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冒険者ギルドを出た途端、スパイシーな肉の焼ける香りが鼻孔を擽った。
朝から風向きが変わったのか、ギルド周辺の屋台から食欲をそそる匂いが流れてくる。
匂いはしても煙りは届かない絶妙な距離感だ。何人かの冒険者が、「におい…」「腹減ったなぁ」と汗を拭いながらギルドへ入って行く。ぐぎゅう、と盛大な腹の音を鳴らした冒険者もいた。
かくいう私のお腹も、くぅ~、と微かに鳴いてしまった。
ミルクコーヒーもクッキーも食べたのにと、恥ずかしさに頬が熱くなる。
慌てて両手でお腹を隠したけど、ジャレッド団長には聞こえていたらしい。
「腹が減ったのか?」
羞恥に悶えつつ両手でお腹を押さえ、「少し」と虚勢を張ったところで笑われてしまった。
「昼には少し早いが、屋台を見てみるか」
「はい」
ジャレッド団長と一緒だから、変に畏まったレストランに連れていかれたらどうしようかと緊張していたのは内緒だ。
食べるなら断然、屋台が良い。
ハノンにも屋台は出るけど、片手で数えるほどしか出ない。
お祭りの時でも、両手で足りるかどうかの屋台の数だ。
それがどうだろう。
カスティーロでは、ハノンのお祭りよりも多くの屋台が並んでいる。
選ぶだけで日が暮れそうな数!
「迷子になるなよ」と、背中に添えられる大きな手がこそばゆい。
気恥ずかしさを嚥下して、なるべく屋台へと意識を向ける。そわそわと視線を走らせて、人熱れのする通りを観察する。
串焼き肉を食べ歩きする人も多いけど、ベニエを頬張る子供も多い。
ベニエとは屋台定番の揚げ菓子のことだ。
一般的な形はクッションのような四角だけど、ハノンのベニエは丸かった。さらに、こっちのベニエは粉糖をまぶしているけど、ハノンのベニエは粉糖を使わない。たっぷりのハチミツとバターを使った素朴な風味が特徴だ。ただ、収穫祭が行われる秋だけドライフルーツやクルミが入る。
ぱっと見は、こっちのベニエの方がお洒落で甘く美味しそうだ。
すごく気になるけど、ギルドでクッキーを食べたので、ベニエは次回のお楽しみにとっておく。
ここは無難に串焼きかな…。
もくもくとした煙りが薄っすら視界を霞ませてくると、ジュウジュウと美味しい音が耳に届きはじめる。
「実はギルドへの道すがら、屋台が楽しみだったんです」
声を弾ませると、ジャレッド団長は「そうか」と頬を緩めた。
「何が食べたいんだ?」
「えっと…そうですね」
そわそわと屋台を見渡す。
ぶつ切りの肉を炭火でじっくり焼いている串焼き屋台に、タレ漬けした肉を鉄板で焼く屋台。サワードウというパンに分厚いベーコンとチーズを挟んだサンド屋もあれば、たっぷりのプルドポークとレタスをピタパンで挟んでいる屋台もある。
目につく屋台は、肉肉肉の肉尽くしだ。
串焼きと思っていたのに、こうして見渡すと迷いが生まれる。
悩んで悩んで悩みぬいて、惹かれた屋台に足を向けた。
表面が真っ黒焦げに見える肉塊を薄くスライスして、玉ねぎとキノコと一緒に焼き目のついた白パンで挟んだ肉サンドだ。
決め手は肉。黒焦げ肉に見えるのに、店主が触れると柔らかく揺れ、包丁を入れると、じゅわりと肉汁が溢れる。それを見て、買わない選択肢はない。
「肉サンドか」
「いいですか?」
「構わん」
バッグから財布を取り出そうとした私の手を制して、ジャレッド団長が支払いを済ませてくれる。
そうして渡された油紙に包まれた肉サンドは、かなりボリュームがある。
「すみません…。ありがとうございます。ご馳走になります」
「気にするな」
ジャレッド団長は言って、大口を開けて肉サンドに齧り付く。まるでリスの頬袋のように頬張って、もぐもぐ咀嚼して、「旨いな」と満足げに口角を吊り上げる。
私も肉サンドに齧り付いた。
ひと口食べると、甘辛いソースが肉の旨味とよく合う。少しソースがくどいかな?と思ったのも束の間。しゃきしゃきとした玉ねぎの歯ごたえと仄かな辛味が、ソースのくどさを調整している。
ぺろりと食べれそうだ。
「美味しい」
はぐはぐ、と食べ進める私と違い、ジャレッド団長にかかれば3口で完食した。
周りの冒険者たちも似たようなもので、大口を開け、咀嚼もそこそこに飲み込んでいるように見える。
私は10口で完食。
お腹もちょうど良い感じだ。
ひとりで満足していたら、横から追加で差し出されたのは、大きな肉塊が5つも刺さる串焼き。
「ジャッカロープの串焼きだ」
通称ツノウサギ。
肉質は柔らかくも弾力があり、脂身の少ない鹿肉に近い上、臭みも少なく安価なことから貴賤を問わず人気の肉になる。
「これが美味いんだ」
「ありがとうございます…」
差し出されればノーとは言えない。
受け取った串焼きは重い。でも、炭火で焼いた香ばしくもスパイシーな香りに唾液が湧くのも事実。
豪快に齧り付くジャレッド団長を見つつ、私も噛みつく。
ひと口目はピリッと辛く、じゅわりと甘い肉汁が口の中に溢れる。脂身が少ないので何口でもいけてしまう。
それでも流石に肉塊2つを食べると腹が膨れる。
かと言って捨てることも出来ずにいる串肉を、ジャレッド団長が掠め取った。それを躊躇なく口に運び、がつがつと食べている。
「なんだ?腹がいっぱいになったんじゃないのか?」
「あ…いえ、そうです…。ありがとうございます」
私の食べ残しを食べたという衝撃に頭が混乱する。
貴族が食べ歩きしているだけでも驚くのに!
これは世にいう間接キスでは…。
「そういえば、今日は何を買うんだ?」
動揺を消すように、そっと胸に手を当てて細く息を吐く。
羞恥心を必死に鎮め、「ふ、服です」と答える。
ジャレッド団長は手にした串をゴミ箱に捨てると、ハンカチで手を拭きつつ少しだけ眉間に皺を刻んだ。
「本じゃないのか」
「優先度は服なので今日は服だけ買います。こっちに来る時は長期としか話がなかったので、夏服までしか持って来てないんです。不足分は買えばいいかなって」
そもそも冬までいるとは思わなかったけど、薬師試験の話が出ているので冬は越える。
「ああ、冬の服は必要だな。気候はハノンと変わりないから、あと2ヵ月ほどでコートが必要になるだろう。いや、白魔茸も出たから、少し早く雪がちらつくかもしれんな」
まだ昼間は汗ばむ陽気だけど、夜になれば風は涼やかで、夕立があった日の夜風は肌寒くさえある。
そういう時に、さっと上に羽織れる服があればいいけど、準備不足の私にはそれがない。
通常、平民は自分たちで服や布団を繕う。
シスター・ナンシーが蚤の市のことを言っていたけど、その手の古着は繕い直すことを前提としている。
でも、私は裁縫が苦手で、指先をちくちくと針で刺して布に血を残してしまう。しかも、縫い目は不揃いでガタガタだ。
そういう手先が壊滅的にダメな平民が頼るのが古着屋になる。
古着屋に並ぶ服は、必ずお針子が手を加えているので、繕い直す必要がない。
そんな不器用の味方、古着屋には2種類あって、貴族が仕立屋で作った服をリメイクして売りに出す高級古着屋はブティックとして、平民でもゆとりある富裕層向けに店を展開させている。そんな富裕層たちの古着が出回る店は、そのまんま”古着屋”として親しまれる。さらに平民の古着は、孤児院に寄付されたり、ゴミとして出されスラムの浮浪者が着る。最終的には雑巾や焚き付けの糸くずになる。
服というのは高級品なのだ。
「イヴ。服を買うなら通りが違う」
そう言ってジャレッド団長が指さす方角は、時計塔の向こう。煉瓦造りの区画だ。
煉瓦造りの区画は古都の中でも最も歴史があり、さらに貴族が足を向けるような高級店区画になる。
公爵邸があるのもそちら側だ。
「こっちで合ってます。マリアに聞きました」
マリアは手先が器用で、服は自分で縫うそうだ。
ただ、自分で縫えてもデザインまでは補えないので、休みの日に店を巡ってデザインの参考にすると言っていた。だから古着屋には詳しいそうだ。
事前に聞いていて良かった。
知らなければ、ジャレッド団長に連れられるままに高級店の前で途方に暮れていた。
ジャレッド団長は納得いかない風だけど、ジャレッド団長がおすすめする服屋に連れて行かれても買えるものはない。
何より、こちら側は歩くだけで楽しい。
市場が近いので、かなり賑やかだ。冒険者ギルドも近いことから、剣の看板を掲げた武具店。盾の看板を掲げた防具店もあってワクワクする。
毛織物店には、冬を見越して暖かな生地を吟味する女性の姿が目立つ。
金物屋も同様だ。熱した石を入れて暖を取る道具を、店主が客に説明している。
寝具店の前には、打ち直し待ちの布団が荷車に山となって運ばれて来た。新しい布団を買う余裕がない人たちは、冬に備えて布団の打ち直しを行うのだ。もちろん、寝具一式を購入している人たちもいる。
「やっぱり古着屋もお客さんが多いですね」
女性の出入りが多い古着屋は、それなりに売り場が広い。無造作に掛けられた服は9割が女性用で、残り1割が隅っこに追いやられた男性用だ。
服の傾向も可愛いワンピース系が多いので、客層も若い女性が目立つ。
その中にジャレッド団長が入れば注目の的だ。店内に入った瞬間、服を吟味していた女性たちはうっとりと目を細めてジャレッド団長を見つめるのだから、モテ度が凄い。
私は冬用の服を見るべく厚手の生地が集まるコーナーに向かう。
おお。可愛いフード付きのコートがある。
外へ出る用事といえば治療院くらいだろうけど、今冬の厳しさを考えると近場でも厚手のコートが必要かもしれない。
あと、室内用にケープも欲しい。
あれやこれやと見ているだけで心が浮つく。
「イヴ」
不意に耳元で声をかけられ、「ひゃ」と情けない声が出た。
息がかかるほど近く、鼓膜に直撃したバリトンボイスに背筋が震え、顔が火照る。
仰け反るように振り向けば、どこか満足げな様子のジャレッド団長と目が合った。
「この店はお前には不向きだ」
言うが早いか、私が見ていたコートを手に取ると、そのまま私の体に当てた。
サイズが一回り違う…。
「袖口から指先すら出ないな」
なんてこと!
「…人族はどこで買うんですか?」
「そもそも人族はいないからな。獣人サイズだ」
混血がいるなら、人族の女性もいるはずなのに…。
全員が手先が器用なのか、古着屋を利用しない上流階級なのか。
「古着で買うなら、子供服しかないだろうな」
ジャレッド団長の無情な宣告に、私の弾んだ心はしおしおと萎れた。
朝から風向きが変わったのか、ギルド周辺の屋台から食欲をそそる匂いが流れてくる。
匂いはしても煙りは届かない絶妙な距離感だ。何人かの冒険者が、「におい…」「腹減ったなぁ」と汗を拭いながらギルドへ入って行く。ぐぎゅう、と盛大な腹の音を鳴らした冒険者もいた。
かくいう私のお腹も、くぅ~、と微かに鳴いてしまった。
ミルクコーヒーもクッキーも食べたのにと、恥ずかしさに頬が熱くなる。
慌てて両手でお腹を隠したけど、ジャレッド団長には聞こえていたらしい。
「腹が減ったのか?」
羞恥に悶えつつ両手でお腹を押さえ、「少し」と虚勢を張ったところで笑われてしまった。
「昼には少し早いが、屋台を見てみるか」
「はい」
ジャレッド団長と一緒だから、変に畏まったレストランに連れていかれたらどうしようかと緊張していたのは内緒だ。
食べるなら断然、屋台が良い。
ハノンにも屋台は出るけど、片手で数えるほどしか出ない。
お祭りの時でも、両手で足りるかどうかの屋台の数だ。
それがどうだろう。
カスティーロでは、ハノンのお祭りよりも多くの屋台が並んでいる。
選ぶだけで日が暮れそうな数!
「迷子になるなよ」と、背中に添えられる大きな手がこそばゆい。
気恥ずかしさを嚥下して、なるべく屋台へと意識を向ける。そわそわと視線を走らせて、人熱れのする通りを観察する。
串焼き肉を食べ歩きする人も多いけど、ベニエを頬張る子供も多い。
ベニエとは屋台定番の揚げ菓子のことだ。
一般的な形はクッションのような四角だけど、ハノンのベニエは丸かった。さらに、こっちのベニエは粉糖をまぶしているけど、ハノンのベニエは粉糖を使わない。たっぷりのハチミツとバターを使った素朴な風味が特徴だ。ただ、収穫祭が行われる秋だけドライフルーツやクルミが入る。
ぱっと見は、こっちのベニエの方がお洒落で甘く美味しそうだ。
すごく気になるけど、ギルドでクッキーを食べたので、ベニエは次回のお楽しみにとっておく。
ここは無難に串焼きかな…。
もくもくとした煙りが薄っすら視界を霞ませてくると、ジュウジュウと美味しい音が耳に届きはじめる。
「実はギルドへの道すがら、屋台が楽しみだったんです」
声を弾ませると、ジャレッド団長は「そうか」と頬を緩めた。
「何が食べたいんだ?」
「えっと…そうですね」
そわそわと屋台を見渡す。
ぶつ切りの肉を炭火でじっくり焼いている串焼き屋台に、タレ漬けした肉を鉄板で焼く屋台。サワードウというパンに分厚いベーコンとチーズを挟んだサンド屋もあれば、たっぷりのプルドポークとレタスをピタパンで挟んでいる屋台もある。
目につく屋台は、肉肉肉の肉尽くしだ。
串焼きと思っていたのに、こうして見渡すと迷いが生まれる。
悩んで悩んで悩みぬいて、惹かれた屋台に足を向けた。
表面が真っ黒焦げに見える肉塊を薄くスライスして、玉ねぎとキノコと一緒に焼き目のついた白パンで挟んだ肉サンドだ。
決め手は肉。黒焦げ肉に見えるのに、店主が触れると柔らかく揺れ、包丁を入れると、じゅわりと肉汁が溢れる。それを見て、買わない選択肢はない。
「肉サンドか」
「いいですか?」
「構わん」
バッグから財布を取り出そうとした私の手を制して、ジャレッド団長が支払いを済ませてくれる。
そうして渡された油紙に包まれた肉サンドは、かなりボリュームがある。
「すみません…。ありがとうございます。ご馳走になります」
「気にするな」
ジャレッド団長は言って、大口を開けて肉サンドに齧り付く。まるでリスの頬袋のように頬張って、もぐもぐ咀嚼して、「旨いな」と満足げに口角を吊り上げる。
私も肉サンドに齧り付いた。
ひと口食べると、甘辛いソースが肉の旨味とよく合う。少しソースがくどいかな?と思ったのも束の間。しゃきしゃきとした玉ねぎの歯ごたえと仄かな辛味が、ソースのくどさを調整している。
ぺろりと食べれそうだ。
「美味しい」
はぐはぐ、と食べ進める私と違い、ジャレッド団長にかかれば3口で完食した。
周りの冒険者たちも似たようなもので、大口を開け、咀嚼もそこそこに飲み込んでいるように見える。
私は10口で完食。
お腹もちょうど良い感じだ。
ひとりで満足していたら、横から追加で差し出されたのは、大きな肉塊が5つも刺さる串焼き。
「ジャッカロープの串焼きだ」
通称ツノウサギ。
肉質は柔らかくも弾力があり、脂身の少ない鹿肉に近い上、臭みも少なく安価なことから貴賤を問わず人気の肉になる。
「これが美味いんだ」
「ありがとうございます…」
差し出されればノーとは言えない。
受け取った串焼きは重い。でも、炭火で焼いた香ばしくもスパイシーな香りに唾液が湧くのも事実。
豪快に齧り付くジャレッド団長を見つつ、私も噛みつく。
ひと口目はピリッと辛く、じゅわりと甘い肉汁が口の中に溢れる。脂身が少ないので何口でもいけてしまう。
それでも流石に肉塊2つを食べると腹が膨れる。
かと言って捨てることも出来ずにいる串肉を、ジャレッド団長が掠め取った。それを躊躇なく口に運び、がつがつと食べている。
「なんだ?腹がいっぱいになったんじゃないのか?」
「あ…いえ、そうです…。ありがとうございます」
私の食べ残しを食べたという衝撃に頭が混乱する。
貴族が食べ歩きしているだけでも驚くのに!
これは世にいう間接キスでは…。
「そういえば、今日は何を買うんだ?」
動揺を消すように、そっと胸に手を当てて細く息を吐く。
羞恥心を必死に鎮め、「ふ、服です」と答える。
ジャレッド団長は手にした串をゴミ箱に捨てると、ハンカチで手を拭きつつ少しだけ眉間に皺を刻んだ。
「本じゃないのか」
「優先度は服なので今日は服だけ買います。こっちに来る時は長期としか話がなかったので、夏服までしか持って来てないんです。不足分は買えばいいかなって」
そもそも冬までいるとは思わなかったけど、薬師試験の話が出ているので冬は越える。
「ああ、冬の服は必要だな。気候はハノンと変わりないから、あと2ヵ月ほどでコートが必要になるだろう。いや、白魔茸も出たから、少し早く雪がちらつくかもしれんな」
まだ昼間は汗ばむ陽気だけど、夜になれば風は涼やかで、夕立があった日の夜風は肌寒くさえある。
そういう時に、さっと上に羽織れる服があればいいけど、準備不足の私にはそれがない。
通常、平民は自分たちで服や布団を繕う。
シスター・ナンシーが蚤の市のことを言っていたけど、その手の古着は繕い直すことを前提としている。
でも、私は裁縫が苦手で、指先をちくちくと針で刺して布に血を残してしまう。しかも、縫い目は不揃いでガタガタだ。
そういう手先が壊滅的にダメな平民が頼るのが古着屋になる。
古着屋に並ぶ服は、必ずお針子が手を加えているので、繕い直す必要がない。
そんな不器用の味方、古着屋には2種類あって、貴族が仕立屋で作った服をリメイクして売りに出す高級古着屋はブティックとして、平民でもゆとりある富裕層向けに店を展開させている。そんな富裕層たちの古着が出回る店は、そのまんま”古着屋”として親しまれる。さらに平民の古着は、孤児院に寄付されたり、ゴミとして出されスラムの浮浪者が着る。最終的には雑巾や焚き付けの糸くずになる。
服というのは高級品なのだ。
「イヴ。服を買うなら通りが違う」
そう言ってジャレッド団長が指さす方角は、時計塔の向こう。煉瓦造りの区画だ。
煉瓦造りの区画は古都の中でも最も歴史があり、さらに貴族が足を向けるような高級店区画になる。
公爵邸があるのもそちら側だ。
「こっちで合ってます。マリアに聞きました」
マリアは手先が器用で、服は自分で縫うそうだ。
ただ、自分で縫えてもデザインまでは補えないので、休みの日に店を巡ってデザインの参考にすると言っていた。だから古着屋には詳しいそうだ。
事前に聞いていて良かった。
知らなければ、ジャレッド団長に連れられるままに高級店の前で途方に暮れていた。
ジャレッド団長は納得いかない風だけど、ジャレッド団長がおすすめする服屋に連れて行かれても買えるものはない。
何より、こちら側は歩くだけで楽しい。
市場が近いので、かなり賑やかだ。冒険者ギルドも近いことから、剣の看板を掲げた武具店。盾の看板を掲げた防具店もあってワクワクする。
毛織物店には、冬を見越して暖かな生地を吟味する女性の姿が目立つ。
金物屋も同様だ。熱した石を入れて暖を取る道具を、店主が客に説明している。
寝具店の前には、打ち直し待ちの布団が荷車に山となって運ばれて来た。新しい布団を買う余裕がない人たちは、冬に備えて布団の打ち直しを行うのだ。もちろん、寝具一式を購入している人たちもいる。
「やっぱり古着屋もお客さんが多いですね」
女性の出入りが多い古着屋は、それなりに売り場が広い。無造作に掛けられた服は9割が女性用で、残り1割が隅っこに追いやられた男性用だ。
服の傾向も可愛いワンピース系が多いので、客層も若い女性が目立つ。
その中にジャレッド団長が入れば注目の的だ。店内に入った瞬間、服を吟味していた女性たちはうっとりと目を細めてジャレッド団長を見つめるのだから、モテ度が凄い。
私は冬用の服を見るべく厚手の生地が集まるコーナーに向かう。
おお。可愛いフード付きのコートがある。
外へ出る用事といえば治療院くらいだろうけど、今冬の厳しさを考えると近場でも厚手のコートが必要かもしれない。
あと、室内用にケープも欲しい。
あれやこれやと見ているだけで心が浮つく。
「イヴ」
不意に耳元で声をかけられ、「ひゃ」と情けない声が出た。
息がかかるほど近く、鼓膜に直撃したバリトンボイスに背筋が震え、顔が火照る。
仰け反るように振り向けば、どこか満足げな様子のジャレッド団長と目が合った。
「この店はお前には不向きだ」
言うが早いか、私が見ていたコートを手に取ると、そのまま私の体に当てた。
サイズが一回り違う…。
「袖口から指先すら出ないな」
なんてこと!
「…人族はどこで買うんですか?」
「そもそも人族はいないからな。獣人サイズだ」
混血がいるなら、人族の女性もいるはずなのに…。
全員が手先が器用なのか、古着屋を利用しない上流階級なのか。
「古着で買うなら、子供服しかないだろうな」
ジャレッド団長の無情な宣告に、私の弾んだ心はしおしおと萎れた。
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