくありません…。助けて下さい…。なんでもしますから…」
 ぐずぐずと洟を鳴らし、ぼろぼろと零れる涙が地面に落ちる。
 お人好しの新が、彼女の背中を摩り、顔を覗き込み、ポケットからハンカチを取り出して手渡している。
 八十吉がお手上げとばかりに嘆息する。
「惟親くん…。可哀想だよ」
「あのな、新。お前は捨て犬や捨て猫を全部世話するのか?」
「それはそうだけど……。出会ってしまえば、手を差し伸べたくなるじゃないか。捨てられた犬猫だって、生きたいとこちらに歩み寄って来れば、保護くらいする。里親だって探すよ」
 新が懇願の目を向ける。
 図体がデカい冴えない中年男が、チワワのような目をしても気持ち悪いだけだ。
「じゃあ、こいつの里親を探すというのか?」
 僕が言えば、新は答えに詰まる。
 唇を尖らせ、日向望海を見下ろし、「だったら!」と吼えた。
「力不足かもしれないけど、私が里親になるよ!」
 ぎょっと目を丸めてしまう。
 八十吉は額に手を当て、遠目に僕たちのやり取りを見守る妖怪たちは、さざ波のようにざわめいた。
「あ…あの…?」
 日向望海が戸惑いの表情で新を見上げた。 
 新は彼女の肩に手を置き、胸を張る。
「今日から私が君の後ろ盾になると言ったんだよ。望海ちゃん」
「ああ、もういい!分かった。こき使ってやる」
 意固地になった新を、どうこうするのは骨が折れる。
 もう十分に骨が折れているのだ。これ以上の疲労は勘弁願いたい。
「良かったね」と新が声をかければ、日向望海は「はい」と破顔した。
 涙を拭い、洟を啜り上げ、「ありがとうざいます」と頭を下げる。
「こき使うと言っても、学校のない日くらいか」
 なんとも旨味が少ない。
「あ…あの。もし可能なら…住み込みでも大丈夫です!」
「ご家族は?」と、新。
 日向望海は、僕から新に視線を移した。
「一人暮らしです。実家は隣県の田舎で…。通学するには3時間近くはかかってしまうので、今はアパートを借りています」
 心なしか、彼女は消沈する。
 新が彼女の手からリュックサックを受け取り、「どうかしたのかな?」と優しい声音で訊く。
「実は、今日、駅で見た妖怪…。前から見かけてたんです。最初に見たのは8月の終わりです。友達と海へドライブに行って、そこで見かけました。怖くて、目が合わないようにしていたんです。そうしたら数週間前、アパートの近くに現れたんです。怖くて帰れなくて、その時は友達の家に泊まったんです…」
「なるほど。あいつはお前に目を付けてたのか。でも、都会に慣れていないせいで、ここぞという時に見失う。手っ取り早く、駅で捕まえてしまおうとしたところに僕が来たということか」
 アレは目玉こそ大きかったが、視力は良くなさそうだった。
 視力が良ければ、立ち往生していた日向望海を早々に捕らえていたはずだ。優れているのは嗅覚。それを頼りにここまで追いかけ、アパートの近くまで行ったのに、捕食には至れなかった。
 本当に、こいつは強運の持ち主だ。
「そいつは、惟親くんが始末したの?」
「いや、どうだろうな。首をへし折っただけだから、息を吹き返す可能性はある」
「望海ちゃんの家は、ここから遠いのかな?」
 新が訊けば、彼女は曖昧に頷く。
「2駅ほど先です」
「それじゃあ、危険だね。惟親くんに襲い掛かったっていうことは、かなり空腹状態で、なりふり構わずだったんだろう。もし息を吹き返していたら、人目の有無に関わらず、望海ちゃんに襲い掛かって来る可能性があるね」
 そう言って、新は苦笑した。
「私が送って行こう」
 本当にお人好しだと思う。
 八十吉が新からリュックサックを受け取ると、新は「キーを持って来るよ」と、屋敷へ走って行った。
「八十吉。その中に例の物が入ってる。ハズレだ。それでも穢れは上々。コレクターに高値で売れるだろうから頼んだぞ」
「承知しました」
 八十吉はリュックサックを両腕で抱えると、踵を返して屋敷へと消えて行った。
「あ…あの…」
 涙と鼻水でぼろぼろの顔が、困惑気味に僕を見上げる。
「私は…どうしたらいいんですか?」
「新があんたを車で送るそうだ」
「………車?」
「妖怪だって運転くらいする。とは言っても、ここで運転できるのは新くらいだが」
 僕は肩を竦めて、屋敷へと足を向ける。
「あ、あの!名前を訊いてませんでした…」
「僕は大神惟親。こう見えて、ここの主だ」
 疲弊したため息を一つ零して、今度こそ僕は屋敷へと入った。
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