成り上がり男爵令嬢の赤い糸

衣更月

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シャーメイン・ガーマ子爵令嬢

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 ゴトゴト、ゴトゴト。
 決して乗り心地が良いとは言えない辻馬車が向かうのは、ステープフォード侯爵家。
 その道のりは近そうでそこそこ遠い。
 王都というのは、王城を中心に街が形成されている。
 城に近い区画は貴族街と言われていて、その名の通り、貴族のタウンハウスが建ち並ぶ。広大な敷地と宮殿みたいな屋敷は、主に公爵家や侯爵家だ。伯爵家以下はグレードダウンし、平民街近くの区画になると猫の額ほどの庭を有した下位貴族の屋敷が軒を連ねている。
 それでも平民の家とは比較にならないほど大きな屋敷だけどね。
 ジュンキ家は元平民の現役商人なので、引っ越しも面倒だということで平民街だ。
 平民街もグレードがあり、貴族街に近いほど治安が良く、富裕層が屋敷を構える上級区画。商業街と言われるほど活気ある中級区画。貧民街を要する下級区画に分けられる。
 ジュンキ家があるのは上級区画だけど、貴族街に入ると次元の違いに驚かされる。まず、巡回する騎士の数が違う。道を行くのも、お仕着せ姿の使用人だ。たまに、日傘を差した令嬢が護衛を引き連れて歩いていたりする。
 平民街は子供が元気に駆け回ってるけど、貴族街で子供を見ることはない。誘拐を警戒し、家から出さないのだ。
 大きくて立派な屋敷が多い分、活気がなく寂しい区域だと思う。
 さらにぽつぽつと点在する貴族向けの宝飾店や洋裁店の前に陣取る衛兵は、誰も彼も目つきが悪くて恐ろしい。
「ねぇ、兄様。ステープフォード侯爵家に行く必要はある?」
「緊張してるのか?」
「してるわ」
「母さんの実家では緊張しないのに?」
 元平民の成り上がり男爵と蔑まれている我が家だけど、実は代々平民なのは父で、母は貴族出身。兄の美貌は、母方の遺伝子総動員によるものだ。
 貴族令嬢であった母は、街で見かけた父に一目惚れしたのだという。
 例え貴族令嬢でも、イケメン平民にうっかり惚れてしまうパターンはあると思う。ただ、普通は儚く散る恋心だ。
 なのに、父に一目惚れした母は、そこらの貴族令嬢とは一味違った。
 軽快なフットワークで、即座に護衛に父のストーキングを指示したのだ。身元を調べると同時に両親…私の外戚そふぼを脅した。父に女の影がないと知るや否や、押しの弱い父を言い包めて言質をとり、平民へと下った変わり者だ。
 父も平民にしては端正な面立ちをしているけど、貴族の中に入ると霞む。可もなく不可もなく、華のない顔立ちとは思うけど、母曰く、貴族特有の凛とした美しさではなく、穏やかな癒し系のイケメンとのことだ。
 そんな母は実家と縁を切っているわけではない。今でも家族揃って別荘感覚で足を向けている。
 行くのは領地にあるカントーハウスなので、貴族街ここに並ぶような洗練された屋敷ではない。湖を有する森を借景の1つとして、広大な庭園を抱えたカントリーハウスは、何度見ても城か!とツッコミたくなる壮麗さがある。
 そこでは、迷子になったことはあっても緊張したことはない。
 あまりにも規模が大きすぎると、個人宅というより高級宿ホテルみたいで現実逃避が入るからだ。
「身内と他人の違いってのもあるわ」
「そうかぁ。そんなものかな?僕には分からないな」
「使用人たちからして、私たちを受け入れてるでしょう?他所の貴族家では、平民風情がって目で見られるのよ。きっと!で、どうして侯爵家に行く必要があるの?」
「糸が学園の敷地の外に出てたからだな。残りのストーカーが帰宅していたという線もあるだろうけど、僕としては、使用人が怪しいと睨んでいる」
 兄の勘は侮れないから怖い。
「お。着いたね」
 ステープフォード様が話をつけていたのか、衛兵と馭者のやり取りだけで門が開いた。
 実にスムーズな訪問だ。
「さすが侯爵家。見応えのある庭園だ」
 見応えというのは、商売人として…という注釈付きだ。
 母の実家は領地いなかというだけあって、王都に構える屋敷のような流行色はないらしい。田舎には田舎に合った様式美を取り入れているのだという。
 つまり、この侯爵家は最先端の流行を取り入れた景観というわけだ。
 興味津々と兄の視線は珍しい花々に馳せられている。ジュンキ家経営の商会は植物の取り扱いはしていないけど、美しい花のアクセサリーの取り扱いに関しては独走状態だ。
 代表作はガーネットで作ったバラのイヤリングとネックレス。
 王妃陛下の誕生日の献上品とし、王妃陛下が公式に着用したことで人気に火が付いた。
 ちなみに、ガーネットは王妃陛下の誕生石であり、バラは王妃陛下の好きな花だ。
 王妃陛下すら広告塔にするジュンキ家の貪欲さに、身内ながら舌を巻く。
 馬車が止まり、ドアが開くと、そこには銀青色の髪をした赤い繭がいた。
「ひぅ」と悲鳴を寸でで呑み込んで、胸を摩りながら出迎えに感謝の意を伝える。
「デニス。ザラ嬢。わざわざ済まないね…」
 弱々しい声でエスコートを受け、馬車から降りる。続いて兄も馬車から降りると、「お招きありがとう」と気取ったお辞儀だ。
 実にわざとらしい。
 私も兄に倣い、「お招きありがとうございます」と屈膝礼カーテシーで礼を示す。
「驚いたな。ジュンキ家は新興男爵家だと侮る者は多いが、美しい屈膝礼だ。デニスも所作が美しいから、ほんの数年まで平民だったと思えないのだが、2人は以前から所作を習っていたのかな?」
「ああ、母がね。とにかくマナーにうるさいんだ。平民でもマナーは将来役に立つ。商人なら貴族の相手をすることもあるからとね」
「立派な母君だな」
 驚嘆の声を零す。
 ステープフォード様は、両親揃って平民出だと思っているのだろう。
 普通、平民は読み書きは習っても、貴族に通じるマナーまでは習わないから驚きも一入らしい。
「それでは早速、侯爵家探索と行こうじゃないか」
 にかっと笑った兄に、ステープフォード様の後ろに控えていた執事を筆頭とした使用人が一斉に顔を顰めた。
「では、案内しよう」
「ステープフォード様。侯爵家の探索?私は初耳なのですが…?」
「先日は学園中を歩き回っただろう?だから今回も、念には念を入れたんだよ。一応、父には許可を得ている。何しろ、ザラ嬢は実績がある」
 実績…。
「件の令嬢を追及した日、久しぶりによく眠れたよ。頭がスッキリしたような…頭の中に満ちていた靄が晴れたような気分でね。じくじくとした煩わしい頭痛からも解放されたんだ」
 でしょうね。
 頭を覆っていた糸が消えたので、スッキリ爽快だと思うわ。
「ということで、ザラ嬢。引き続き指示を頼む」
「承知しました」
 侯爵家令息から頼まれれば拒否はできない。
 階級社会って辛いわ…。
 ため息を呑み込んで、相変わらず気味の悪い糸の伸びる方向を確認する。
 1本は敷地外に伸びているけど、もう1本は屋敷の中に続いている。
 兄の勘、やっぱり当たるのね。
「まずは屋敷の中に入りましょう」
 その言葉に、ステープフォード様の体が緊張した。
 そうよね。
 ストーカーがプライベート空間に潜んでいるんだから。
「2階ですね」
 ”心緒の糸”が最短で相手に繋がってくれていたら楽だけど、執着の強い思いはあらゆる場所に痕跡を残して行くので厄介だ。
 ロープのように手繰り寄せることができたら簡単なんだろうけど…。
 向かう先の2階なんてプライベート中のプライベート空間だ。初めて来た客人がずかずかと入り込んで良いような場所ではない。それは後ろに続く執事たちの険しい顔つきで察することができる。
 兄がきょろきょろと絵画や調度品を観察しているから、不審者まる出しなのが原因でもある。
 きっと”無作法な元平民が来た”と思っているに違いない。不信感いっぱいの黒い糸が伸びてきている。
 後ろのプレッシャーを感じつつ、豪華な図書室、アトリエと巡り、リネン室、広々とした浴室、トイレと進む。
 きっと掃除に入ったのね。
 掃除に違いない!と心に言い聞かせるけど、兄が「おぅ…」と引き攣った声を零す度に掃除じゃない気がしてくるわ…。
 心なし、ステープフォード様の足取りが重くなっている。
 ごりごりと精神を削りながら、ようやく糸の終わりが見えてきた。
「その部屋は?」
「………私の部屋だ」
 トラウマ再びってやつですね。
 ステープフォード様の声が強張っている。
「私と兄はここにいます」
「レオの勝負所だ。武運を祈る」
 ひらひらと兄が手を振ると、ステープフォード様は拳を握って身震いした。
 武者震いじゃなくて身震いね。
「お前たちもここで待機しておくように」
 ステープフォード様が同行してきた執事と従者3人に命じた。
 そして、深々と息を吐くと、意を決したように勢いよくドアを開いた。
 どすどすと靴音も高らかに部屋に入ってしばらく。
「そこで何をしている!」
 デジャヴ。
「私のクローゼットを開いて、何をしているのだと訊いている!」
「レ、レオポルト様!これは違うのです!」
 何が違うの?
 犯罪者のテキストでもあるのかな。こういう手合いの言い訳ランキングに、「これは違うのです」は必ず入っている気がする。
 狼狽えながらの言い訳がつらつら出てきてるけど、控えている執事たちの憤怒と怖気と絶望的な青い顔を見るにアウトだ。
 執事に至っては使用人の監督及び教育義務があるので、それが機能していなかったことを知って、今にも倒れそうなほど体を震わせている。
「…なぜレオポルト様がこちらに…。今日はお客様が来られて…応接室にいらっしゃるのでは…。だって…どうして…?あぁ…。分かったわ。レオポルト様も私のことが好きなのね?愛の力で私の場所が分かったに違いないわ!ああ、なんて素敵なことなのかしら!私、レオポルト様に婚約者がいても構いません。愛のない政略でしょう?私が愛します。甘んじて愛妾となりますわ!」
「何を言っている?貴様は今、私のクローゼットを開けて何をしているのだと訊いているんだ。答えろ。お前が抱き込んでいるのは私の………!?」
 どうやらショックな出来事が起きているらしい。
 ステープフォード様の声が震えて途絶えた。代わりに聞こえるのは、「はぁ…はぁ…」と艶めかしさを孕んだ熱い息。
 一体全体、ステープフォード様のクローゼットで何を抱えて息を荒げているというのか…。
「ガ、ガーマ子爵家に抗議文を送ることにする!!」
「あ…あの…ぬ、盗みなどではありません!レオポルト様の肌気を抱きしめていただけです」
 ひぃー!!
 肌着って言った?
 肌着って言ったわよね!?
「レオポルト様の匂いに包まれると、心が癒されるのです」
 恍惚とした声に、ぶわっ、と総毛立った。
「ヤバいな。あれは、レオの使用済みのシーツや下穿きのニオイも嗅ぐタイプだ。よく夜這いされなかったものだね」
 兄の言葉が聞こえたのか否か。
 はぁはぁと息を荒立て、トチ狂った愛を叫び続ける侍女に対し、レオポルト様の声は聞こえてこなくなった。
「あ~。執事さんたち?レオが気を失ってるかもよ?」
 ちょん、と部屋を指さした兄に、正気に戻った従者たちが「レオポルト様!!」と叫んで駆けて行った。執事は額に手を当て、ふらふらと「旦那様にご報告を…」と去って行く。
 それからは大変だった。
 半ば壊れたように愛を叫ぶ侍女の連行と、がっつりトラウマを植え付けられたレオポルト様がクローゼットの洋服を全て捨てるのだと発狂し、それを従者たちが宥めるという地獄絵図。騒ぎを聞きつけた家令と家政婦長が、理由を知って卒倒する一幕まであったのだから、箝口令を敷かれても仕方ない。
 まぁ、これで事件解決だから良しとしましょう。
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