騎士団長のお抱え薬師

衣更月

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ランスへの依頼

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 帰る前に仕事場が見たいというランスの要望に応えるべく、天日干ししている薬草に囲まれた治療院へランスを案内した。
 案内といっても2号棟の隣なので、歩いて数秒ていどの道のりになる。
「どうぞ」とドアを開いて、ランスが「おぉ」と驚嘆の声を零した時は、少しだけ誇らしくなった。
「ハノンの診療所より広いな」
 治療院に入ってすぐにあるのはデスクと丸椅子が2脚。奥には衝立を隔てて患者用のベッドが2台。当初は空っぽだった書架も、家から運んで来たレシピノートと古ぼけた薬草図鑑が並ぶ。さらに薬瓶、籠に入ったタオルや包帯と、治療に必要な備品が増えた。
 新たに設置したキャビネットには薬歴帳カルテが収まっていて、ランスが言うように、ハノンの診療所よりも広々としている。
 獣人の体躯は人族よりも恵まれているので、そもそも家の造りが大きいのだ。
 天井が高いので、余計に広く感じる。
「ベッドもあるのか」
「一応。でも、私はまだ薬師じゃないし、医師でもないからベッドを使用するような患者は診ていないけどね」
 幸運なことに、そんな患者も出ていない。
 そもそもベッドを利用するような患者は、私の手には負えないので町の診療所に搬送しなければならない。
 私にできることは限られているのだ。
「上は?」
 ランスは言って、階段へと視線を転じる。
「上は調薬室」
「行ってもいいのか?」
「どうぞ」と頷けば、ランスは嬉しそうに階段を上って行く。聞こえてきたのは、ひゅ~、という軽い口笛だ。
「すげぇな、イヴ」
 声を弾ませるランスに対して、ジャレッド団長は鼻の頭に皺を寄せるように渋面を作っている。
 2階は1階よりも独特な薬草臭が強い。
 人族でも慣れない人は眉をひそめるのだから、獣人…それも嗅覚に優れた古代種大狼の血を引くジャレッド団長には堪えるだろう。なのに、嫌な思いをしてでも頻繁に2階に来るのは、猫に例えるならマタタビに似た効果の薬草が紛れているのかもしれない。
 怖くて訊けないけど。
 窓を開けて風通しをよくすれば、ジャレッド団長の表情が幾分和らいだ。
「メリンダに良い土産話が出来たよ」
「そう?」
「そうそう。メリンダはさ、イヴの困窮を助けたくてこっちの仕事を斡旋しただろ?メリンダは最善の選択だったって口では言いながら、結構、気に病んでるんだよ。あのバカ領主が貴重な国交を害しているせいで、辺境のハノンは王都より近くにあるヴォレアナズ帝国を何も知らない。獣人に対しても無知だ。そんな場所にイヴを送り出して良かったのか。自分が後見人になれたんじゃないかってさ、悔やんでる」
 メリンダ…。
 うる、と涙の膜が張って視界が歪む。
「それがどうだ。こんな上等な治療院を与えられてる。俺はちっとも薬に詳しくはないが、薬草だって色々ある。器具も見たことねぇのばっかだ。充実した場所だっていうのは素人目にも分かる。だから、これをメリンダに話せば、メリンダの憂いも晴れて、さらに美味しいおっぱいが出る。赤ん坊たちも喜ぶってもんだ」
 からり、とランスは笑う。
 その笑い声を、ジャレッド団長が遮った。
「困窮とはどういうことだ?」
 ぎゅっと眉間に深い皺を刻んだジャレッド団長に、ランスは肩を竦める。
「そのまんま。イヴはばあさんが死んで身内がいなくなったんだよ。向こうの成人年齢は16だ。未成年であるイヴには制限がかけられる。仕事しなきゃ飯が食えない。でも、未成年のイヴに出来ることは多くはない。ハズレ属性と揶揄される聖属性なら尚のこと仕事はない。結婚に逃げたくても年齢が足りない。薬師の資格を取りたくても、平民が薬師になるにはBランカーになるしかない。そのBランクになるにも、18という年齢制限がかかる。家族のいないイヴには後見人もいない。ギルドの連中は、みんな心配してた。心配してても、何が出来るわけじゃない。せいぜい飯を奢るとか、古着を手渡すとかだ。だから、メリンダは苦渋の決断を下したんだ」
「だが、お前は家を持ってるだろ?帰る場所があるというのは強みでもあると思うのだが?」
 と、ジャレッド団長が首を傾げながら私を見下ろす。
 ジャレッド団長は私の家を知ってるけど、”森の中に建つ魔女の家”という認識だと思う。あそこから町までの道のりを知らないし、移動手段である馬が飼育できないことも知らない。
 魔物除けの香は、魔物どころか獣も忌避するので、今の私があの家で一人暮らしをすると手詰まりになってしまう。
 実力不足、体力不足と言われればそれまでなのだけど…。
「おばあちゃんが亡くなって、私は町で1人暮らししてたんですよ。家からだとギルドまで遠すぎるのでちょっと厳しいんです」
「イヴのような知識があっても生活に困窮するのか…」
 こっちと違い、向こうは聖属性が”ハズレ属性”と揶揄されるほどいるし、制限さえ遵守すれば資格がなくても薬を作れる。
 つまり、家庭で作れる薬レベルでは商品にならない。
 薬師資格を取得し、家庭で作る薬以上の効能がなければ見向きもされないのだ。
 そのイメージができないのか、ジャレッド団長はしきりに「ヴァーダドだぞ?」と呻いている。
 ヴァーダドが有名なのは局地的。それも獣人に限られているように思う。
 私だってヴァーダドの名前がこっちで悪い意味で有名なんて知らなかったし、ランスに至っては「ばあさんがどうした?」と首を傾げている。
「ジャレッド団長。向こうでは聖属性はハズレと言われているんです。治せるのは怪我だけ。それも対面での治療です。複数人の怪我人をいっぺんに癒すこともできません。だったら、ポーションを配ったほうが早いでしょう?しかも聖属性は掃いて捨てるほどいる就職難民なので、誰も魔法を磨こうとはしません。そのせいで、多くがレベル1とか2の使い手で、ほぼ役に立てないんです。あと、うちは平民の薬師です」
 納得できないとばかりに、ジャレッド団長は眉間の皺を深くする。
「獣人にとっては魔力持ちが貴重だから理解できないのも仕方ないな。でも、イヴ。他所の薬師より風変わりで頑固なばあさんだったけど、腕は一流だったよ。惜しむらくは聖属性じゃなかったことだな。だが、薬師としての腕は本物だった。それは俺が保証する。薬師は聖属性っていう固定概念があるし、向こうの聖属性は王立研究機関が頂点って考えがあるからな。平民で、田舎のばあさんなんて存在すら認知されてない。ばあさんが貴族なら話は違ったんだろうけど」
 ハズレ属性なんて、国は気にもかけない。
 祖母は薬師ではあったけど、聖属性ではなかったので、尚のこと、お偉いさんの目に留まることはなかった。
 そう思うと、なんだか悔しくもある。
「選民思想の根付いた国っていうのは、もったいない考え方をしていると思うよ。どれほど優秀な平民が見過ごされたか…。これを上手く拾い上げて、相応の立場で重用していれば、キャトラル王国は今より発展してたんだろうけどな」
「ペパードはイヴの家を知っているのか?」
「ああ、知ってるよ。ハノンで知らない奴はいない。何しろ、”帰らずの森”の中なんだから」
 からからとランスは笑う。
「いくら魔物除けの香を焚いていても、普通の神経なら住まない。聞けば、先祖代々住んでるっていうから大したものだよ。それが当たり前と思ってるハノンの住民も凄いけどな」
「行ったことは?」
「ある。ばあさんの薬が欲しけりゃ行くしかない。通いの行商人に幾つか薬を卸してたんだが、基本、ばあさんは自分の目で見て処方するのを良しとしてたからな」
 祖母が行商人に薬を卸すようになったのは、毎日町へ行く体力がなくなったからだ。
 足が悪くなったとか、腰を痛めたとかではなく、加齢による体力低下になる。うちには馬がいなかったから大変だったと思う。
 祖父母が若い頃は、冒険者ギルドの近くに店を構えていたと聞く。
 薬草の入手でゴタついて店を畳んでからは、森を出てすぐの牧場で荷馬車を借り、町まで行っていたそうだ。
 私が引き取られた時は、まだ祖父が手綱を握れていたから荷馬車を借り、町まで薬を売りに行っていた。
 祖父が体調を崩した後は、町へ行くのも難しくなっていた。何しろ、徒歩で町へ行き、1人1人の症状を聞いて薬の処方をする。家に着く頃には夜になっているのだ。それでは薬草を採取する時間も、畑を手入れする時間も、薬を調薬する時間もなくなると言って、薬が欲しければ来い!という手法に変えたそうだ。
 とは言え、薬が欲しいお年寄りには酷なので、顔見知りの商人に幾つか卸すようにしていた。
「森ん中だから、ばあさんの顧客の多くは冒険者だったよ。元気な頃は薬を売りに来てたって聞いたけど、俺がハノンに住み着いた頃には、既に”魔女”だった」
「魔女?」
 ぎょっとランスを見れば、ランスは苦笑する。
「イヴは知らないのか。ガキんちょたちの間では、魔女ばばあって呼ばれてたんだよ。森に住んでいて、頑固。薬師の腕前はあるが、滅多に人前に出てこない。絵にかいたような魔女だろ?」
 意味合いは違うけど、どうやらヴァーダドは先祖代々魔女の名を継承しているらしい。
 私も将来魔女と呼ばれるのだろうか…。
 遠慮したい。
「ところでペパード。俺はギルドのルールに弱いのだが、ペパードに依頼を出す場合は、一度ギルドを通さなければならないのだろうか?」
「いや。ギルドを通しての依頼の場合は、経験値に加算されるから、普通はそっちの方が良いんだろうが、別にギルドを介さなければならないというわけじゃない。ギルド経由の方が安全だというだけだ」
「安全?」
「簡単に言えば、冒険者は自己責任の自由業で、ギルドは斡旋業だ。ギルド経由の依頼を受ければ手数料は引かれるが、詐欺やあくどい犯罪に巻き込まれる確率は低い。身元保証された者の依頼しか掲示されないからな。てことで、手数料を引かれてでもギルドに登録するのは、1つが安全。依頼者も冒険者の身元やランクを開示されることで安心するし、冒険者も依頼者の身元が分かって安心するだろ?で、もう1つが長い目で見ると儲けるからだな。貴族の依頼は基本ギルド経由だ。ギルドを介さない貴族の依頼は、ほぼ犯罪になる。暗殺とかな」
「なるほど。双方にとっての安全という意味だな」
 ジャレッド団長が神妙に頷く。
「で、団長さんは俺に何を依頼したいんだ?」
「イヴの…ヴァーダド家の維持管理だ」
 え?
 驚きと困惑でジャレッド団長を見る。
 ジャレッド団長は真剣な表情でランスを見据えている。
「ギルドに依頼を出しても、依頼を受けてくれる冒険者の為人ひととなりなぞ分からんからな。あの家にはイヴの宝が詰まっている。それを理解し、管理するのに適した者は多くないだろう。Aランカーの依頼料が如何ほどかは分からないが、問題なく支払おう」
「太っ腹!」
 ひゅ~、とランスが口笛を吹いた。
「期間は?」
「終身雇用だ」
 ニヤリと口角を吊り上げたジャレッド団長に、ランスは目玉を回して天井を見上げた。 
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