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レオポルト・ステープフォード侯爵令息①
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祖父は言った。「禍々しい糸は王宮か貧民街に行かんと早々見んぞ」と。
その王城に赴くには、それ相応の理由が必要になる。
そもそも登城するのは、子爵家以上の貴族家だ。理由は、男爵家には商売人が多く、武官文官として勤めている男爵家の者は非常に少ない。せいぜい令嬢の行儀見習いの奉公くらいだ。その為、男爵家が登城するのは年に1度か2度。何かしらの祝賀会で御呼ばれするくらいで、その貴重な夜会も王族に挨拶し、見知った貴族に商売の話を振って、早々に帰って行く。
我が家に至っては欠席一択。
時間をかけて着飾って夜会に出ても嫌味のフルボッコだしね。
国王陛下からも内内に欠席の許可は頂いているから問題なし。
そして、いくら元平民だと言っても貧民街には王城以上に縁がない。貧民街は王都の端の端。平民街下級区画に位置しているので、王城へ行くよりも遠く、危険なために普通に暮らす平民ほど貧民街には立ち寄らない。
さらに、貧民街は犯罪の温床になりやすいこともあり、騎士の巡回区に指定されている。自警団も見回り指定地域にしているので、貧民街住民には見えない人が近づくだけで聴取の対象となる。
それらの事情もあり、祖父は私が禍々しい糸を見ることはまずないだろうと笑い飛ばしたのだ。
笑い飛ばしていたのに、今、それが目の前に立っている。
王宮でも貧民街でもない学園に。
「えっと…?」
困惑に視線を彷徨わせても、最終的に行き着くのは目の前に立つ狂気の赤い繭を頭に被った男子生徒だ。
色も、執着の深さを思わせる糸の長さも、何もかもが規格外。
こんな狂気は、この世に2人といないはず。
昨日見たわ。
「レオ。僕の妹を紹介するよ」
「デニス。私も暇ではないんだ」
うんざりとした口調は、女の子を紹介されて辟易したモテ男の台詞そのまんまだ。
実際、そういう意味で妹を紹介されたと思っているんだろうけど……私としては遠慮したい。というか怖い。
「まぁまぁ。2人とも座ってくれ」
とんとん、と兄はベンチの背を叩き、さっさと腰を下ろした。
場所は西の庭園。
色とりどりの花が咲き誇り、中央に池を配した造園師渾身の庭園だ。数ヵ所に東屋も建っており、生徒にとっては貴重な憩いの場として重宝されている。
主に屋敷に庭がない下級貴族の子女が利用者だ。
学舎から距離があるということで、貴族のあれやこれに疲れた生徒にとっても有難い場所になる。
そんな中に、狂気の赤い繭……ステープフォード副会長が降臨されたとなれば、お喋りに花を咲かせていた令嬢たちは穏やかにいられない。兄だけなら良かったのだろうけど、オマケがいるのだ。そのオマケが弟じゃなくて妹なのだから、向けられる糸はどす黒い赤と紫色。
意味は憤怒と嫉妬。
まぁ、悪意を向けられるのには慣れてるし、いざとなったら糸を引っこ抜くからいいけどね。
とはいえ、鬱陶しさはある。
うんざりしながらベンチに座れば、ステープフォード様も大仰なため息を吐いて腰を下ろす。
東屋の1つ。四角い木製テーブルを挟んで、私たちは対面を果たした。果たしたくはなかったけど…。
とりあえず、座ったままに頭を下げる。
「お初にお目にかかります。デニスの妹、ザラ・ジュンキと申します」
「ああ、初めまして。デニスと仲良くさせてもらってるよ。レオポルト・ステープフォードだ。よろしく」
よろしくと言われても、愛想笑いしかできない。
イケメンとは妬み嫉みが怖いから関わりたくないのにー!
何より、頭部を糸で覆い尽くすほどの執着を向けられているのだ。今、この現場を目撃されていれば、逆恨みで刺されかねない。
普通に怖いわ!
私の目には狂気の繭の人だけど、噂を聞くに、銀青色の髪に水色の瞳をした麗人で、生徒会長と人気を二分する支持力があるそうだ。
常軌を逸した繭が怖くて、視線を落としたまま兄の足を睨みつける。
どうして連れて来るのよ!
「それで、デニス。まさか妹を紹介したかったという下らない理由ではないだろう?」
「冗談。レオに婚約者がいることは知っているよ。それを知りつつ妹を売り込む愚物に成り下がったつもりはないし、妹もそんな育て方はされていないから安心してくれ」
「そうか」
ステープフォード様は小さく頷いて、長い足を組んだ。
「では、要件はなんだ?」
「実はね。昨日、レオを見かけた妹が”ツかれてる”と言っててね」
「ああ、疲れているのは間違いないな」
そう言いつつ、ステープフォード様の手が顔に向かう。
その手は、ずぼりと繭に沈んだ。
「顔に出さないように気を付けているのだが、他者から一目瞭然ならば余程なのだろうな。情けない」
「そうそう。妹が心配してるんだよ」
はぁああ!?
兄を睨みつけたところで、兄がダメージを負うことはない。腹黒さが滲み出た微笑は、獲物を見つけた鷹のように油断ならない。
「レオ。何か悩みがあるなら相談してくれないか?力になりたい」
「悩み?」
「そんな顔してる」
「そんな顔?」と、ステープフォード様の声は困惑気味だ。
そりゃそうよ。
高位貴族の子女は安易に感情を表に出さない。疲労すら隠そうとする。表情筋を訓練しているのか、常に微笑を湛えた作り物めいた顔が良しとされる世界だ。たまに、見下すような目つきや嘲笑を表に出すけど、自身の弱点になり得るネガティブな感情は表に出さない。
ステープフォード様もその自信があったのだろう。
初対面の妹に疲労を心配され、兄に悩み相談を持ち掛けらるなんて、貴族の矜持がズタボロの心境のようだ。顔は分からなくても、色味の濃いオレンジ色の糸が私たちに伸びてきている。
淡く明るいオレンジなら陽気なイメージだけど、どんより暗いオレンジは自信消失のショックな糸となる。これが私たちに向かっているのは、「お前たちのせいで私の心は折れそうだ」ってところかな。
ステープフォード様の心は意外に素直な上に繊細ね。
これが高慢ちきな貴族なら、攻撃的な糸を伸ばしてくるところだ。
そんなことを知る由もない兄は、笑顔のまま「ストーカーか?」と配慮の欠片もない爆弾を落とした。
ほんの微かに、「う」とステープフォード様が息を呑む声が聞こえた。
「相手は?」
「………」
「分かんないのかぁ」
「………」
「レオが分かんないっていうなら恥ずかしがり屋さんかな。待ち伏せとかで対面してたら、レオなら調べあげてるだろうし、相手の家に圧力かけて問題を解決してるだろうしね。それじゃあ、生徒ではないのかな?もしくは、差出人不明の手紙とかプレゼント攻撃か。複数人か」
「デニス!私は何も言ってないぞ!」
「いや、目が正直すぎるだろ。貴族ってポーカーフェイスしてるつもりでも、目までは誤魔化せてないのが多いんだ。完璧なポーカーフェイスができるのって、たぶん国王陛下とか一部の高位貴族だけじゃないか?レオはまだまだ未熟だな」
流石の観察眼。
不躾な兄の態度にステープフォード様が怒らないかとハラハラしたけど、ステープフォード様は嘆息しただけだ。
隠し通せないと思ったのだろう。軽く両手を挙げた降参ポーズで、「お前の言う通りだ」と白状した。
「僕が力になろうか?」
「うまい話には裏があるんだろ?」
「侯爵領で最近ガラス産業を立ち上げたと小耳に挟んでね。是非とも契約を交わしたいと思ったんだ」
「ガラスならうちの領より南方のベイカー伯爵領が有名だろう?うちのはここ最近だ。新しい事業を模索している段階だから、まだ商品にもならない。売り物になるかも怪しい段階だ。ベイカー伯爵は非貴族主義者だ。父に頼めば、紹介できるだろう」
「正確には、ベイカー伯爵は拝金主義者だよ」
兄がからからと笑い、ステープフォード様は「否定はしない」と嘆息した。
「真面目な話、侯爵領の”模索の段階”っていうのが良いんだ。向こうは歴史がある分、職人気質でこちらのリクエストが通りそうにないからね。これも何かの縁だと思って、仲良くしてほしいんだよ」
思わず目玉を回して東屋の屋根を見上げてしまった。
ステープフォード様の表情は分からないけど、雰囲気としては悪くない。「ならば、私が責任を持って紹介しよう」と、兄と握手を交わしている。
「それで、どうやって見つけるんだ?張り込むのか?」
「いや。僕は動かない。ね、ザラ」
にこにこ、にこにこ。
悪徳商人顔の兄が私を見ている。
何が「仲良くしてほしいんだよ」よ!結局、働くのは私じゃない!
もぉ~~~!分かったわよ!
「それじゃあ授業が終わったらココに集合ね!」
妬み嫉みが怖いからイケメンとは関わりたくないのにー!
その王城に赴くには、それ相応の理由が必要になる。
そもそも登城するのは、子爵家以上の貴族家だ。理由は、男爵家には商売人が多く、武官文官として勤めている男爵家の者は非常に少ない。せいぜい令嬢の行儀見習いの奉公くらいだ。その為、男爵家が登城するのは年に1度か2度。何かしらの祝賀会で御呼ばれするくらいで、その貴重な夜会も王族に挨拶し、見知った貴族に商売の話を振って、早々に帰って行く。
我が家に至っては欠席一択。
時間をかけて着飾って夜会に出ても嫌味のフルボッコだしね。
国王陛下からも内内に欠席の許可は頂いているから問題なし。
そして、いくら元平民だと言っても貧民街には王城以上に縁がない。貧民街は王都の端の端。平民街下級区画に位置しているので、王城へ行くよりも遠く、危険なために普通に暮らす平民ほど貧民街には立ち寄らない。
さらに、貧民街は犯罪の温床になりやすいこともあり、騎士の巡回区に指定されている。自警団も見回り指定地域にしているので、貧民街住民には見えない人が近づくだけで聴取の対象となる。
それらの事情もあり、祖父は私が禍々しい糸を見ることはまずないだろうと笑い飛ばしたのだ。
笑い飛ばしていたのに、今、それが目の前に立っている。
王宮でも貧民街でもない学園に。
「えっと…?」
困惑に視線を彷徨わせても、最終的に行き着くのは目の前に立つ狂気の赤い繭を頭に被った男子生徒だ。
色も、執着の深さを思わせる糸の長さも、何もかもが規格外。
こんな狂気は、この世に2人といないはず。
昨日見たわ。
「レオ。僕の妹を紹介するよ」
「デニス。私も暇ではないんだ」
うんざりとした口調は、女の子を紹介されて辟易したモテ男の台詞そのまんまだ。
実際、そういう意味で妹を紹介されたと思っているんだろうけど……私としては遠慮したい。というか怖い。
「まぁまぁ。2人とも座ってくれ」
とんとん、と兄はベンチの背を叩き、さっさと腰を下ろした。
場所は西の庭園。
色とりどりの花が咲き誇り、中央に池を配した造園師渾身の庭園だ。数ヵ所に東屋も建っており、生徒にとっては貴重な憩いの場として重宝されている。
主に屋敷に庭がない下級貴族の子女が利用者だ。
学舎から距離があるということで、貴族のあれやこれに疲れた生徒にとっても有難い場所になる。
そんな中に、狂気の赤い繭……ステープフォード副会長が降臨されたとなれば、お喋りに花を咲かせていた令嬢たちは穏やかにいられない。兄だけなら良かったのだろうけど、オマケがいるのだ。そのオマケが弟じゃなくて妹なのだから、向けられる糸はどす黒い赤と紫色。
意味は憤怒と嫉妬。
まぁ、悪意を向けられるのには慣れてるし、いざとなったら糸を引っこ抜くからいいけどね。
とはいえ、鬱陶しさはある。
うんざりしながらベンチに座れば、ステープフォード様も大仰なため息を吐いて腰を下ろす。
東屋の1つ。四角い木製テーブルを挟んで、私たちは対面を果たした。果たしたくはなかったけど…。
とりあえず、座ったままに頭を下げる。
「お初にお目にかかります。デニスの妹、ザラ・ジュンキと申します」
「ああ、初めまして。デニスと仲良くさせてもらってるよ。レオポルト・ステープフォードだ。よろしく」
よろしくと言われても、愛想笑いしかできない。
イケメンとは妬み嫉みが怖いから関わりたくないのにー!
何より、頭部を糸で覆い尽くすほどの執着を向けられているのだ。今、この現場を目撃されていれば、逆恨みで刺されかねない。
普通に怖いわ!
私の目には狂気の繭の人だけど、噂を聞くに、銀青色の髪に水色の瞳をした麗人で、生徒会長と人気を二分する支持力があるそうだ。
常軌を逸した繭が怖くて、視線を落としたまま兄の足を睨みつける。
どうして連れて来るのよ!
「それで、デニス。まさか妹を紹介したかったという下らない理由ではないだろう?」
「冗談。レオに婚約者がいることは知っているよ。それを知りつつ妹を売り込む愚物に成り下がったつもりはないし、妹もそんな育て方はされていないから安心してくれ」
「そうか」
ステープフォード様は小さく頷いて、長い足を組んだ。
「では、要件はなんだ?」
「実はね。昨日、レオを見かけた妹が”ツかれてる”と言っててね」
「ああ、疲れているのは間違いないな」
そう言いつつ、ステープフォード様の手が顔に向かう。
その手は、ずぼりと繭に沈んだ。
「顔に出さないように気を付けているのだが、他者から一目瞭然ならば余程なのだろうな。情けない」
「そうそう。妹が心配してるんだよ」
はぁああ!?
兄を睨みつけたところで、兄がダメージを負うことはない。腹黒さが滲み出た微笑は、獲物を見つけた鷹のように油断ならない。
「レオ。何か悩みがあるなら相談してくれないか?力になりたい」
「悩み?」
「そんな顔してる」
「そんな顔?」と、ステープフォード様の声は困惑気味だ。
そりゃそうよ。
高位貴族の子女は安易に感情を表に出さない。疲労すら隠そうとする。表情筋を訓練しているのか、常に微笑を湛えた作り物めいた顔が良しとされる世界だ。たまに、見下すような目つきや嘲笑を表に出すけど、自身の弱点になり得るネガティブな感情は表に出さない。
ステープフォード様もその自信があったのだろう。
初対面の妹に疲労を心配され、兄に悩み相談を持ち掛けらるなんて、貴族の矜持がズタボロの心境のようだ。顔は分からなくても、色味の濃いオレンジ色の糸が私たちに伸びてきている。
淡く明るいオレンジなら陽気なイメージだけど、どんより暗いオレンジは自信消失のショックな糸となる。これが私たちに向かっているのは、「お前たちのせいで私の心は折れそうだ」ってところかな。
ステープフォード様の心は意外に素直な上に繊細ね。
これが高慢ちきな貴族なら、攻撃的な糸を伸ばしてくるところだ。
そんなことを知る由もない兄は、笑顔のまま「ストーカーか?」と配慮の欠片もない爆弾を落とした。
ほんの微かに、「う」とステープフォード様が息を呑む声が聞こえた。
「相手は?」
「………」
「分かんないのかぁ」
「………」
「レオが分かんないっていうなら恥ずかしがり屋さんかな。待ち伏せとかで対面してたら、レオなら調べあげてるだろうし、相手の家に圧力かけて問題を解決してるだろうしね。それじゃあ、生徒ではないのかな?もしくは、差出人不明の手紙とかプレゼント攻撃か。複数人か」
「デニス!私は何も言ってないぞ!」
「いや、目が正直すぎるだろ。貴族ってポーカーフェイスしてるつもりでも、目までは誤魔化せてないのが多いんだ。完璧なポーカーフェイスができるのって、たぶん国王陛下とか一部の高位貴族だけじゃないか?レオはまだまだ未熟だな」
流石の観察眼。
不躾な兄の態度にステープフォード様が怒らないかとハラハラしたけど、ステープフォード様は嘆息しただけだ。
隠し通せないと思ったのだろう。軽く両手を挙げた降参ポーズで、「お前の言う通りだ」と白状した。
「僕が力になろうか?」
「うまい話には裏があるんだろ?」
「侯爵領で最近ガラス産業を立ち上げたと小耳に挟んでね。是非とも契約を交わしたいと思ったんだ」
「ガラスならうちの領より南方のベイカー伯爵領が有名だろう?うちのはここ最近だ。新しい事業を模索している段階だから、まだ商品にもならない。売り物になるかも怪しい段階だ。ベイカー伯爵は非貴族主義者だ。父に頼めば、紹介できるだろう」
「正確には、ベイカー伯爵は拝金主義者だよ」
兄がからからと笑い、ステープフォード様は「否定はしない」と嘆息した。
「真面目な話、侯爵領の”模索の段階”っていうのが良いんだ。向こうは歴史がある分、職人気質でこちらのリクエストが通りそうにないからね。これも何かの縁だと思って、仲良くしてほしいんだよ」
思わず目玉を回して東屋の屋根を見上げてしまった。
ステープフォード様の表情は分からないけど、雰囲気としては悪くない。「ならば、私が責任を持って紹介しよう」と、兄と握手を交わしている。
「それで、どうやって見つけるんだ?張り込むのか?」
「いや。僕は動かない。ね、ザラ」
にこにこ、にこにこ。
悪徳商人顔の兄が私を見ている。
何が「仲良くしてほしいんだよ」よ!結局、働くのは私じゃない!
もぉ~~~!分かったわよ!
「それじゃあ授業が終わったらココに集合ね!」
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