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ドメニク孤児院①
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馬に乗れない私のためにと、クロムウェル公爵家から下賜された箱馬車は、やはり公爵家仕様プラス獣人サイズということで、身の置き所がないほど大きい。
帝都にて、お忍び用として利用されていたシンプルな馬車というけど、そこらを走る商人御用達の箱馬車よりも立派な造りをしている。
内装に至っては、この中で暮らせるほど豪華で、クッション性に富んだ座面は私のベッドより寝心地が良さそうだ。
結果、分不相応すぎて落ち着かない。
ジャレッド団長が持って来た時、全力で断ったのに、気づけば馬車を牽引する大型馬も厩で寛いでいた。
そわそわと窓を開けば、馭者台から「もうすぐっすよ」と車輪の音に負けないようにジョアンが声を張る。
馭者として手綱を握るのはアーロンで、カスティーロの賑やかな町並みを尻目に郊外へと馬を走らせている。
向かうはドメニク孤児院だ。
スカーレン子爵領で保護された子供の内、2人の子供が引き取られた孤児院になる。その2人を知るアーロンとジョアンに付き添いお願いして、ジャレッド団長からの許可を経て向かう最中だ。
「だいぶトウモロコシ畑が刈り取られてますね」
「急いで収穫してるっすからね~」
「例年より10日ほど早い気がするな」
麦畑とトウモロコシ畑でちぐはぐとした景色だったのに、今やトウモロコシの影が少なく見通しが良くなった。
トウモロコシを刈り、茎も飼料加工場へ運ばれた畑は、冒険者ギルドが臨時テントを張って魔物の解体、買い取りを行う出張所と化している。荷車も貸し出しているようで、荷車を押しつつ大型の魔物を運ぶ冒険者の影がちらほら見える。
なかなか活気がある。
「見えてきたぞ」
アーロンの声と同時に、馬車が減速する。
すぐ側に広がっていた麦畑も、徐々に遠ざかり原っぱに変わる。その原っぱに、耳や尻尾のある小さな子供たちが駆け回っている。
三角の耳に垂れ耳。細長い耳や、髪に埋もれるほど小さな耳の子もいる。
尻尾も同様で、ふさふさの尻尾もあれば、細く長い尻尾や丸く小さな尻尾もある。
耳や尻尾があるだけでも可愛いのに、全員が下膨れしたほっぺの幼い子供たちなのだ。眼福すぎる。
馬車に気づいた子供たちは足を止め、こちらを向いてきゃっきゃ、きゃっきゃと手を振るので、私も大きく手を振り返す。
子供たちに見送られながら辿り着いたのは、敷地の境界線も曖昧なドメニク孤児院だ。
孤児院にも近隣の民家にも塀がない。
子供たちがのびのび駆け回れるのも、死角がないお陰だ。視界が開けているので、休憩中の農夫たちが遠くからでも見守ってくれるのだ。
私の知る孤児院は塀に囲まれ、孤児院の子供が外で遊ぶことはない。
王侯貴族と平民には越えられない壁があるけど、平民の中にも壁がある。その最たるものが孤児だと思う。
でも、ここではそんな枠組みもなく、近しい年齢の子供たちが笑顔で駆け回っている。
良い環境だ。
ゆっくりと馬車が止まって、しばらくするとジョアンがドアを開いてくれた。
手を貸してもらって馬車から降りると、「おねぇちゃん!」と2人の子供が駆けて来る。
耳と尻尾がなくなり、ふっくらと肉付きが良くなっているけど、面影はある。スカーレン子爵領で保護されたイヌ科獣人のトム・ランドーとネコ科獣人のスティーブ・バーンズだ。
当時は栄養失調と暴行で今にも命の火が潰えそうだったのに、随分と健康状態が改善している。それでも同い年の子に比べて痩せていて、身長も低い。
とはいえ、さすが獣人!と驚嘆すべき健脚で、あっという間に私の前に立った。
「おねぇちゃん!えっと…あの時は、ちゆしてくれて、ありがとうございました!」
トムが頬を染め、ぺこりと頭を下げると、スティーブももじもじしながら「ありがとうございました」と頭を下げた。
「どういたしまして。2人とも耳も尻尾もなくなったのね」
「うん。オレは10日くらいまえ。すっごくイタかったよ…。ねつもでた。3日くらいねこんだんだ」
トムはヒト化に苦労したらしく、ぶるりと身震いした。
片やスティーブは、「ボクはちょびっとイタかったかな?5日くらいまえになくなったんだ」と、誇らしげに黒い猫っ毛の頭を見せてくる。
「2人とも、あの時よりちょびっと大きくなったような気がするっすね」
大きな体躯を屈めてトムとスティーブに視線を合わせ、ジョアンがにかっと笑う。
ジョアンの後ろに立つアーロンも、「ああ。少し背が伸びたようだ」と頷いた。
「あの、キシさま」
もじもじ、もじもじとスティーブがジョアンのジャケットの裾を掴んだ。
「ん?なんすか?」
「ボクね。おおきくなったら、いっぱいきたえてキシになりたいんだ。どうしたらキシになれる?」
「オレも!うんときたえて、キシになる!そして、おんをかえす」
「恩を返すってなんすか?」
ジョアンが首を傾げると、トムは「オレたちをたすけてくれたでしょ?」とはにかんだ。
「だから、こんどはオレたちのバンなんだ」
「ボクたちキシになって、おんなじようにこまってる人たちをたすけたいんだ。あと、おせわになった人たちにもおんがえしするんだよ」
「へーみんのコジでも、キシになれるかな?」
少しだけ眉尻を下げたトムに、ジョアンが「なれるっすよ」と頷いた。
「皇帝陛下直属の近衛騎士団は貴族という括りがあるが、私兵となるクロムウェル騎士団には平民もいる。実力さえあれば、門戸を開いてくれるのがクロムウェル騎士団だ」
アーロンの説明は2人には少し難しいかもしれないけど、”平民”と”実力さえあれば”という重要ワードを拾い上げて、トムとスティーブは目を合わせて破顔した。
「じゃあ、オレたちもなれるんだ!」
「入団試験をパスすれば…な」
「にゅーだんしけん?って?」
スティーブが首を傾げトムを見つめ、トムは頭を振って「わかんない」と言う。
「入団試験っていうのは、勉強や運動がどれだけ出来るかっていうのを見るんすよ。だから、すっごく運動が出来ても、勉強が出来なきゃ騎士にはなれないってことっすね」
ジョアンは苦笑して、大きな手で2人の頭を撫でる。
「イヴはシスターに話があるんっすよね?俺がチビっ子たちと遊んでるから行って来て大丈夫」
「ジョアン。頼んだぞ」
アーロンは言って、「行こうか」と私の肩を軽く叩く。
「キシさま!ケンをおしえて!」
元気な声を背中で聞きながら、孤児院のドアノッカーを叩く。
しばらくして、黒を基調とした修道服を着た修道女が出て来た。
20代後半の女性で、すらりとした身長は第3騎士団のカリーと同じくらいに高い。
彼女はアーロンの隊服と、離れた場所に停車する箱馬車を見て小さく頷いた。
「ようこそおいで下さいました。クロムウェル公爵家よりお話は伺っております。わたくしはドメニク孤児院で子供たちの世話をしていますナンシー・ティプトンと申します」
「私は第2騎士団所属のアーロン・サンド。向こうにいるのがジョアン・ペトリ。そして、薬師見習いのイヴ・ゴゼットだ」
「初めまして。イヴ・ゴゼットです。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ宜しくお願いします。孤児院はどうしてもお薬が不足しがちになるので、公爵家よりお話を頂いた時には院長ともども喜んでしまったくらいなんですよ」
嫋やかな笑みで、「まずは孤児院を案内させて下さい」と孤児院に招かれた。
玄関を入ってすぐ、至高の神グラトゥルヴィアの像が鎮座している。
礼儀作法に則り、グラトゥルヴィア神に祈りを捧げてからシスター・ナンシーの案内に従う。
右手の廊下を行けば応接室と院長室、シスターたちの私室、納戸があるという。左手のドアを開くと、広々とした教室兼食堂だ。
等間隔に並ぶテーブルの形は長方形で、数は6つ。
1つのテーブルにつき椅子が8脚ずつ置かれている。孤児院にいる子供より椅子の数が多いのは、近隣の子供たちも学びに来ているからとのことだ。
壁際の本棚には、草臥れた本が幾つも並んでいる。それらは寄付による蔵書で、使わなくなった教材や児童書。他にも平民が買うには少し値の張る図鑑などがある。
私が本棚を見ている間、アーロンは煤がつかないように注意しながら暖炉の中を覗き込んでいた。
「煤払いが必要だな」と呟き、次に窓辺へと歩み、窓枠と立て付けを確認して眉宇を顰めている。
「老朽化が酷い。早急に手を回さなければダメだな」
「ダメ?」
「この冬の寒さに子供が耐えられないという意味だ」
これにシスター・ナンシーも顔を曇らせる。
彼女の視線を追うと、天井の隅っこに雨漏りの跡がある。
「公爵家に嘆願書は出さないんですか?」
「公爵家はよくして下さいますが、際限なく援助して下さるわけではないのですよ」
「え?そうなんですか?」
てっきり公爵様なら快適な孤児院ライフを約束してくれるのかと思っていた。
「イヴ。公爵領の領民は孤児院だけではないんだ。ここを手厚く保護すれば、生活に不安を覚える領民は自分たちの子をこぞって捨てることになる。自分が育てるより、孤児院の方が良い暮らしができるんだからな」
あ…そうか…。
「公爵家から頂く予算は決められているのです。その予算と寄付金。バザーなどで得たお金で、孤児院はやりくりします。これでもドメニク孤児院は公爵家運営ということで恵まれています。3食しっかりとごはんを頂き、学習する場も提供されていますから。ただ…白魔茸が出たということで、今冬は厳しいものになるのだと覚悟もしています」
シスター・ナンシーは弱々しく微笑み、次を案内してくれる。
教室兼食堂を通り抜けた先は廊下になっている。左手は等間隔に窓が並び、右手には調理場、子供たちの部屋が続く。トイレとお風呂場は最奥の突き当りになる。
貯蔵庫は調理場から外に出た正面に、薪置き場と一緒に小屋を建てているそうだ。
ざっと見て回り、感想としては薄暗く寒々しいというものだ。
調理場は火事防止のために床は石材で、お風呂場とトイレでは隙間風を感じた。今の季節なら涼しさを感じるけど、これが冬となると厳しい。特に今冬は、凍傷をおこしてもおかしくない。
3部屋ある子供たちの部屋は2段ベッドが並び、北に面しているために薄暗く、天井には雨漏りの染みを見つけた。
アーロンも苦い表情だ。
「あの。治療室みたいなのはないんですか?」
「治療室…ですか?いえ、ありません。怪我をしても、大抵は水洗いして終わりですし、風邪をひいてもそれぞれのベッドがありますから」
ん?
怪我をしても水洗いして終わりとは?
思わずアーロンを見上げれば、アーロンが苦笑している。
「もともと獣人は自己治癒力がすごいからな。怪我をすると、汚れを洗い流すくらいだ。血が出てるなら包帯を巻いて終わりだな。私のような混血や、まだ自己治癒力の弱い子供だと、タレハグサを摘んできて貼り付けるんだよ」
タレハグサを貼り付ける…。
「あの…貼り付けるって?」
「だから、摘んだタレハグサをぺたっと傷口に貼り付けるんだ」
アーロンの言葉に、シスター・ナンシーも頷いている。
その恐ろしい治療方法を聞いて、悲鳴を上げなかった自分を褒めてやりたい。
帝都にて、お忍び用として利用されていたシンプルな馬車というけど、そこらを走る商人御用達の箱馬車よりも立派な造りをしている。
内装に至っては、この中で暮らせるほど豪華で、クッション性に富んだ座面は私のベッドより寝心地が良さそうだ。
結果、分不相応すぎて落ち着かない。
ジャレッド団長が持って来た時、全力で断ったのに、気づけば馬車を牽引する大型馬も厩で寛いでいた。
そわそわと窓を開けば、馭者台から「もうすぐっすよ」と車輪の音に負けないようにジョアンが声を張る。
馭者として手綱を握るのはアーロンで、カスティーロの賑やかな町並みを尻目に郊外へと馬を走らせている。
向かうはドメニク孤児院だ。
スカーレン子爵領で保護された子供の内、2人の子供が引き取られた孤児院になる。その2人を知るアーロンとジョアンに付き添いお願いして、ジャレッド団長からの許可を経て向かう最中だ。
「だいぶトウモロコシ畑が刈り取られてますね」
「急いで収穫してるっすからね~」
「例年より10日ほど早い気がするな」
麦畑とトウモロコシ畑でちぐはぐとした景色だったのに、今やトウモロコシの影が少なく見通しが良くなった。
トウモロコシを刈り、茎も飼料加工場へ運ばれた畑は、冒険者ギルドが臨時テントを張って魔物の解体、買い取りを行う出張所と化している。荷車も貸し出しているようで、荷車を押しつつ大型の魔物を運ぶ冒険者の影がちらほら見える。
なかなか活気がある。
「見えてきたぞ」
アーロンの声と同時に、馬車が減速する。
すぐ側に広がっていた麦畑も、徐々に遠ざかり原っぱに変わる。その原っぱに、耳や尻尾のある小さな子供たちが駆け回っている。
三角の耳に垂れ耳。細長い耳や、髪に埋もれるほど小さな耳の子もいる。
尻尾も同様で、ふさふさの尻尾もあれば、細く長い尻尾や丸く小さな尻尾もある。
耳や尻尾があるだけでも可愛いのに、全員が下膨れしたほっぺの幼い子供たちなのだ。眼福すぎる。
馬車に気づいた子供たちは足を止め、こちらを向いてきゃっきゃ、きゃっきゃと手を振るので、私も大きく手を振り返す。
子供たちに見送られながら辿り着いたのは、敷地の境界線も曖昧なドメニク孤児院だ。
孤児院にも近隣の民家にも塀がない。
子供たちがのびのび駆け回れるのも、死角がないお陰だ。視界が開けているので、休憩中の農夫たちが遠くからでも見守ってくれるのだ。
私の知る孤児院は塀に囲まれ、孤児院の子供が外で遊ぶことはない。
王侯貴族と平民には越えられない壁があるけど、平民の中にも壁がある。その最たるものが孤児だと思う。
でも、ここではそんな枠組みもなく、近しい年齢の子供たちが笑顔で駆け回っている。
良い環境だ。
ゆっくりと馬車が止まって、しばらくするとジョアンがドアを開いてくれた。
手を貸してもらって馬車から降りると、「おねぇちゃん!」と2人の子供が駆けて来る。
耳と尻尾がなくなり、ふっくらと肉付きが良くなっているけど、面影はある。スカーレン子爵領で保護されたイヌ科獣人のトム・ランドーとネコ科獣人のスティーブ・バーンズだ。
当時は栄養失調と暴行で今にも命の火が潰えそうだったのに、随分と健康状態が改善している。それでも同い年の子に比べて痩せていて、身長も低い。
とはいえ、さすが獣人!と驚嘆すべき健脚で、あっという間に私の前に立った。
「おねぇちゃん!えっと…あの時は、ちゆしてくれて、ありがとうございました!」
トムが頬を染め、ぺこりと頭を下げると、スティーブももじもじしながら「ありがとうございました」と頭を下げた。
「どういたしまして。2人とも耳も尻尾もなくなったのね」
「うん。オレは10日くらいまえ。すっごくイタかったよ…。ねつもでた。3日くらいねこんだんだ」
トムはヒト化に苦労したらしく、ぶるりと身震いした。
片やスティーブは、「ボクはちょびっとイタかったかな?5日くらいまえになくなったんだ」と、誇らしげに黒い猫っ毛の頭を見せてくる。
「2人とも、あの時よりちょびっと大きくなったような気がするっすね」
大きな体躯を屈めてトムとスティーブに視線を合わせ、ジョアンがにかっと笑う。
ジョアンの後ろに立つアーロンも、「ああ。少し背が伸びたようだ」と頷いた。
「あの、キシさま」
もじもじ、もじもじとスティーブがジョアンのジャケットの裾を掴んだ。
「ん?なんすか?」
「ボクね。おおきくなったら、いっぱいきたえてキシになりたいんだ。どうしたらキシになれる?」
「オレも!うんときたえて、キシになる!そして、おんをかえす」
「恩を返すってなんすか?」
ジョアンが首を傾げると、トムは「オレたちをたすけてくれたでしょ?」とはにかんだ。
「だから、こんどはオレたちのバンなんだ」
「ボクたちキシになって、おんなじようにこまってる人たちをたすけたいんだ。あと、おせわになった人たちにもおんがえしするんだよ」
「へーみんのコジでも、キシになれるかな?」
少しだけ眉尻を下げたトムに、ジョアンが「なれるっすよ」と頷いた。
「皇帝陛下直属の近衛騎士団は貴族という括りがあるが、私兵となるクロムウェル騎士団には平民もいる。実力さえあれば、門戸を開いてくれるのがクロムウェル騎士団だ」
アーロンの説明は2人には少し難しいかもしれないけど、”平民”と”実力さえあれば”という重要ワードを拾い上げて、トムとスティーブは目を合わせて破顔した。
「じゃあ、オレたちもなれるんだ!」
「入団試験をパスすれば…な」
「にゅーだんしけん?って?」
スティーブが首を傾げトムを見つめ、トムは頭を振って「わかんない」と言う。
「入団試験っていうのは、勉強や運動がどれだけ出来るかっていうのを見るんすよ。だから、すっごく運動が出来ても、勉強が出来なきゃ騎士にはなれないってことっすね」
ジョアンは苦笑して、大きな手で2人の頭を撫でる。
「イヴはシスターに話があるんっすよね?俺がチビっ子たちと遊んでるから行って来て大丈夫」
「ジョアン。頼んだぞ」
アーロンは言って、「行こうか」と私の肩を軽く叩く。
「キシさま!ケンをおしえて!」
元気な声を背中で聞きながら、孤児院のドアノッカーを叩く。
しばらくして、黒を基調とした修道服を着た修道女が出て来た。
20代後半の女性で、すらりとした身長は第3騎士団のカリーと同じくらいに高い。
彼女はアーロンの隊服と、離れた場所に停車する箱馬車を見て小さく頷いた。
「ようこそおいで下さいました。クロムウェル公爵家よりお話は伺っております。わたくしはドメニク孤児院で子供たちの世話をしていますナンシー・ティプトンと申します」
「私は第2騎士団所属のアーロン・サンド。向こうにいるのがジョアン・ペトリ。そして、薬師見習いのイヴ・ゴゼットだ」
「初めまして。イヴ・ゴゼットです。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ宜しくお願いします。孤児院はどうしてもお薬が不足しがちになるので、公爵家よりお話を頂いた時には院長ともども喜んでしまったくらいなんですよ」
嫋やかな笑みで、「まずは孤児院を案内させて下さい」と孤児院に招かれた。
玄関を入ってすぐ、至高の神グラトゥルヴィアの像が鎮座している。
礼儀作法に則り、グラトゥルヴィア神に祈りを捧げてからシスター・ナンシーの案内に従う。
右手の廊下を行けば応接室と院長室、シスターたちの私室、納戸があるという。左手のドアを開くと、広々とした教室兼食堂だ。
等間隔に並ぶテーブルの形は長方形で、数は6つ。
1つのテーブルにつき椅子が8脚ずつ置かれている。孤児院にいる子供より椅子の数が多いのは、近隣の子供たちも学びに来ているからとのことだ。
壁際の本棚には、草臥れた本が幾つも並んでいる。それらは寄付による蔵書で、使わなくなった教材や児童書。他にも平民が買うには少し値の張る図鑑などがある。
私が本棚を見ている間、アーロンは煤がつかないように注意しながら暖炉の中を覗き込んでいた。
「煤払いが必要だな」と呟き、次に窓辺へと歩み、窓枠と立て付けを確認して眉宇を顰めている。
「老朽化が酷い。早急に手を回さなければダメだな」
「ダメ?」
「この冬の寒さに子供が耐えられないという意味だ」
これにシスター・ナンシーも顔を曇らせる。
彼女の視線を追うと、天井の隅っこに雨漏りの跡がある。
「公爵家に嘆願書は出さないんですか?」
「公爵家はよくして下さいますが、際限なく援助して下さるわけではないのですよ」
「え?そうなんですか?」
てっきり公爵様なら快適な孤児院ライフを約束してくれるのかと思っていた。
「イヴ。公爵領の領民は孤児院だけではないんだ。ここを手厚く保護すれば、生活に不安を覚える領民は自分たちの子をこぞって捨てることになる。自分が育てるより、孤児院の方が良い暮らしができるんだからな」
あ…そうか…。
「公爵家から頂く予算は決められているのです。その予算と寄付金。バザーなどで得たお金で、孤児院はやりくりします。これでもドメニク孤児院は公爵家運営ということで恵まれています。3食しっかりとごはんを頂き、学習する場も提供されていますから。ただ…白魔茸が出たということで、今冬は厳しいものになるのだと覚悟もしています」
シスター・ナンシーは弱々しく微笑み、次を案内してくれる。
教室兼食堂を通り抜けた先は廊下になっている。左手は等間隔に窓が並び、右手には調理場、子供たちの部屋が続く。トイレとお風呂場は最奥の突き当りになる。
貯蔵庫は調理場から外に出た正面に、薪置き場と一緒に小屋を建てているそうだ。
ざっと見て回り、感想としては薄暗く寒々しいというものだ。
調理場は火事防止のために床は石材で、お風呂場とトイレでは隙間風を感じた。今の季節なら涼しさを感じるけど、これが冬となると厳しい。特に今冬は、凍傷をおこしてもおかしくない。
3部屋ある子供たちの部屋は2段ベッドが並び、北に面しているために薄暗く、天井には雨漏りの染みを見つけた。
アーロンも苦い表情だ。
「あの。治療室みたいなのはないんですか?」
「治療室…ですか?いえ、ありません。怪我をしても、大抵は水洗いして終わりですし、風邪をひいてもそれぞれのベッドがありますから」
ん?
怪我をしても水洗いして終わりとは?
思わずアーロンを見上げれば、アーロンが苦笑している。
「もともと獣人は自己治癒力がすごいからな。怪我をすると、汚れを洗い流すくらいだ。血が出てるなら包帯を巻いて終わりだな。私のような混血や、まだ自己治癒力の弱い子供だと、タレハグサを摘んできて貼り付けるんだよ」
タレハグサを貼り付ける…。
「あの…貼り付けるって?」
「だから、摘んだタレハグサをぺたっと傷口に貼り付けるんだ」
アーロンの言葉に、シスター・ナンシーも頷いている。
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