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招待状
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ジャレッド団長の様子がおかしい。
木々を抜けた先。
領内警戒中の今、誰もいない訓練場を挟んだ奥にある大厩舎場。その厩舎前でジャレッド団長がこちらを見ているのに気が付いた。
遠目ながらに形容しがたい覇気のない顔をしているのが分かる。
私に用事があるのならこちらから足を向けるべきなのだろうけど、ジャレッド団長は手招きすることも、声を上げて呼ぶこともない。それどころか、眉尻を下げた物言いたげな表情のまま自己完結でもしたのか、小さく頭を振って去って行った。
何なのだろう?
「あぁ~イヴちゃん。あれはいつから?」
呆れたような乾いた笑いを一つ落としたのはキース副団長だ。
今日は薬不足解消のため薬草採取に付き合ってくれている。薬草採取をする場所は”魔女の森”だけど、私が入林許可されているのは訓練場が見えるほど浅い部分のみだ。生えた木々も疎らで、木漏れ日が降り注ぐ穏やかさがある。
白魔茸が出る前は、もう少し奥まで行けていた。こればかりは仕方ない。薬草採取は楽しいけど、凶悪な魔物との遭遇率を上げてまで採取しようとは思わない。
ちなみに、私に許可された武器は採取に必要な愛用の鉈だけ。ボーガンだって扱えるのに、魔物の標的になる可能性があるからと禁止されている。
籠いっぱいに採取した薬草を抱えなおしながら、過保護すぎるキース副団長を見上げる。
「昨日、ジャレッド団長が半休を取ってましたよね?」
「ハワード団長から呼び出しを受けた件だね」
「そこから戻ってからだと思います」
心当たりはある。
トードブルーの落札額だ。
私は聞いてはいないけど、ハワード団長と会っていたということは、トードブルーの落札額が分かったのではなかろうか。で、想定よりも低い落札額だった…と。
私が変に期待をしていたから、ジャレッド団長は気まずそうにしているのだと思う。
でも、最低落札額を考えると、領民に魔道具が行き渡りそうな気はするのだけど…。
「1つ確認なんですけど、ジャレッド団長って、以前からあんな感じですか?」
「あんな感じって?」
「初めて会った時は、気難しいっていうか不機嫌っていうか…。威圧感がすごかったです。でも、打ち解けてくると優しくなってきたし、今はなんていうか…弱々しい?う~ん…情緒不安定?ころころ表情が変わるので、実は気難しい顔は人見知りを隠すためで、今のが素なのかなって思ったんです」
「情緒不安定…人見知り…」
キース副団長はきょとんと目を丸め、ジャレッド団長が立ち去った場所を見つめ、盛大に失笑した。
「ぶっ!ははははっ!」と、腹を捩じらせながらの馬鹿笑いに、キース副団長の翡翠が混在する青い瞳が涙に滲んでいる。
長い睫毛が涙に濡れるほど、キース副団長の笑いは止まらない。
籠から薬草を落とすことがないのはさすがだけど、あまりに笑いすぎだ。
キース副団長は片手で籠を抱え、もう片手で目尻に滲む涙を拭う。
陽射しを受け、煌めく金色の髪の王子様は笑い上戸だ。
何がキース副団長の笑いのツボに嵌まったのだろうか…。
ひぃひぃと腹を摩った後、軽く咳き込んでなんとか笑いを呑み込んだ。
「イヴちゃん。団長は出会った頃から不愛想だったよ。たぶん、生まれた時から不愛想だね。貴族としては近寄り難いけど、騎士としては厳めしくも力強く好感が持てる感じかな。まぁ、最近は面白いことになってるけど」
ぱちん、とウインクするキース副団長のキラキラ具合に思わず目を細めてしまう。
眩しい…。
「さぁ、薬草を運んでしまおう。これから干すんだよね?」
「はい。洗って、水を切ってから笊に並べて干します」
薬不足は深刻だから、ハベリット商会も慌ただしい。
薬草が欲しいのは私だけではないので、欲しい薬草が必ず揃うとは限らない。
なので、森へ入れる私は、可能な限り森で採取している。もちろん、定期的にハベリット商会からも仕入れているけど、一時的に制限を切って薬を作っている今、正直ハベリット商会からの薬草では足りないのだ。
かんかん照りの日は、大量の薬草を乾燥させるに打ってつけだ。日干しさせている間に、こうして採取する。採取した薬草は、朝から干している薬草と場所を交代するようにして日干しする。
今や治療院の周囲は薬草を並べた笊に占拠されている状態だ。
「それにしても、森から出ると暑いですね」
「日向はね。今日は風も吹いていないし。雲一つない快晴は嫌になるよ」
と、説得力のない爽やかな笑顔だ。
騎士は夏も冬も関係なく厚手の生地を使った制服を着用している。動きの妨げになるからと、防具は滅多につけない分、隊服が頑丈な作りになっていると聞いた。鎧や鎖帷子は戦争にならない限りは纏わないらしいけど、一般人よりも暑そうな格好には違いない。
汗だくで馬を駆り、剣を振る騎士は多い。
休憩時間はジャケットを脱いで木陰で涼んでいる騎士もよく見るのに、ジャレッド団長とキース副団長は、常に涼しい顔をしている。
だらだらと汗をかく自分が恥ずかしくなるほどだ。
涼やかな表情のキース副団長をちらりと見て静かにため息を落とす。
神様は不公平だ。
せめて私も暑さに強い体質に生まれたかった。
汗臭くはないだろうか、と乙女心を気にしつつ、若干気落ちした足取りで治療院に向かう。と、「イヴ!」とマリアの叫びが聞こえた。
頭を上げて見れば、マリアが治療院の前で両腕を空に突き上げ手を振っている。
「イヴにお客様よぉ!」
声を張り上げるマリアの隣には、見覚えのあるお仕着せの女性が控えている。
マリアより少し背の高い赤褐色の髪の女性は、嫋やかな笑みを浮かべて緩やかに頭を下げた。
「アンネさん!」
「知り合いかい?」
「はい。ディアンネさんです。公爵家の侍女で、私が怪我をした時に看病してくれた人です」
「公爵家の。道理で清艶な女性だと思った」
得心しつつも、キース副団長は「男の方は?」と次なる疑問をぶつけてくる。
キース副団長の言う男とは、ディアンネの後ろに佇む農夫なみに日焼けした男性だ。年齢は30代前半だろうか。リネンのシャツとトラウザーズという装いには親近感が湧くものの、姿勢や雰囲気が貴族相当の教育を受けた人のように思える。
「初めて見る人です。偉い人ですかね?」
「それはないよ。日に焼けすぎているし、装いが使用人だ。なにより侍女の後ろに控えてるだろう?下級使用人じゃないかな。高位貴族の使用人は、下級使用人でも表に出る可能性がある者には教育が施されるんだよ」
「平民でも?」
「平民でも」
キース副団長は言って頷く。
「ほら、急ごうか」
と、急かされるままに小走りで3人の下へ向かうと、マリアは役目を終えたとばかりに「じゃ、よろしくね」と仕事に戻って行く。
「ありがとう」とマリアの背中に声をかけ、私はディアンネに「お久しぶりです」と頭を下げた。
ディアンネは穏やかな笑みで私に頷き、キース副団長に向き直る。
流石公爵家の侍女というべきか。キース副団長の顔を見ても、ディアンネの頬が染まることはない。丁寧に頭を下げ、淡々と自己紹介した。
ハワード団長で美形耐性がついているに違いない。
で、気になっていた男性だ。
こちらも流麗に頭を下げた後、自己紹介とばかりに告げられた職業は公爵家専属庭師だった。
名前はトーマス・ルタ。
「なぜ庭師が?」
キース副団長の問いに、私もかくかくと頷く。
「ハワード様よりゴゼット様の手伝いを仰せつかっております。手伝いと申しましても、私にできるのは薬草の採取、選別、乾燥くらいですが」
そう言って、ルタは控えめに微笑する。
本当に庭師?
柔らかな口調や仕草が、私のイメージする庭師とは違う。
ちなみに、私のイメージする庭師は土の匂いがする好々爺だ。もしくは、寡黙で不愛想。黙々と植物を手入れする朴訥とした青年だ。
なのに、目の前の庭師は執事とか従者みたいに洗練された雰囲気がある。
じっと見据える私の顔つきが正直なのか、ルタだけでなくディアンネまでが苦笑した。
「イヴ様。庭師というのは、庭を整えるだけではございません。公爵家を訪れたお客様のリクエストに応じ、庭園の案内役を務めることもあるのです。そのため、庭師は全員ではございませんが、ルタのようにマナー教育を施されている者は多いのです」
「そうなんですか!ルタさんは貴族…じゃないんですよね?」
「はい。私は平民です。何代遡っても貴族の血は入っておりません。出は農家の三男になります」
「皇族ならびに上位貴族に仕える使用人は、上級下級に関わらず、お客様の目に触れる可能性がある限り教育を施されます。試験を受け、それに合格できた者がお客様の目に触れることができるのです。イヴ様が公爵家にいらっしゃった際、イヴ様の視界に入った使用人は全て教育を受け、試験を合格した者になります」
うふふ、と微笑むディアンネに、驚きすぎてあんぐりと口が開く。
「私も試験を通るまでは、庭師見習いとして主に雑用を担っておりました。お客様がいらっしゃる日は、お客様の目に触れぬように働きつつ、諸先輩方の技術を学んでおりました」
「すごい…ですね」としか言いようがない。
「でも…どうしてそんなに厳しいんですか?」
「イヴちゃん。意地悪な貴族って何処にでもいるんだよ。粗探しのターゲットが、下級使用人になることも珍しくないんだ。上級使用人は貴族出身者が多いから隙がない。だから、わざわざ平民出を狙ってあーだこーだと因縁つける。で、ここの使用人は教育がなってないなって嫌味を吐き捨てる。当主としては”申し訳ない”って頭を下げるしかないだろう?」
「え?つまり、当主に頭を下げさせることが目的なだけの揚げ足取りってことですか?」
これまた驚きに目を見張ってキース副団長を見上げれば、キース副団長は苦笑しながら頷く。
「だから、皇族や高位貴族は隙を見せないように下級使用人にも教育を施すんだよ。でも、庭師は庭園の案内人でもあるから、自慢の庭園を保有する貴族家は特に力を入れて教育しているんだ。どんな意地悪な質問にも答えられるように、庭師は日々勉強漬けだと聞くよ。植物はもちろんのこと花に寄って来る虫の種類、各領地で流行っている庭園の様式なんかも答えられるそうだよ。そんな人が派遣されて来たんだ。ハワード団長のご厚意ってことだね」
ぱちん、とキース副団長がウインクする。
確かに。
ルタに目を向ければ、柔らかな笑顔で目礼してくれる。
即戦力だ。
これは素直に嬉しい。
「アンネさん。ハワード団長にお礼を伝えて下さい」
「それはイヴ様ご自身でお伝え下さいませ」
にこり、と不吉な笑顔のディアンネの横で、ルタが抱えていたトランクを掲げた。
「ハワード様より預かって参りました」
ディアンネが差し出した封筒を、反射的に受け取ってしまった。
肌触りの良い高級素材の白い封筒に、金色の狼の紋。赤い封蝋にも狼の紋。
「え…?あの…」
「腕が鳴りますわ」
嬉々としたディアンネの声に、キース副団長がからからと笑った。
―・―・―・―注釈―・―・―・―
「失笑」
笑うこともできないほど呆れている意味ではなく、たまらず吹き出して笑うことです。
国語力調査で「呆れる」「笑いが止まる」などの間違った意味が浸透しているそうですが、こちらでは「吹き出して笑う」の意味で使ってます。
いずれ「呆れる」の方が一般的な意味合いになるかもしれませんが、ここでは「吹き出して笑う」の意味でお願いします。
木々を抜けた先。
領内警戒中の今、誰もいない訓練場を挟んだ奥にある大厩舎場。その厩舎前でジャレッド団長がこちらを見ているのに気が付いた。
遠目ながらに形容しがたい覇気のない顔をしているのが分かる。
私に用事があるのならこちらから足を向けるべきなのだろうけど、ジャレッド団長は手招きすることも、声を上げて呼ぶこともない。それどころか、眉尻を下げた物言いたげな表情のまま自己完結でもしたのか、小さく頭を振って去って行った。
何なのだろう?
「あぁ~イヴちゃん。あれはいつから?」
呆れたような乾いた笑いを一つ落としたのはキース副団長だ。
今日は薬不足解消のため薬草採取に付き合ってくれている。薬草採取をする場所は”魔女の森”だけど、私が入林許可されているのは訓練場が見えるほど浅い部分のみだ。生えた木々も疎らで、木漏れ日が降り注ぐ穏やかさがある。
白魔茸が出る前は、もう少し奥まで行けていた。こればかりは仕方ない。薬草採取は楽しいけど、凶悪な魔物との遭遇率を上げてまで採取しようとは思わない。
ちなみに、私に許可された武器は採取に必要な愛用の鉈だけ。ボーガンだって扱えるのに、魔物の標的になる可能性があるからと禁止されている。
籠いっぱいに採取した薬草を抱えなおしながら、過保護すぎるキース副団長を見上げる。
「昨日、ジャレッド団長が半休を取ってましたよね?」
「ハワード団長から呼び出しを受けた件だね」
「そこから戻ってからだと思います」
心当たりはある。
トードブルーの落札額だ。
私は聞いてはいないけど、ハワード団長と会っていたということは、トードブルーの落札額が分かったのではなかろうか。で、想定よりも低い落札額だった…と。
私が変に期待をしていたから、ジャレッド団長は気まずそうにしているのだと思う。
でも、最低落札額を考えると、領民に魔道具が行き渡りそうな気はするのだけど…。
「1つ確認なんですけど、ジャレッド団長って、以前からあんな感じですか?」
「あんな感じって?」
「初めて会った時は、気難しいっていうか不機嫌っていうか…。威圧感がすごかったです。でも、打ち解けてくると優しくなってきたし、今はなんていうか…弱々しい?う~ん…情緒不安定?ころころ表情が変わるので、実は気難しい顔は人見知りを隠すためで、今のが素なのかなって思ったんです」
「情緒不安定…人見知り…」
キース副団長はきょとんと目を丸め、ジャレッド団長が立ち去った場所を見つめ、盛大に失笑した。
「ぶっ!ははははっ!」と、腹を捩じらせながらの馬鹿笑いに、キース副団長の翡翠が混在する青い瞳が涙に滲んでいる。
長い睫毛が涙に濡れるほど、キース副団長の笑いは止まらない。
籠から薬草を落とすことがないのはさすがだけど、あまりに笑いすぎだ。
キース副団長は片手で籠を抱え、もう片手で目尻に滲む涙を拭う。
陽射しを受け、煌めく金色の髪の王子様は笑い上戸だ。
何がキース副団長の笑いのツボに嵌まったのだろうか…。
ひぃひぃと腹を摩った後、軽く咳き込んでなんとか笑いを呑み込んだ。
「イヴちゃん。団長は出会った頃から不愛想だったよ。たぶん、生まれた時から不愛想だね。貴族としては近寄り難いけど、騎士としては厳めしくも力強く好感が持てる感じかな。まぁ、最近は面白いことになってるけど」
ぱちん、とウインクするキース副団長のキラキラ具合に思わず目を細めてしまう。
眩しい…。
「さぁ、薬草を運んでしまおう。これから干すんだよね?」
「はい。洗って、水を切ってから笊に並べて干します」
薬不足は深刻だから、ハベリット商会も慌ただしい。
薬草が欲しいのは私だけではないので、欲しい薬草が必ず揃うとは限らない。
なので、森へ入れる私は、可能な限り森で採取している。もちろん、定期的にハベリット商会からも仕入れているけど、一時的に制限を切って薬を作っている今、正直ハベリット商会からの薬草では足りないのだ。
かんかん照りの日は、大量の薬草を乾燥させるに打ってつけだ。日干しさせている間に、こうして採取する。採取した薬草は、朝から干している薬草と場所を交代するようにして日干しする。
今や治療院の周囲は薬草を並べた笊に占拠されている状態だ。
「それにしても、森から出ると暑いですね」
「日向はね。今日は風も吹いていないし。雲一つない快晴は嫌になるよ」
と、説得力のない爽やかな笑顔だ。
騎士は夏も冬も関係なく厚手の生地を使った制服を着用している。動きの妨げになるからと、防具は滅多につけない分、隊服が頑丈な作りになっていると聞いた。鎧や鎖帷子は戦争にならない限りは纏わないらしいけど、一般人よりも暑そうな格好には違いない。
汗だくで馬を駆り、剣を振る騎士は多い。
休憩時間はジャケットを脱いで木陰で涼んでいる騎士もよく見るのに、ジャレッド団長とキース副団長は、常に涼しい顔をしている。
だらだらと汗をかく自分が恥ずかしくなるほどだ。
涼やかな表情のキース副団長をちらりと見て静かにため息を落とす。
神様は不公平だ。
せめて私も暑さに強い体質に生まれたかった。
汗臭くはないだろうか、と乙女心を気にしつつ、若干気落ちした足取りで治療院に向かう。と、「イヴ!」とマリアの叫びが聞こえた。
頭を上げて見れば、マリアが治療院の前で両腕を空に突き上げ手を振っている。
「イヴにお客様よぉ!」
声を張り上げるマリアの隣には、見覚えのあるお仕着せの女性が控えている。
マリアより少し背の高い赤褐色の髪の女性は、嫋やかな笑みを浮かべて緩やかに頭を下げた。
「アンネさん!」
「知り合いかい?」
「はい。ディアンネさんです。公爵家の侍女で、私が怪我をした時に看病してくれた人です」
「公爵家の。道理で清艶な女性だと思った」
得心しつつも、キース副団長は「男の方は?」と次なる疑問をぶつけてくる。
キース副団長の言う男とは、ディアンネの後ろに佇む農夫なみに日焼けした男性だ。年齢は30代前半だろうか。リネンのシャツとトラウザーズという装いには親近感が湧くものの、姿勢や雰囲気が貴族相当の教育を受けた人のように思える。
「初めて見る人です。偉い人ですかね?」
「それはないよ。日に焼けすぎているし、装いが使用人だ。なにより侍女の後ろに控えてるだろう?下級使用人じゃないかな。高位貴族の使用人は、下級使用人でも表に出る可能性がある者には教育が施されるんだよ」
「平民でも?」
「平民でも」
キース副団長は言って頷く。
「ほら、急ごうか」
と、急かされるままに小走りで3人の下へ向かうと、マリアは役目を終えたとばかりに「じゃ、よろしくね」と仕事に戻って行く。
「ありがとう」とマリアの背中に声をかけ、私はディアンネに「お久しぶりです」と頭を下げた。
ディアンネは穏やかな笑みで私に頷き、キース副団長に向き直る。
流石公爵家の侍女というべきか。キース副団長の顔を見ても、ディアンネの頬が染まることはない。丁寧に頭を下げ、淡々と自己紹介した。
ハワード団長で美形耐性がついているに違いない。
で、気になっていた男性だ。
こちらも流麗に頭を下げた後、自己紹介とばかりに告げられた職業は公爵家専属庭師だった。
名前はトーマス・ルタ。
「なぜ庭師が?」
キース副団長の問いに、私もかくかくと頷く。
「ハワード様よりゴゼット様の手伝いを仰せつかっております。手伝いと申しましても、私にできるのは薬草の採取、選別、乾燥くらいですが」
そう言って、ルタは控えめに微笑する。
本当に庭師?
柔らかな口調や仕草が、私のイメージする庭師とは違う。
ちなみに、私のイメージする庭師は土の匂いがする好々爺だ。もしくは、寡黙で不愛想。黙々と植物を手入れする朴訥とした青年だ。
なのに、目の前の庭師は執事とか従者みたいに洗練された雰囲気がある。
じっと見据える私の顔つきが正直なのか、ルタだけでなくディアンネまでが苦笑した。
「イヴ様。庭師というのは、庭を整えるだけではございません。公爵家を訪れたお客様のリクエストに応じ、庭園の案内役を務めることもあるのです。そのため、庭師は全員ではございませんが、ルタのようにマナー教育を施されている者は多いのです」
「そうなんですか!ルタさんは貴族…じゃないんですよね?」
「はい。私は平民です。何代遡っても貴族の血は入っておりません。出は農家の三男になります」
「皇族ならびに上位貴族に仕える使用人は、上級下級に関わらず、お客様の目に触れる可能性がある限り教育を施されます。試験を受け、それに合格できた者がお客様の目に触れることができるのです。イヴ様が公爵家にいらっしゃった際、イヴ様の視界に入った使用人は全て教育を受け、試験を合格した者になります」
うふふ、と微笑むディアンネに、驚きすぎてあんぐりと口が開く。
「私も試験を通るまでは、庭師見習いとして主に雑用を担っておりました。お客様がいらっしゃる日は、お客様の目に触れぬように働きつつ、諸先輩方の技術を学んでおりました」
「すごい…ですね」としか言いようがない。
「でも…どうしてそんなに厳しいんですか?」
「イヴちゃん。意地悪な貴族って何処にでもいるんだよ。粗探しのターゲットが、下級使用人になることも珍しくないんだ。上級使用人は貴族出身者が多いから隙がない。だから、わざわざ平民出を狙ってあーだこーだと因縁つける。で、ここの使用人は教育がなってないなって嫌味を吐き捨てる。当主としては”申し訳ない”って頭を下げるしかないだろう?」
「え?つまり、当主に頭を下げさせることが目的なだけの揚げ足取りってことですか?」
これまた驚きに目を見張ってキース副団長を見上げれば、キース副団長は苦笑しながら頷く。
「だから、皇族や高位貴族は隙を見せないように下級使用人にも教育を施すんだよ。でも、庭師は庭園の案内人でもあるから、自慢の庭園を保有する貴族家は特に力を入れて教育しているんだ。どんな意地悪な質問にも答えられるように、庭師は日々勉強漬けだと聞くよ。植物はもちろんのこと花に寄って来る虫の種類、各領地で流行っている庭園の様式なんかも答えられるそうだよ。そんな人が派遣されて来たんだ。ハワード団長のご厚意ってことだね」
ぱちん、とキース副団長がウインクする。
確かに。
ルタに目を向ければ、柔らかな笑顔で目礼してくれる。
即戦力だ。
これは素直に嬉しい。
「アンネさん。ハワード団長にお礼を伝えて下さい」
「それはイヴ様ご自身でお伝え下さいませ」
にこり、と不吉な笑顔のディアンネの横で、ルタが抱えていたトランクを掲げた。
「ハワード様より預かって参りました」
ディアンネが差し出した封筒を、反射的に受け取ってしまった。
肌触りの良い高級素材の白い封筒に、金色の狼の紋。赤い封蝋にも狼の紋。
「え…?あの…」
「腕が鳴りますわ」
嬉々としたディアンネの声に、キース副団長がからからと笑った。
―・―・―・―注釈―・―・―・―
「失笑」
笑うこともできないほど呆れている意味ではなく、たまらず吹き出して笑うことです。
国語力調査で「呆れる」「笑いが止まる」などの間違った意味が浸透しているそうですが、こちらでは「吹き出して笑う」の意味で使ってます。
いずれ「呆れる」の方が一般的な意味合いになるかもしれませんが、ここでは「吹き出して笑う」の意味でお願いします。
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