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公爵家の決定
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脳震盪は1週間の安静らしい。
つまり、1週間も公爵家のお世話になるということだ。
ついでに、改めて診察した結果、左の鼓膜が破れていることが判明した。
ジー、ジーと虫が鳴いていると思った声は、鼓膜が破れた為の異音なのだそうだ。確かに、異音とは別に耳が遠いような、会話が聞き取り辛いような違和感はあった。
ただ、あちこちに痛みが走る状態なので、鼓膜が破れた痛みには気づかなかった。
今だって、治療を受けていなければどこをどう負傷しているのかが分からない状態だ。
不幸中の幸いは、大きな記憶の欠損は見られなかったこと。
頭がぼーっとして集中力は欠いているし、叩かれた後の記憶が欠けてたりするけど問題ないらしい。それでも治癒魔法を使えるようになったら、真っ先に頭に魔法をかけるようにと指示を受けた。
残念ながら、朝一で癒したのは頬。
上手くいかずに中途半端に終わったけど…。
頬は紙風船みたい腫れたまま、一度は緩和した痛みも徐々にぶり返してきている。きっと皮膚も内出血で赤黒く悲惨なことになっているに違いない。
鏡を見ると泣くかもしれないので、ディアンネには鏡を拒否している。
もう1つ拒否したかった熱さまし激マズ湯薬は、ディアンネとの睨めっこの末に飲み干した。
第2騎士団に戻ったら、真っ先に痛み止めを作ろう。熱さましの丸薬を普及させるのも忘れはいけない。
不運に見舞われたけど、作る薬が見つかったのは僥倖だ。
そんなことをぼんやり考えながら、じっと天井を見つめる。
鼓膜が破れている影響か、はたまた公爵家が広すぎるのか。しん、とした静けさのせいで、ジー、ジーと異音が酷く耳につく。
イメージとして、公爵家で働く人は優に200人以上はいると思う。下手すると千人近かったりするのかも。平民には想像できないけど、広大な敷地と屋敷には沢山の人がいるはず。なのに、怖いくらいに静かだ。
使用人たちは私語を一つもすることなく黙々と従事しているのだろうか。
思えば、ジャレッド団長に連れられて来た時も静かで、足音1つにも配慮しつつテキパキと働いていた。
静養するには丁度いい静けさも、私としては少し寂しさを感じる。
心細くなってるのかも…。
そわそわしつつも不思議なもので、浅い眠りを繰り返してしまう。
たまにディアンネが様子を見に来てくれるくらいで、何の変化もない。
痛みを紛らわせるために、何度か寝返りを打って目を閉じる。それを何度も繰り返し、たまに額に触れて治癒魔法を発動させる……いや、発動させようとする、かな。
ごちゃごちゃと絡まった魔力は、正しく放出されず、魔力を浪費するだけで終わる。
魔法を発動するには前提条件があって、体内を巡る魔力は均一でなければならない。
それが既に崩れているので、魔法の発動条件は破られているのだけど…。
その条件がクリアしていると仮定して、魔法を発動するには集中と想像が大事になる。頭の中で魔法のイメージを組み立てるのだ。
レベルによって必要となる魔力量が異なるので、どのような魔法を放つのか、そのイメージの正確性が求められる。
それらが合致して、初めて魔法が発動する。
初歩の初歩が出来ない。
そんなことを繰り返すうちに疲れたのか、いつの間にか寝入ってしまったらしい。
ディアンネとは違う力強いノックで目が覚めた。
返事も待たずにドアを開いたのは、薄っすら無精髭の生えたジャレッド団長だ。
私が言うのもなんだけど、こちらが心配になるほど元気がない。
多忙な中、様子を見に来てくれているのなら申し訳なくなる。
「ああ、起きてたか。具合はどうだ?」
起きてたのではなく、起こされたのだけど、それを口にするには憚られるほどジャレッド団長は憔悴している。
ジャレッド団長は弱々しく微笑むと、腰に佩いた剣をソファに立てかけ、ドレッサーの椅子を引き寄せ座った。
「ヴォールがイヴは寝ていると言っていたからな。様子を見て帰ろうと思っていた」
眉尻を下げた表情は迷子の子犬そのもので、「くぅ~ん」という幻聴が聞こえてきそうだ。
「診察で、鼓膜が破れていると分かったそうだな」
「はい…」
顎を動かすと痛いので、口を大きく開けない。
囁くような小声だけど、耳のいい獣人には不要な心配だ。
「痛みはあるのか?」
「他が痛いので…鼓膜が破れてるって気づきませんでした…。えっと…耳は聞こえ難いです」
「魔法は使えないのか?」
「魔力が乱れてて…今は難しいです。それでも……少しだけ、頬の痛みが取れました」
ほんの少し自嘲を浮かべると、ジャレッド団長は泣きそうな顔で私の頬を優しく撫でた。
「赤紫に腫れ上がって、とても痛々しいぞ」
「見た目は。でも、朝…少し治癒魔法をかけれたので…痛みは和らいでいます」
微々たる効果だけど、治癒魔法をかける前と後では痛みの度合いが大きく違っている。
「起き上がれるか?」
「………手を貸してもらえれば」
「手くらい貸す」
ジャレッド団長は苦笑して立ち上がった。
私の背中に手を回し、恐る恐るといった感じで体を起こすのを手伝ってくれる。すかさず枕を2つ、背中に置くのも忘れない。
「ふぅ…」と枕に体重を預けると、ジャレッド団長はサイドテーブルにある真鍮製のハンドベルを手にした。
リンリン、とベルを鳴らして直ぐに、ディアンネがやって来た。
たぶん、部屋の外に待機していたのだと思う。それくらい早かった。
「イヴの昼食を運んでくれ」
「ただいまご用意致します」
ディアンネは一礼すると、退室して行く。
「食欲は?」
「あります。でも、固形は難しくて…。スープです」
「そうか。食べれるだけマシだな」
ジャレッド団長は小さく笑って、指に髪を絡めるようにして頭を撫でてくる。
その撫で方はちょっと恥ずかしい…。
さらに指先が何度も首筋に触れるので、くすぐったさに首を竦めてしまう。何が楽しいのか、ジャレッド団長は口元を綻ばせた後、ようやく手を離してくれた。
なんとも言えない空気が流れ、居たたまれなさに口を開いたのは私の方だ。
「あ…えっと……第2は…どうですか?怪我した人、いませんか?」
「ああ、問題ない。お前は自分の怪我を治すことだけを考えろ。人族は怪我の治りが遅いのだろう?」
「獣人に比べれば」
苦笑して、包帯でぐるぐるに巻かれた小指を見る。
「これ…骨折してるそうです。朝、先生に改めて説明されました。治癒魔法をかけずにいたら、たぶん……完治に3ヵ月くらいかかります」
「そんなにか…」
ジャレッド団長は唖然とした後、しおしおと眉尻を下げた。
「イヴ。昨日の記憶は?」
「実は…あまり覚えていないんです。ジャレッド団長、来てくれたんですよね?公爵家でお世話になってるのも緊張してしまうんですが……。なんだか、色々とすみません…」
「なぜ謝る。お前は被害者だ。公爵家に運んだのは、兄上の判断だと聞いている。俺が駆け付けた時は、お前はここで治療を終えていた」
ぼや~っとハワード団長が来たのは覚えている。
とても美しい人だったという記憶があるけど、絵姿と混在してなんとも曖昧な記憶と化している。
「ハワード団長にもご迷惑をおかけしたんですね…」
「昨日、お前は兄上の問いかけに答えていたんだぞ?」
「…え?」
問いかけ…。
言われてみれば、幾つか質問された気がする。
「まぁ、お前は朦朧としていたからな。覚えていなくても無理はない」
「何か…粗相してたらすみません…」
「だから、謝るな」
ジャレッド団長は嘆息して、困ったように笑った。
「何か不自由はないか?」
「…いえ」
「欲しいもの、食べたいものがあれば、なんでも言って構わん」
そんな恐れ多いことは無理だ。
沈黙していると、「失礼します」とディアンネがワゴンを押して来た。
ジャレッド団長が退くと、慣れた手つきでテーブルを出し、配膳を進めていく。
お昼もスープだ。朝はくたくたに煮込んだブロッコリー色のシチューだったけど、今回は赤茶色。千切らなくていいように、一口サイズのパンもある。
「パンはシチューに浸して食べると、噛まずに召し上がることができます」
ディアンネは言って、グラスにオレンジジュースを注いでくれる。
ちらり、とジャレッド団長を見れば、食べろ、と手を振ってジェスチャーする。食べ終わるまでは帰らないのか、どかりとソファに座った。
見られながらの食事は緊張するけど、シチューの香りにお腹がぐぅと鳴った。
スプーンを手に、心の中で”いただきます”と呟く。
シチューの具材は少ない。今回も、具が無くなるまでくたくたに煮込んである。僅かばかりにお肉の繊維が混じるシチューの底には、柔らかくなったヒヨコ豆が沈んでいる。あと…マッシュルーム。人参と玉葱は形が崩れているけど、スプーンで掬いあげれば見つけることができた。
シチューを口に運べば、赤ワインを使ったビーフシチューだと分かる。トマトも入っているのか、微かな酸味がある。でも嫌な酸味じゃない。じっくり煮込んだ旨味を引き立たせるように、酸味とコクが口いっぱいに広がる。
パンを浸して食べるのも美味しい。
貴族的にはダメな行為なんだろうけど、私には抵抗がない。なにより、ディアンネの許可があるので、存分に浸すことができる。
手で持ったパンの皮はパリとして、中はふわ、もちっとしている。
シチューに浸しても小麦粉の風味が分かるのだから、パンを単体で食べても美味しいのだろう。
さすが公爵家。
この療養期間中が、15年の生でもっとも美味しい食事をしている。なんという皮肉か。
「イヴ。食べながら聞いてくれ」
胸を撫でながら口の中のものを嚥下し、こくりと頷く。
「まず、今後、第2騎士団は一般見学を原則禁止とした。これは昨夜の会議で、満場一致で決まったことだ」
なんと!
「もともと目に余る行為も報告されていた。様子を見ていたが、もはや看過することはできない」
ジャレッド団長は言って、苦虫を噛み潰したような顔つきになった。
「そして、今回のことで加害者3名。フィローバ伯爵家、モンテロ子爵家、デュボーン子爵家からお前に直接謝罪したいと申し出があったが、公爵家として突っ撥ねた。構わなかったか?」
「………はい」
3つもの貴族家と対峙する勇気はない。
「また示談には応じない旨も伝えてある。加害者の罪状は裁判後に決定するが、クロムウェル公爵家は3貴族家の領内立ち入り禁止を決定した。向こう10年間の取引の凍結も同様に決定している。これは父、クロムウェル公爵が下したものだ」
重い。
領内立ち入り禁止は、別に大したことはないとは思う。キャトラル王国が友好国で旨味のある国なら、街道の通る公爵領の立ち入り禁止は痛手だろうけど、実際は国交樹立しただけの非友好国だ。
ただ、向こう10年間の取引凍結の損害は計り知れない。
クロムウェル公爵領は有能な騎士団を保有し、広大な穀倉地帯を抱えている。
3家の規模によっては、死活問題になるような気がする。
「……重くないですか?」
「お前への暴行罪だけではない。公爵家の紋章の入った指輪を盗もうとしたんだ。喧嘩は買う。まぁ、見せしめの意味があるのは否めないが……。スカーレン子爵令嬢の件もあるからな。示談に応じていては、似たような事例が増えるだけだ。お前が気に病む必要はない」
ジャレッド団長は苦笑して、「新しい指輪を作らないとな」と小指を立てた。
つまり、1週間も公爵家のお世話になるということだ。
ついでに、改めて診察した結果、左の鼓膜が破れていることが判明した。
ジー、ジーと虫が鳴いていると思った声は、鼓膜が破れた為の異音なのだそうだ。確かに、異音とは別に耳が遠いような、会話が聞き取り辛いような違和感はあった。
ただ、あちこちに痛みが走る状態なので、鼓膜が破れた痛みには気づかなかった。
今だって、治療を受けていなければどこをどう負傷しているのかが分からない状態だ。
不幸中の幸いは、大きな記憶の欠損は見られなかったこと。
頭がぼーっとして集中力は欠いているし、叩かれた後の記憶が欠けてたりするけど問題ないらしい。それでも治癒魔法を使えるようになったら、真っ先に頭に魔法をかけるようにと指示を受けた。
残念ながら、朝一で癒したのは頬。
上手くいかずに中途半端に終わったけど…。
頬は紙風船みたい腫れたまま、一度は緩和した痛みも徐々にぶり返してきている。きっと皮膚も内出血で赤黒く悲惨なことになっているに違いない。
鏡を見ると泣くかもしれないので、ディアンネには鏡を拒否している。
もう1つ拒否したかった熱さまし激マズ湯薬は、ディアンネとの睨めっこの末に飲み干した。
第2騎士団に戻ったら、真っ先に痛み止めを作ろう。熱さましの丸薬を普及させるのも忘れはいけない。
不運に見舞われたけど、作る薬が見つかったのは僥倖だ。
そんなことをぼんやり考えながら、じっと天井を見つめる。
鼓膜が破れている影響か、はたまた公爵家が広すぎるのか。しん、とした静けさのせいで、ジー、ジーと異音が酷く耳につく。
イメージとして、公爵家で働く人は優に200人以上はいると思う。下手すると千人近かったりするのかも。平民には想像できないけど、広大な敷地と屋敷には沢山の人がいるはず。なのに、怖いくらいに静かだ。
使用人たちは私語を一つもすることなく黙々と従事しているのだろうか。
思えば、ジャレッド団長に連れられて来た時も静かで、足音1つにも配慮しつつテキパキと働いていた。
静養するには丁度いい静けさも、私としては少し寂しさを感じる。
心細くなってるのかも…。
そわそわしつつも不思議なもので、浅い眠りを繰り返してしまう。
たまにディアンネが様子を見に来てくれるくらいで、何の変化もない。
痛みを紛らわせるために、何度か寝返りを打って目を閉じる。それを何度も繰り返し、たまに額に触れて治癒魔法を発動させる……いや、発動させようとする、かな。
ごちゃごちゃと絡まった魔力は、正しく放出されず、魔力を浪費するだけで終わる。
魔法を発動するには前提条件があって、体内を巡る魔力は均一でなければならない。
それが既に崩れているので、魔法の発動条件は破られているのだけど…。
その条件がクリアしていると仮定して、魔法を発動するには集中と想像が大事になる。頭の中で魔法のイメージを組み立てるのだ。
レベルによって必要となる魔力量が異なるので、どのような魔法を放つのか、そのイメージの正確性が求められる。
それらが合致して、初めて魔法が発動する。
初歩の初歩が出来ない。
そんなことを繰り返すうちに疲れたのか、いつの間にか寝入ってしまったらしい。
ディアンネとは違う力強いノックで目が覚めた。
返事も待たずにドアを開いたのは、薄っすら無精髭の生えたジャレッド団長だ。
私が言うのもなんだけど、こちらが心配になるほど元気がない。
多忙な中、様子を見に来てくれているのなら申し訳なくなる。
「ああ、起きてたか。具合はどうだ?」
起きてたのではなく、起こされたのだけど、それを口にするには憚られるほどジャレッド団長は憔悴している。
ジャレッド団長は弱々しく微笑むと、腰に佩いた剣をソファに立てかけ、ドレッサーの椅子を引き寄せ座った。
「ヴォールがイヴは寝ていると言っていたからな。様子を見て帰ろうと思っていた」
眉尻を下げた表情は迷子の子犬そのもので、「くぅ~ん」という幻聴が聞こえてきそうだ。
「診察で、鼓膜が破れていると分かったそうだな」
「はい…」
顎を動かすと痛いので、口を大きく開けない。
囁くような小声だけど、耳のいい獣人には不要な心配だ。
「痛みはあるのか?」
「他が痛いので…鼓膜が破れてるって気づきませんでした…。えっと…耳は聞こえ難いです」
「魔法は使えないのか?」
「魔力が乱れてて…今は難しいです。それでも……少しだけ、頬の痛みが取れました」
ほんの少し自嘲を浮かべると、ジャレッド団長は泣きそうな顔で私の頬を優しく撫でた。
「赤紫に腫れ上がって、とても痛々しいぞ」
「見た目は。でも、朝…少し治癒魔法をかけれたので…痛みは和らいでいます」
微々たる効果だけど、治癒魔法をかける前と後では痛みの度合いが大きく違っている。
「起き上がれるか?」
「………手を貸してもらえれば」
「手くらい貸す」
ジャレッド団長は苦笑して立ち上がった。
私の背中に手を回し、恐る恐るといった感じで体を起こすのを手伝ってくれる。すかさず枕を2つ、背中に置くのも忘れない。
「ふぅ…」と枕に体重を預けると、ジャレッド団長はサイドテーブルにある真鍮製のハンドベルを手にした。
リンリン、とベルを鳴らして直ぐに、ディアンネがやって来た。
たぶん、部屋の外に待機していたのだと思う。それくらい早かった。
「イヴの昼食を運んでくれ」
「ただいまご用意致します」
ディアンネは一礼すると、退室して行く。
「食欲は?」
「あります。でも、固形は難しくて…。スープです」
「そうか。食べれるだけマシだな」
ジャレッド団長は小さく笑って、指に髪を絡めるようにして頭を撫でてくる。
その撫で方はちょっと恥ずかしい…。
さらに指先が何度も首筋に触れるので、くすぐったさに首を竦めてしまう。何が楽しいのか、ジャレッド団長は口元を綻ばせた後、ようやく手を離してくれた。
なんとも言えない空気が流れ、居たたまれなさに口を開いたのは私の方だ。
「あ…えっと……第2は…どうですか?怪我した人、いませんか?」
「ああ、問題ない。お前は自分の怪我を治すことだけを考えろ。人族は怪我の治りが遅いのだろう?」
「獣人に比べれば」
苦笑して、包帯でぐるぐるに巻かれた小指を見る。
「これ…骨折してるそうです。朝、先生に改めて説明されました。治癒魔法をかけずにいたら、たぶん……完治に3ヵ月くらいかかります」
「そんなにか…」
ジャレッド団長は唖然とした後、しおしおと眉尻を下げた。
「イヴ。昨日の記憶は?」
「実は…あまり覚えていないんです。ジャレッド団長、来てくれたんですよね?公爵家でお世話になってるのも緊張してしまうんですが……。なんだか、色々とすみません…」
「なぜ謝る。お前は被害者だ。公爵家に運んだのは、兄上の判断だと聞いている。俺が駆け付けた時は、お前はここで治療を終えていた」
ぼや~っとハワード団長が来たのは覚えている。
とても美しい人だったという記憶があるけど、絵姿と混在してなんとも曖昧な記憶と化している。
「ハワード団長にもご迷惑をおかけしたんですね…」
「昨日、お前は兄上の問いかけに答えていたんだぞ?」
「…え?」
問いかけ…。
言われてみれば、幾つか質問された気がする。
「まぁ、お前は朦朧としていたからな。覚えていなくても無理はない」
「何か…粗相してたらすみません…」
「だから、謝るな」
ジャレッド団長は嘆息して、困ったように笑った。
「何か不自由はないか?」
「…いえ」
「欲しいもの、食べたいものがあれば、なんでも言って構わん」
そんな恐れ多いことは無理だ。
沈黙していると、「失礼します」とディアンネがワゴンを押して来た。
ジャレッド団長が退くと、慣れた手つきでテーブルを出し、配膳を進めていく。
お昼もスープだ。朝はくたくたに煮込んだブロッコリー色のシチューだったけど、今回は赤茶色。千切らなくていいように、一口サイズのパンもある。
「パンはシチューに浸して食べると、噛まずに召し上がることができます」
ディアンネは言って、グラスにオレンジジュースを注いでくれる。
ちらり、とジャレッド団長を見れば、食べろ、と手を振ってジェスチャーする。食べ終わるまでは帰らないのか、どかりとソファに座った。
見られながらの食事は緊張するけど、シチューの香りにお腹がぐぅと鳴った。
スプーンを手に、心の中で”いただきます”と呟く。
シチューの具材は少ない。今回も、具が無くなるまでくたくたに煮込んである。僅かばかりにお肉の繊維が混じるシチューの底には、柔らかくなったヒヨコ豆が沈んでいる。あと…マッシュルーム。人参と玉葱は形が崩れているけど、スプーンで掬いあげれば見つけることができた。
シチューを口に運べば、赤ワインを使ったビーフシチューだと分かる。トマトも入っているのか、微かな酸味がある。でも嫌な酸味じゃない。じっくり煮込んだ旨味を引き立たせるように、酸味とコクが口いっぱいに広がる。
パンを浸して食べるのも美味しい。
貴族的にはダメな行為なんだろうけど、私には抵抗がない。なにより、ディアンネの許可があるので、存分に浸すことができる。
手で持ったパンの皮はパリとして、中はふわ、もちっとしている。
シチューに浸しても小麦粉の風味が分かるのだから、パンを単体で食べても美味しいのだろう。
さすが公爵家。
この療養期間中が、15年の生でもっとも美味しい食事をしている。なんという皮肉か。
「イヴ。食べながら聞いてくれ」
胸を撫でながら口の中のものを嚥下し、こくりと頷く。
「まず、今後、第2騎士団は一般見学を原則禁止とした。これは昨夜の会議で、満場一致で決まったことだ」
なんと!
「もともと目に余る行為も報告されていた。様子を見ていたが、もはや看過することはできない」
ジャレッド団長は言って、苦虫を噛み潰したような顔つきになった。
「そして、今回のことで加害者3名。フィローバ伯爵家、モンテロ子爵家、デュボーン子爵家からお前に直接謝罪したいと申し出があったが、公爵家として突っ撥ねた。構わなかったか?」
「………はい」
3つもの貴族家と対峙する勇気はない。
「また示談には応じない旨も伝えてある。加害者の罪状は裁判後に決定するが、クロムウェル公爵家は3貴族家の領内立ち入り禁止を決定した。向こう10年間の取引の凍結も同様に決定している。これは父、クロムウェル公爵が下したものだ」
重い。
領内立ち入り禁止は、別に大したことはないとは思う。キャトラル王国が友好国で旨味のある国なら、街道の通る公爵領の立ち入り禁止は痛手だろうけど、実際は国交樹立しただけの非友好国だ。
ただ、向こう10年間の取引凍結の損害は計り知れない。
クロムウェル公爵領は有能な騎士団を保有し、広大な穀倉地帯を抱えている。
3家の規模によっては、死活問題になるような気がする。
「……重くないですか?」
「お前への暴行罪だけではない。公爵家の紋章の入った指輪を盗もうとしたんだ。喧嘩は買う。まぁ、見せしめの意味があるのは否めないが……。スカーレン子爵令嬢の件もあるからな。示談に応じていては、似たような事例が増えるだけだ。お前が気に病む必要はない」
ジャレッド団長は苦笑して、「新しい指輪を作らないとな」と小指を立てた。
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