成り上がり男爵令嬢の赤い糸

衣更月

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最終話

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 ステープフォード様に送られていたキスマークつきの手紙の差出人は、やっぱりボバッシュ男爵令嬢だった。
 さらに彼女は、キスマークだけでなくグレーテニスという媚薬成分がある植物の粉末も同封していたらしく、精神病院ではなく憲兵に連行されて行ったそうだ。
 グレーテニスは媚薬の他に、幻覚や幻聴、興奮といった作用があり、多くの国で有毒指定される植物になる。
 ステープフォード侯爵家では、すべての封書は使用人の検閲が入るらしい。怪しいものは開封まで行う。結果、手紙をチェックしていた使用人は知らず知らずのうちにグレーテニスを吸引し続けていた。3人が体調不良を訴え、うち1人が鬱症状で退職しているというから不憫だ。
 ステープフォード侯爵家としては、退職者には退職金とは別にに手厚いサポートをしていくと声明を出した。
 そう。異例の声明だ。
 ステープフォード侯爵家は泣き寝入りせず、ストーカー3家を正式に訴え、被害を詳らかに公開もしている。
 娘が薬物を送り付けていたボバッシュ男爵家に至っては風前の灯火だ。
 貴族は陞爵するには大きな功績が必要だけど、没落するのは意外とあっけない。
 ステープフォード侯爵家は新たなストーカーへの牽制と、ストーカーごときで揺るがない家名のアピールを成功させたと言ってもいいだろう。
 話題性は十分。
 1週間経っても、生徒たちの口に上るのはストーカー3家の話題ばかりだ。たまに、口直しとばかりに我が家の陰口が入る。
 クルムグラート商店のインク被害だ。
「恨みを買うような商売をしているのよ」とか「何かしらの不正に手を染めたゴタゴタじゃないか」とかね。
 被害者を謗るとは、つくづく性根が腐ってるわ!
 ワンツーよ、ワンツー!
 でも、ステープフォード侯爵家が我が家の擁護に回ったことで、少しずつ風向きは変わってきつつある。
 劇的な変化はないけど、嫌がらせの数は減ってきていると思う。
 インク被害は確実になくなったしね。
 それでも、掃除は欠かしてはいけない。これは先祖代々のジュンキ家の家訓である。

 ジュンキ家家訓
 その1、家族なかよく!
 その2、いかなる不正も許さず無欲なれ!
 その3、掃除は欠かすことなく!
 その4、感謝を忘れずに!
 その5、お客様は神様である!

 まぁ、その1以外は家訓ではなく社訓よね。
 それをオースティンが律儀に守ろうとするのが謎なんだけど…。
 オースティンはジュンキ家のお客様であるはずなのに、毎日クルムグラート商店の店先で掃き掃除に勤しんでいる。
 オースティン目当ての女性客が増えたのは喜ばしいことだけど、従業員たちの顔色は悪い。
 オースティンが隣国の公爵令息だってバレちゃったのよ!それも、セバロス公爵家がスタークス王国の準王族に位置するってこともセットで!
 さり気に母のお里が露見したわ…。
 今までは、「女には秘密のひとつやふたつ…100くらいはあるものよ」おほほ~、と笑っていたのだ。さすがにジュンキ家の使用人は知っていたけど、クルムグラート商店の従業員にまでは知られていなかった。
 ぼんやりと、良家のお嬢様っぽいと思われてはいたんだけどね。
 まぁ、普通に考えて、王弟を父に持つ公爵令嬢が平民に嫁いでくるなんて思わないでしょ?しかも、当時は終戦直後よ。
 そもそも、祖父様も母の暴走をよく許したわよ。敗戦国の平民に嫁がせるなんて、正気の沙汰じゃないわ!
 ちなみに、エリザヴェータ伯母様は降嫁した王女。
 ちょっと王家の血が濃すぎる気がするけど、ウィルフレッド伯父様の情熱的な求愛にエリザヴェータ伯母様が折れたと聞いたことがある。
 エリザヴェータ伯母様曰く、「まるで風鳥ふうちょうの求愛ダンスのようで鬱陶しかったのよ」だそうだ。
 セバロス家ってそうなのよ…。
 見た目はクール系一家なのに、めちゃくちゃ情熱的で押しが強くて諦めが悪い。
 伯父様がそうなら、母もそうだし、オースティンもそうだ。
 で、厄介なのが、あっちの王家。何の呪いか、男児が生まれにくい。
 国王には11人の子供がいるらしいんだけど、男児は王太子と第2王子の2人だけ。あとは王女が9人!
 側妃は2人と言うから、王妃含めて3人。頑張ったと思う。
 ということで、下の下の下~の方ながらに、オースティンは継承権を所持している。
 心から捨ててほしいと思う。
 その事情を知ってしまったクルムグラート商店の従業員は、全員揃って顔色が優れない。
 クルムグラート商店を任されているコジモ店長は、頻繁に胃薬を飲んでいるくらいメンタルを追い込まれているわ。
 それを知ってか知らずか、オースティンは掃除を止めない。
 利点としては女性客が増えてる。それ以上に、オラオラ系のクレーマーをやり込めているというから、従業員として見るなら優秀ね。
 まぁ、クレーマーをやり込めるのはオースティンの趣味なんだけど。
 オースティンと兄は同類で、調子に乗ってる輩の鼻っ柱をへし折るのが好きなのだ。それも立ち直る気力を喪失させるほど、精神的フルボッコするのが好きという性格破綻者である。
 敵にはしたくないタイプ。
 そんな事情もあり、従業員一同、心の中で「もう帰国なさっては?」が総意だ。
「ねぇ、オースティン。休暇はいつまでなの?」
 掃除の手を止めて訊けば、オースティンはきょとん顔だ。紅玉の瞳をぱちぱち瞬かせて、困ったように笑う。
「確かに休暇中だけど、俺は君待ちなんだよ?」
「ん?」
 私待ちとは?
「シスレイジ叔母様が何か言ってなかったかな?」
 シスレイジは私の母。
 平民に嫁いだ破天荒な母は、クルムグラート商店の宣伝を一手に引き受けているために多忙を極めている。主に貴族に商品を売り込むため、日夜、社交に勤しんでいるはずだ。直近で会ったのも10日前で、「明日からコーマン侯爵家の別荘に行くからしばらく留守にするわ」と、父と一緒に新商品をトランクに詰めていた。
 両親が帰って来たのは昨夜遅くで、今日は昼まで寝ていると執事に聞いた。
 つまり、オースティンが来てから母とは会えていない。
「なにも聞いてないわ」
 ゆるく頭を振る。
「母さんはうっかりが多いからね。オースティンがザラ待ちということは、迎えに来たのかな?」
 はい?
「デニスは聞いてたのかい?」
「いや。公爵家に嫁ぐんだから、そろそろ公爵家に行って勉強が必要な時期になると思ってね。一応、母さんから教育は受けているとは言っても、母さんだから」
 含みを持たせた物言いに、男2人が苦笑している。
「元々、ザラはこっちの学園には1年通うだけなんだよ。あとは向こう。転入してもいいし、公爵夫人としての教育に集中してもいい。てことで、ザラはうちに来るんだよ。俺は休暇を兼ねて迎えに来たんだ」
「聞いてないわ!」
「本当に?」
 そう言われると自信が萎む…。
 誰だって、ぼんやりしてて、聞いているようで聞いてないことってあるでしょう?
 じーーーーっと見てくるオースティンの視線に、おろおろと目が泳いでしまう。
「ザラもうっかりさんだからね」
 兄が朗らかに笑う。
「う~~…ごめんなさい。記憶に埋没してるみたい」
「気にしてないよ」
 ちゅ。
 頭に落ちてきた破廉恥なリップ音は無視。
 ここは天下の往来なんだから!気にしたら負け!
「少しフライングぎみだけど、もう1年だしね。デニスからも学園内のことは色々聞いているし、もう良いかなって思って迎えにきたんだよ。昨夜、ドワイト叔父上がシスレイジ叔母様と一緒に、今日の午後にでも学園に手続きに行くって言ってたから、明日には学園は阿鼻叫喚だろうね。何しろ、今まで悪し様に罵っていたザラが、スタークス王国の王家の血を引いてるんだから」
 薄っすらすぎて、ほぼ消えかかってる血よ!?
「レオ…ステープフォード家は上手く回避したよ。土壇場で我が家の擁護に回ったんだ。レオが頑張ったんだろうね」
「ガラスほしさに兄様が助言したんでしょう?」
「まぁ、それはあるよ。商売前に潰れられても困るし。でも、普通にレオは良い奴だからね。お節介させてもらったんだ」
 先日、兄はステープフォード様と領地のガラス工房の見学に出かけ、ご機嫌で帰ってきた。良い契約ができたのだろう。
 軽快に箒を動かしながら、オースティンと目を合わせてニヤリと笑っている。
「ちょっと2人とも…何を企んでるの?」
「企むなんてとんでもない。一応、我が家も貴族だからね。公表をしなくちゃね」
 公表?
「俺との婚約だよ。これを大々的に発表しようと思うんだ。やぁ~、商会に嫌がらせしていた貴族たちはショック死するかもな。実は、バックにセバロス家がいましたって言うんだから。名指しで抗議しようってシスレイジ叔母様もノリノリだよ」
 まるで悪魔みたいな顔で兄とオースティンが笑ってるわ…。
 学園にて兄が母方について口を噤み、母が商会への嫌がらせ行為に関して熱心に対策を取らないでいたのは、ここぞという時の布石だったのね。
 名指しで抗議っていうことは、証拠は取り揃えてあるってことでしょう?
 ざまぁ、というやつを虎視眈々と狙っていたのが分かる。
 うん、知ってた。兄と母の性格が悪魔なこと。ついでにオースティンも悪魔なの…。
 この3人、なんなの?
 セバロス家の血なのかしら?
 それともスタークス王家の血なのかしら?
 フットワークの軽さと、悪魔のような性格!
 そして、何より恐ろしいのがセバロス家特有の愛情深さ&執着!
「シスレイジ叔母様がもう少し待ってほしいって言うから、ちょっと長めの休暇を楽しんでるんだけど、そろそろ出立の準備をしようね。女性は色々と用意があるんだろうし。発表したら出立しようか」
 にこりと微笑んだオースティンから伸びる糸が、心なし太くなったような気がする。
 セバロス家特有の糸だわ…。
 母の愛情に搦めとられた父を思い出した私は、悟りを開いた心境で何度目とも知れないオースティンのキスを受け止めた。
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