魔法使いの約束

衣更月

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 ひょこり、ひょこり、と松葉杖を使って歩く。
 安静と言われたけれど、じっとしているのは性分じゃない。薬のお陰か、熱も出なかったし、キリキリした痛みも鈍痛に代わっている。
 歩けないほどじゃない。
 さすがに凍った雪を張り付かせた坂を下り、初詣に行くことはできないけど、それ以外は無理のない範囲で動く分には問題がない。
 簡単な家事を済ませてマフラーを巻いて、防寒対策と包帯の保護に、厚手の靴下を2枚履きにする。スカートはウール素材のロングで、セーターの上からジャンパーを着れば完璧だ。
 祖父の草履を取り出して、ひょこり、ひょこり、と玄関を出る。
 穏やかな天気ながら、冷凍庫に入ったような寒さにぶるりと体が震える。
 日が昇ったというのに、なかなか気温が上がらない。庭木に止まったふくら雀も、暖を取るように日向で一列に並んでいるくらいだ。
 土の上を歩けば、ざく…ざく…、と霜柱が小気味好い音を立てるのだから、気温は夜明け前とほとんど変わっていないのだろう。
 頬が強張るほどの寒さだけど、霜柱は嫌いじゃない。
 ざく…ざく…、と子供じみた楽しみを堪能しながら、畑へと出た。
 目的は篁さんだ。
 篁さんは朝食後に畑に出て、白菜や大根に積もった雪を払い除け、嵐で捲れた霜除けシートを回収し、あちこちに落ちていた枝を集めていた。魔法使いらしいやり方で。
 まるでオーケストラの指揮者みたいに手を振るだけで、野菜に積もった雪が弾け落ち、木の枝に絡まった霜除けシートが舞い上がり、散った枝葉が緩やかな弧を描きながら畑の隅に集まっていた。
 魔法を使って作業するのなら、小1時間で戻って来るだろうとお茶の準備をしていたのだけど戻って来ない。
 そういうわけで、本日2度目の畑に来たものの篁さんの姿はない。
 霜除けシートは綺麗に野菜を覆い、捲れていた金柑の霜害対策テントも整えられている。
 働き者の祖父でさえ、正月は駅伝を見ながら寛いでいたというのに。篁さんには頭が下がる。
「篁さぁん!休憩しませんかぁ!」
 叫べば、畑の奥の奥。
 金柑の木々の更に奥から、がさがさと音がした。
 しばらく待っていると、寝癖に跳ねた髪がぴょこぴょこしているのが見えた。
 息が白む寒さだというのに、篁さんはモスグリーンの作業着を腕まくりし、頬を赤らめて額の汗を拭っている。ずるずると引き摺っているのは、泥だらけの何かだ。水分を吸い込んで重そうな何かは、よくよく見れば長方形マットのように見える。
 キッチンマットか、玄関マットか。
 敷地の外からゴミを拾って来られても困る。
 篁さんはずるずる、ずるずるとマットを引き摺りながら歩いて来た。
「輝ちゃん、呼んだ?」
「休憩しませんかって言ったんです」
 ため息を1つ落とす。
「それから、そのゴミはなんですか?」
「あ、これ?これはほら、俺が乗って来たカーペットだよ」
「墜落した?」
 篁さんの墜落で全壊した納屋に振り返る。
 今は、建て直しの最中だ。骨組みだけで、頼りない見てくれだけど、嵐を凌いだのだから土台がしっかりしている証拠だ。
「カーペットだけ飛んで行っちゃってね」
 気まずそうに首の後ろを掻いて、「ようやく見つけたんだ」と泥だらけのマットを見下ろす。
 篁さんはカーペットというけど、どう見てもキッチンマットか玄関マットだ。それも、篁さんが胡坐を組んで浮上すれば、姿勢を変えることすら厳しそうなサイズの…。
 たぶん、ボストンバッグを抱え、窮屈なまま飛び続けていたのだろう。
 で、力尽きて墜落した。
 想像していたアラジンには遠く及ばない。
 これでは優雅さの欠片もない。むしろ、夜逃げという言葉がぴったりだ。まぁ、夜逃げ同然に家を出たというからあながち間違いじゃないのだろう。
 篁さんはマットを足元に落とし、泥だらけの軍手をはめた手を軽やかに振った。瞬間、作業着についていた泥が落ち、濡れた袖口も乾く。
 軍手も泥が落ちて乾いている…。
 魔法使い界では普通なのかもしれないけど、何度見ても馴れることはない奇跡だ。
「このカーペットの汚れって落ちるかな?捨てるのは気が引けるんだ」
「今みたいな魔法で落ちないんですか?」
「表面の泥とか水は落とせるけど、繊維に染み込んでるのは厳しいかな」
 魔法は万能じゃないのか。
「泥汚れは意外と頑固ですよね。一晩漬け置きで落ちればいいんですけど…」
 無理っぽい気がする。
「あとでネットで調べてみますね」
「ありがとう。俺は畑があるから助かるよ」
 そう苦笑する篁さんに、空から「はぁ~」と深いため息が落ちて来た。
「どこの熟年夫婦の会話だよ…。甘さ通り越しってしょっぺぇだろうが!」
 納屋の骨組みに、翼を広げて黒が降り立った。
「で、結局おめぇらは付き合ってんのか?」
 ストレートな問いかけだ。
 篁さんを見れば、頬どころか耳まで真っ赤になっている。
「暁央、てめぇは幾つだ!」
「…28」
 ぽそ、と呟いて項垂れる姿は、どうみても28才の大人の男性には見えない。
 しかもカラスに説教されているなんてシュールすぎる。
「てか嬢ちゃん。暁央に告られたんだろ?返事はしたのか?」
「返事をしようとしたら止められたから、それっきり」
 肩を竦めれば、黒は目尻を吊り上げた。
「ガア!」と怒りの咆哮で翼を広げた姿は、鷹のように威圧感がたっぷりだ。
 そして、まるで猫みたいな俊敏さで篁さんに飛び掛かった。
「このヘタレが!」と攻撃するのは爪ではなく嘴だ。がつがつと篁さんの頭を突き、篁さんは「いて!」と悲鳴を上げては手で頭をガードする。すると今度は手を突くから、悲鳴は止まらない。
 理不尽な攻撃には怒る篁さんも、色々と思うことがあるのだろう。
 突かれるままだ。
「黒。そこまでにして。怪我をしたら大変でしょ。貴重な労働力なんだから」
「ま、そうだな」
 黒は最後のひと突きを落とすと、納屋の骨組みへと戻った。
「嬢ちゃんの足がそれじゃあ、色々とやんのは暁央しかいねぇから仕方ねぇ」
「篁さん。大丈夫ですか?カラスの嘴って、意外と太くて鋭いから…怪我してません?」
「大丈夫…。慣れてるから…」
 慣れてると言いつつも、突かれた箇所を指で撫で、血が出ていないか確認している。
 出血はしていないけど、肌が赤くなっているので、かなり強く突かれていたらしい。
「で?」
 黒が半眼で篁さんを見下ろす。
 黒が鳥ではなく人だったなら、口元を歪め、舌打ちを繰り出すチンピラみたいな表情をしているはずだ。
「てめぇは、また有耶無耶にすんのか?」
「いや」
 篁さんは頭を振ると、真一文字に口を結んだ。
 今まで見たことがない真摯な眼差しが、真っすぐに私を見る。
 ここで何が起きるのか分からないほどバカじゃない。
 何より、顔が良い…。
 いつもの無気力な目はどこにいったのか。髪は寝癖が跳ねているけど、凛とした表情はイケメンすぎて目のやり場に困ってしまう。
 ぎゅっと握った手は汗ばみ、ばくばくと跳ねる心臓から熱い血が全身に巡り頬が火照る。セーターが暑いと思うほどには、全身が上気している。
 そろり、と泳がせていた視線を向ければ、篁さんのイケメンタイム終了していた。
 真っ赤な顔を俯け、緊張に口角が引き攣っている。
「ひ、輝ちゃん!」
 張り上げた声は、上ずってひっくり返った。
 私以上に緊張しているのを見ると、不思議と肩の力が抜けていく。
 いつもの篁さんだ。
「あ…えっと…輝ちゃん」
 今度はトーンダウンして、そわそわと肩を揺らす。
「俺は人に自慢できるような趣味も特技もないし、大学だって三流出で…なんとか頑張って勤めた会社も辞めて、貯金も殆どない。夜逃げみたいに実家から逃げて………」
 そこまで言って、篁さんはしおしおと項垂れた。
「ほんと…輝ちゃんから見たら冴えないおじさんだよ…。三十路に片足突っ込んでいるしね」
 と、自虐的に笑う。
 本当に篁家の教育は凄い。
 普通なら、魔法使いであることを鼻にかけてもいいはずだ。さらにトップクラスに凄い魔法使いなのだから、厚顔不遜に育っても可笑しくはない。
 なのに、篁さんは徹底された教育で鼻が伸びる前にへし折られている。
 些か卑屈すぎるとは思うけど…。
「……俺はね。輝ちゃん助けられて、いい子だなって思ったんだ。あたたかい家庭で育ったんだろうなって。うちは血統主義で、あたたかい家庭とは程遠かったから」
 篁さんは言って、「でも」と苦笑した。
「普通は警察に通報するよね。得体の知れない男が納屋を壊してるんだから」
「まぁ、常識的に考えりゃあ小汚ねぇヤローを住まわせねぇよな~」
 黒がぐるりと目玉を回して嘆息する。
 以前にも説教されて、居た堪れない気持ちになったけど、それは今も癒えてないらしい。羞恥に頬がじわじわと熱くなってしまう。
 とても危険な行為をしたのだと反省しきりだ。
「自分で言うのもなんだけど、一人暮らしの女の子がするには危ないよね。だけど、俺はそれで救われたし、縁が出来たなと思う」
「縁…」
「一番の縁は輝ちゃんと出会えたことだ。次にやりたいことが見つかった気がする。自分でも驚いてるんだけど、農業が性に合ってるなって。キツい仕事だけど、若菜さんのところで働くのは嫌いじゃないんだ」
「土地もだろ」
 黒のぶっきら棒な言葉に、篁さんが苦笑する。
「ああ、ここは俺たちにはパワースポットだからね。毎日、嘘みたいに体調が良い」
 篁さんは微笑み、空を仰ぎ見た。
 白い雲がぽつぽつと浮かんだ青い空は、年末の悪天候が嘘のように穏やかだ。
「俺は…女の子が期待するような贅沢なことはさせてやれないけど、一生大切にする。だから…その……お試しでいいから付き合ってほしい…」
 尻すぼみに消えた告白に、私と黒は揃って目を丸めてしまった。
 プロポーズかと思った。
 まぁ、篁さんらしいといえば篁さんらしい。
 もっと自信をもてばいいのに。
 パワフルな魔法使いを差し引いても、顔が良くて、背が高い。黙って立っていれば、それこそ引く手あまただろうに、鼻にかける様子がない。
 私から見れば長所だと思うけど、黒から見れば鬱陶しいらしい。
 そわそわと足下に視線を落とす篁さんに、苦笑してしまう。
 助けてくれた時はヒーローみたいに格好良かったのに、危険が去れば萎んだ風船みたいに頼りなくなる。それが少し可愛いと思ってしまうほど、私も篁さんに好意を寄せているようだ。
「今度、絨毯に乗せてくれますか?」
「え?絨毯?」
「アラジンみたいに」
「アラジン!」
 合点がいったとばかりに篁さんが破顔する。
「お安い御用だよ。今度、2人乗りの魔法の絨毯を買いに行こう」
 耳馴染みのない言葉に思わず笑ってしまう。
「墜落はダメですよ?」
「落ちたのは空腹と睡魔で集中力が切れたからだよ。もう落ちない。協会が五月蠅いから遠くへ行くことはできないけど、近くの山のてっぺんまで飛ぼう。今の時季は寒いけど、星がキレイなんだ。流星群に間に合えばいいけど…。うんと厚着して、見に行こう」
 軍手をポケットに押し込んで、篁さんの手が恐る恐る伸びて来た。
 まるで壊れ物にでも触れるような優しいハグに、「オレっちに感謝しろよ!」と黒が得意気に叫んだ。
 確かに、黒が発破を掛けてくれたお陰だ。
 篁さんと目を合わせて、私たちは騒々しくも祝福してくれる黒に小さく笑った。
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