神様の許嫁

衣更月

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まれびとの社(二部)

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「新は鬼なので心配はいりません」
 大神さんが言えば、神直日神も「あれでも鬼だしな~」と同意する。
 年神様が以前、鬼頭さんは鬼としては小柄で、容姿も人に近いと言っていた。でも、大神さん曰く、「残虐性や闘争本能がないだけで身体能力や体の頑丈さは鬼そのもの」だという。
 なので、結界に弾かれた衝撃の強さは分からないけど、ちょっとやそっとじゃ怪我はないだろうというのが、大神さんの見立てだ。
「結界に弾かれるってどういう感じなんですか?」
 私のイメージする結界は漫画で描かれる見えない壁みたいなもので、特定の人物以外は結界内に入れないというものだ。
 一方の神域は、異次元とか並行世界とかの方がイメージとしては近い気がする。
 鬼頭さんを弾いた結界は、分かりやすく例えるなら道切りなのだと言うけど、道切りは悪いモノが町や村に入らないように願うまじないで、私が思い描く結界とは異なる。
 そもそも道切りは習俗で、気休め程度のものでしかない。
 神様を見る目をもたない多くの人たちには、その効力を確かめる術はないけど、私の目は違う。あの雨の中、荒魂こどもに追いかけられた恐怖は、忘れることはない。
 アレは道切りを設置された中を、なんのダメージも負わずに追って来ていた。
 だから断言できる。
 道切りは、実際に何かを弾く作用はない。
「道切りだと鬼を退けるような効果はないですよね?」
「今はそうだね。昔は、陰陽師や修験者と言ったそこそこ力のある人間がいてね。そのような人間が力を込めた呪いは、ある程度の穢れを祓うことはできたんだよ。現代の結界は、道切りも含めてだけど、飾りのようなものかな。それでも、不浄を祓おうとする人間の心の根幹には神に縋る信仰心が宿っているからね。道切りを目にした神は、信仰心に応じて何かしらの力を籠めたりするんだよ。加護とは言えない、小さな力だけどね」
 それは凄い。
 もしかすると、神籟町に急遽設置された道切りには、須久奈様や年神様、神直日神のささやかな力が宿っているのかもしれない。
 期待を込めて目を輝かせると、年神様は「ちなみに」と苦笑する。
「神籟町の道切りは単なる飾りだね」
「え?」
「あのな~必要がねぇだろ。須久奈が住んで、俺たちがうろついてるんだ。そんな土地の道切りに、通りすがりのモブが力なんて注げるわけねぇだろ?喧嘩売ってんのかって話」
 神直日神が言うと、なんだか縄張りを主張するチンピラみたいだ。
「んで、結界に弾かれるってのは、俺は経験がないが、弾かれたやつは見たことがある。大型ダンプに正面から撥ね飛ばされた感じだな。弱いやつなら消滅。そこそこ強いやつなら瀕死。鬼なら打撲ていどか…」
 それは人なら即死ケースだ。
 何も知らずに踏み入ったけど、考えると恐ろしさに震えがおきる。
「偏に結界といっても、作用は作り手によるんだよ。例えば、直日が張った結界ならば、相手の力量に関係なく、禍が触れただけで正される。つまり、消滅だね。私が張れば、結界指定した場所が認識されなくなる。ここは薄い靄が結界侵入者を知覚して、異物を弾いているって感じかな。あとは現実とは異なる空間操作されているようだね」
 神直日神の結界は、禍を正す神様という性質によるところかな。
 年神様の結界は、なんとも平和な気がする。
 この靄はおどろおどろしいホラー演出じゃなくて、赤外線センサーのような検知機能があるというのには驚いた。しかも、空間操作されているらしい。
 山の中なのに、斜面もなく延々と熊笹の群生が続いているから不思議に思っていたけど、年神様の説明で腑に落ちた。
「須久奈様の結界はどうなるんですか?」
「き気分だ。年神のように認識阻害にしたり…触れると消滅するようにしたり…た単に壁のようにしたりする」
 気のせいか、神直日神と須久奈様で”消滅”の意味合いが異なって聞こえる。
「あの…今更ですけど、鬼頭さんは大丈夫ですよね?今回の結界は、消滅とかはないですよね?」
「それはないから安心していいよ。今回は弾き飛ばされる類だと思うからね」
「大型ダンプで撥ねられることを安心していいとは言いませんよ?」
「鬼頭くんなら、今頃は安堵していると思うよ」
 年神様が朗らかに笑う。
「いやいや。小心者ビビりの鬼は、今頃は結界に阻まれた意味を理解して腰を抜かしてる頃だろ~。一歩間違えばミンチだったってな」
 鬼頭さんが不憫すぎる。
 眉間に皺が寄ってしまった私に、須久奈様が何を勘違いしたのか、「し心配ない」と唇を寄せる。
 ちゅ、ちゅ、ちゅ、と頭頂部に落ちてくるキスは、少しだけ鬱陶しい。
「い、一花にはおおお俺がいるからな…」
 ハァハァと息を荒げ、頬を染めつつ須久奈様の両腕が私の体を掬い上げた。
 急なことに驚き、須久奈様に目を向ければ、ニタァとストーカーじみた笑みを浮かべている。
 せっかく目と鼻の先にある美貌なのに、トキメキとは無縁の残念な笑顔だ。
「新のことは心配ありませんので先に進みましょう」
 大神さんが言って、ほんの少しの休憩は終わった。
「んじゃ行くか~」と、神直日神が大神さんと一緒に藪を足で薙ぎながら歩きだす。
 続くのは年神様で、私と須久奈様が殿だ。
 途切れることのない熊笹の群生を奥へと進むに従い、腹の底がぞわぞわするような不安が蠢く。
 須久奈様に抱っこされているのに、空気が張り詰めて息苦しさが募る。気合いで押し込めた恐怖心が、ぞわぞわと喉を迫り上がってくる感覚に悲鳴を上げたくなる。
 神直日神が周囲の靄を祓ってくれたのに、さらに濃い気配が神直日神の祓いを上書きしているように感じる。
「くせぇな」と言ったのは神直日神だ。
 年神様もぴょこぴょこ跳ねた髪を揺らしながら、「瘴気だね」と周囲を探っている。
 それは須久奈様も同じだ。もっさりと鬱陶しい前髪に隠れた双眸が、じっと何かを窺うように右に左にと視線を走らせている。
 息を呑みつつ、私もくんくんと周囲のニオイを嗅いでみるけど、想像するような悪臭はない。ただ、噎せ返るような杉の香りの中に、微かな臭気を感じた。
 例えるなら水が腐ったような……流れが堰き止められ、水面に油膜を漂わせた濁りきった水路の臭い。
「直日」
 須久奈様の声に、「うぃ~」と神直日神が手を振るのが見えた。
 途端に、張り詰めた空気が和らぎ、微かな臭気も遠ざかる。不思議と、パニック寸前の恐怖心も治まった。
 やっぱり神直日神の祓いはすごい。
 その偉大さに触れて、そっと手を合わせて拝んでしまった。前を歩くのは年神様なので、年神様の背中を拝んでいるような形ではあるけど、気持ちは神直日神への参拝だ。
「鳥居がありますね」
 大神さんの声に、思わず首を伸ばして鳥居を探す。
 落ちないように須久奈様の首に腕を回して、少しだけ腰を浮かせてみれば、太さが不揃い丸太を組み合わせて作った苔生した鳥居が見えた。
 完全な素人作。
 樹皮を剥がし、枝を切り落としただけの不格好な丸太だ。両端の太さも違うし、枝を切り落とした場所が凸となっている。
 かなりの年数が経っているようで、苔の上からもあちこちに罅割れが確認でき、特に地面に近い場所は腐ってキノコが生えている。
 そもそもが柱も島木も微妙に傾いでいて、非常にバランスが悪い。
 近くで見れば錆びた五寸釘の頭が出ているし、錆びた針金が巻き付いている。
 うろ覚えな知識では、鳥居は釘を用いなかったと思う。
 昔からあるような神社自体が、熟練の宮大工の手により、釘を使わずに建てたようなことをテレビで見たことがある。
 つまりコレは、大工技量のない人が丸太を組み合わせ、なんとか鳥居の形を取り繕うべく釘を打ち付け、針金で補強して完成させた鳥居だ。
 丸太の腐敗具合や苔、錆びた釘と針金を見る限り、少なくとも十年以上前に建てられたように見える。
 1つ言えるのは、とても禍々しい。
「さしずめ、アレが社殿のつもりか~?」
 神直日神の言うアレは、否が応でも視界に入る。
 無視したくても無視できない。打ち捨てられた小屋は社殿の体をなしていないけど、鳥居もどきがあるのだから、アレが社殿だろうという推測にすぎない。
 要は第2の”もどき”だ。
 周囲には社殿もどき以外の建物はなく、小さな祠も神籬ひもろぎと成り得る大木も大岩もない。
 社殿もどきの大きさは神籟町の公民館の半分くらい。鳥居もどき同様に手作り感があるものの、ちゃんと水平器を使い、メジャーで測り、プロがカットした材木を使用している。
 屋根は瓦や材木ではなくトタン。いや、鋼板かな。
 風雨に晒されて壁は黒ずみ、蔓草が這い回っているけど、どこにも崩落した形跡がないので、鳥居もどきとは違う人が建てたのかもしれない。
 大神さんも同じ意見らしい。
「ここから見る限り、鈴緒を吊るした形跡もないので、元々は山の持ち主の作業小屋だったのかもしれません。それを利用し、あとから鳥居を作ったのではないでしょうか?」
 大神さんの言う通り、鈴も賽銭箱もないので、そもそもの用途が山小屋なんだと思う。
 外観は小屋だけど、中に入れば祭壇などがあるのかもしれない。それはとても神様を祀るような清浄なものではなく、映画で見るような悪魔崇拝者の祭壇みたいなイメージが湧く。
 想像だけで怖い。
 そわそわと視線を巡らせて、些細な違和感に気が付いた。
 引き戸だ。
 蔀戸しとみどには板を打ち付けて開けられないようにしてあるのに対し、引き戸は施錠のためつけられた南京錠が掛け金ツルをロックされずに外れた状態でぶら下がっている。
 違和感の正体だ。
 蔀戸は塞がれているのに、引き戸の南京錠は開かれているなんて…。
 思わず須久奈様の首に回した腕に力を込めてしまった。うっかり首を締め上げたというのに、須久奈様は「へへへ…」と気持ち悪い声で笑う。
「ももももっと…抱き着いていいぞ」
 そう言われて抱き着く趣味はない。
 そっと腕を解いて、胸の前で手を組んでおく。
 須久奈様はむっと唇を尖らせた後、なぜか私の頬に唇を落とした。
 鬱陶しいし恥ずかしい。両手でぐいっと須久奈様の顔を押しのけていると、ぎし、と音がした。視線を向ければ、「この鳥居は危険ですね」と大神さんが鳥居もどきの柱に手を添えている。
「そういやぁ、ここ数年。人間が”廃神社”って言葉を作り出したよな。見てくれが、まさにって感じだな」
「廃神社ってなんですか?」
 思わず質問すると、神直日神が肩を竦めて「オカルト」と答えてくれる。
「要は打ち捨てられた神社だよ。廃社。実際は、誰かしら管理者がいるんだろうけどな~。廃屋にしてもそうだろ?心霊スポットなんって言われてても、誰かしら管理者はいる。神社なんてものは特に厳しいんじゃねぇか?知らんけど」
「神社というのは御神体を奉っています。廃村の神社であっても、必ず管理者が存在します。近隣の神社の宮司や市町村ですね。管理が難しければ、遷座せんざを行います。遷座というのは、神様の引っ越しのことです。移転して、合祀するんです。なので、廃棄された神社というのはありません。それでも遷座しただけで、神社そのものの解体費用がなく、そのまま放置された山間のやしろなどが、面白おかしく心霊スポットになっているのでしょう。まぁ、それでも管理者はいますが。ただ、個人宅や企業が祀る社に関しては、廃社というのが当てはまるかもしれませんね。”管理を放棄された空き家に社があるのですが…”という依頼が、時折舞い込みますよ」
「神社とは違って、個々で所有する社は、何が祀られているか分からないから厄介そうだね」
「一花んとこみたいに、見える人間は珍しいからな~。なんでもかんでも祀ってる分、廃神社よりヤバそうだな」
 神直日神はからからと笑い、大神さんが苦虫を噛み潰したような顔になった。
 きっとヤバかった案件に心当たりがあるのだろう。
「神直日神様はオカルトとか心霊スポットとか詳しそうですね。神様って、そういうのに興味なさそうなのに」
「暇潰し。そういうとこに来た莫迦な人間をからかうのが面白いんだよ~」
 なんてタチが悪い!
 その場に居合わせた人たちは、トラウマ級の恐怖を味わったに違いない。
 まぁ、安易に肝試しに行くのもどうかと思うけど…。
「ここは、幸輝くんが言っていた廃村の村人が作った神社なのかもしれないね。奉っていたモノを放置したままの廃社と言えるんじゃないかい?」
 年神様が朗らかに恐ろしいことを言う。
「だな」
 神直日神は頷き、げし、と鳥居もどきの柱を蹴った。
 躊躇はなかった。
 神様の一蹴りに、腐れた柱は持ち堪えられない。ぱらぱらと木片が散ったかと思えば、ドシャ、と鳥居もどきの半分が崩れ落ちた。
 神直日神の蹴りを免れた反対側の柱は、島木に引っ張られるようにして斜めに傾いでいる。
「お。しぶとい」
 トドメの一撃で、無事だった柱も崩れ落ちた。
 もどきとはいえ鳥居の形を成したものを蹴り崩すなんて、さすが神様だと思う。例え無神論者だと豪語する人でも、深層心理に祟りに畏怖を覚えるものなので、鳥居の形を成したものを足蹴にすることはできない。それをいとも簡単に蹴り壊したのだ。
 ザザン、と草むらに鳥居もどきが倒れた瞬間、肌が粟立つような澱んだ空気が溢れ出した。
 まるでダムの決壊だ。
 あの不格好な鳥居もどきがダムの役割を果たしていたとは思えないけど、澱んだ空気が溢れたのは事実。悍ましさに前身の毛が逆立ち、慌てて須久奈様の首に腕を回して抱き着く。大神さんも柳眉を顰め、何かから口元を庇うように左腕で鼻と口をカードしている。平然としているのは3柱だけだ。
「直日」
 年神様の叱責に、神直日神が口角を歪めた。
 面倒くさそうに頭の上で手を振れば、周囲の穢れが浄化される。浄化されたのは私たちの周りだけで、全体がきれいになったわけじゃない。
 靄と一緒で、私たちの周囲から追いやられただけだ。
 結果、薄っすらとした靄が穢れを纏い、灰色がかっている。まるで焚火の煙が行き場をなくして漂っているように見える。
「直日は、あれを全部浄化するんだよ?麓の川もね」
「えぇ~なんでだよ。めんどくせぇ」
「あれが人里に垂れ込めると駄目だからだよ」
「川は違うだろ~」
「穢れが溶け込んで笹船が流れてただろう?ああいうのが流れているから、何某という男のような人間が引っかかるんだよ。これも直日神としての仕事だね」
 苦笑する年神様に、神直日神は渋面を作っている。
「川守村は浄化したんだろう?」
「………どう…だったかな?」
 肩を震わせて動揺した口調に、年神様だけでなく須久奈様まで嘆息した。
「直日」
 年神様の穏やかながらに有無を言わせない口調に、神直日神は「分かったよ!」と叫んで、げしげしと鳥居もどきを蹴り飛ばす。
 とんでもない八つ当たりだ。
「一花ちゃんは、須久奈と一緒にいても大丈夫だよ。見届け人であるだけで大丈夫だと思うからね」
 年神様に言われなくとも、須久奈様から離れるという選択肢はない。
 私がかくかく頷くのを見て、大神さんが「望海を帰して良かったです」と肩を竦める。
 それほどの酷い瘴気が、この奥に渦巻いているのだろう。年神様が「絶対に須久奈から離れちゃ駄目だからね」と念押ししてくる。
「イチ人間に高御産巣日神様もハードなミッションをつきつけるよな~」
「一花ちゃんにとっては、とんだとばっちりだね」
 年神様の苦笑を孕んだ口調に、私は大きく頷いた。
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