騎士団長のお抱え薬師

衣更月

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禁足地

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「ここだ」
 そう言って、ジャレッド団長が顎をしゃくった先は、麦畑の中にぽつんと取り残された森だ。
 ”魔女の森”の飛び地であることは明白。
 ただ、”魔女の森”よりも仄暗く、忌避感を抱かせるほどに不気味さが際立っている。
 ふと後ろに振り返れば、瑠璃色の蝶が舞う白詰草シャムロックの絨毯でヴェンティが草を食んでいるから、余計に森のおどろおどろしさが目に付く。
 今にも獰猛な魔物が飛び出てきそうだ。
 まぁ、たとえ魔物が襲ってきてもジャレッド団長に一刀両断されるのだろうけど。
 妙な安心感を抱きつつ「ここは?」と訊けば、「幾つかある禁足地の1つだ」と答えが返る。
「禁足地と指定されている森は、何かしらの問題があり、各領主の管理下にある。ここは公爵家管理の禁足地の1つであり、有毒植物の群生地だ」
 話に聞いていた毒草の群生地!
 ほんの数秒前までは恐ろし気な森だったのに、種明かしされると宝箱に見えてくるから不思議だ。
 によによと口元を緩ませると、ぽん、と頭にジャレッド団長の手が乗った。
「よほど毒草が好きらしい」
「語弊があります。毒草が好きなんじゃなくて、毒草を使えるようになるとレシピの幅が広がるから好きんですよ」
「毒草と薬が結びつかないな」
「使う量はごく少量ですからね。多すぎると毒。少量なら良薬になります。それに、わざわざ”この薬は毒草入りです”って言わないですし、なにより貴族は何でもポーションで済ませるのでジャレッド団長が知らないのも無理はないと思います。ただ、ポーションを買えない人たちには常識で、腕のいい薬師を見極めるポイントにもなるんですよ」
 意味が分からないとばかりに、ジャレッド団長の眉間に皺が寄る。
「下手な薬師が毒草を用いた薬を作ると、通常の薬より強い副作用が出るんです。命にかかわるとかじゃなくて、蕁麻疹とか腹下し程度ですけど」
 そう説明すれば、ジャレッド団長は渋面を作った。
 体調を良くするために服用したのに体調が悪くなるのだから、気持ちは分からなくもない。それでも平民の多くは、体を張って腕利きの薬師を探すしかないのだ。
「私が毒草を扱えるのはまだ先の話ですけど、ポーションに負けない良薬を作るのが夢なんです」
「まだ先の話ではない。正式発表前だが、ヴォレアナズ帝国での薬師試験資格を16に引き下げることになった」
「え?」
 頭に置かれた手の重みに抗うようにジャレッド団長を見上げる。
 ぽかん、とした間抜け面だったのか、ジャレッド団長が苦笑した。
「父が帝国議会の議題に上げたそうだ。協議の末、毒草取り扱い資格のない者には、フィールドワークを含む試験が追加されることが決まった。冒険者ギルドのBランク昇格試験の内容をなぞると聞く。難易度は高く設定するそうだが」
 それは当然だ。
 毒草や毒キノコには、薬草に近い見た目の”もどき”が存在する。素人目には見極めが難しい為に、毒草や毒キノコと酷似した薬草や薬茸も、冒険者ギルドの規定でBランカー以上でなければ採取できないと制限がかけられている。
 そのBランクに昇格するには座学を突破しなければならないので、腕っぷしのみの冒険者たちは「実技試験より過酷だ」と口を揃える。
 薬師志望ではない冒険者も座学必須の理由は、過去、野営中の冒険者パーティーが誤って有毒植物を食べて全滅したというケースが相次いだからだと聞いた。
「これは、この国が医薬後進国ゆえの救済措置みたいなものだな。とはいえ、獣人が薬師になってもイヴの薬のような効果は期待できないだろうが」
 ポーションを含めて薬というのは、大なり小なり聖属性の魔力を注いで作る。
 なので、魔力自体がない獣人薬師が薬を作っても自然由来の効果でしかないのだ。
「で、ここは禁足地だが許可を得ている。魔物はいないが、毒虫はいる。それでも入ってみるか?」
「入ります!」
 まさか入れるなんて!
 慌てて周囲を見渡し、麦畑の畦に生えた草に駆け寄る。
 畦には虫除け効果のある草を植えることが多いので、それを少々拝借することにした。
 数種類の草を幾つか採取して、両手で揉み解す。
 草汁に濡れた手に鼻を近づければ、「うひゃ」と声が出るほどに臭い。
 ドクダミ草に近い独特の青臭さがある。
 これを靴やズボンの裾に擦り付ければ、殆どの虫は近寄らない。樹上から落ちてくる虫には効果はないけど…。
 新たな草を揉み解しながらジャレッド団長の下へと戻れば、臭いを嗅ぎとったのか顔を歪めていた。
「禁足地に入るので、靴とズボンに虫除けしたいんですけど大丈夫ですか?」
「ああ…。構わない」
 そう言いながらも、声には拒絶の色がある。
 嫌な臭いだけど、安全には変えられない。「よいしょ」としゃがんで、ジャレッド団長のブーツやズボンの裾に草汁を擦り付ける。
 黒い隊服なのでシミは目立たないけど、臭いが酷い。帰ったら即洗おうと心に誓う。
 虫除け作業が終わると、次は適当な長さの枯れ枝を拾う。
 どこに毒虫が隠れているか分からないので、こういう場所は無防備に素手であちこちを探るものではない。葉っぱを裏返すのも、枝先で捲るのが鉄則だ。
 なにより、見知らぬ有毒植物は素手で触ってはいけない。
「準備できました」
「ああ。それじゃあ入るぞ」
 ジャレッド団長は腰に佩いた剣を抜くと、先頭に立って歩きだした。
 森に一歩入ると、白詰草シャムロックに代わって茶色い地面になった。
 まるで土壌すら毒を孕んでいるのかと錯覚するほど、緑が少ない。頭上を仰げば木漏れ日をブロックする鬱蒼と茂る枝葉。地面は腐木が多く、疎らに生えている草も初めて見るような種類ばかりだ。
 薄暗く、風通しも悪い。
 腐木と枯れ葉が積もった腐葉土は柔らかくも湿っていて、歩を進めると大きなムカデが無数の脚を波打たせて逃げていく。
 近くに生える毒草の葉を枝先で裏返せば、青黒い殻を背負った小さなカタツムリが犇めき合っている。青紫の葉脈と相俟って、言葉にできないほど気持ち悪い。
 ジャレッド団長に目を向ければ、ざくっ、と剣先で毒蛇バイパーの頭を刎ねているところだった。
 ヘビは苦手なので、慌てて視線を逸らす。
「イヴ。どうだ?役に立ちそうか?」
「それが…初めて見る生態系で戸惑ってます。毒草も毒キノコも、見慣れない色や形ばかりです」
 図鑑がないのが悔やまれる。
「不思議なことに、禁足地は固有種が多い。マッシモ・コラクの植物図鑑にも禁足地のことが触れられている」
「マッシモ・コラクって、ここ出身の白魔茸の研究をしていたっていう植物学者でしたよね」
「そうだ。公爵家はコラクのパトロンでもあったからな。彼の著作物は全て公爵家が所蔵している。年代物なので原本は持ち出し不可だが、写本なら貸与することができるぞ?」
「…え?」
 妖精の尻尾と大雪の因果関係を解明した学者の図鑑なんて、写本だけでも恐ろしい価値があると思う。
「ここも記録されている」
「そうなんですか?」
「有毒指定の…特に毒キノコは、種によっては猛毒の胞子を風に飛ばすそうだからな。その手の有毒植物を処分するためにも、領地管理のひとつとして把握に努めている。なにしろ、ここは容易に入り込める場所だ。いくら立ち入り禁止区域に指定していても、領外から来る者に良識があるとは限らない。そこで死んでも自業自得だが、万が一、領民の小さな子供が迷い込めば一大事だ。故に、有毒植物の種を把握し、町医者に解毒薬を常備させている」
 やっぱり公爵様は領民に寄り添う善良な領主様のようだ。
 会いたいとは思わないけど…。
「ジャレッド団長がここに入ったということは、毒の胞子を飛ばす危険なキノコはないってことですよね」
「ああ、ない。ここのキノコは、見てわかるように胞子が飛ぶ距離が極端に狭い。しかも、満月の夜と決まっているそうだ。あとは、口にしなければ死ぬことはないが、葉の裏側に細かな棘をもつ毒草や触れるとかぶれる毒草があるから気をつけろ」
 そのタイプの毒草はハノンにもあった。
 ”帰らずの森”の中に建つ家の近くには、ウルシルが幾つも生えている。ウルシルは高木で、触れると強烈な痒みと、蕁麻疹のような発疹、水膨れができる有毒植物だ。
 ウルシル耐性が極端に低い人になると、触れずとも、近くを通っただけで症状が起きる。軟膏を使っても完治には3週間近くはかかり、その間は痒みを我慢し、掻き毟らないようにしなくてはならない。厄介この上ない植物なのだ。
 有毒植物を取り扱うためにBランク冒険者の資格をとっていた祖父母には、よく”帰らずの森”のあちこちに連れて行かれた。
 ウルシルにかぶれたこともある。
 怖い思いもしたけど、その経験があったからこそ、こうして臆さず禁足地に入れるのだと思う。
 心の中で祖父母に感謝しつつ、好奇心の赴くままに毒草や毒キノコの観察に集中する。
 毒草の多くは、葉や茎に非常に小さな棘を生やしているか、鋸状の暗色の葉をしたものが多い。
 反対に、毒キノコは警告色の赤や紫などの色鮮やかな配色が目立つ。
 この森以外では、地味な見た目の猛毒キノコがあるので注意が必要だ。その筆頭格がクリンタケモドキで、薬茸であるクリンタケそっくりのキノコだ。うっかり間違うと、命に関わるのでクリンタケの取り扱いは注意が必要となる。
 虫に関しては、地面を這うムカデやクモが多い。今にも枯れそうな細木には、小さな毛虫の群集が蠢いている。
「ここの毒草が使えるかは分からないが、禁足地の固有種を研究する者はコラクだけではない。今までは気に留めていなかったのだが、司書にでも公爵家蔵書を改めて精査するように言っておこう。特に固有種に関しては取り寄せることにするから、試験が終わってからでも目を通すと良い」
 思わず顔が強張ってしまう。
 いくら良政を敷く公爵様でも、さすがに平民に書物を貸し出すのは不快に思うはずだ。
 特に図鑑というのはピンキリで、平民の無名植物学者が地道に情報を収集して発行した薄っぺらい安価なものから、1冊で平民の家が5、6軒建つくらいに高価なものまである。高価な図鑑の特徴は上等な紙と精緻な博物画だ。中には紙ではなく羊皮紙を使って作られた図鑑もある。これらの図鑑は、芸術の1つとしてコレクターがいるという噂もあり、所蔵者の多くが大貴族と言われている。
 公爵家所蔵の図鑑は間違いなく後者だ。
 緊張の汗が1滴でも落ちたらと思うと、想像するだけで恐ろしい。
 改めてジャレッド団長がお貴族様であると痛感する。
「ジャレッド団長の気持ちは嬉しいんですけど、私はカスティーロの本屋に行ってみます」
「あ”?」
「禁足地の図鑑にも興味はあるんですけど、まずは基礎を学びたいと思います。なので、無事に資格が取れて、一般的な毒草を扱えるようになってから、禁足地の植物を勉強したいです」
 ジャレッド団長が口角を歪めて考え込んだのも少しだけ。すぐに「そうか」と頷き、「ならば本屋は俺が一緒に行こう」と口元を緩めた。
 1人で大丈夫です、という言葉は呑み込んでおく。
 前回、そう豪語しながらの大怪我だったので反論はできない。
「それで、もう観察はいいのか?」
「あ、もうちょっと待って下さい!」
 ぺこりと頭を下げて、まだ見ていない毒キノコの群生へ足を向ける。
 枝先で笠を捲り、落ち葉の下に隠れたキノコを探し、色とりどりなキノコを1本1本じっくり目に焼き付けた。
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