騎士団長のお抱え薬師

衣更月

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ローリック村

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 遠目には分からなかった惨状に、着いて早々に心臓が震えた。
 安全に停車できた馬車はいい。乗客が動揺の中にいても、急停車に怪我を負った人がいないのだから。
 問題は、脱輪し、麦畑に突っ込んだ馬車だ。
 幌のない荷台には、血だらけの重篤患者が3人乗せられている。
 2人は30才前後の男女で、男性は左膝下がなく、女性は腹部に大きな損傷がある。寝かされた2人の足元には、10代後半の青年が膝を立てた格好で座らされている。
 3人とも意識がなく、緩やかに胸が上下しているものの顔色は蒼白で、ぱっと見は生死が分からないほど深刻だ。
「何があった?」
 ジャレッド団長の問いに、赤毛の男性が「グレートウルフだ」と苦渋を滲ませる。
 装いから冒険者だと分かる。
「騎士さんなら知ってるだろう?ローリック村だ。あの村は宿がないから、俺たちは少し離れたところで野営を張っていたんだ。見張りが狼煙を見つけ、慌てて出立したよ。夜明け前の空に狼煙はぼやけてイマイチ自信がもてなかったが、街道を騎士たちが馬を走らせてたから、ただ事じゃないって思ってね。そうしたら馬車を走らせてきた村人が、グレートウルフが出た。怪我人がいる、ポーションをくれって悲鳴をあげててね」
 そう言って、ちらりと視線を向けた先に、脱輪に興奮した馬を宥めている馭者がいる。
「荷台には、その2人が既に横たわってた。その時は意識があって、痛みに苦しんでたから、持ち合わせた痛み止めを飲ませて眠らせたんだよ。睡眠成分が多く含まれてるって、偶然にも知り合いから譲り受けたものがあったからな」
「こんな仕事してると、意識を飛ばすような薬は余程じゃなけりゃあ使わない。丁度良かったよ」
 スピアを担いだ茶髪の男性が弱々しく笑う。
「それから厳戒態勢に入ってすぐ、2頭が追って来てな」
「討伐は?」
「いや…。途中で騎士が合流して、2頭が逃げたんだ。騎士たちは2頭を追って行ったが、どうなったのかは分からない。治療が先だと思ったんだ。で、そこに座ってるのは俺たちの仲間だ。毒爪にやられて、今は解毒剤の副作用で寝てる」
 赤毛の男性は言って、ちらりと眠る仲間を見やった。
「領都ならポーションがあるだろうと急いでいる途中、逃げてきたもう1台の馬車と合流した。まぁ、脱輪しちまったんだけど…」
 領都というのはカスティーロのことだ。クロムウェル領の人たちは領都とは言わず、親しみを込めて古都と言う。理由は、領内で最も歴史ある場所だからだ。
 クロムウェル伯爵時代は別の場所に領都があったと聞く。
 なぜ遷都に至ったのかは分からないけど、その時にはカスティーロは集落として存在していたらしい。
 中でも煉瓦造りの歴史ある町並みは、古都の名に相応しい景観を残している。それに誇りをもち、領民は敬意と親愛をこめて古都と呼ぶ。
 領都と呼ぶのは他所から来た人たちだけなので、この冒険者たちも一攫千金狙いで遠征して来たのだろう。
 ただ、残念ながらカスティーロでも治療薬は不足し、杜撰な管理のツケでポーションも欠品状態なのだ。
 ポーションはないと聞いた冒険者たちは、この世の終わりみたいな顔で肩を落とした。
「イヴ」
 名前を呼ばれ振り向けば、アーロンがトランクケースを持ってスタンバイしている。
「手伝おう」
「はい!」
 呆然としている場合じゃない。
 ぱしり、と頬を叩いて、患者たちに向き直る。
 荷台に乗って治療するにはスペースが足りない。かと言って、外から手を伸ばして…というのも私の身長が足りない。
「ジャレッド団長。側板が邪魔なので外せますか?」
「任せろ」
 ジャレッド団長に続き、イアンも側板に手をかける。
「それから傷口を洗い流したいので、お水があれば分けて下さい」
 周囲を見渡して声を上げれば、「みんな水だ!水を出せ!」と黄土色の髪の男性が叫ぶ。「この水は綺麗だ」「まだ口をつけてない」と、革製や木製の水筒が次々と集まる。
 その間に、側板がバキバキと音を立て外されていく。いや、剥ぎ取られていく。
 人命救助だと理解していても、馭者の顔色は悪い。
「カスティーロに着いたら、第1騎士団のハワード・クロムウェル団長に事情を説明してくれ。馬車を弁償してくれるはずだ」
 アーロンが馭者に説明している。
「イヴ。いいぞ」
 外れた側板を適当な場所に置きながら、ジャレッド団長とイアンが場所を開けてくれる。
 荷台には血溜まりが出来ていたのだろう。側板が外れたことで、糸を引くように赤黒く変色した血が地面へと滴っている。
 まずはタオルで女性の胸を隠し、襤褸と化したシャツを捲りあげて傷口を確認する。脇腹に酷い裂傷だ。内臓が飛び出るほど抉れている訳じゃないけど、一部、肋骨が見えている。
 傷薬で治るようなものじゃない。
 じゃぶじゃぶと傷口を洗って、血を拭う。
 血は拭っても拭っても流れてくるので、アーロンが変わってくれた。消毒液で傷口周辺を拭いながら治癒をかければ、なんとか血が止まる。
「治癒魔法…」と、誰かが呟き、周囲がどよめいた。
 この国で治癒士は貴重だ。少なくとも、公爵領内には私しかいないので、珍しさが勝つのだろう。動揺していた人たちが、今は興味津々に固唾を呑んで見守っている。
「イアン。包帯を巻いてくれ」
 アーロンの指示に、イアンも治療に加わる。
 緑色の軟膏が傷薬で、薬包紙やくほうしに包んでいるのは熱さまし薬だ。
 傷薬で対処できるものはアーロンとイアンに任せ、私は女性の隣。男性の治療に移る。
 女性は脇腹の他は細かな裂傷だけど、隣の男性は左膝下を食い千切られている。傷は癒せても足を再生できるわけじゃない。
 これからは杖がなければ歩けないだろう。平民にとって四肢欠損は死に等しい。この人が富裕層で、執務室でペンを執るような仕事なら大丈夫なのだろうけど、多くの平民は力仕事に従事している。職を失うことになるのなら、今後は家族を含めて大変だと思う。
 大きな後遺症を残すことに心が沈みつつ、ゆっくり…ゆっくり…傷口を癒し終えると、少しだけ足元がふらついた。
「イヴ。大丈夫か?」
 ジャレッド団長が私の体調を探るように顔を覗き込んでくる。
「ちょっと疲れましたけど大丈夫です」
 近くに流れる水路へ行くにも、ジャレッド団長が支えるように歩くから困ってしまう。
 ちょっと心配性すぎる。
 水路で手を洗い、服についた血を軽く拭う。それで取れればいいけど、血というの時間が経つと取れ難くなる。流石に、ここで服を脱いでじゃぶじゃぶ洗える訳ではないので、これは破棄するしかない。
 着替えを持って来ていて正解だった。
 手を振って水けを飛ばし、ハンカチで拭いた後は、ズボンのベルトに括り付けた巾着からレピオスの実を摘まんで食べる。
 レピオスは、向こうでは”魔力回復の実”とされる青紫色の小さな実だ。甘酸っぱくもえぐみがあるので万人受けはしないけど、魔力量の少ない平民は森に入ってはおやつ感覚で食べている。
 ちなみに、レピオスを使って魔力回復ポーションを作ろう!とお偉いさんたちが研究に勤しんでいるらしいけど、未だ日の目を見ていない。
 そんなレピオスの実は初夏から秋まで採れる。
 低木なので子供でも手が届き、比較的身近な薬草の1つだ。
 ただ、貴重な魔力回復の実なので、採りつくされていることも多い。
 それが、こっちでは魔力持ちが少数なのでレピオスは採り放題!なんて言っても、私もレピオスを発見したのは、ついこの間になる。
 初めて、実をたわわに実らせたレピオスを見て驚いた。
 もちろん、レピオスの効能はキース副団長を筆頭とした魔導師に報告済だ。
 食べるコツは丸薬のように飲み込むのではなく、奥歯で磨り潰しながら飲むのだと教えたら、痛みに弱いシモンがえぐみにも弱いと発覚。目を潤ませながら頭を振っていた。
 こくり、と大量に湧き出た唾液と一緒に嚥下する。
 子供の頃から慣れ親しんだ味は、ふと森の中に建つ祖父母の家を思い出させる。郷愁を覚えるのとは違い、祖母の”味は二の次”の薬を思い出してしまうのだ。
 レピオスを数粒食べてから、ジャレッド団長の手を借りヴェンティに跨る。
「ありがとうございました!」「お気をつけて!」との叫びを背に受け、ヴェンティが走りだす。
 ローリック村はまだまだ遠い。
 クロムウェル領は歴史の分、領地を増やした経緯があるので、形で言えば台形に近い。
 歪だけどね。
 ”魔女の森”に接する端と端に第2と第3の騎士団が構え、帝都に向けてぐわぁーと領地が広がっている。そのぐわぁーと広がっている分が、遠い昔の強欲領主が不正をやらかし、国が接収し、武勲を立てたり皇女が降嫁したりで陞爵したクロムウェル家へ与えられた追加領地なのだとか。その後も、ちょこちょこ領地が足され、今の広々とした領地になったそうだ。
 こんな雄大な穀倉地帯を太っ腹…と思うけど、昔は”魔女の森”から魔物が溢れ出す魔物の暴走スタンピードもあったし、キャトラル王国との戦争もあったりで、お世辞にも肥沃な大地ではなかったという。人手が失せた荒れた土地は、クロムウェル家からしてみれば、「体よく押し付けられた」という感じだったそうな。
 当時の領主が遺した日記には、大量の愚痴が書き連ねてあるのだと、ジャレッド団長が教えてくれた。
 それが今では定期的に魔物を討伐するので魔物の暴走スタンピードもなく、農夫たちの努力もあり一面麦の絨毯だ。
 ひとつ不満を漏らすのなら、馬を駆けてもさほど景色は変わらないこと。
 麦畑と、様々な野菜が植えられた畑。小さな名もない集落に、石造りの橋がかかる川。
 川で小休止を挟んだ後、再び走り出す。
 やっぱり景色はあまり変わらない。
 なだらかな丘があっても山がないので、平たんな風景に見えるのだ。馬車なら寝てしまいそうな単調な風景の中、冒険者や騎士の姿がちらほら目立ち始めた。
 そして、その奥にこんもりとした森林が見えてきた。
「ローリック村だ」
 ジャレッド団長は言って、私を抱き込む腕に力が入った。
 少し緊張しているような雰囲気がある。
「クロムウェル団長!」
 右手の集落方面から延びる農道から、見知らぬ騎士が馬を駆けて来た。
「第1騎士団所属!トレンドン・シャープが報告致します!未だ、2頭のグレートウルフの行方が分かっておりません!厳戒態勢です!」
 並走しながら、激しい蹄音に負けじと叫ぶ。
「被害状況を報告!」
「はい!死傷者多数!こちらで確認できた死者は7名!うち3名が襲撃時に居合わせた冒険者です!負傷者は多く、また薬が足りず!医師が1名ということもあり、治療が追い付けていません!グレートウルフによる家屋損壊が7件!農作物に被害も出ています!」
 ぐっ、とジャレッド団長が息を詰めたのが分かった。
「治癒士を連れて来た!案内を頼む!」
「かしこまりました!」
 ハッ!とシャープは馬の脇腹を蹴ると、先頭を行くイアンに並び、一言二言何かを伝えて先頭に立った。
 村に近づくにつれ、張り詰めた空気が漂っている。
 地面には血痕が残り、疲労を滲ませた騎士や冒険者が情報交換に足を止めては汗を拭っている。
 村には櫓も半鐘もない。
 村の中心部に、大きめの集会場。その近くに村長の家が建ち、商店や村民の家が疎らに建てられている。
 第3騎士団近くの村のように一塊の村ではない。
 集会場を中心に数軒が軒を連ねている以外は、広範囲に家が散っている。
 これは助けを呼ぶにも厳しそうだ。人の耳なら異変は届かない。獣人の耳なら声は届くだろうけど、助けに走ることもままならない距離がある。
 集会場の前で馬を止めたシャープは、周りで座り込む住人たちを見て顔色を曇らせた。
 恐らく、朝よりも怪我人の数が集まっているのだろ。
 お尻の痛みや股ずれに泣いている暇はない。
 ジャレッド団長の手を借りてヴェンティから降り、気合い注入を込めて頬を叩いた。
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