25 / 63
最終通告
しおりを挟む
夜を前に、逃走した奴隷商人全員を捕縛したと知らせを受けた。
捕縛した悪者は7名。
内2名がネコ科、1名がイヌ科だったこともあり、捕縛までに時間がかかったという。捕縛された悪者は、明日には帝都に護送され、裁判にかけられ、処刑されるらしい。
普通、領内で起きた犯罪は領主が定められた法に従って罰を下すけど、戦争屋と奴隷商は国が裁判にかける。
ヴォレアナズ帝国では自国民を害する犯罪はもれなく重罪となるので、処刑は決定なのだ。
ちなみに、一発処刑は戦争屋と強盗殺人、奴隷を含む人身売買だ。
単なる殺人なら、情状酌量の余地があるケースが稀にあるらしいので裁判を受け、刑を確定させるという。でも、一発処刑の犯罪者は背後関係を吐かせた後に処刑される。処刑が覆ることはないのに裁判を受けさせるのは、見せしめがあるそうだ。公開裁判は平民でも傍聴でき、悪党の罪を暴くことで国民感情を煽ることを目的としている。
処刑方法も貴族平民関係なく縛り首という。
なのに悪いことに手を出すというのは、表現は悪いが実入りが良いのだと思う。
そして、保護された子供たちは、やっぱり全員が一緒にとはならなかった。流石にばらばらは可哀想なので、2名ずつ別々の孤児院に送られるそうだ。
残念なことに、ニエーレ孤児院は定員数に達しており受け入れできず、遠方の孤児院となる。
あの最年長だったトム・ランドーは、クロムウェル領のドメニク孤児院に決まったそうなので、落ち着いたら様子を見に行こうと思う。
ドメニク孤児院には、6才のネコ科獣人スティーブ・バーンズも来ることが決まっている。
他の4名は別々の領地の孤児院となった。子供にとっては領地が変わるのは外国にも等しいくらい、大冒険に値する距離だ。でも、大人になって、それほど遠くない距離だと気づいたら再会してほしい。
泣きじゃくる子供たちは、ガフ医院の一室を間借りする形で怪我を癒すそうだ。健康状態も著しく悪いので、そこで療養してから旅立つ予定なのだとグレイスが教えてくれた。
子供たちが出立して、続くように司祭様たちも帰路に着いた。
それと入れ違いに、クロムウェル領から警吏が到着。スカーレン子爵から指揮権が移行した。これはクロムウェル公爵が権限を持ったわけでなく、皇帝陛下の代理となっただけらしい。たぶん、何羽もの伝書鷹が王城とクロムウェル公爵低を行き交っているのだろう。
重罪人撲滅は、皇帝陛下の悲願でもある。
なので、奴隷商の根城が割れた時、クロムウェル公爵は万全を期す必要があった。情報を精査し、もし戦争屋に繋がっていれば、芋づる式の検挙も夢じゃない。
その夢も、あっという間に散ってしまった。
クロムウェル公爵の代理としてニエーレに駆け付けたジャレッド団長は、魔王かと見紛うばかりの恐ろしさだった。
恐らく、ひと仕事終えた後に駆け付けたのだろう。
鎧姿だ。
キャトラル王国の騎士の鎧は重装備で、華美な装飾をつけた兜を被っている。実際に見たわけじゃなく、威風堂々とした騎士の姿絵は、既婚未婚関係なく、婦女子に人気なのだ。例え顔が見えなくても。
戦場では機動力に欠けた的だね、と祖母が大笑いしたのは懐かしい思い出だ。
片や、ジャレッド団長は緋色のマントと銀の鎧で、鎧は上半身のみ。兜はない。
なのに、貫禄は普段の倍。
興奮冷めやらぬ目は血走り、歪んだ口元からは犬歯が覗き、低い唸り声が周囲を威嚇するように零れる。
魔物の一種、魔馬との交配で生まれた軍馬は、通常の馬より体躯も大きければスタミナも化け物級。それでも普段は比較的温厚な月毛のヴェンティが、ジャレッド団長の苛立ちに引っ張られるように興奮している。
これに腰を抜かし、滂沱の涙を流しながら平伏しているのはスカーレン子爵だ。
「申し訳ございません!」
見事な土下座だと思う。
「この度の件は、私の不徳の致すところだと認識しております!!」
何卒お慈悲を、と幻聴が聞こえる。
というか、獣人にしては細身で、温厚そうな風貌の中年男性の土下座は見たくない。例え嫌いな貴族でも、父親世代の悲壮感漂う姿には憐憫の情が湧く。
赤の他人の私がそう思うのに、血を分けた娘は違うらしい。
粘りに粘り、馬車の中で待機を続けていた令嬢は、怒髪冠を衝く形相のジャレッド団長に見惚れている。
すごい…。
馬から降りたジャレッド団長に駆け寄る令嬢とは真逆に、私たちは静かに距離を置く。アーロンは青い顔で息を呑み、ジョアンはがくがくと震えている。
私も怖いので、2人を盾に隠れている。
「謝罪は結構だ。この度の件は、既に皇帝陛下の耳にも届いている。申し開きがあるのなら、皇帝陛下へ嘆願するがいい」
「そんな!」
スカーレン子爵が悲鳴を上げる。
「だが、それではあまりに子爵が不憫だと公爵より救済案を賜っている」
はっ、とスカーレン子爵が目を見開いた。
まるで神に慈悲を乞うように両手を握りしめ、ジャレッド団長を仰ぎ見ている。
こういう宗教画がありそうだなと、場違いな感想が浮かぶ。
「内通者は捕縛しているな?」
「は、はい!真っ先に取り押さえております」
「では、今回、独断専行した兵の身柄はどうなった?」
「それは…」と、スカーレン子爵の目が泳ぐ。顔色を見る限り、そこまで気が回らなかったようだ。
「申し訳ございません。そこまでの調査は行っておりません…」
「それを取り急ぎ調べ、その者を確保しろ。さらなる内通者の可能性がある」
これにスカーレン子爵はひっくり返りそうなほど背中を反らせた。真っ青な顔は、さらに血の気が引いて白くなっている。
「奴隷商と戦争屋の関係が僅かでも残っているのであれば、全てを捕縛して情報を得ることが、子爵の救済となり得る唯一の手段である」
「仰せの通りに!!」
スカーレン子爵が「ははー!」と土下座する。
その様子に、令嬢が目をハートにしているから恐ろしい。
父親が息子ほどの年齢の男に土下座していたら、私ならショックで卒倒するか、石を投げつけてでも父親を救う。なのに、この令嬢は「ジャレッド様素敵」と猫なで声で、盛りに盛った睫毛をしばしばさせている。両手を窮屈そうに組んでいるのは、二の腕で胸を挟み込み、バストアップさせるテクニックに違いない。
「ああいうのを厚顔無恥って言うんすかね?」
ジョアンがぼそっと呟き、アーロンが思わず「ふ」と笑った。
「普通はないっすよ。自分の親が土下座かましてるんですから。そんな状況下で色目使います?」
「ないな」
アーロンが肩を竦めた。
「あの強心臓には感心するがな」
「確かに」と、私とジョアンが声を揃えて頷く。
何しろ、じわじわと距離を詰めて媚びを売る令嬢に対し、ジャレッド団長の相貌は絶対零度。獣人には魔力はないはずなのに、周囲が凍り付きそうなほど寒い。
私なら絶っ対に近づかないし、目も合わせられない。
実際、私はアーロンの背中しか見ていない。ちらりと見たジャレッド団長があまりにも恐ろしかったからだ。
しっかりと気配も消していたはずなのに、「イヴ」とジャレッド団長がこっちに歩んで来た。件の令嬢はまるっと無視だ。
「なぜ隠れている?」
それは怖いからです、とは言えない。
ススス…、とアーロンが私の前から退くと、ジャレッド団長が正面に立っていた。その顔からは怒りの感情は消えていて、最近見慣れた子犬っぽいものに変わっている。
「治癒魔法を使って疲れてはないか?」
「いえ…。魔力が枯渇するほど使ってません。深刻だったのは栄養状態で……それは治癒では治せませんから」
聖属性が万能であれば、ハズレ属性などと言われず、子供たちも健康を取り戻せていたのに。
力不足を痛感する。
「何言ってるんすか。イヴは子供たちを救ったっすよ」
「ああ。暴力を受けた子供たちの傷を癒した。古傷まで消してしまったんだ。感謝しかない」
「だそうだ」
大きな手が、無遠慮に頭を撫でてくる。
気恥ずかしい気持ちも、ジャレッド団長越しに見えた令嬢の表情で消え去った。視線だけで人を殺しそうだなと思えるほど、その双眸は冷酷な光を宿し、ピンク色の唇は醜悪に歪んでいる。
目が合った瞬間、ぞくり、と怖気が走った。
「ジャレッド様。本日はお力添えいただいたおかげで無事に孤児たちを保護できましたわ。心より感謝申し上げます」
ジャレッド団長が振り向くと同時に、令嬢の表情が和らいだ。すっと美しい礼を披露するのも流石だと言わざるを得ない。
「つきましては、スカーレン家で心をこめておもてなしを致しますわ」
ふわりと花が綻ぶような笑みは、普通の男性ならイチコロな気がする。
でも、本性を知るアーロンとジョアンは冷めた顔。ジャレッド団長も「結構だ」と素気無い。
これに令嬢は愕然としている。断られるとは思っていなかったのだろう。
「身分は子爵と下位っすけど、男を篭絡するに富んでいそうな見てくれっすからね。ああいう裏表の激しい手合いは高位貴族を狙って成り上がろうとするんすよ。婚約者がいようが、既婚者だろうが関係なく」
ぼそり、とジョアンが私に耳打ちする。
なるほど……貴族怖い。
「そもそも、部下に礼を失するような者の誘いを受けると思われたのが心外だ」
「そ、そのようなことはしておりませんわ!クロムウェル騎士団の皆様には感謝こそすれ無礼を働くなどありません」
「いや。うちの部下は態度に出やすい正直者が多くてな。無礼な者には壁を作りたがる」
そう言うジャレッド団長の眼光は鋭い。
「信じてくださいませ」
うるっ、と令嬢の瞳に涙の膜が張る。
涙が自由自在ってすごいな…。感心が止まらない。
「そういうさ、すぐにバレる嘘はダメっすよ。イヴのこと、散々罵ってたよね?えっと…なんだっけ?娼婦だっけ?」
「メス猫だ。発情期のメス猫、淫乱、売女とも言ったな」
2人が口を挟んだ瞬間、再び周囲の気温が下がった…気がする。
さすがの令嬢の顔色も悪い。恐らく、真正面からジャレッド団長の氷のように冷たい視線を受けたのだろう。少し離れた場所にいるスカーレン子爵は唖然とした表情で娘を見ている。
「”後ろ足で砂をかける”とは、まさにこのことだ。スカーレン子爵。ここにいるイヴ・ゴゼットは公爵家が後ろ盾になっている治癒士だ。この度、保護された子供の治癒のためにニエーレまで来てもらったのだが、よもや侮辱したのではないだろうな?それが真実なら、公爵家としても黙ってはいない」
「トレイシー!!」
スカーレン子爵の怒号に、令嬢が驚愕した。
その表情には覚えがある。普段怒らない温厚篤実な人が怒りを爆発させた時、人はこんな顔をする。
「ち、違うわお父様!誤解よ!」
必死に取り繕っているけど、離れた場所で直立不動の侍女は血の気の失せた顔をしている。
「帰るぞ」
ジャレッド団長に追い立てられるように馬車へと歩く。
途中、ジャレッド団長が「ああ、そうだ」とぎゃんぎゃんと言い争っているスカーレン父娘へと振り返った。
「スカーレン子爵」
「は!はい!」
「その娘のクロムウェル公爵領の立ち入りを今後一切禁じる。肝に銘じておけ」
「ははーーっ!!」とスカーレン子爵が土下座し、令嬢は「いやぁああ!!」と悲鳴に似た金切り声で地面に突っ伏した。
「自業自得で同情もできねぇっす」
ジョアンが辛辣だ。
「あの手の令嬢はまだいますよ」
アーロンは言って、ジャレッド団長に目を向けた。
「何かしらの手を打たなければ、逆恨みの矛先がイヴに向かってしまいます」
「分かっている」
辟易した様子で、ジャレッド団長はスカーレン父娘に背を向けた。
「恐らく、耳聡い者たちは平民であることも含め、それを知っているのでしょう。あの令嬢が衝動的に暴言を吐いたのか、情報を理解して暴言を吐いたのかは知りませんが。彼女はイヴを第2騎士団所属とは思っていないようでした。単なる雇われ。言ってしまえば、イヴは後ろ盾のない平民風情なのです」
全くもってその通りなのに、ジャレッド団長は苛立たしげに歯軋りしている。
「ならば、後ろ盾が誰か分からせればいい」
ジャレッド団長はニヤリと、悪人さながらの笑みを浮かべた。
捕縛した悪者は7名。
内2名がネコ科、1名がイヌ科だったこともあり、捕縛までに時間がかかったという。捕縛された悪者は、明日には帝都に護送され、裁判にかけられ、処刑されるらしい。
普通、領内で起きた犯罪は領主が定められた法に従って罰を下すけど、戦争屋と奴隷商は国が裁判にかける。
ヴォレアナズ帝国では自国民を害する犯罪はもれなく重罪となるので、処刑は決定なのだ。
ちなみに、一発処刑は戦争屋と強盗殺人、奴隷を含む人身売買だ。
単なる殺人なら、情状酌量の余地があるケースが稀にあるらしいので裁判を受け、刑を確定させるという。でも、一発処刑の犯罪者は背後関係を吐かせた後に処刑される。処刑が覆ることはないのに裁判を受けさせるのは、見せしめがあるそうだ。公開裁判は平民でも傍聴でき、悪党の罪を暴くことで国民感情を煽ることを目的としている。
処刑方法も貴族平民関係なく縛り首という。
なのに悪いことに手を出すというのは、表現は悪いが実入りが良いのだと思う。
そして、保護された子供たちは、やっぱり全員が一緒にとはならなかった。流石にばらばらは可哀想なので、2名ずつ別々の孤児院に送られるそうだ。
残念なことに、ニエーレ孤児院は定員数に達しており受け入れできず、遠方の孤児院となる。
あの最年長だったトム・ランドーは、クロムウェル領のドメニク孤児院に決まったそうなので、落ち着いたら様子を見に行こうと思う。
ドメニク孤児院には、6才のネコ科獣人スティーブ・バーンズも来ることが決まっている。
他の4名は別々の領地の孤児院となった。子供にとっては領地が変わるのは外国にも等しいくらい、大冒険に値する距離だ。でも、大人になって、それほど遠くない距離だと気づいたら再会してほしい。
泣きじゃくる子供たちは、ガフ医院の一室を間借りする形で怪我を癒すそうだ。健康状態も著しく悪いので、そこで療養してから旅立つ予定なのだとグレイスが教えてくれた。
子供たちが出立して、続くように司祭様たちも帰路に着いた。
それと入れ違いに、クロムウェル領から警吏が到着。スカーレン子爵から指揮権が移行した。これはクロムウェル公爵が権限を持ったわけでなく、皇帝陛下の代理となっただけらしい。たぶん、何羽もの伝書鷹が王城とクロムウェル公爵低を行き交っているのだろう。
重罪人撲滅は、皇帝陛下の悲願でもある。
なので、奴隷商の根城が割れた時、クロムウェル公爵は万全を期す必要があった。情報を精査し、もし戦争屋に繋がっていれば、芋づる式の検挙も夢じゃない。
その夢も、あっという間に散ってしまった。
クロムウェル公爵の代理としてニエーレに駆け付けたジャレッド団長は、魔王かと見紛うばかりの恐ろしさだった。
恐らく、ひと仕事終えた後に駆け付けたのだろう。
鎧姿だ。
キャトラル王国の騎士の鎧は重装備で、華美な装飾をつけた兜を被っている。実際に見たわけじゃなく、威風堂々とした騎士の姿絵は、既婚未婚関係なく、婦女子に人気なのだ。例え顔が見えなくても。
戦場では機動力に欠けた的だね、と祖母が大笑いしたのは懐かしい思い出だ。
片や、ジャレッド団長は緋色のマントと銀の鎧で、鎧は上半身のみ。兜はない。
なのに、貫禄は普段の倍。
興奮冷めやらぬ目は血走り、歪んだ口元からは犬歯が覗き、低い唸り声が周囲を威嚇するように零れる。
魔物の一種、魔馬との交配で生まれた軍馬は、通常の馬より体躯も大きければスタミナも化け物級。それでも普段は比較的温厚な月毛のヴェンティが、ジャレッド団長の苛立ちに引っ張られるように興奮している。
これに腰を抜かし、滂沱の涙を流しながら平伏しているのはスカーレン子爵だ。
「申し訳ございません!」
見事な土下座だと思う。
「この度の件は、私の不徳の致すところだと認識しております!!」
何卒お慈悲を、と幻聴が聞こえる。
というか、獣人にしては細身で、温厚そうな風貌の中年男性の土下座は見たくない。例え嫌いな貴族でも、父親世代の悲壮感漂う姿には憐憫の情が湧く。
赤の他人の私がそう思うのに、血を分けた娘は違うらしい。
粘りに粘り、馬車の中で待機を続けていた令嬢は、怒髪冠を衝く形相のジャレッド団長に見惚れている。
すごい…。
馬から降りたジャレッド団長に駆け寄る令嬢とは真逆に、私たちは静かに距離を置く。アーロンは青い顔で息を呑み、ジョアンはがくがくと震えている。
私も怖いので、2人を盾に隠れている。
「謝罪は結構だ。この度の件は、既に皇帝陛下の耳にも届いている。申し開きがあるのなら、皇帝陛下へ嘆願するがいい」
「そんな!」
スカーレン子爵が悲鳴を上げる。
「だが、それではあまりに子爵が不憫だと公爵より救済案を賜っている」
はっ、とスカーレン子爵が目を見開いた。
まるで神に慈悲を乞うように両手を握りしめ、ジャレッド団長を仰ぎ見ている。
こういう宗教画がありそうだなと、場違いな感想が浮かぶ。
「内通者は捕縛しているな?」
「は、はい!真っ先に取り押さえております」
「では、今回、独断専行した兵の身柄はどうなった?」
「それは…」と、スカーレン子爵の目が泳ぐ。顔色を見る限り、そこまで気が回らなかったようだ。
「申し訳ございません。そこまでの調査は行っておりません…」
「それを取り急ぎ調べ、その者を確保しろ。さらなる内通者の可能性がある」
これにスカーレン子爵はひっくり返りそうなほど背中を反らせた。真っ青な顔は、さらに血の気が引いて白くなっている。
「奴隷商と戦争屋の関係が僅かでも残っているのであれば、全てを捕縛して情報を得ることが、子爵の救済となり得る唯一の手段である」
「仰せの通りに!!」
スカーレン子爵が「ははー!」と土下座する。
その様子に、令嬢が目をハートにしているから恐ろしい。
父親が息子ほどの年齢の男に土下座していたら、私ならショックで卒倒するか、石を投げつけてでも父親を救う。なのに、この令嬢は「ジャレッド様素敵」と猫なで声で、盛りに盛った睫毛をしばしばさせている。両手を窮屈そうに組んでいるのは、二の腕で胸を挟み込み、バストアップさせるテクニックに違いない。
「ああいうのを厚顔無恥って言うんすかね?」
ジョアンがぼそっと呟き、アーロンが思わず「ふ」と笑った。
「普通はないっすよ。自分の親が土下座かましてるんですから。そんな状況下で色目使います?」
「ないな」
アーロンが肩を竦めた。
「あの強心臓には感心するがな」
「確かに」と、私とジョアンが声を揃えて頷く。
何しろ、じわじわと距離を詰めて媚びを売る令嬢に対し、ジャレッド団長の相貌は絶対零度。獣人には魔力はないはずなのに、周囲が凍り付きそうなほど寒い。
私なら絶っ対に近づかないし、目も合わせられない。
実際、私はアーロンの背中しか見ていない。ちらりと見たジャレッド団長があまりにも恐ろしかったからだ。
しっかりと気配も消していたはずなのに、「イヴ」とジャレッド団長がこっちに歩んで来た。件の令嬢はまるっと無視だ。
「なぜ隠れている?」
それは怖いからです、とは言えない。
ススス…、とアーロンが私の前から退くと、ジャレッド団長が正面に立っていた。その顔からは怒りの感情は消えていて、最近見慣れた子犬っぽいものに変わっている。
「治癒魔法を使って疲れてはないか?」
「いえ…。魔力が枯渇するほど使ってません。深刻だったのは栄養状態で……それは治癒では治せませんから」
聖属性が万能であれば、ハズレ属性などと言われず、子供たちも健康を取り戻せていたのに。
力不足を痛感する。
「何言ってるんすか。イヴは子供たちを救ったっすよ」
「ああ。暴力を受けた子供たちの傷を癒した。古傷まで消してしまったんだ。感謝しかない」
「だそうだ」
大きな手が、無遠慮に頭を撫でてくる。
気恥ずかしい気持ちも、ジャレッド団長越しに見えた令嬢の表情で消え去った。視線だけで人を殺しそうだなと思えるほど、その双眸は冷酷な光を宿し、ピンク色の唇は醜悪に歪んでいる。
目が合った瞬間、ぞくり、と怖気が走った。
「ジャレッド様。本日はお力添えいただいたおかげで無事に孤児たちを保護できましたわ。心より感謝申し上げます」
ジャレッド団長が振り向くと同時に、令嬢の表情が和らいだ。すっと美しい礼を披露するのも流石だと言わざるを得ない。
「つきましては、スカーレン家で心をこめておもてなしを致しますわ」
ふわりと花が綻ぶような笑みは、普通の男性ならイチコロな気がする。
でも、本性を知るアーロンとジョアンは冷めた顔。ジャレッド団長も「結構だ」と素気無い。
これに令嬢は愕然としている。断られるとは思っていなかったのだろう。
「身分は子爵と下位っすけど、男を篭絡するに富んでいそうな見てくれっすからね。ああいう裏表の激しい手合いは高位貴族を狙って成り上がろうとするんすよ。婚約者がいようが、既婚者だろうが関係なく」
ぼそり、とジョアンが私に耳打ちする。
なるほど……貴族怖い。
「そもそも、部下に礼を失するような者の誘いを受けると思われたのが心外だ」
「そ、そのようなことはしておりませんわ!クロムウェル騎士団の皆様には感謝こそすれ無礼を働くなどありません」
「いや。うちの部下は態度に出やすい正直者が多くてな。無礼な者には壁を作りたがる」
そう言うジャレッド団長の眼光は鋭い。
「信じてくださいませ」
うるっ、と令嬢の瞳に涙の膜が張る。
涙が自由自在ってすごいな…。感心が止まらない。
「そういうさ、すぐにバレる嘘はダメっすよ。イヴのこと、散々罵ってたよね?えっと…なんだっけ?娼婦だっけ?」
「メス猫だ。発情期のメス猫、淫乱、売女とも言ったな」
2人が口を挟んだ瞬間、再び周囲の気温が下がった…気がする。
さすがの令嬢の顔色も悪い。恐らく、真正面からジャレッド団長の氷のように冷たい視線を受けたのだろう。少し離れた場所にいるスカーレン子爵は唖然とした表情で娘を見ている。
「”後ろ足で砂をかける”とは、まさにこのことだ。スカーレン子爵。ここにいるイヴ・ゴゼットは公爵家が後ろ盾になっている治癒士だ。この度、保護された子供の治癒のためにニエーレまで来てもらったのだが、よもや侮辱したのではないだろうな?それが真実なら、公爵家としても黙ってはいない」
「トレイシー!!」
スカーレン子爵の怒号に、令嬢が驚愕した。
その表情には覚えがある。普段怒らない温厚篤実な人が怒りを爆発させた時、人はこんな顔をする。
「ち、違うわお父様!誤解よ!」
必死に取り繕っているけど、離れた場所で直立不動の侍女は血の気の失せた顔をしている。
「帰るぞ」
ジャレッド団長に追い立てられるように馬車へと歩く。
途中、ジャレッド団長が「ああ、そうだ」とぎゃんぎゃんと言い争っているスカーレン父娘へと振り返った。
「スカーレン子爵」
「は!はい!」
「その娘のクロムウェル公爵領の立ち入りを今後一切禁じる。肝に銘じておけ」
「ははーーっ!!」とスカーレン子爵が土下座し、令嬢は「いやぁああ!!」と悲鳴に似た金切り声で地面に突っ伏した。
「自業自得で同情もできねぇっす」
ジョアンが辛辣だ。
「あの手の令嬢はまだいますよ」
アーロンは言って、ジャレッド団長に目を向けた。
「何かしらの手を打たなければ、逆恨みの矛先がイヴに向かってしまいます」
「分かっている」
辟易した様子で、ジャレッド団長はスカーレン父娘に背を向けた。
「恐らく、耳聡い者たちは平民であることも含め、それを知っているのでしょう。あの令嬢が衝動的に暴言を吐いたのか、情報を理解して暴言を吐いたのかは知りませんが。彼女はイヴを第2騎士団所属とは思っていないようでした。単なる雇われ。言ってしまえば、イヴは後ろ盾のない平民風情なのです」
全くもってその通りなのに、ジャレッド団長は苛立たしげに歯軋りしている。
「ならば、後ろ盾が誰か分からせればいい」
ジャレッド団長はニヤリと、悪人さながらの笑みを浮かべた。
58
お気に入りに追加
381
あなたにおすすめの小説
家ごと異世界ライフ
ねむたん
ファンタジー
突然、自宅ごと異世界の森へと転移してしまった高校生・紬。電気や水道が使える不思議な家を拠点に、自給自足の生活を始める彼女は、個性豊かな住人たちや妖精たちと出会い、少しずつ村を発展させていく。温泉の発見や宿屋の建築、そして寡黙なドワーフとのほのかな絆――未知の世界で織りなす、笑いと癒しのスローライフファンタジー!
さようなら、わたくしの騎士様
夜桜
恋愛
騎士様からの突然の『さようなら』(婚約破棄)に辺境伯令嬢クリスは微笑んだ。
その時を待っていたのだ。
クリスは知っていた。
騎士ローウェルは裏切ると。
だから逆に『さようなら』を言い渡した。倍返しで。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
異世界に召喚されたけど間違いだからって棄てられました
ピコっぴ
ファンタジー
【異世界に召喚されましたが、間違いだったようです】
ノベルアッププラス小説大賞一次選考通過作品です
※自筆挿絵要注意⭐
表紙はhake様に頂いたファンアートです
(Twitter)https://mobile.twitter.com/hake_choco
異世界召喚などというファンタジーな経験しました。
でも、間違いだったようです。
それならさっさと帰してくれればいいのに、聖女じゃないから神殿に置いておけないって放り出されました。
誘拐同然に呼びつけておいてなんて言いぐさなの!?
あまりのひどい仕打ち!
私はどうしたらいいの……!?
[完結]いらない子と思われていた令嬢は・・・・・・
青空一夏
恋愛
私は両親の目には映らない。それは妹が生まれてから、ずっとだ。弟が生まれてからは、もう私は存在しない。
婚約者は妹を選び、両親は当然のようにそれを喜ぶ。
「取られる方が悪いんじゃないの? 魅力がないほうが負け」
妹の言葉を肯定する家族達。
そうですか・・・・・・私は邪魔者ですよね、だから私はいなくなります。
※以前投稿していたものを引き下げ、大幅に改稿したものになります。
懐かれ気質の精霊どうぶつアドバイザー
希結
ファンタジー
不思議な力を持つ精霊動物とともに生きるテスカ王国。その動物とパートナー契約を結ぶ事ができる精霊適性を持って生まれる事は、貴族にとっては一種のステータス、平民にとっては大きな出世となった。
訳ありの出生であり精霊適性のない主人公のメルは、ある特別な資質を持っていた事から、幼なじみのカインとともに春から王国精霊騎士団の所属となる。
非戦闘員として医務課に所属となったメルに聞こえてくるのは、周囲にふわふわと浮かぶ精霊動物たちの声。適性がないのに何故か声が聞こえ、会話が出来てしまう……それがメルの持つ特別な資質だったのだ。
しかも普通なら近寄りがたい存在なのに、女嫌いで有名な美男子副団長とも、ひょんな事から関わる事が増えてしまい……? 精霊動物たちからは相談事が次々と舞い込んでくるし……適性ゼロだけど、大人しくなんてしていられない! メルのもふもふ騎士団、城下町ライフ!
「私は誰に嫁ぐのでしょうか?」「僕に決まっているだろう」~魔術師メイドの契約結婚~
神田柊子
恋愛
フィーナ(23)はエイプリル伯爵家のメイド。
伯爵家当主ブラッド(35)は王立魔術院に勤める魔術師。
フィーナも魔術師だけれど、専門高等学校を事情で退学してしまったため、魔術院に勤務する資格がない。
兄が勝手に決めた結婚話から逃れるため、フィーナはずっと憧れていたブラッドと結婚することに。
「結婚しても夫婦の行為は求めない」と言われたけれど……。
大人紳士な魔術師伯爵と自己評価低い魔術師メイドの契約結婚。
※「魔術師令嬢の契約結婚」スピンオフ。キャラ被ってますが、前作を未読でも読めると思います。
-----
西洋風異世界。電気はないけど魔道具があるって感じの世界観。
魔術あり。政治的な話なし。戦いなし。転移・転生なし。
三人称。視点は予告なく変わります。
※本作は2021年11月から2024年12月まで公開していた作品を修正したものです。旧題「魔術師メイドの契約結婚」
-----
※小説家になろう様にも掲載中。
辺境伯家ののんびり発明家 ~異世界でマイペースに魔道具開発を楽しむ日々~
雪月 夜狐
ファンタジー
壮年まで生きた前世の記憶を持ちながら、気がつくと辺境伯家の三男坊として5歳の姿で異世界に転生していたエルヴィン。彼はもともと物作りが大好きな性格で、前世の知識とこの世界の魔道具技術を組み合わせて、次々とユニークな発明を生み出していく。
辺境の地で、家族や使用人たちに役立つ便利な道具や、妹のための可愛いおもちゃ、さらには人々の生活を豊かにする新しい魔道具を作り上げていくエルヴィン。やがてその才能は周囲の人々にも認められ、彼は王都や商会での取引を通じて新しい人々と出会い、仲間とともに成長していく。
しかし、彼の心にはただの「発明家」以上の夢があった。この世界で、誰も見たことがないような道具を作り、貴族としての責任を果たしながら、人々に笑顔と便利さを届けたい——そんな野望が、彼を新たな冒険へと誘う。
他作品の詳細はこちら:
『転生特典:錬金術師スキルを習得しました!』
【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/906915890】
『テイマーのんびり生活!スライムと始めるVRMMOスローライフ』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/515916186】
『ゆるり冒険VR日和 ~のんびり異世界と現実のあいだで~』
【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/166917524】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる