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晩餐②
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ワイングラスの脚を短くし、容量を小さく、少し厳つくしたデザインのグラスはゴブレットと言うらしい。そのゴブレットに注がれた食前酒を合図に、緊張の食事会は幕を開けた。
ちなみに、食前酒はワインベースのカクテルで、私と子供たちは白葡萄のジュースだ。
さらりとして、芳醇な香りと共に口の中がすっきりする美味しいジュースに、イヴァンがくしゃくしゃと笑みを深めて震えている。タイラーも満面の笑みだ。
食前酒と共に並んだおつまみは、スプーンの上に料理を盛るといったお洒落さがある。
ワンスプーンに盛られているのは、生ハムとクリームチーズと塩漬けの魚卵…かな。
子供たちに作法を教えている侍女の説明に耳を傾けると、そのままスプーンを手にして食べるらしい。
ジャレッド団長たちもスプーンを手に、一口で食べている。
一口で食べるのがマナーなのかもしれない。
私もそれに倣って…と思ったけど、一口は無理だった。子供たちと同じで、スプーンから零さないようにちまちま食べる。
塩味が強いかと思ったけど生ハムとクリームチーズの風味が濃厚で負けてない。
魚卵がぷちぷちと弾けるのも面白い。
「ワインをくれ。白だ」
ジャレッド団長の声に、「私も白をもらおう」「私はシャンパンがいいわ」とリクエストが続く。
子供たちは「ジュースおかわり」と元気がいい。
「イヴは何か飲むか?」
「え?…は…はい。お水で…」
膝の上のナプキンで手汗を拭っていると、次の料理が運ばれて来る。
大きなお皿の中央にぽつんと料理が載っている。
鶏肉とピスタチオのテリーヌだと説明された。
料理に対してお皿のサイズが合っていないけど、これも貴族の嗜みなのだろう。
ワインとジュース。そして私の前にお水が配膳されると、さっそくジャレッド団長がフォークとナイフを手にした。
侍女の「外側のフォークとナイフを使います」の言葉に耳を傾けつつ、私もフォークとナイフを手にする。
音を鳴らさないように。零さないように。
慎重にテリーヌを口に運ぶ。
レバーが入っているのか、ねっとり濃厚な鶏肉の旨味が口いっぱいに広がった後、仄かなピスタチオの香りが鼻に抜けた。
美味しい。
続いて運ばれて来たのは、ガラスの器に注がれた桃の冷製スープだ。桃の果肉と生ハムがスープに浸かっている。
カチャカチャ、ずるずると音を立てているのは子供たちだけで、あとは無音。
プレッシャーがすごくて、スープを飲み終えた時には疲労困憊で背中が丸まりそうになった。
そんな私を正面から見ていたハワード団長が、くすりと笑う。
「ゴゼットさん。少し肩の力を抜きなさい。食器が鳴ったくらいで目くじらを立てるのなら、最初からゴゼットさんを夕食に招いたりはしない」
「は…はい」
もぞもぞと居住まいを正す。
正視に耐えないので、視線は少し俯ける。
「今日招いたのは、ゴゼットさんと話がしたかったからだよ」
「話…ですか?」
ゆるりと頭を上げれば、煌びやかなハワード団長と目が合った。
息を呑むほどの美しさとは、まさにこういうことだ。正直、ハノンの小さな教会に飾っていた【天使ハーデガレムとルイトニスルの神託】という絵画よりも神々しい。
ハーデガレムとルイトニスルとは、至高の神グラトゥルヴィアの神託を人々に伝える役目を担う御使いだ。4枚の白い翼の生えた、見惚れるほど美しい青年として描かれている。
時に大司教に、時に片田舎の司祭に、または貧しい農民の子に、美しき御使いが神託と共に幸福を齎すそうな。
御使いは金髪銀髪で描かれる。
比べてハワード団長は、決して派手な色合いではないのに、目に痛いくらいの美しさだ。
さらに、隣に座る奥様も負けてはいない。化粧で誤魔化す必要性も、コルセットで矯正する必要性も皆無の天然ものの美に気後れする。
そもそも子供を2人も産んだ体形ではない。
「まずは公爵家からの依頼を受けてもらった礼を伝えたかった。感謝する」
面と向かって言われると、畏縮と同時に面映ゆくなる。
「薬不足は公爵領だけではなく、”魔女の森”に接する他領、または魔物が棲息する山林を有する領地で起きていてね。帝国も薬師はいるが、数は少ない。店で取り扱う薬草も種類が多くない…というのは、ジャレッドからハベリット商会の薬草取り扱いについて報告を受けている。薬師たちも薬師試験をパスしているのだが、獣人の治癒力が高いために出番が少ない。せいぜい感冒薬くらいだ。結果として、知識の劣化が著しくなり、この有様だ」
ジャレッド団長に目を向ければ、「イヴをハベリット商会へ案内した時のことだ」と肩を竦める。
確かに、あの時の薬草在庫を思うと残念な気持ちになる。
それも獣人の自己治癒力の高さを思うと仕方ないのかもしれない。
獣人と違い、人族は繊細だ。極稀に、猫に引っかかれたような小さな傷が命取りになったりもするし、病気にも罹患しやすく、風邪をこじらせ亡くなるなんてこともある。
なので、あらゆる知識を引き出し、多種多様の薬草を用いて、誰もが満足する薬を作るために日進月歩している。
代表格が、超高額の万能薬と言われる上級ポーションだ。
怪我だけではなく、大病もたちまち回復すると言われている。
超高額の理由は、注ぎ込む魔力量とは別に、恐ろしく希少な薬草や素材を使っているからだとされる。
それ以外にも、様々な症状に合わせた薬が生み出され、改良され、流通している。
その素材を採取するのは冒険者たちだ。
なのに、こっちの冒険者ギルドの依頼板には、薬草採取の依頼が1つもなかった。聖属性の魔力持ちがいないので、薬草の研究をしようという発想がないのかもしれないけど、獣人薬師に向上心がないのは寂しいことだ。
「商会が頼りないから定期的に”魔女の森”で薬草を採取しているとも聞いたが、取り寄せではダメなのかな?」
「あ、いえ…。え、えっと…商会で取り扱う薬草の多くは…恐らくですけど、薬草畑で採取したものなんだと思います」
ハワード団長が頷く。
「輸入ではあるが、幾つかの種類は畑で栽培されているとは聞く。そちらの方が形や大きさも揃う上に、定期的な納品が可能だからね。天候によっては価格変動はあるが、森へ行くより必要量を安全に揃えられる。効率的だと思うが違うのかな?」
「あ…いえ…その……祖母の教えです。人に管理されて生えた薬草と、自然の中で生えた薬草では効果が違うと。由緒ある研究所が比較実験したわけじゃないです。うちの薬を使う人たちを見て、畑で育てた薬草より森で採取した薬草を使った薬の方が効き良かったので。経験則です」
「おばあさんも薬師を?」
「はい…。祖母は聖属性ではありませんでしたが、代々薬師の家系だったので薬師に。聖属性の祖父と結婚して、二人三脚で薬を作っていました。私が幼い頃に亡くなった両親…母は聖属性で、王都で薬師をしていました。私は母方の祖父母に育てられたので自然と薬師を目指すようになりました」
私が言い終えるのを待っていたかのように、焼き立て香る白パンとバター、コケモモのジャムが置かれる。白パンは私の拳くらいの大きさの円いパンだ。
私と子供たちの前にはパンが2つ。あとの3人の前には5つも載っている。
「お代わりの際はお声がけ下さい」と、使用人の男性が囁くように言って壁に控えた。
この使用人、1人につき1人が控えている。
立ち上がる際に椅子を引いてくれる他、ナプキンやカトラリーを落とした際に拾ってくれたり、シェフに注文を届ける雑事なども行うらしい。
そんな彼らとは異なる、けれど似通った黒い制服を着た男性がワゴンを押し、魚料理を運んで来た。
スープ皿のような底が深い皿に、薄くクリームソースが注がれ、その上に魚のソテーと夏野菜が添えられている。
鱒のポワレ・アチェトクリームソースというらしい。
鱒しか分からなかった。
これはどうやって食べるのだろうかとジャレッド団長を見れば、使用人にワインを要求しているところだった。しかも、料理名と同じような長ったらしい名前のワインだ。
それを見ていた子供たちがジャレッド団長を真似して、葡萄ジュースを注文している。
微笑ましい!
「ゴゼットさんは薬師の家系だったのだね」
「あ、はい。そうです」
こくりと頷くと、ジャレッド団長がフォークと丸みを帯びたナイフを手にしながら、「ヴァーダトだ」と口を挟んだ。
気のせいか、一瞬、食堂の空気がピリリとした。
「イヴは父親の姓を名乗っている」
「両親を…父を忘れないようにしたくて。でも、もう殆ど覚えてないんですが…」
ハワード団長が丸々と目を見開いて私を見ている。
こんなに感情あらわにしているのは珍しいのか、奥様が「あらあら、どうしたの?」と微笑む。
「そうか。ヴィーは南方出身だから知らないか」
ハワード団長が肩から力を抜き、ワインを一口飲むと、小さく笑った。
「詳細は後で教えよう。ただ、この地域でヴァーダトと言えば”魔女ヴァーダト”ということだ。”魔女の森”と言われる基となった一族だよ」
「まじょ!」と、興奮したように震えたのは子供たち。
イヴァンはテーブルに手をつき、体を乗り上げるようにして私を見て、お付きの侍女にそっと叱られている。
「調薬に長けた一族だと思うのだが、少し前にイヴの様子を見に来たAランカーが言うには、ヴァーダトの名が有名なのは局地的だそうだ」
「そうなのか?」
「平民に用はないらしい」
「それは」
くくっ、とハワード団長が喉の奥で笑う。
「あちらが選民思想を誇示してくれたお陰で、こちらは優秀な人材を手に入れることができたわけか」
「ゆ、優秀じゃないですっ」
そこは否定しておきたい。
過大な期待を受けては身を亡ぼす。相手が貴族なら猶更だ。
「少なくとも、この国では優秀な薬師になる」
「イヴ。この国にも魔力を持つ者はいる」
「キース副団長たちですよね?」
「そうだ。混血に魔力持ちは生まれるが、人族の親に似る確率は高くはない。故に、魔力持ちが生まれれば国を挙げて優遇措置をとる。全員が全員ではないが、魔導師になる混血は多い。だが、なぜか聖属性が生まれたという記録はない」
え?とジャレッド団長を見上げ、次いで静かに頷いたハワード団長に向き直る。
「聖属性は故郷を離れたがらない保守的な者が多いようでね。帝国の属国である4ヵ国に幾度か聖属性の派遣を打診してみたが、見事に断られているんだよ。仕方なく、近隣諸国に募集をかけたが誰も応えなくてね。獣人差別かと疑ったこともあったが、調べれば聖属性特有の性質だと聞いて唖然としてしまったよ」
ははは、と笑うハワード団長に対し、ジャレッド団長は深いため息をついて料理を口に運ぶ。
私もジャレッド団長を倣い、フォークと不思議な形のナイフを手にする。
侍女の説明によると、ソースの多い魚料理で使われるフィッシュスプーンというものらしい。
タイラーが侍女のレクチャーを聞きつつ、ぎこちなくフォークとフィッシュスプーンを使っている。イヴァンは侍女が鱒を切り分けた後、円いスープスプーンで鱒を頬張り、「おいち~」と頭を揺らす。
可愛い!
「聖属性とは、やはり故郷を離れないものなのかい?」
「い、いえ。そういうわけじゃないです。私がハノンのギルドでお世話になったメリンダは、故郷を出奔してきた聖属性だったし、冒険者パーティーにも臨時で治癒士が所属してたりしました。ただ、国を出る…となると難しいかもしれません。私や……冒険者の治癒士は、生活困窮者だと思って下さい。聖属性は攻撃がからきしなので、どうしても臆病で用心深くなってしまうんです。でも安全圏にいるだけは生活できないので、仕方なく危険を冒すんです。生きるために。矛盾してますが。もし私が16で、大人の仲間入りをしていたなら、色々と選択肢が広がるのでハノンから出なかったかもしれません」
「選民思想の国でも?」
「他の国を知らないので…」
すぐ隣のヴォレアナズ帝国……獣人のことすら良く知らなかった。
平民の知識とはそういうものだ。
自嘲を零した私に、ハワード団長は困ったように眉尻を下げてワインを飲んだ。
ちなみに、食前酒はワインベースのカクテルで、私と子供たちは白葡萄のジュースだ。
さらりとして、芳醇な香りと共に口の中がすっきりする美味しいジュースに、イヴァンがくしゃくしゃと笑みを深めて震えている。タイラーも満面の笑みだ。
食前酒と共に並んだおつまみは、スプーンの上に料理を盛るといったお洒落さがある。
ワンスプーンに盛られているのは、生ハムとクリームチーズと塩漬けの魚卵…かな。
子供たちに作法を教えている侍女の説明に耳を傾けると、そのままスプーンを手にして食べるらしい。
ジャレッド団長たちもスプーンを手に、一口で食べている。
一口で食べるのがマナーなのかもしれない。
私もそれに倣って…と思ったけど、一口は無理だった。子供たちと同じで、スプーンから零さないようにちまちま食べる。
塩味が強いかと思ったけど生ハムとクリームチーズの風味が濃厚で負けてない。
魚卵がぷちぷちと弾けるのも面白い。
「ワインをくれ。白だ」
ジャレッド団長の声に、「私も白をもらおう」「私はシャンパンがいいわ」とリクエストが続く。
子供たちは「ジュースおかわり」と元気がいい。
「イヴは何か飲むか?」
「え?…は…はい。お水で…」
膝の上のナプキンで手汗を拭っていると、次の料理が運ばれて来る。
大きなお皿の中央にぽつんと料理が載っている。
鶏肉とピスタチオのテリーヌだと説明された。
料理に対してお皿のサイズが合っていないけど、これも貴族の嗜みなのだろう。
ワインとジュース。そして私の前にお水が配膳されると、さっそくジャレッド団長がフォークとナイフを手にした。
侍女の「外側のフォークとナイフを使います」の言葉に耳を傾けつつ、私もフォークとナイフを手にする。
音を鳴らさないように。零さないように。
慎重にテリーヌを口に運ぶ。
レバーが入っているのか、ねっとり濃厚な鶏肉の旨味が口いっぱいに広がった後、仄かなピスタチオの香りが鼻に抜けた。
美味しい。
続いて運ばれて来たのは、ガラスの器に注がれた桃の冷製スープだ。桃の果肉と生ハムがスープに浸かっている。
カチャカチャ、ずるずると音を立てているのは子供たちだけで、あとは無音。
プレッシャーがすごくて、スープを飲み終えた時には疲労困憊で背中が丸まりそうになった。
そんな私を正面から見ていたハワード団長が、くすりと笑う。
「ゴゼットさん。少し肩の力を抜きなさい。食器が鳴ったくらいで目くじらを立てるのなら、最初からゴゼットさんを夕食に招いたりはしない」
「は…はい」
もぞもぞと居住まいを正す。
正視に耐えないので、視線は少し俯ける。
「今日招いたのは、ゴゼットさんと話がしたかったからだよ」
「話…ですか?」
ゆるりと頭を上げれば、煌びやかなハワード団長と目が合った。
息を呑むほどの美しさとは、まさにこういうことだ。正直、ハノンの小さな教会に飾っていた【天使ハーデガレムとルイトニスルの神託】という絵画よりも神々しい。
ハーデガレムとルイトニスルとは、至高の神グラトゥルヴィアの神託を人々に伝える役目を担う御使いだ。4枚の白い翼の生えた、見惚れるほど美しい青年として描かれている。
時に大司教に、時に片田舎の司祭に、または貧しい農民の子に、美しき御使いが神託と共に幸福を齎すそうな。
御使いは金髪銀髪で描かれる。
比べてハワード団長は、決して派手な色合いではないのに、目に痛いくらいの美しさだ。
さらに、隣に座る奥様も負けてはいない。化粧で誤魔化す必要性も、コルセットで矯正する必要性も皆無の天然ものの美に気後れする。
そもそも子供を2人も産んだ体形ではない。
「まずは公爵家からの依頼を受けてもらった礼を伝えたかった。感謝する」
面と向かって言われると、畏縮と同時に面映ゆくなる。
「薬不足は公爵領だけではなく、”魔女の森”に接する他領、または魔物が棲息する山林を有する領地で起きていてね。帝国も薬師はいるが、数は少ない。店で取り扱う薬草も種類が多くない…というのは、ジャレッドからハベリット商会の薬草取り扱いについて報告を受けている。薬師たちも薬師試験をパスしているのだが、獣人の治癒力が高いために出番が少ない。せいぜい感冒薬くらいだ。結果として、知識の劣化が著しくなり、この有様だ」
ジャレッド団長に目を向ければ、「イヴをハベリット商会へ案内した時のことだ」と肩を竦める。
確かに、あの時の薬草在庫を思うと残念な気持ちになる。
それも獣人の自己治癒力の高さを思うと仕方ないのかもしれない。
獣人と違い、人族は繊細だ。極稀に、猫に引っかかれたような小さな傷が命取りになったりもするし、病気にも罹患しやすく、風邪をこじらせ亡くなるなんてこともある。
なので、あらゆる知識を引き出し、多種多様の薬草を用いて、誰もが満足する薬を作るために日進月歩している。
代表格が、超高額の万能薬と言われる上級ポーションだ。
怪我だけではなく、大病もたちまち回復すると言われている。
超高額の理由は、注ぎ込む魔力量とは別に、恐ろしく希少な薬草や素材を使っているからだとされる。
それ以外にも、様々な症状に合わせた薬が生み出され、改良され、流通している。
その素材を採取するのは冒険者たちだ。
なのに、こっちの冒険者ギルドの依頼板には、薬草採取の依頼が1つもなかった。聖属性の魔力持ちがいないので、薬草の研究をしようという発想がないのかもしれないけど、獣人薬師に向上心がないのは寂しいことだ。
「商会が頼りないから定期的に”魔女の森”で薬草を採取しているとも聞いたが、取り寄せではダメなのかな?」
「あ、いえ…。え、えっと…商会で取り扱う薬草の多くは…恐らくですけど、薬草畑で採取したものなんだと思います」
ハワード団長が頷く。
「輸入ではあるが、幾つかの種類は畑で栽培されているとは聞く。そちらの方が形や大きさも揃う上に、定期的な納品が可能だからね。天候によっては価格変動はあるが、森へ行くより必要量を安全に揃えられる。効率的だと思うが違うのかな?」
「あ…いえ…その……祖母の教えです。人に管理されて生えた薬草と、自然の中で生えた薬草では効果が違うと。由緒ある研究所が比較実験したわけじゃないです。うちの薬を使う人たちを見て、畑で育てた薬草より森で採取した薬草を使った薬の方が効き良かったので。経験則です」
「おばあさんも薬師を?」
「はい…。祖母は聖属性ではありませんでしたが、代々薬師の家系だったので薬師に。聖属性の祖父と結婚して、二人三脚で薬を作っていました。私が幼い頃に亡くなった両親…母は聖属性で、王都で薬師をしていました。私は母方の祖父母に育てられたので自然と薬師を目指すようになりました」
私が言い終えるのを待っていたかのように、焼き立て香る白パンとバター、コケモモのジャムが置かれる。白パンは私の拳くらいの大きさの円いパンだ。
私と子供たちの前にはパンが2つ。あとの3人の前には5つも載っている。
「お代わりの際はお声がけ下さい」と、使用人の男性が囁くように言って壁に控えた。
この使用人、1人につき1人が控えている。
立ち上がる際に椅子を引いてくれる他、ナプキンやカトラリーを落とした際に拾ってくれたり、シェフに注文を届ける雑事なども行うらしい。
そんな彼らとは異なる、けれど似通った黒い制服を着た男性がワゴンを押し、魚料理を運んで来た。
スープ皿のような底が深い皿に、薄くクリームソースが注がれ、その上に魚のソテーと夏野菜が添えられている。
鱒のポワレ・アチェトクリームソースというらしい。
鱒しか分からなかった。
これはどうやって食べるのだろうかとジャレッド団長を見れば、使用人にワインを要求しているところだった。しかも、料理名と同じような長ったらしい名前のワインだ。
それを見ていた子供たちがジャレッド団長を真似して、葡萄ジュースを注文している。
微笑ましい!
「ゴゼットさんは薬師の家系だったのだね」
「あ、はい。そうです」
こくりと頷くと、ジャレッド団長がフォークと丸みを帯びたナイフを手にしながら、「ヴァーダトだ」と口を挟んだ。
気のせいか、一瞬、食堂の空気がピリリとした。
「イヴは父親の姓を名乗っている」
「両親を…父を忘れないようにしたくて。でも、もう殆ど覚えてないんですが…」
ハワード団長が丸々と目を見開いて私を見ている。
こんなに感情あらわにしているのは珍しいのか、奥様が「あらあら、どうしたの?」と微笑む。
「そうか。ヴィーは南方出身だから知らないか」
ハワード団長が肩から力を抜き、ワインを一口飲むと、小さく笑った。
「詳細は後で教えよう。ただ、この地域でヴァーダトと言えば”魔女ヴァーダト”ということだ。”魔女の森”と言われる基となった一族だよ」
「まじょ!」と、興奮したように震えたのは子供たち。
イヴァンはテーブルに手をつき、体を乗り上げるようにして私を見て、お付きの侍女にそっと叱られている。
「調薬に長けた一族だと思うのだが、少し前にイヴの様子を見に来たAランカーが言うには、ヴァーダトの名が有名なのは局地的だそうだ」
「そうなのか?」
「平民に用はないらしい」
「それは」
くくっ、とハワード団長が喉の奥で笑う。
「あちらが選民思想を誇示してくれたお陰で、こちらは優秀な人材を手に入れることができたわけか」
「ゆ、優秀じゃないですっ」
そこは否定しておきたい。
過大な期待を受けては身を亡ぼす。相手が貴族なら猶更だ。
「少なくとも、この国では優秀な薬師になる」
「イヴ。この国にも魔力を持つ者はいる」
「キース副団長たちですよね?」
「そうだ。混血に魔力持ちは生まれるが、人族の親に似る確率は高くはない。故に、魔力持ちが生まれれば国を挙げて優遇措置をとる。全員が全員ではないが、魔導師になる混血は多い。だが、なぜか聖属性が生まれたという記録はない」
え?とジャレッド団長を見上げ、次いで静かに頷いたハワード団長に向き直る。
「聖属性は故郷を離れたがらない保守的な者が多いようでね。帝国の属国である4ヵ国に幾度か聖属性の派遣を打診してみたが、見事に断られているんだよ。仕方なく、近隣諸国に募集をかけたが誰も応えなくてね。獣人差別かと疑ったこともあったが、調べれば聖属性特有の性質だと聞いて唖然としてしまったよ」
ははは、と笑うハワード団長に対し、ジャレッド団長は深いため息をついて料理を口に運ぶ。
私もジャレッド団長を倣い、フォークと不思議な形のナイフを手にする。
侍女の説明によると、ソースの多い魚料理で使われるフィッシュスプーンというものらしい。
タイラーが侍女のレクチャーを聞きつつ、ぎこちなくフォークとフィッシュスプーンを使っている。イヴァンは侍女が鱒を切り分けた後、円いスープスプーンで鱒を頬張り、「おいち~」と頭を揺らす。
可愛い!
「聖属性とは、やはり故郷を離れないものなのかい?」
「い、いえ。そういうわけじゃないです。私がハノンのギルドでお世話になったメリンダは、故郷を出奔してきた聖属性だったし、冒険者パーティーにも臨時で治癒士が所属してたりしました。ただ、国を出る…となると難しいかもしれません。私や……冒険者の治癒士は、生活困窮者だと思って下さい。聖属性は攻撃がからきしなので、どうしても臆病で用心深くなってしまうんです。でも安全圏にいるだけは生活できないので、仕方なく危険を冒すんです。生きるために。矛盾してますが。もし私が16で、大人の仲間入りをしていたなら、色々と選択肢が広がるのでハノンから出なかったかもしれません」
「選民思想の国でも?」
「他の国を知らないので…」
すぐ隣のヴォレアナズ帝国……獣人のことすら良く知らなかった。
平民の知識とはそういうものだ。
自嘲を零した私に、ハワード団長は困ったように眉尻を下げてワインを飲んだ。
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