魔法使いの約束

衣更月

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 頭の中でサルの玩具がシンバルを打ち鳴らしている。それも1つや2つじゃない。数十個のサルの玩具が、我武者羅にガシャガシャグワングワン、シンバルを連打する。
 頭が痛い。
 きつく瞑っていた目を開けば、目の奥で線香花火のような光りがチカチカと瞬いた。ぐにゃりと視界が歪み、トランポリンの上に放り投げられたように平衡感覚が狂う。
 立っていられずに跪き、込み上げた吐き気に抗うことが出来ずに嘔吐した。
 夕食で食べた分が全て出た。出尽くしても、胃がひっくり返ったように胃液まで絞り出す。その独特の臭いと酸味が、悪循環に嘔吐を繰り返す。
 次いで、強烈な寒さに体が震え始めた。
 両腕で体を抱きしめても、痛みを伴う寒さを凌ぐことはできない。
 暗闇の中、肌を切る寒風がじわじわと体温を奪う。頭上ではごうごう、ざあざあと木々がうねる音がする。膝をついた場所は、雪を被った枯葉や枯れ枝に覆われているのだろう。ズボンの布越しに枝がちくちくと肌を刺し、じわりと布が濡れる。
 荒れ狂う風の音は聞こえても、それほど強く風を感じることがないのは、木々が防風の役を担っているからだ。そうでなければ、あっという間に体が冷え、思考を失っているはずだ。
 お陰で、体は辛くとも頭の隅っこに冷静な自分がいて、何が起きたのか考えを巡らせることが出来る。
 篁さんが、ぱちん、と指を弾いて黒を追い出していたのを思い出す。
 きっとあれに近いことが起きたのだ。
 喉に残る酸味に、何度となく噎せる。ぼろぼろと涙が零れ、鼻水も垂れた。
 死ぬかもしれない…。
 不思議と死への恐怖を覚えないのは、今いる場所の方が恐ろしいからだ。視界を奪う夜闇に、嵐の音と寒さが襲って来るのだ。
 漠然とした死のイメージより、自然の脅威の方が怖い。
 なのに、「はは」と冷笑が聞こえた。
 誰かがいると気付いて、一瞬、体の震えが止まった。寒さとは違う悪寒が全身を駆け抜ける。
「ゲーゲー、ゲーゲーと汚ねぇな」
 せせら笑う声には聞き覚えがある。
 怖ず怖ずと声のした方向へ視線を向ければ、ぽぅ…、と青白い火の玉が浮かび上がった。風に揺らぐ光りの中に、想像と寸分違わぬ顔が浮かぶ。
 こんなシチュエーションでなければ、ぱっちり二重の爽やかな風貌だ。短い髪は明るい栗色で、身長こそ平均的だけど、優等生然りとした顔貌は万人から「良い人」の評価を受けている。
 なのに、私と目が合うと歪な笑みを浮かべた。
「せ、せ…せ、んぱい…」
 がちがちと奥歯を鳴らし、鼻詰まりの声を絞り出した私に、先輩が「無様すぎだろ」と嘲る。
 見た目は先輩なのに、全く知らない人の表情をしている。
 今朝、坂まで追いかけて来た先輩も別人みたいだった。まるで、”赤ずきんちゃん”に出て来たおばあさんに化けた狼だ。
 先輩の中に、得体の知れないモノが入り込んでいる…。
 その考えに至ると、恐怖で胸の奥が悪くなる。
 ごうごうと風に唸る木々は、秘密に気付いた私を糾弾しているようだ。ざざ…、と波打つ熊笹の群生も、風に払い落される雪片も、何もかもが私を非難している。
 仕事柄、山に入ることは多いけど、こんなに怖いと思ったのは初めてだ。目の前に立つ先輩が、恐ろしさを加速させる。
「ほら、立て」
 命令されても、立ち上がる余力がない。
「立つんだよ!」
 叱責で腕を掴まれ、乱暴に引っ張られた。
 反動でつんのめって膝を打っても、先輩の口からは「愚図だな」と嘲りを向けられるだけだ。引き摺られるように、足場の悪い斜面を歩かされる。
 靴なんか履いていない。
 冬用の靴下は、すぐに冷たく濡れた。枝が足の裏を刺し、ずきずきと痛んで歩みを鈍くする。それでも先輩の歩調は変わらない。「急げよ」と舌打ちされ、木の根に躓いては力任せに腕を引っ張られて肩が痛む。
 あの時、もう少しでコートを手に取ることができたのに、それが叶わなかった。そのせいで、寒さに震えが止まらない。全身の筋肉がぎゅっと収縮したように動きを鈍らせる。
 足が止まろうとする度に、先輩が「歩け!」と怒鳴った。
 どこに向かっているのかは分からない。
「せ…先輩……も…止めて下さい……」
 ひぐ、と嗚咽が込み上げる。
「こんなことして…捕まりますよ…?」
「捕まる?俺が?」
 まるで私が面白い冗談でも言ったかのように、先輩は哄笑する。
 もう私の知る先輩ではない。
 たぶん、この状況は、私が思っているよりも危険なのだと思う。先輩が昔の後輩想いの優しい先輩ではなく、危険人物に成ってしまったと分かる。
 黒が言うヴィランだ。
 殴られるのか、監禁されるのか、それとももっと酷いことをされるのか…。
「…篁さん…」
 ぽつり、と縋る声が零れてしまう。
 まだ出会って1週間ほどなのに、会いたくて仕方ない。
「せ、先輩…ど…して…こんなこと、するんですか?」
 嗚咽に震えながら声を絞り出せば、先輩はダウンコートのポケットから杖を取り出した。
 ハリーポッターで見たような太めで、先細りの杖じゃない。指揮棒のような、菜箸のような細い杖だ。
 先輩は杖の先を私の喉元に突き付け、邪悪に口元を歪めた。
「俺は特別なんだよ、御厨」
「と…くべつ?」
「家の中にいたお前が、なんで山の中にいると思う?夢じゃない。俺がやったんだよ。分かるか?そこらのゴミには、到底真似のできない力だ」
 くつくつと喉を鳴らし、恍惚とした双眸が杖を見据える。
「愚図愚図するな」
 倒木に躓きながらも、強引に手を引かれる。
 靴下の中がぬるぬるとする。遂に血が出たのかと痛みに顔を顰める。ぐずぐず、きりきり、足の裏が引き攣ったように痛む。
「いいか!俺は俺を侮辱したお前も、あの男も許さない!どちらが上なのかを教え込んでやる!」
 ふぅ、ふぅ、と興奮に呼吸を荒くし、ぎろりと私を睨む。
「まずは御厨、お前だ!」
 田舎娘のクセに、と先輩が吐き捨てる。
 孤独で世間知らずの田舎娘は、遊ぶのにちょうど良いのだという。異変を察知する親もいなければ、相談できる友人たちも都会に出ている。狭いコミュニティーとは言え、プライベートまで踏み込む人は殆どいない。万が一、私のお腹が大きくなれば、非難を受けるのは女である私の方だ。なぜ避妊しない、警戒心が足りないのではないか、これだから親のいない子は…。そんな悪口雑言の中、相談相手のいない私は孤立するしかない、と先輩はせせら笑う。
 私なら絶対に相手が誰なのか口を割らない。
 だからこそ、遊び相手にちょうど良いと先輩は吐き捨てた。
「なのにっ」と、先輩はぎりぎりと歯軋りする。
「お前は男なんか連れ込みやがって!俺を馬鹿にした目で見下しただろうが!」
 掴まれた手首が痛む。
 顔を歪めれば、先輩が満足げに歪な笑みを浮かべる。
「まずは、あの男だ。殺しはしないけど、うっかり打ち所が悪くてってのはあるかもな」
 先輩は数メートル先の倒木に杖の先を向け、「火球ファイアボール」と聞き覚えのある単語を口にした。瞬間、杖の先にオレンジ色の炎が渦巻き、攻撃対象の倒木へと炸裂する。倒木を木っ端微塵に吹き飛ばしたり、消し炭にするほどの威力はないけど、人に当たれば良くて病院送り。悪くて葬儀場へ直行だ。
「ずっと研究して来たんだ」
 はぁ、はぁ、と呼気を荒げ、邪魔な灌木や朽木に炎を向けて薙ぎ払って行く。
 血走った双眸は力に高揚し、愉しげに私を見た。
「ガキの頃は体が弱くて、療養だと辺鄙な田舎に連れられて来られた時は最悪だと思ってたよ。けど、ここは俺を解放してくれる聖地だったんだ!体が弱かったのは、単に俺の力に体が耐えきれなかっただけだ。そこから研究して、研究して…」
 先輩は足を止め、「俺は特別になった」と冷笑を浮かべる。
 これが本性なのか…。
 なのに、記憶にある先輩は後輩想いで、面倒見が良かった。優しかった思い出が邪魔をする。いつも笑顔で、相談に乗ってくれたり、勉強をみてくれたり……何もない田舎だけど、空気が美味しくて居心地が良いと言っていたのに…。
 全てが嘘で塗り固められた仮面だったのかと思うと、悔しさで悲しくなる。
 喉の奥が震える。
 零れそうな嗚咽を堪え、目頭の熱をやり過ごそうと唇を噛んだ。
 胸の悪さを我慢し、嗚咽に抵抗しながら口を開く。
「ど…ど、うして、火を点けたんですか?」
 震えた声に、先輩は肩を竦めた。
「実験」
 事も無げに答えた。
「…放火…ですよ?い…家が…なくなったんですよ?」
「それが何?自分の力を知るには、実験を重ねるしかないよね?多少の犠牲は仕方ない。我慢してもらわなくちゃ」
 にこり。
 よく知る優しい笑顔が、「そう思うだろ?」と私の顔を覗き込む。
 怖気が走る。
 掴まれた手を捩り、なんとか抜け出そうと抵抗を強めるけど力の差は歴然だ。より強く握りしめられ、痛みに息が詰まってしまう。
 きっと痣になってる。
 それでも抵抗を止めたくはない。
 先輩が怖い。
 一緒にいたくない。
 一緒にいるくらいなら、どことも知れない山の中で遭難して凍死した方がマシだ。じゃないと、きっと後悔する。死んだ方がマシだと思う時が来る。
「ほんと、御厨は往生際が悪いよな」
 苛立った嘆息が落ちる。
 視界の隅に振り上がった手を、反射的に見てしまう。
 あ…殴られる。
 咄嗟に目を瞑ると、「目は閉じんな!」と濁声が飛んで来た。「ガァ!」と気が立った怒声が風を切り、先輩の顔に向かって飛び掛かった。
「なんだこのカラス!」
 先輩が金切り声を上げる。
 猛禽類のような鋭さはなくても、カラスには不吉や獰猛といったイメージがあるので、意外と怖い。黒はそれを利用し、翼を大きくばたつかせながらホバリングで猛攻する。
 先輩の反撃は魔法ではない。
 杖を振り回し、「クソッ!」と苛立ちで黒を叩き落とそうとしている。
 なぜ魔法を使わないのかは分からない。「鬱陶しい!」と怒声を上げ、杖を武器にしている。それに黒も気づいたのか、にんまりと愉快そうな目つきで、先輩を攻撃する。
「なんなんだ!このカラスは!」
 熱り立った先輩は、「そこで大人しくしてろ!」と私を突き離すように解放した。
 力任せに放られ、腕が捻られたように痛みが走る。覚束ない足は枯れ枝に掬われ、体が宙に投げ出された。
 斜面だ。
 運が良ければ、枯葉がクッションになり、そのまま斜面を滑り落ちて逃げられる。運が悪ければ、岩や木に頭をぶつけて終わりだ。
 もし生きてたら、足が折れていようと逃げよう…。
 スローモーションに周囲の光景が流れる。
 ごうごうと吹き荒れる風に暴れる木々。枝葉の間隙を縫って、横殴りの雪が降っている。魔法を使わせてなるものかと、攻撃の手を緩めない黒。それに苛立ち、激昂する先輩。あちこちの炭化した木々は、先輩が魔法をぶつけた残骸だ。火の手が上がらなくて良かった。
 山が燃えてしまえば、恵みの春は来ない。
 ここは自然と寄り添う町だから……。
 ほっとしたのも束の間、ぐっと奥歯を食いしばる。次に来るだろう衝撃に備え、心臓が緊張に早鐘を打った。
 なのに、息が詰まるほどの強烈な衝撃はなかった。
 どすん、と背中に鈍い痛みが走り、「うぐ」と呻き声が傍で聞こえた。
「ナ…イス…キャッチ…」
 そう言って私を両腕でキャッチしたのは、私以上にダメージを負っている篁さんだ。
 2メートル近くを落下した人間を受け止めたのだから、その衝撃は相当なものに違いない。
「ご…ごめん…お、遅くなった…」
 痛みを我慢する顔に格好がつかない台詞。
 物語のヒーローのようには決まらないけど、しっかりと抱きとめてくれた腕に、私は声を上げて泣いた。
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