神様の許嫁

衣更月

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まれびとの社(二部)

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 どん、どん、どどん、と遠くで太鼓の音がする。
 盆踊りの太鼓だ。
 神籟町の盆踊りは、太鼓や台座を抱えて初盆を迎えた家々を巡る。庭があれば、庭の中央に太鼓を据え、庭がなければ近場の公園や広場で行われる。家主は、盆踊りの実行委員会に酒と軽食を振舞い、踊りに来てくれた子供たちにお菓子を配る。当たりは有名メーカーのスナック菓子、外れは初見の謎のお菓子…らしい。
 ”らしい”というのは、行ったことがないから。
 盆踊りは夜の6時半開始なので、私たちは出歩くことが出来ない。納得するのは難しい。なにしろ、夏の6時半はまだ明るい。町が山の影に隠れても、空にはほんのり赤みがかった藍白色の空が見える時刻だ。文句の1つ2つ出るというものだ。
 それでも神様が許可しないという理由で、盆踊りは祖父母の2回だけしか参加したことがない。 
 毎年、父や誓志が揃いの浴衣を着て手伝いに行くのを、羨ましく見送っていた。
 そして、盆が終わった翌日から始まる夏祭りも、昼間に仕込み作業に勤しむ屋台を見て回るくらいだ。花火は打ち上がらない。小さなお祭りだけど、娯楽の少ない田舎町では大入満員の一大イベントに違いない。
 実につまらない。
 網戸に止まったカナブンを指で弾き飛ばし、「盆踊り行ってみたい~」と不満を口にすれば、すかさず「ダメよ」と叱責が飛んで来る。
「最初の30分くらい良さそうなのにな」
「外が明るくても、山の影に入ってると境界が曖昧になって危ないと言われてるの。そういう時は、急いで帰らなきゃダメ」
 百花は緩く頭を振って、竹籠バッグから水筒を取り出す。
 からころ、と水筒の中の氷が涼やかな音を立てる。紙コップに注ぐお茶の色は鮮やかな緑色だ。
「日本茶?」
「抹茶入りの緑茶よ。水出しにしてあるの」
 百花は言って、静かに立ち上がると、足音も静かに須久奈様の前で膝を折った。
「須久奈様。お口に合うか分かりませんが、お茶をご用意しました」
 百花は律儀だ。
 巧みに須久奈様の顔から視線を外し、丁寧に頭を下げている。水出しの緑茶にしたって、我が家では作ったことはない。緑茶は熱いのオンリーだ。きっと、須久奈様用に買って来たのだろう。公民館の給湯室で淹れるより、手軽で美味しいはずだ。
 須久奈様は頷き、紙コップを手にすると、しげしげとお茶を見る。
 冷たい緑茶と初対面っぽい。
 すんすん、とニオイを嗅いだ後にひと口飲んで、「…気に入った」と口元を綻ばせた。
 これに百花は安堵し、頭を上げ、須久奈様の前から下がる。
「盆踊りに行ったら、幽霊を見たりするのかな?」
「幽霊?」
 百花が虚を衝をつかれたように、ぱちくりと瞬きを繰り返す。
「神様を見る目をもつのは一握りで、一番多いのが幽霊を見る…霊感がある人たちでしょ?だったら、幽霊が見えても不思議じゃないかなって。百花ちゃんは見たことある?」
「ん…ないわ。たぶん、幽霊は見えないんじゃないかしら?」
「どうして?」
「もし見えるのが前提なら、お祖母さんたちが会いに来てるでしょ?須久奈様についてや、久瀬家の歴史をしたためた記録も必要なくなるわ。ご先祖様が指導してくれればいいんだから」
「まぁ…確かに。うちは古いしね」
 別に幽霊が見たいわけじゃない。
 妖怪が見えるなら、幽霊も見えるのか興味があっただけだ。
 まぁ、妖怪を見たのかも怪しい。
 何しろ、私も百花も神籟町から一歩も出たことがないわけじゃない。キャンプは欠席しても、遠足や修学旅行で市外や他県へ行ったことがある。それでも見たことがないのだから、百花が言う通り、神様しか見えないのだろう。
「い…一花たちは、ちゃんと見てる…」
「え?」と、私と百花ちゃんの声がハモる。
「ただ…い、生きてる人間と区別がついていないだけだ…。何より…現世うつしよにいる亡者は、何かしらの枷があるモノどもだ」
「えっと…未練があるとか、そんな人たちですか?」
「そう…」と、須久奈様は頷く。
「そんなに先祖に会いたいなら、須久奈に頼めばいい」
 笑みを孕んだ声に頭を上げれば、網戸越しに白い顔が浮かんでいる。
「ぎゃ!!」
 色気なしの悲鳴でひっくり返った私を抱きとめたのは須久奈様だ。片手で私を抱きしめ、もう片手に持った紙コップの中身を、網戸に向かって浴びせた。
 慌てて零したのではなく、悪意をもって浴びせたのだ。
 そして、ぴしゃりと窓を閉め、鍵をかけた。
「い、一花…大丈夫か?」
「…大丈夫です…。けど、今のは…?」
 急なことで驚いてしまったけど、須久奈様の名前を出していた。
「神様…じゃないですか?今の…。須久奈って言いましたよ?」
 ゆっくりと須久奈様から体を離し、須久奈様を見上げれば、須久奈様はふいっと顔を背けた。
 百花は青い顔で、須久奈様と閉じられた窓を交互に見ている。
 どん、どん、と太鼓の音だけが聞こえる。しんと静まった公民館は、ホラー映画の舞台に指定されたように息苦しさが募る。
「一花ちゃん……外にいたのは…神様?知っている神様?」
「ごめん…。いきなり声をかけられたから、顔が分かんない。でも、須久奈様の名前を出したから…。年神様とか神直日神様じゃないのは確か。声が違った」
 お通夜のような空気の中、からからから…、と玄関戸が開いたのが聞こえた。
 恐怖に肩が跳ね上がる。
 須久奈様に抱きつこうとした手は、コンマ数秒でそれが危険行為だと弾き出した。
 やらかしたのは須久奈様なのだ。須久奈様と一緒にいたら流れ弾を喰らうぞ、と頭の中で警報音が鳴り響く。
 急いで百花の傍に駆け寄り、2人で部屋の隅っこで身を縮める。
 戸が閉まり、靴を脱いで上がり框に足をかけた音がした。ぎし、ぎし、と床板を踏みしめ、襖の前で足音が止まった。
 須久奈様を見れば、根暗コミュ障の顔つきからチンピラみたいな兇悪顔に変貌している。
 生温い扇風機の風が、今では凍えるほど寒い。百花と抱き合う体も小刻みに震え、互いに失神寸前の顔色だ。
 こういう時は神様に祈るけど、毎回、私を恐怖のどん底に陥れるのは神様なのだ。
 すすす、と襖が開くと、長身の男性が立っている。身長は鴨居より少し高いので、180cmとちょっと。
 公民館は昭和の建物なので、鴨居が180cmと低い。
 白い顔が浮いているように見えたのは、肌の白さとダークスーツが要因だろう。そのスーツが飛沫を浴びて濡れている。
「あ…」
 見知った顔に、声が出た。
「高木さ……高木神様」
「やぁ、一花ちゃん。こんばんは」
 大人の色香を惜しげもなく振り撒きながらも、その腕は素早く須久奈様の腕を掴んだ。かと思った瞬間には、須久奈様にヘッドロックを決めている。
「何しに来た!」「ふざけるな!」「離せ!」「死ね!」という暴言を飛ばす須久奈様を見ると、まるで子供の反抗期だ。
 あの須久奈様の全力の抵抗を、高木神様は笑顔でなしている。
 ヘッドロックは緩まない。
 むしろ、抵抗すれば抵抗するほど締め上げているので、反撃の隙がない。
 さらに、須久奈様が発する怒りオーラを中和するように、辺りの恐ろし気な空気が浄化する。
 普通、そんな御業を目撃すれば、感嘆するのかもしれない。
 だが、私たちは違う。
 須久奈様の畏ろしさを知るだけに、それを凌駕する力は恐怖でしかないのだ。気絶してしまえたら、どれほど楽だろうか。
 がたがたと震える私たちに、高木神様は嘆息し、須久奈様の後頭部を引っ叩いた。
「図体ばかり大きくなって、情けないばかりだ」
「ふっ、ふざけるな!」
「外に出て来るようになったと聞いて見に来れば、中身は変わっていない。これを情けないと言わずに、何を情けないと言う?」 
 もう一発、今度は握り拳が須久奈様の頭を殴った。
 鈍い音と、「ぐふ」と聞いたこともないような呻き声がした。
「2人とも。そんなに怯えなくてもいい。私は、コレの父親でね」
 にこりと微笑んだ高木神様に、私と百花ちゃんは揃って絶叫した。
 須久奈様は木の股から産まれたわけじゃなかったらしい…。
 高木神様は嘆息し、「須久奈」と諫めるように須久奈様を見下ろす。
「私がどれほどアレ・・に苦心しているか分かるかい?一応、責任を感じているんだ。だから、あの手この手で妨害している」
「恩着せがましい…!そもそも…見つかるわけがない!」
「なぜ?神直日神ですら見つけられたのに。さらに言ってしまえば、お前が行方を眩ませた以降も宇迦之御魂神と年神は所在を知っていただろ?口を噤んでいたのは善意だ。いや、お前を敵に回したくはないというくらいには、打算があったのかもしれないが」
 高木神様は「ふふ」と笑い、須久奈様のヘッドロックを解いた。と見せかけてからの背負い投げだ。
 ばたん!と激しい音を立て、硬い床に須久奈様は仰向けで倒れた。乱れた前髪から露わになった美貌は、目を見開き、口を半開きにした間抜け面だ。
 せっかくのイケメンが台無しである。
「次ぎ、私に無礼を働いたら許さないよ」
 穏やかな笑顔が、これほど恐ろしいと思えるシチュエーションはない。
 百花と一緒に顔面蒼白になって、赤子の手をひねるようにあしらわれた須久奈様を見つめる。
「さて、まずは挨拶かな」
 高木神様は私たちの向かいに腰を下ろし、濡れたスーツを軽く撫でた。途端、スーツに染み込んだお茶が円い水滴となって宙に浮く。
 高木神様が手を払うと、その水滴は消え失せた。
 そんな御業は見たことがない。
 須久奈様だって、濡れたらタオルを使って拭いている。
 がくがくと震えながら、私たちは居住まいを正した。頭からは尋常じゃない汗が吹き出し、喉はからからに乾いている。
 畏怖の念はない。
 穏やかに接してくれているのが分かる。私たちが勝手に緊張を恐怖に置き換えているのだ。
「一花ちゃんは資料館で会ったね」
「は…はい。あ、あ、あ、改めまして…く、く、久瀬…一花です」
 平伏する勢いで頭を下げる。
「も、申し遅れました。わたくしは一花の姉…久瀬百花と申します」
 隣で、百花も平伏する。
「私の名は高木と言う。まぁ、それは別名だ。こっちで名乗るに丁度良い響きだろう?真の名は、高御産巣日神たかみむすびのかみと言う」
 タカミムスビ…?
 まるで力士みたいな名前だ。
 なんの神様か分からず、平伏したまま百花を盗み見る。
 百花は正体を察したのか顔面蒼白だ。床に尋常じゃないくらいに汗が滴り落ちている。
天地開闢てんちかいびゃくの折、3柱が産まれたのだよ」
 私が理解していないと分かったのか、高木神様は苦笑と共に説明を始めた。
「その3柱は、後に産まれた2柱と共に別天津神ことあまつかみと呼ばれるのだが…。まぁ、分かりやすく言えば、創造神だ。最初に産まれた神は全能で、2番目に産まれた神が天を創り、3番目に産まれた神が地を創った」
 その説明に、心臓が早鐘を打つ。
 得体の知れない恐怖に脂汗を吹き出しながら頭を上げれば、高木神様は「それで」と喜色満面と私を見下ろす。
「私は2番目に産まれたのだよ」
「ひゅ」と喉が鳴った。
 今をおいて卒倒する場面は早々巡って来ないというのに、私の図太い神経はそれを許してくれない。
 かちかちと奥歯が鳴り、手足の先がひんりと冷たくなる。
 神は祟ると言うけど、高木神様の怒りに触れれば、疫病どころか天が落ちて来て世界が終わるんじゃないだろうか…。
「いい加減にしろっ!」
 高木神様を遮るように、す、と私たちの前に須久奈様が腰を落とした。
「何が目的だ」
「目的か…。色々あるが、まずはお前の許嫁とやらを見に来たんだよ」
「見ただろ…。帰れ。失せろ。二度と姿を現すな。そして死ね」
「私を邪険に扱っていいのかい?私が手ぶらで帰れば、別天津神の誰かが来ることになるよ?何しろ、みんな暇を持て余しているからね」
 神様の…それもトップの神様たちの玩具になるのは嫌だ。
 想像だけで胃が痙攣して、夕飯に食べたハンバーグが込み上げて来る。
 須久奈様もそれは嫌なのか、「うぐ…」と押し黙った。
 それもそうだ。別天津神の誰か・・なのだ。下手をしたら全能の神様が降臨するかもしれない。
「どんな人間かと思ったが、実に興味深い。私たちを見る目を持ちながら、真っすぐにこちらを見て話すのだからね。これまでも、神を見る目を持つ人間を見てきたが、誰も彼も似通った者たちだった。目を伏せ、顔を背け、当たり障りのない受け応えをする。実に退屈な問答ばかりだったというのに」
 ふふ、と高木神様が笑う。
「真っすぐに私を見ながら、けれど不敬に当たらない応答は、彼女の美点とも言うべきところだろうね。だが、同時にそれは警戒心が希薄で、危険な様相でもある。悪しきモノに攫われるという意味でね」
「だから俺がいる!守ってる!」
「守れてないだろ?資料館で私と接触を許しておいて、それに気づかなかったんだから」
「……………うるさい」
 反論の声が弱々しく消える。
「ああ、私と会う前に、彼女の目は危ういモノを見ていたのだったかな。祟られ、死にかけたと言い直すべきか」
 トドメとばかりの指摘に、遂に須久奈様は沈黙した。
 私の心は絶望だ。何度も注意されていたのだ。目を見るな、と。なのに、染み付いた癖は直ることなく、真正面から相手を見てしまう。慌てて逸らしたところで、目が合った後では手遅れなことが多い。
「せっかく愚息が表に出て来たんだ。彼女を使わない手はない。ということで、彼女に宿題を出したんだ」
「しゅ…宿題?」
 ぽつりと零れた呟きに、高木神様は「パネルだよ」と答えてくれた。
「か、川守村…でしょうか?」
「一花ちゃんの周りは、なぜか神が集っている。案の定、神直日神が喰いついた。次いで、年神が動いた。そうなれば、須久奈も引きこもっている訳にはいかない。何しろ、今まで神籟町を覆っていた神の威光・・・・が薄れ、妖怪が姿を現し始めたのだから」
「まさか!お前が手を回してるのか!?」
 須久奈様が威嚇に声を荒立てる。
「いいや。私は何もしていないよ。原因は先日の台風だ」
 7月の終わりに直撃した台風8号だ。
 大型台風とは言われていなかったけど、とにかく雨が酷かった。線状降水帯というのが原因らしく、警報級の雨が各地の河川を増水させた。氾濫した地域もあった。
 幸運にも、神籟町に被害は出ていない。
 強いて言えば、川の水位が下がった後、上流から流れて来た木々やゴミの撤去に苦労したくらいだろう。
 台風が去っても、連日のゲリラ豪雨で、未だに川の濁りはとれていない。
「嵐くらいで…俺の効力が消えると思っているのか?」
「そうじゃない。昔の遺物が土砂の中から流れ出たのだよ」
 昔の遺物…。
 埴輪や古銭ようなイメージを頭に浮かべていると、「まさか”忌み物”…か」と須久奈様が歯軋りした。背中からでも、苛立った顔つきをしているのが分かる。
「最上級の忌み物だよ」
 からからと高木神様が笑う。
「ただ、それがどれほどの物なのか、正体が掴めない。それで、一花ちゃんだ」
「ふざけるな!」
「ふざけてはいないよ。私たちが触れるには抵抗がある穢れも、人間である彼女には然して問題はない。忌み物を回収するのは、人間が適しているのは周知の事実だ」
「抵抗があるだけで…触れないわけじゃない」
 むすり、と須久奈様が返せば、高木神様も「そうだね」と同意する。
「直日神は禍を正す神だから、穢れに対しても抵抗は少ないだろう。他にも忌み物をコレクションする物好きも少なからずいる。それでも、神が人間と縁を結ぶ理由は、何かしらの利点があるからだ。その1つが、忌み物の回収だよ」
「違う!!」
 怒声を張り上げ、須久奈様の手が私の手首を掴んだ。ぐいっと引っ張られれば、か弱い私は抵抗する間もなく須久奈様の膝の上に倒れ込む。
 神様VS神様…の間に引っ張り込まれ、胃がひっくり返りそうになった。かちこちに固まった私に代わり、百花が「一花ちゃん!」と引き攣った悲鳴を漏らす。
「いっ、一花を道具扱いするな!」
 ぎゅっと抱きしめられる。
 ドラマや映画で見るような、恋人たちの甘い抱擁ではない。
 危険から身を守る、スリリングな中にあるドラマチックなものでもない。
 ”道具扱いするな”と言った口で、人形を抱きしめているような乱暴な力技だ。苦しさに呻いても、須久奈様の力の前には無抵抗に等しい。
 怪力にもほどがある…!
「須久奈。力を緩めなさい。己の腕の中で、許嫁を圧死させるつもりがないのならね」
「い…一花!…わ、悪い…」
 慌てて腕の力を緩めてくれたけど、酸欠に陥った私は須久奈様の焦燥を見ることなく意識を手放した。
 人生初の気絶だった…。
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