騎士団長のお抱え薬師

衣更月

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夕暮れ

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 みちち…、と少し硬いライ麦パンを千切る手を止め、手元に落ちた影を見上げる。
 食事中に配慮してか、はたまた隣に座るジャレッド団長の圧に負けたのか、距離を開けた場所に疲弊した表情の村人たちがぽつぽつと列になっている。 
 何事かと思ったけど、治癒に対するお礼だったらしい。
 私が頭を上げたのを見計らったように、「ありがとう」と囁くように、声を震わせながら、代わる代わるに村人たちが頭を下げて炊き出しの列へと去って行く。
 示される感謝は嬉しいけど、気恥ずかしくもある。
 ただ、全員をきれいに治癒できたわけじゃない。
 魔力には限りがあり、私の魔力量はちっぽけだ。命に係わる傷のみを優先して治したので、「ありがとう」と頭を下げてくれた人たちは、あちこちに包帯を巻き、擦り傷や切り傷に肌を赤くしている。
 こういうところが、ハズレ属性といわれる所以だ。
 治癒魔法には縛りがある。
 対面でしか治せないのだ。もう一度言おう。対面でしか治せない!例え魔力豊富な貴族の治癒師が、大勢の怪我人にむけてありったけの治癒魔法を展開したところで、擦り傷ひとつ治せないのだ。
 ひとりひとりに向き合い、傷口に手を翳しながら魔法を発動させて、ようやく治癒が働く。
 さらに、魔力には限りがあるので、負傷者が多く出れば焼け石に水状態。1本のポーションを振り撒いた方が、まだ怪我が治る。 
 故に使えないハズレ属性と揶揄される。
 今回、久しぶりにそれを実感した。
 治癒士が珍しい獣人だからこそ大袈裟に誉めそやすけど、これが人族の国なら罵倒されているかもしれない。大量のレピオスを頬張ってでも治癒しろと、血の気の多い輩なら言ってくるだろう。
 傷だらけの村人たちには申し訳ないと思いつつ、獣人国で良かったと思うのも事実だ。
 何はともあれ、傷薬と包帯を持参してきて正解だった。
 傷薬に関しては、少し前から大量に調薬している。
 率直に言えば規則違反だ。
 でも、無報酬な上に公爵家から下命を拝したという言い訳を盾に、せっせと調薬した。
 平民ゆえに逆らえませんでした。タダ働きなんです。と泣きの一手で私は逃げ切れる。
 泥をかぶるのは公爵家だ。
 そんな決断を下したのは、現在留守にしている公爵閣下である。
 ハワード団長が伝書鷹を使って公爵閣下とやり取りしていたらしい。
 その内容をジャレッド団長から又聞きしたところによると、どうやら各地で薬不足が顕著になっているそうだ。
 まず、期限切れポーションを破棄しているのでポーションの数が圧倒的に足りない。
 薬がないからと期限切れポーションを使った人たちが、相次いで腹痛や蕁麻疹に喘いでいると報告が上がっているらしく、ポーション並びに薬の確保は急務となった。
 とはいえ、簡単なことじゃない。
 自国でポーションを作れないヴォレアナズ帝国は、ポーションの100%を輸入に頼っている。値崩れを起こさないように、国が管理し流通しているということもあって、金さえ払えば大量に購入できるというわけではない。
 そもそも人族の国でも、ポーションを作れる薬師は多くない。
 何しろ、繊細に少量ずつ魔力を込めて作る医薬品とは違い、ポーションは大量の魔力を一気に注ぎ込んで作る。魔力量が多くなければポーションを作れないが、魔力量が多いのは貴族と決まっている。
 そして、聖属性の貴族の殆どが研究職を希望する。王様の依頼でポーションを作ることもあるらしいけど、基本は新たなポーション作りの研究だ。
 貴族女性に関しては、職業婦人は夫が甲斐性なしと見做される為、働くことは良しとされない。例外は誉とされる王族付きの侍女や女官、家庭教師。最低でも公爵家や侯爵家の上級使用人までだ。もしくは、いかず後家。
 未婚であれば、行儀見習いの名目で令嬢たちが働いているそうだけど、あくまで行儀見習いなので薬師の真似事はしない。
 そもそも令嬢は薬師を目指さない。
 メリンダ曰く、「爪の中まで指先が緑色に染まっちゃうからね」とのことだ。
 メリンダは手が緑色になる以前の問題で、魔力操作の授業で躓いたと聞く。
 聖属性の魔力操作は、繊細で扱い辛いとも言われている。魔力量の多い貴族なら、なおのこと難しいのかもしれない。
 この繊細な魔力操作も、薬師や治癒師のなり手不足の一因と言われている…。
 で、ポーションには低級、中級、上級の3種類ある。さらに噂の域を出ない特級があるという。
 違いは込められた魔力量で、上級ポーションは欠損部位が生え、特級ポーションに至っては死者も息を吹き返す…と、まことしやかに言われている。
 その上級ポーションは王族と一部貴族にしか売られないと言われるほど、世間に出回ることはない。
 正確に言うならば、王族と一部貴族しか買えないような値段ということだ。
 上級がそうならば、特級は国宝として宝物庫に保管されている…なんて話が面白おかしく広がっている。
 そういうことで、ポーションを破棄した分、新たなポーションを大量に仕入れることなど無理なのだ。
 とりあえず、低級ポーションが少しずつ入荷しているらしいけど、低級ですら一般人には高価なので、基本は貴族や富裕層が所持することになる。
 通常なら、それでも問題なかった。
 運が悪いことに、白魔茸が発見されて以降、”魔女の森”の深部に棲息する魔物の目撃情報が相次いでいる。実力のある冒険者たちなら良いのだけど、そうではない、低ランクの冒険者たちまでが一攫千金を夢見て命知らずの戦い方する。
 それによって薬が枯渇するのは当たり前だ。
 実はポーションは人族の国からの輸入品になるけど、医薬品に関しては帝国内でも作られている。数少ない獣人薬師が、国家薬師として調薬しているという。
 ちなみに聖属性以外の薬師が作る薬は、薬草本来の効能のみになるので治り具合は”使わないよりマシ”程度なのだとか。
 その薬すら枯渇して、近隣の領地では魔物討伐を優先するために冒険者以外の人は薬の購入に制限がかかったそうだ。
 以上の事情から、公爵家から内密の打診があった。
 断る理由はない。
 一応、薬師協会から睨まれないように、有毒植物を使用した薬は作らないこと、報酬を得ないことを条件として契約書にサインをしている。
 とはいえ、1人で作るには限界がある。
 ローリック村に持ってこれた傷薬も、規約違反の量だけど制限なしに使える量はない。
 私の魔力を回復させるレピオスの実も底が見えている。
 そんな不安を煽るかのように、赤らんだ西日に汗を流しながら、村人が鎧戸の上から板を打ち付けている。ドンドン、カンカン、急ピッチに夜に向けての作業が進む。
「グレートウルフは鎧戸も突き破ってくるんだよ。亡くなった人は、夜襲を受けた家ばかりさ。ここは家が密集していないからね。端っこの家なんかは狙いやすいんだろう。まるで狩りを楽しんでるように襲ってきたんだよ。うちも此処から少し離れてるからね。無事だった所は、単に運が良かっただけさ」
 苦々しい表情の大伯母さんと、険しい表情のラドゥさん。
 夜が明けるまで、どれだけ怖かったのだろか。
 その夜が来る。
 恐怖を払拭できない村人は、集会場や村長家から出ることもできずに震え上がっている。そんな人たちの為に、広場で振舞われる炊き出しを、数人が行き来して運んでいる。途中、律儀にも私にお礼を伝えに来てくれたのも彼らだ。
 また、集会場や村長家に籠らない村人も一定数いる。
 敵討ちだといきり立つ人たちだ。
 20代から40代までの大柄な男性が目立つ。鋸、鍬、大鎌と武器になるものを手にして篝火近くに陣取って、炊き出しのシチューとライ麦パンを頬張り決戦に備えている。
 シチューは炊き出しとは思えない仄かな甘い香りがするミルクシチューで、口に含むと濃厚なミルクの甘味とくたくたに煮込まれた根菜、鴨肉の旨味が口いっぱいに広がる。隠し味はチーズだ。ライ麦パンをシチューに浸しながら食べると、お腹の中で優しく溶けていく。
 美味しいシチューだ。
 なのに、夜が来るのだと認識すると手が止まってしまった。
「イヴ。口に合わないのか?」
 私の隣で食事を完食したジャレッド団長が、「それとも具合が悪いのか?」とそわそわしている。
「あ…いえ。ちょっと夜が来るんだなって…緊張してしまって…」
 自衛でボーガンを持ってくれば良かったと後悔しても遅い。
「恐ろしいのは分かるが、心配するな。お前にはアーロンをつける。だから食べろ。いざという時に力が出ないぞ?」
「はい」
 苦笑を零して、ライ麦パンをシチューに浸しながら食べる。
 ふふ、と聞こえた笑みに頭を上げれば、大伯母さんがジャレッド団長を見ている。その瞳は優しい。
「美味いか?」
「はい。とても美味しいです」
 私としては満足のいく夕食だけど、大伯母さんは「悪いね」と言う。
「こんな時じゃなければ、私の得意なミートパイをご馳走したんだけど。そのシチューだって野菜ばっかりで申し訳ないよ。慌てて材料を寄せ集めたから、肉が少ないんだよ。野菜はそこらの畑から引っこ抜けばいいけど、肉はそうもいかないだろう?」
 なんて言うから恐縮してしまう。
 この状況下で食事にありつけただけでもありがたいことなのに…。
 せっせと食事を口に運び、しっかり咀嚼して、「ごちそうさまでした」と手を合わせる。
「器は俺が下げよう。イヴは集会場の中へ入っていろ。集会場の前にはアーロンを控えさせるが、何があっても外に出てくるな。いいな?」
 有無を言わせない口調に、私は小さく頷く。
 いよいよだ…。
 夜襲があるかは分からないけど、ぴりぴりと張り詰めた空気からは必ず夜襲があると思わせる緊張感がある。
「安心しな。私らが付いてる」
 大伯母さんが頷くと、ラドゥさんも膝に乗せた斧を軽く叩きながら無言で頷く。
「ジャレッドはグレートウルフを討ち取ることだけを考えてな。いいかい、討ち漏らすことは許されないよ!」
「承知しています。大伯母様」
 ジャレッド団長は大きく頷き、拳を胸にあてる。
「クロムウェルの名に恥じぬよう、必ずやグレートウルフを討ち取って参ります」
 これに大伯母さんは大仰に頷き、ラドゥさんは深く頭を下げる。
「オォォ!」と大歓声に目を向ければ、手の空いた騎士が2人、冒険者や村人たちに武器のレクチャーを披露していた。
 剣の振り方、熱した鉄棒の衝き方、防御や受け身の仕方を、短時間で的確に教えている。
 気づけば、金槌の音が止んでいた。
 東の空は夜に染まり、西の空は燃え滓のような雀色に染まった雲が浮かぶ。
 日中は草陰で息を潜めていた虫が、ジー、ジー、と鳴きだした。
「ジャレッド団長。やはり近隣の村での目撃情報はないようです」
 イアンが小走りに来て報告する。
「アルフォンスからもカミール領での目撃はないと連絡が来ました。こちらに合流するそうです」
 アーロンが左腕に小型の鷹を乗せ合流した。
 3人とも苦い顔つきだ。
「やはりこの近辺に潜んでいるか…。アーロンは至急、兄上に鷹を飛ばしてくれ。討伐した個体にボスがいないことも含めて、現状の報告だ。その後、集会場前を守れ。お前はイヴの護衛になる。離れるな。イアンは俺につけ。前に出る」
「ハッ!」
 2人揃って胸に拳をあてる。
 アーロンは筆を執るべく村長家へ駆け、イアンは緊張の面持ちで星が瞬き始めた空を睨んだ。
 夜が来る。
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