騎士団長のお抱え薬師

衣更月

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か弱き人の子

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 射殺さんばかりの眼光で迎えられ、馬が二の足を踏んだように思う。
 それでもあるじの指示に従って、魔王…もとい、ジャレッド団長の傍で脚を止めた。
 馬が緊張している。
 私も緊張している。
 でも、キース副団長はどこ吹く風だ。
「団長。そんな殺気立たれたら、イヴちゃんが怖がっちゃいますよ」
「あ”?」
 ヤカラがいる…。
 なのに、キース副団長は「ほら、それですよ」と朗らかに笑う。
「殺気立ってなどいない。それより、なぜ連れて来た?」
 予感的中だ。
 苛立った口調で、口角を歪めながら睨みを利かせている。
 気圧されて縮こまれば、「大丈夫だよ」とキース副団長に頭を撫でられた。瞬間、「キース!!」とジャレッド団長が咆哮した。
 びりびりと空気が震えるような圧に、馬が興奮気味に一歩二歩と後退する。キース副団長の巧みな手綱さばきがなければ、彼方へ駆け出していたかもしれない。
 やだ…怖い。
 私に向けられた怒りではないけど、怖いものは怖い。
 恐怖に顔が強張った私とは違い、キース副団長はからからと笑った。
「ほら、そんな声を荒立てるからイヴちゃんが怖がるんです」
「ぐぅ…」
「ちなみに、イヴちゃんを連れて来たのは、単なる物見遊山じゃないですよ」
「ここは危険だと言ってるんだ」
 ぎりぎりと歯軋りしながらも、ジャレッド団長が上目遣いで私をチラ見してくる。その目は、つい数秒前の凶悪さはない。むしろ、子犬が拗ねているような顔つきだ。
 最近、ジャレッド団長はちょいちょい子犬感を出す。
 裏がありそうで少し怖い。
 私が怯んでいると、キース副団長が「ふふ」と笑いを零した。
「安全でないのは承知の上です。それでも、魔法の修行をしたいのに獣人連中は誰も実験台になってくれないって嘆いたので、同行させました」
 実験台!?
 そんなこと言ってない!
 驚きでキース副団長に振り返ろうとした体は、すいっとジャレッド団長に抱え上げられていた。
 ゆっくりと下ろされた地面に、思わずへたり込んでしまう。
「どうした?また股ずれか?」
 ジャレッド団長が目の前で跪き、心配そうな顔でこちらを見るから驚く。
 最近のジャレッド団長は様子がおかしい…。
 夏の天気みたいに、ころころと機嫌が変わる。
 混乱を抱えてキース副団長を見上げれば、キース副団長は必死に笑いを殺しながら軽やかに馬から下りた。
「股ずれを起こすほど、乱暴に馬を走らせていませんよ」
 これに思い当たる節があるとばかに、ジャレッド団長は「…む」と押し黙る。
「女性というのは繊細なんです。男みたいに分厚い皮膚をしてませんしね。団長、ワイングラスを扱うように。優しく…ですよ」
 ジャレッド団長の顔は面白いくらいに百面相だ。
 まぁ、遠くから見る分には面白いのだけど、真正面で見せられるには怖くもある。
「それで、怪我人とかいませんか?」
「怪我人?」
 ジャレッド団長は眉宇を顰めて立ち上がる。
「そういえば、実験台とか言ってたな。なんだそれは?」
「魔力ですよ。魔法っていうのは、四元素属性と聖属性の5属性があるって知ってます?」
「それくらいは知ってる」
 ジャレッド団長が「バカにするな」と口角を歪めた。
「じゃあ、魔法にレベルがあるって知ってますか?」
「あ”?」
「それぞれの属性の魔法にはレベル1から4まであるんですよ。自分の属性を知った子供が、初めて習う目安です」
 キース副団長は言って、右手の人差し指を立てた。
「俺は火属性なんで、炎魔法のレベル1から見せますね」
 そう言って、人差し指の上に蝋燭くらいの火が生まれた。
「で、レベル2」
 今度はスイカくらいの炎の球が生まれた。
 それを上空に放つと、指パッチンフィンガースナップの合図で爆音を轟かせた。遅れて、空気の震えが肌に伝わってくる。
 あれでレベル2ってヤバい。
 聖属性がハズレと言われる所以が分かるというものだ…。いや、キース副団長の魔力量が違うのかもしれない。
 つまり、それは貴族を示唆する。
「レベル3になると、形状を変えられるんです。これは格段に命中率を上げられます」
 両手の中に生まれた炎の球が、長槍の形へと変化する。
 振りかぶって上空に放たれた長槍は、先ほどの火の球と比べ物にならないスピードと飛距離を見せて爆ぜた。遅れて爆音が耳に届く。
「最後はレベル4。これは数です」
 今度は炎の短槍が5本出現する。
 その熱さが、じりじりと肌に伝わる。
「あ…。ホグジラの?」
 故郷を発った日を思い出す。
 ジャレッド団長の乱暴な相乗りで気絶する前に、ホグジラに爆ぜた炎を見た。
「そうそう。でも、あれは威力を調整してる。あっちの領内でデカいのは放てないからね」
 キース副団長は言って、炎の短槍を消し去った。
「さすがに、ここでこれを放つのは問題があるので止めときます」
「レベルがあるんだな」
 と、ジャレッド団長が感心したように頷く。
「このレベルは魔力量で決まります。貴族ほど魔力量があるので、簡単にレベル4まで扱えてしまうんです。ただ、コントロールが難しいので、自爆を避けるために訓練が必要なんですけど。魔力量の低い平民の場合は、魔力量を増やすために只管レベル1と2を反復します」
「つまり経験で強引に魔力量を底上げするのか?」
「その通りです。熱血な根性論法です。ヘトヘトになるまで魔法を使って、魔力を枯渇させる。魔力が回復したら再びヘトヘトになるまで…ってのを繰り返すので、気骨稜稜な者が行う荒行です」
「……荒行」
 ジャレッド団長が眉宇を顰め、ちらりと私を見下ろす。
 見るからに「根性なさそうなガキが?」という顔つきをしている。
「それで魔力量が増えるのか?」
「貴族には遠く及びませんが、魔力量は増えますよ。正確には、潜在的に眠っている魔力を引き出せるようになるんです。ただ、貴族と平民では魔力を溜める器のサイズが違う。なので、どうしても限界点に差が出てしまう。それでもイヴちゃんは、緻密なコントロールでレベル3に達しているので見上げた根性です」
 キース副団長は笑顔で言って、座り込んだままの私に手を差し伸べた。
 その手はジャレッド団長に叩き落とされ、私はジャレッド団長に抱え上げられた。
 世に言うお姫様抱っこは、現実では治療院に運び込まれる患者くらいしか見たことがない。それが今、なぜか私の身に起こっている…。
 筋肉質の逞しい腕は安定感が抜群だけど、これは恥ずかしい!
「あ!あの!股ずれしてません!歩けます!」
「そうか」
 にこり…、と至近距離でジャレッド団長が微笑んだ。
 その笑みに、心臓がびっくりして飛び跳ねた。
 キース副団長は笑っているけど、私としては落ち着かない。
 ハラハラなのか、ソワソワなのか、ドキドキなのか…。 
 そうして丁寧に降ろされたのは、テントの中に置かれた椅子の上だ。
 演習に持参したくらいだ。クッション性ゼロの組み立て式は、やすりをかけただけの木製椅子になる。
 頑丈な事だけを追求して作られているのか、サイズも特大だ。
 私が座れば、大人用に子供が座ったみたいになった。
「あ…あの。衛生班はどこですか?」
「そんなのはいない」
 きっぱりと、ジャレッド団長が頭を振る。
 そして、つんと指さした先には簡易的な救急箱が置いてある。
「怪我をした者が自分で治療する」
「入ってるのは針と糸、消毒液、包帯、ガーゼとかだね。ポーションはないんだ。ポーションがあると、無意識に気を緩める団員が出て来るからね。てことで、俺は急いでイヴちゃんのとこに向かったんだ」
 私よりも根性論すぎる気がする。
 やっぱり獣人のことを理解するには、根掘り葉掘り質問を繰り返した方がいいのだろう。
「あの。獣人は人族とは痛みの感じ方が違ったりするんですか?」
「かなり違うよ。言ったと思うけど、獣人は痛みに強いんだ。俺は痛覚に関しては獣人である父の血を継いでるんだよ。だから、人族である母の様子を見てて大袈裟だな~と思ってた。あとから獣人と人族は感覚が違うんだって教えられたっけなぁ」
 と、キース副団長は懐かしそうに微笑む。
 とても絵になる。
「だから、あんな怪我をしていたのに付き添い人もなく治療院に来れたんですね」
 人族であれば泣き叫び、救急で運び込まれる重傷患者だ。
 なのに、キース副団長は「いてて…」と顔を顰めてやって来た。
 傷口を見て血の気が引いたのは私の方だ。
「人族は痛みに弱いよね。母は些細なことで痛がっていたよ。例えば、包丁で指を切ったとか。タオルで押さえつけていればすぐに血が止まるような怪我を大袈裟に言うんだよ。中でも紙で指を切った時は、これが一番痛いと言ってたかな」
 分かる。
 理由は分からないけど、紙で指を切ると、出血は殆どないのに刺すように痛む。
 思い出しただけで、指先がもぞもぞしてくる。
「紙…?紙で指を切るのか?」
 ぽかん、と呆けた顔が私を見下ろす。
「…はい。結構痛いんですよ、あれ」
「紙でどうやって…?」
 ジャレッド団長は目を丸め、自分の手を覗き込んだ。
 剣を振り続けたと分かる武骨で、大きな手だ。
 紙どころかナイフも刺さりそうにない…。
「獣人で紙で指を切ったことがある者はいないでしょうね。あと、草で皮膚を切る者もいそうにありませんね」
「草でも切るのか!?」
「ススキのような草です。葉の縁が、細かな鋸状になっている草で皮膚を切るんですよ。まぁ、偉そうに言って、俺も未経験ですが」
「紙に草…」
 ジャレッド団長は未知の生物を見るような目を私に向けている。
 そして、再び私の前で腰を屈めると、真剣な表情で「ここから動くな」と命じる。
「森へ入るのもダメだ。帰る時は俺が抱えるから心配するな。あと書類をめくる時は手袋をしろ。手袋は手配しておく」
 真剣な顔で言うことではない。
 心底呆れ返っている中、笑い上戸なキース副団長の大笑いだけが陽気に響いていた。
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