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まれびとの社(二部)
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ザバザバと水路の水が暴れ狂っている。
網状の鉄製側溝蓋の周囲には、一応の保険なのだろう。土嚢で囲ってある。その土嚢が飛沫に濡れているのだから、流れの激しさに恐ろしさを覚える。
水路でこれだ。
川はどうなのかと気に掛ければ、水位に大きな変化はないらしい。ただ、いつ鉄砲水が起きるか知れない濁流だという。
これらの原因は、夏の定番になりつつあるゲリラ豪雨だ。
山裾に沿って移動する雨柱が、連日続いているのだ。上流で起こる雷雨は、川を濁らせ暴れさせる。
それを不安に見ているのは、梅雨末期の大雨で甚大な被害を被った経験がある地元民だ。この時季は神経質な視線を、川や水路に向けている。
一方、観光客は「水嵩があって逆に涼しいかも」「さすがに魚はいないか」と暢気に水路を覗き込み、朗らかに笑っている。
その様子を、竹製の縁台に座って眺めること1分。
ため息が止まらない。
「どうした?今日は暗いじゃない?」
ごくり、とラムネを飲んで、「悩みがあるなら相談に乗るよ」と肩を竦めたのは幼馴染の田邊知里だ。
知里の家も、うちと同じ。古くから味噌醤油の醸造所を営んでいるので、似通った悩みは尽きることがない。
それでも、全部が同じ悩みを持つ同士という訳じゃなく、決定的に違うことがある。
田邊家に神様はいない。
私は手にした紙カップに入ったイチゴのかき氷に視線を落とす。
縁日で売られているような見てくれだけど、氷は雪のようにふんわりしていて、自家製シロップにはイチゴの果肉がごろごろと入っている。観光客にも人気のかき氷でもある。
しゃくしゃく、とプラスチックのスプーンでかき氷をつつき続け、情けなく眉尻を下げてしまった。
「ちゃんとアドバイスしてくれるの?」
「恋愛相談以外でよろしく」
知里が無邪気に笑う。
「恋愛ではない」
断言する。
万が一にも、私が学校の誰かに好意を抱こうものなら、神様の逆鱗に触れる。なにしろ、私には須久奈様という許嫁がいるのだ。最初の頃は「ちんちくりん」なんて言い放った癖に、かなりの過保護で嫉妬深く、恐らく独占欲の塊……だと思う。
神様は祟る。
その祟り方がエグい方向へ全フリしている。特定の人間を失墜させるのではなく、人間全てを葬る勢いだというから恐ろしい。
神様の十八番は、天災と疫病だ。
須久奈様は禁厭…つまり、呪術が得意だというから恐怖でしかない。
ぶるり、と身震いして、うんざりとした顔で知里を見る。
「進路のこと」
「ああ…進路ね」
知里は心得顔で頷く。
知里は大学進学と決めている。田舎を出て都会で暮らしてみたいという不純な動機と、まだ学生で親の脛を齧りたいという願望から、就職ではなく進学が希望だと語っていた。その為の努力は目を見張るほどだ。昨年までは、夏休みなればあちこちに遊びに行っていたけど、今年はそれがない。
塾に通い、来週にはオープンキャンパスに足を延ばすと聞いた。
多忙でありながらも、充実した日々を過ごしていると羨ましく思う。
知里以外の友達も、少しずつ進路を決めている。大学進学組が多いけど、就職を見据えて専門学校組もいる。就職組は少なく、それでも資格試験に追われて忙しくしているのを見る。
特に進学組は、あと1年もあるという悠長な考え方はしない。みんなが希望の大学を目指して頑張っている。
片や私は、何ひとつ決まっていない。
1つ言えるのは、進学はしない。
家から通える範囲に、大学も専門学校もないからだ。
「本当に大学には行かないの?」
「うちの事情で、通学圏内じゃないとダメなんだ」
春までは、漠然と「大学に行こうかな」と思っていた。進路調査票にも第二希望までを大学にし、第三希望は手堅く公務員を目指す専門学校を選択していた。
なのに、梅雨を境に進路が空白になってしまった。
それは知里も知っている。家の事情と言えば、知里も担任も深く踏み込んでこないけど、何か言いたげな顔をしていた。
実は神様の許嫁になってて、ここを離れることが出来ないんだ。あはは、と笑えたら、どんなに楽だろう。
残念ながら、神様を見る目を持ち合わせているのは、私の知る限りは3人しかいない。私と母と百花だ。これが許嫁相手が神直日神みたいなチャラ男全開のコミュ力お化けなら、人前に姿を現して一芝居打ってくれるのかもしれないけど、須久奈様は神直日神とは違ってコミュ障を患っている。根暗コミュ障だけど、極稀に気性の激しさの片鱗を見せるから質が悪い。
それを知っているのか、母も百花も須久奈様を畏れている。
須久奈様が見えない父と弟の誓志も、畏怖の念を抱きつつ敬服している。
つまり、須久奈様がノーと言うことはノーでしかない。
「就職も家からじゃないとダメな感じ?」
「ダメだね…」
嘆息を零し、かき氷を頬張る。
イチゴシロップの甘みと、舌の上で溶けて消える氷の冷たさに頬が緩む。口の中が幸せで溢れてる。
「確かに、百花さんも進学してないよね」
「百花ちゃんはいいの。跡継ぎなんだから」
「チカは?」
「うちは代々長女が継ぐんだよね」
「そうなの?知らなかった。てか、珍しいね」
知里はぱちくりと瞬きを繰り返し、「じゃあ、チカは婿養子でどっか行くの決定か」と頷く。
「あ、逆に百花さんは婿養子を取らなくちゃならないんだ」
「もう相手はいるから、その心配もないかな」
「うそ!そうなの?」
知里が食い気味に驚いた。
まぁ、今まで浮いた話もなかったので無理もない。
「百花さん、美人だし当然といえば当然か」
ふむふむ、と頷いてラムネを飲んで、「ふふ」と笑った。
「うちの兄ちゃん。百花さんに告白してフラれたことがあるんだよね」
「え?そうなの?」
「中学の時」と、知里は思い出し笑いをする。
「まぁ、跡継ぎで婿養子には行けないから、結果オーライだね」
「百花ちゃんはモテるから、そういう話は結構ありそう」
我が姉ながら、実に羨ましい。
ぱっと見は、姉妹というだけあって似ているのに、女性としての魅力的な雰囲気が百花にのみ受け継がれている。女性らしいメリハリある体に、淑やかな表情。立ち居振る舞いや、穏やかで愛らしい声。何から何まで、これぞ理想の女性像を体現しているのだ。
片や私は、須久奈様の第一印象の”ちんちくりん”のままだ。
悲しいことに、胸周りのお肉は寂しく、手先は不器用。頑張っているけど、どうしてもガサツに見えるらしい。
考えるのも馬鹿らしくて、ずっと昔に百花と自分を比較するのを止めた。
「百花さんのことは分かったけど、一花まで進学を取りやめるの?」
「色々あるけど、巫女ってのも大きいかな。百花ちゃんに子供が出来たら、巫女をお休みしなきゃダメだしね」
「え?子供?もうそんな段階?」
「まさか」
私は苦笑する。
「これから結納。たぶん、来年に結婚じゃないかな?」
酒造りのスケジュールを考えると、閑散期の春から夏にかけてに式を挙げるのだと思う。
酒造りというのは、7月を新年度としているけど、7月から酒造りがスタートするわけではない。酒造りの本格スタートは新米の採れる9月からだ。9月中頃に、”洗い付け”という儀式を行う。蔵内の機材や道具を改めて洗い清め、神棚に供物を供え、神主に来てもらって祝詞を捧げる。事故がないように、美味しいお酒ができますように、と神様―――つまり、須久奈様にお願いするのだ。それが終わると洗米し、酒造りが本格スタートする。
ということで、春から9月くらいまでは、比較的暇を持て余している。
その間、蔵人たちは勉強会を開き、久瀬酒造の代表作を携えて各地のイベントで売り込み、蔵内にカビが繁殖しないように湿度と格闘しながら掃除しまくる。
こうして考えると多忙だけど、繁忙期を思うと余裕はあるのだろう。個々の祝い事は、なるべく春から夏にかけて行っていると聞いた。さらに大雨を危惧して梅雨を避ける傾向にあるから、結婚式に相応しい日和は狭まってしまう。
私の予想では、来春には挙式だと思っている。
「もう就職も出来ないじゃん」
「ちょっとちょっと…いくら田舎でも、働き口がゼロじゃないんだから、不吉なこと言わないでよ」
「大してないよ。接客業のアルバイトはあるんだろうけど」
知里は言って、ぐるりと周囲に視線を巡らせる。
片田舎の小さな城下町は、狭い区域に観光地を詰め込んでいる。細い道沿いに古民家が並び、民芸品店として改装したお店が軒を連ねている。特産の杉や檜を使った土産物は、古臭く見えるのに、外から来る観光客には真新しく映るらしい。使いどころの分からない木彫りのインテリアに釣られ、店へと入って行く。箸や茶碗を扱う和食器専門店は、老若男女問わずに人気だ。他にも喫茶店や和菓子屋、うなぎ屋に川魚専門店。久瀬家が代々お世話になっている老舗呉服店に、神籟町の歴史が分かる小さな資料館。景観を壊さないように自動販売機がないので、金盥に氷を入れ、ラムネを売っている小売店もある。
「働きたいとこ、ある?」
残念ながら、ない。
百花の身代わりのように須久奈様の許嫁になったけど、ここまで将来に影響が出るとは思わなかった。
許嫁ってことは、いずれ結婚するんだと思う。久瀬家は百花が継ぐので、私に仕事はない。養ってくれと甘えることもできない上に、よそ様の目には、私は行き遅れのお荷物に映ること必至だ。なにしろ、須久奈様は誰にも見えないのだから…。
10年後、20年後と想像して、ぞっとした。
「だったらさ、やっぱ進学じゃない?通信制とかは?」
「通信制…」
考えたこともなかった。
「私も詳しく知らないけど、一度調べてみたら?」
「うん」
大きく頷いて、溶けつつあるカキ氷を急いで食べ終えた。
お店のおばさんに空容器を手渡してから、2人でぶらぶらと歩く。蔵造りの景観は、観光客から見れば映えらしい。あちらこちらで写真を撮っている人を見る。それを誘い込むのは、和柄の傘専門店だ。番傘から洋傘まで取り揃えている専門店は、数年前にオープンした新しい店舗だ。他にも雑貨店が、ちらほらとある。
地元民としては、遊戯施設が欲しいと思ってしまう。
ゲーセンやボーリングを楽しむなら電車に揺られなければならない。カラオケはスナックにしかない。テレビのCMで見るような施設は、行くだけで一苦労だ。
「知里はここを出たら、ずっと向こう?」
「かな。就職するにもこっちはないし、実家は兄ちゃんがいるしね」
「うぅ…寂しい…」
「言っとくけど、ここが嫌いなわけじゃないから。一度は都会に住みたいって願望はあるけど、ずっとはキツそうじゃない?こっちで働き口があるなら帰って来るんだけどね」
それがなかなか難しいのだと、知里は嘆息する。
綿菓子みたいな雲を見上げ、額の汗を拭い、「実家就職だけは避けたい」としみじみ呟いた。
お互いに職人気質な大人に囲われた生活を送っているので、醸造所で働くことがどれだけハードか理解している。久瀬酒造に女性職人はいないけど、タナベ醸造所には1人いるので、女性への門戸は開いているのだ。
就職浪人になろうものなら、職人への道に放り込まれると、知里は戦々恐々としている。
「それじゃあ、店番あるから」
知里はげんなりとした顔で手を振り、重い足取りのままに路地を曲がって行った。
知里と別れ、頭の中でぐるぐると不安が巡る。
将来を考えると不安でしかない。
ため息を吐いて、目が眩むような陽射しを避け、濃い影を落とす軒下で足を止める。
「結婚したら養うのは私…になるのかな?」
まずは両親に相談した方が良いんだろうけど、母は須久奈様の顔色ばかりを窺い、父は粗相がないように神経を尖らせている。
須久奈様に相談したところで、進学や就職の重要性を理解しているとは思えない。下手すると、金銭感覚すら怪しい。
神様に注ぎ込む費用は幾らなのかは知らないけど、着物が安くないことくらいは知っている。触れただけで生地の上質さが分かるから、量販店の投げ売り品ではない。
物欲はなさそうな反面、お酒の味にはうるさい。
「着物とお酒で破産しそう…」
何度目かのため息を吐いたところで、視界の隅に奇妙なモノを見つけた。
気のせいか、暑さで頭が沸いたのか、二足歩行のネズミっぽいのがいる。漫画風に言うなら、”邪悪な真っ赤な目玉”が、ぎょろぎょろと周囲を窺って道を駆け抜けた。とぷん、と聞こえた水音は、ネズミが水路に落ちた……いや、たぶん、飛び込んだ音だ。
ザバザバと激しく水音を立てる水路に、躊躇いもなく飛び込むネズミなんている訳がない。しかも二足歩行だ。
思わず目を擦り、目頭を揉んでしまう。
「すみません」
怖ず怖ずとした声がした。
「あの…」と言われて、私に声をかけているのだと気が付いた。
「はい?」
振り返れば、白いポロシャツにカーキ色のハーフパンツを履いた男性が、汗を拭いながら立っている。
中肉中背に丸顔。黒渕メガネをかけた男性は、見たところ40代後半くらいのおじさんだ。冴えない風貌ながら、こんがりと焼いた肌と短く刈った髪、筋肉質な手足は、何かしらのスポーツをしていそうにも見える。
「突然にすみません。僕はこういう者です」
黒いリュックサックを下ろすと、サイドポケットから財布を取り出し、名刺を引き抜いた。
「どうぞ」と、差し出された名刺を反射的に受け取る。
「郷土史家……」
苗字が難しい漢字だ。
「薬の袋と書いて、薬袋と読みます。薬袋寛幸です」
薬袋さんはメガネの位置を整え、財布をリュックサックに戻すと、ゆっくりと視線を巡らせて水路を見た。
「あなた、今、見てませんでしたかな?」
「は?」
「妖怪」
「…妖怪?」
噛みしめるように反芻してみても、あまりピンとこない。
妖怪なんて生まれてこの方、一度も見たことがない。
「ネズミの妖怪です」
興奮したように語気を強めた薬袋さんは、水路を指さした。
「あそこに飛び込んだでしょ?」
「は…はぁ。妖怪かどうかは知らないですけど、何か飛び込んだのは見えました」
「それが妖怪なんです」
至福の表情で、薬袋さんは胸の前で手を組み合わせた。
「あぁ…神様。まさかのお仲間と出会えました。奇跡ですな」
ヤバい人だ。
じっと見ていると、薬袋さんは咳払いを一つして、「すみません。興奮しました」と頬を赤くした。その顔は、意外と可愛らしい。
こんなことを思うと失礼なんだろうけど、男性ウケしそうな男性だ。
「実はですね。僕は昔から妖怪が見える体質なんですな。とは言っても、最初から妖怪に肯定的だったわけじゃありません。最初は幽霊を見る霊感体質というやつですよ」
「はぁ」と相槌を打つ。
なんとなく話が長くなりそうだ。
「ある時ですね。中学2年生の秋なのですが、一反木綿を見たんです!」
「一反木綿って…アニメに出てくる?」
「アニメで有名ですが、一反木綿は創作ではなく、鹿児島県の歴とした妖怪なのです。反というのは尺貫法の単位です。面積なら300坪。着尺の一反は、長さが12メートル、幅が37cm。着物一着分ですな。つまり、一反木綿は12メートルの木綿なんです」
「12メートル…」
アニメの一反木綿は、もっと小ぶりなイメージだ。
薄っぺらとはいえ、12メートルの妖怪が襲って来たらと思うと恐ろしい。巻き付かれれば、間違いなくあの世逝きだ。
「遠目で見たんですけどね。山の頂の向こうへ消えて行った一反木綿を見た日から、僕は妖怪に魅了されたんです。それからもちょくちょく、小さな妖怪を見るようになりました。たまに、恐ろし気な妖怪も見ましたが、僕は逃げ足が速いので生き延びています」
へらり、と笑っているけど、”生き延びています”は恐ろしいフレーズだと思う。
鈍足なら、生き延びていないということだ。それは、妖怪=人間を襲うということでもある。
「妖怪の勉強がしたくて、大学で民俗学を勉強しました」
「へぇ…。大学で妖怪を学べるんですね」
「正直に言えば、全く学べません。民俗学は妖怪研究の第一歩…という先入観ですな。その先入観で先走ったのが僕です」
頭を掻きつつ、へらりと笑う。
想像以上にヤバい人だ。
「で、今は妖怪研究家…?」
もう一度、手にしたままの名刺に視線を落とす。
妖怪の妖の字も見当たらない。
「名刺にある通り、郷土史家です。先週から神籟町に入り、調査しているんです。まぁ、調査と言いますか…観光と言いますか…。今はまだ散策メインですが」
「ここを?」
「郷土資料館の建設の着工をご存ですかな?」
「そこにも資料館がありますよ?」
つん、と通りの先を指させば、「いえいえ」と薬袋さんが頭を振る。
「そこは展示物は寄贈されたもので、建物は借家なのです」
「借家…」
町か市が買い上げているものと思っていた。
驚きに目を見張っていると、薬袋さんが「びっくりですよね」と何度も頷く。
「神籟町は歴史がありますし、その成り立ちも興味深く価値もあるので、市町の出資で資料館が建設されたのです。運営は市になるので、展示物には専門家の鑑定が入るのですよ。観光地というのも考慮し、神籟町の歴史と一緒に老舗の紹介もされるのです」
「老舗…」
「醸造所、呉服、林業、工芸…ですな」
うちも紹介されるらしい。
「その片隅に、妖怪も紹介出来たら!と目論んでいるわけです」
「はぁ…」
適当な相槌にも、薬袋さんは怒らない。
「ああ、名刺には郷土史家、薬袋寛幸とありますが、資料館が竣工されれば、館長となります。来月には開館となる運びです」
なにげに凄い人らしい…。
「館長権限で妖怪コーナーを作るんですか?」
「片隅です。か、た、す、み!」
薬袋さんは唇を尖らせ、不貞腐れた表情を作る。
かと思えば、しゅんと項垂れた。
「なのに、この町には妖怪の妖の字も見えない。大抵の場所は、小さな妖怪がいるものなんです。あと、幽霊も。それが神籟町は恐ろしいほど見当たらない…」
ふと、須久奈様の顔が浮かんだ。
口を開けば、「殺そう…」が口癖で、止めなければ有言実行する神様だ。
「なので、さきほど見た時は恐懼感激!さらには、あなたにも会えました!これは神様に感謝の祈りを捧げなければと思っている次第ですよ」
興奮に鼻孔を膨らませ、薬袋さんは大袈裟に手を組むと空に向けて「感謝ですぞ」と叫んだ。
通りを歩く人たちが、胡乱げな視線を投げて来る。
ヤバイ人、確定だ。
「妖怪。昔はいたそうですよ」
思い出した、と手を叩けば、薬袋さんの顔が見る間に笑顔になった。
「本当ですか!?」
「妖怪に興味があるなら、タナベ醸造所の兼継さんに話を聞くのをお勧めします。通称”妖怪じじい”と言われているんです」
「なんと!」
興奮したのか、薬袋さんの頭から幾筋もの汗が流れ落ちる。それを乱暴にハンカチで拭い、「妖怪じじいに負けられませんな」と頬を紅潮させた。
どことなく、テレビで見るオタクの典型みたいな人だ。
薬袋さんは「どうもありがとうございます」と頭を下げ、炎天下の中を駆け抜けて行った。
網状の鉄製側溝蓋の周囲には、一応の保険なのだろう。土嚢で囲ってある。その土嚢が飛沫に濡れているのだから、流れの激しさに恐ろしさを覚える。
水路でこれだ。
川はどうなのかと気に掛ければ、水位に大きな変化はないらしい。ただ、いつ鉄砲水が起きるか知れない濁流だという。
これらの原因は、夏の定番になりつつあるゲリラ豪雨だ。
山裾に沿って移動する雨柱が、連日続いているのだ。上流で起こる雷雨は、川を濁らせ暴れさせる。
それを不安に見ているのは、梅雨末期の大雨で甚大な被害を被った経験がある地元民だ。この時季は神経質な視線を、川や水路に向けている。
一方、観光客は「水嵩があって逆に涼しいかも」「さすがに魚はいないか」と暢気に水路を覗き込み、朗らかに笑っている。
その様子を、竹製の縁台に座って眺めること1分。
ため息が止まらない。
「どうした?今日は暗いじゃない?」
ごくり、とラムネを飲んで、「悩みがあるなら相談に乗るよ」と肩を竦めたのは幼馴染の田邊知里だ。
知里の家も、うちと同じ。古くから味噌醤油の醸造所を営んでいるので、似通った悩みは尽きることがない。
それでも、全部が同じ悩みを持つ同士という訳じゃなく、決定的に違うことがある。
田邊家に神様はいない。
私は手にした紙カップに入ったイチゴのかき氷に視線を落とす。
縁日で売られているような見てくれだけど、氷は雪のようにふんわりしていて、自家製シロップにはイチゴの果肉がごろごろと入っている。観光客にも人気のかき氷でもある。
しゃくしゃく、とプラスチックのスプーンでかき氷をつつき続け、情けなく眉尻を下げてしまった。
「ちゃんとアドバイスしてくれるの?」
「恋愛相談以外でよろしく」
知里が無邪気に笑う。
「恋愛ではない」
断言する。
万が一にも、私が学校の誰かに好意を抱こうものなら、神様の逆鱗に触れる。なにしろ、私には須久奈様という許嫁がいるのだ。最初の頃は「ちんちくりん」なんて言い放った癖に、かなりの過保護で嫉妬深く、恐らく独占欲の塊……だと思う。
神様は祟る。
その祟り方がエグい方向へ全フリしている。特定の人間を失墜させるのではなく、人間全てを葬る勢いだというから恐ろしい。
神様の十八番は、天災と疫病だ。
須久奈様は禁厭…つまり、呪術が得意だというから恐怖でしかない。
ぶるり、と身震いして、うんざりとした顔で知里を見る。
「進路のこと」
「ああ…進路ね」
知里は心得顔で頷く。
知里は大学進学と決めている。田舎を出て都会で暮らしてみたいという不純な動機と、まだ学生で親の脛を齧りたいという願望から、就職ではなく進学が希望だと語っていた。その為の努力は目を見張るほどだ。昨年までは、夏休みなればあちこちに遊びに行っていたけど、今年はそれがない。
塾に通い、来週にはオープンキャンパスに足を延ばすと聞いた。
多忙でありながらも、充実した日々を過ごしていると羨ましく思う。
知里以外の友達も、少しずつ進路を決めている。大学進学組が多いけど、就職を見据えて専門学校組もいる。就職組は少なく、それでも資格試験に追われて忙しくしているのを見る。
特に進学組は、あと1年もあるという悠長な考え方はしない。みんなが希望の大学を目指して頑張っている。
片や私は、何ひとつ決まっていない。
1つ言えるのは、進学はしない。
家から通える範囲に、大学も専門学校もないからだ。
「本当に大学には行かないの?」
「うちの事情で、通学圏内じゃないとダメなんだ」
春までは、漠然と「大学に行こうかな」と思っていた。進路調査票にも第二希望までを大学にし、第三希望は手堅く公務員を目指す専門学校を選択していた。
なのに、梅雨を境に進路が空白になってしまった。
それは知里も知っている。家の事情と言えば、知里も担任も深く踏み込んでこないけど、何か言いたげな顔をしていた。
実は神様の許嫁になってて、ここを離れることが出来ないんだ。あはは、と笑えたら、どんなに楽だろう。
残念ながら、神様を見る目を持ち合わせているのは、私の知る限りは3人しかいない。私と母と百花だ。これが許嫁相手が神直日神みたいなチャラ男全開のコミュ力お化けなら、人前に姿を現して一芝居打ってくれるのかもしれないけど、須久奈様は神直日神とは違ってコミュ障を患っている。根暗コミュ障だけど、極稀に気性の激しさの片鱗を見せるから質が悪い。
それを知っているのか、母も百花も須久奈様を畏れている。
須久奈様が見えない父と弟の誓志も、畏怖の念を抱きつつ敬服している。
つまり、須久奈様がノーと言うことはノーでしかない。
「就職も家からじゃないとダメな感じ?」
「ダメだね…」
嘆息を零し、かき氷を頬張る。
イチゴシロップの甘みと、舌の上で溶けて消える氷の冷たさに頬が緩む。口の中が幸せで溢れてる。
「確かに、百花さんも進学してないよね」
「百花ちゃんはいいの。跡継ぎなんだから」
「チカは?」
「うちは代々長女が継ぐんだよね」
「そうなの?知らなかった。てか、珍しいね」
知里はぱちくりと瞬きを繰り返し、「じゃあ、チカは婿養子でどっか行くの決定か」と頷く。
「あ、逆に百花さんは婿養子を取らなくちゃならないんだ」
「もう相手はいるから、その心配もないかな」
「うそ!そうなの?」
知里が食い気味に驚いた。
まぁ、今まで浮いた話もなかったので無理もない。
「百花さん、美人だし当然といえば当然か」
ふむふむ、と頷いてラムネを飲んで、「ふふ」と笑った。
「うちの兄ちゃん。百花さんに告白してフラれたことがあるんだよね」
「え?そうなの?」
「中学の時」と、知里は思い出し笑いをする。
「まぁ、跡継ぎで婿養子には行けないから、結果オーライだね」
「百花ちゃんはモテるから、そういう話は結構ありそう」
我が姉ながら、実に羨ましい。
ぱっと見は、姉妹というだけあって似ているのに、女性としての魅力的な雰囲気が百花にのみ受け継がれている。女性らしいメリハリある体に、淑やかな表情。立ち居振る舞いや、穏やかで愛らしい声。何から何まで、これぞ理想の女性像を体現しているのだ。
片や私は、須久奈様の第一印象の”ちんちくりん”のままだ。
悲しいことに、胸周りのお肉は寂しく、手先は不器用。頑張っているけど、どうしてもガサツに見えるらしい。
考えるのも馬鹿らしくて、ずっと昔に百花と自分を比較するのを止めた。
「百花さんのことは分かったけど、一花まで進学を取りやめるの?」
「色々あるけど、巫女ってのも大きいかな。百花ちゃんに子供が出来たら、巫女をお休みしなきゃダメだしね」
「え?子供?もうそんな段階?」
「まさか」
私は苦笑する。
「これから結納。たぶん、来年に結婚じゃないかな?」
酒造りのスケジュールを考えると、閑散期の春から夏にかけてに式を挙げるのだと思う。
酒造りというのは、7月を新年度としているけど、7月から酒造りがスタートするわけではない。酒造りの本格スタートは新米の採れる9月からだ。9月中頃に、”洗い付け”という儀式を行う。蔵内の機材や道具を改めて洗い清め、神棚に供物を供え、神主に来てもらって祝詞を捧げる。事故がないように、美味しいお酒ができますように、と神様―――つまり、須久奈様にお願いするのだ。それが終わると洗米し、酒造りが本格スタートする。
ということで、春から9月くらいまでは、比較的暇を持て余している。
その間、蔵人たちは勉強会を開き、久瀬酒造の代表作を携えて各地のイベントで売り込み、蔵内にカビが繁殖しないように湿度と格闘しながら掃除しまくる。
こうして考えると多忙だけど、繁忙期を思うと余裕はあるのだろう。個々の祝い事は、なるべく春から夏にかけて行っていると聞いた。さらに大雨を危惧して梅雨を避ける傾向にあるから、結婚式に相応しい日和は狭まってしまう。
私の予想では、来春には挙式だと思っている。
「もう就職も出来ないじゃん」
「ちょっとちょっと…いくら田舎でも、働き口がゼロじゃないんだから、不吉なこと言わないでよ」
「大してないよ。接客業のアルバイトはあるんだろうけど」
知里は言って、ぐるりと周囲に視線を巡らせる。
片田舎の小さな城下町は、狭い区域に観光地を詰め込んでいる。細い道沿いに古民家が並び、民芸品店として改装したお店が軒を連ねている。特産の杉や檜を使った土産物は、古臭く見えるのに、外から来る観光客には真新しく映るらしい。使いどころの分からない木彫りのインテリアに釣られ、店へと入って行く。箸や茶碗を扱う和食器専門店は、老若男女問わずに人気だ。他にも喫茶店や和菓子屋、うなぎ屋に川魚専門店。久瀬家が代々お世話になっている老舗呉服店に、神籟町の歴史が分かる小さな資料館。景観を壊さないように自動販売機がないので、金盥に氷を入れ、ラムネを売っている小売店もある。
「働きたいとこ、ある?」
残念ながら、ない。
百花の身代わりのように須久奈様の許嫁になったけど、ここまで将来に影響が出るとは思わなかった。
許嫁ってことは、いずれ結婚するんだと思う。久瀬家は百花が継ぐので、私に仕事はない。養ってくれと甘えることもできない上に、よそ様の目には、私は行き遅れのお荷物に映ること必至だ。なにしろ、須久奈様は誰にも見えないのだから…。
10年後、20年後と想像して、ぞっとした。
「だったらさ、やっぱ進学じゃない?通信制とかは?」
「通信制…」
考えたこともなかった。
「私も詳しく知らないけど、一度調べてみたら?」
「うん」
大きく頷いて、溶けつつあるカキ氷を急いで食べ終えた。
お店のおばさんに空容器を手渡してから、2人でぶらぶらと歩く。蔵造りの景観は、観光客から見れば映えらしい。あちらこちらで写真を撮っている人を見る。それを誘い込むのは、和柄の傘専門店だ。番傘から洋傘まで取り揃えている専門店は、数年前にオープンした新しい店舗だ。他にも雑貨店が、ちらほらとある。
地元民としては、遊戯施設が欲しいと思ってしまう。
ゲーセンやボーリングを楽しむなら電車に揺られなければならない。カラオケはスナックにしかない。テレビのCMで見るような施設は、行くだけで一苦労だ。
「知里はここを出たら、ずっと向こう?」
「かな。就職するにもこっちはないし、実家は兄ちゃんがいるしね」
「うぅ…寂しい…」
「言っとくけど、ここが嫌いなわけじゃないから。一度は都会に住みたいって願望はあるけど、ずっとはキツそうじゃない?こっちで働き口があるなら帰って来るんだけどね」
それがなかなか難しいのだと、知里は嘆息する。
綿菓子みたいな雲を見上げ、額の汗を拭い、「実家就職だけは避けたい」としみじみ呟いた。
お互いに職人気質な大人に囲われた生活を送っているので、醸造所で働くことがどれだけハードか理解している。久瀬酒造に女性職人はいないけど、タナベ醸造所には1人いるので、女性への門戸は開いているのだ。
就職浪人になろうものなら、職人への道に放り込まれると、知里は戦々恐々としている。
「それじゃあ、店番あるから」
知里はげんなりとした顔で手を振り、重い足取りのままに路地を曲がって行った。
知里と別れ、頭の中でぐるぐると不安が巡る。
将来を考えると不安でしかない。
ため息を吐いて、目が眩むような陽射しを避け、濃い影を落とす軒下で足を止める。
「結婚したら養うのは私…になるのかな?」
まずは両親に相談した方が良いんだろうけど、母は須久奈様の顔色ばかりを窺い、父は粗相がないように神経を尖らせている。
須久奈様に相談したところで、進学や就職の重要性を理解しているとは思えない。下手すると、金銭感覚すら怪しい。
神様に注ぎ込む費用は幾らなのかは知らないけど、着物が安くないことくらいは知っている。触れただけで生地の上質さが分かるから、量販店の投げ売り品ではない。
物欲はなさそうな反面、お酒の味にはうるさい。
「着物とお酒で破産しそう…」
何度目かのため息を吐いたところで、視界の隅に奇妙なモノを見つけた。
気のせいか、暑さで頭が沸いたのか、二足歩行のネズミっぽいのがいる。漫画風に言うなら、”邪悪な真っ赤な目玉”が、ぎょろぎょろと周囲を窺って道を駆け抜けた。とぷん、と聞こえた水音は、ネズミが水路に落ちた……いや、たぶん、飛び込んだ音だ。
ザバザバと激しく水音を立てる水路に、躊躇いもなく飛び込むネズミなんている訳がない。しかも二足歩行だ。
思わず目を擦り、目頭を揉んでしまう。
「すみません」
怖ず怖ずとした声がした。
「あの…」と言われて、私に声をかけているのだと気が付いた。
「はい?」
振り返れば、白いポロシャツにカーキ色のハーフパンツを履いた男性が、汗を拭いながら立っている。
中肉中背に丸顔。黒渕メガネをかけた男性は、見たところ40代後半くらいのおじさんだ。冴えない風貌ながら、こんがりと焼いた肌と短く刈った髪、筋肉質な手足は、何かしらのスポーツをしていそうにも見える。
「突然にすみません。僕はこういう者です」
黒いリュックサックを下ろすと、サイドポケットから財布を取り出し、名刺を引き抜いた。
「どうぞ」と、差し出された名刺を反射的に受け取る。
「郷土史家……」
苗字が難しい漢字だ。
「薬の袋と書いて、薬袋と読みます。薬袋寛幸です」
薬袋さんはメガネの位置を整え、財布をリュックサックに戻すと、ゆっくりと視線を巡らせて水路を見た。
「あなた、今、見てませんでしたかな?」
「は?」
「妖怪」
「…妖怪?」
噛みしめるように反芻してみても、あまりピンとこない。
妖怪なんて生まれてこの方、一度も見たことがない。
「ネズミの妖怪です」
興奮したように語気を強めた薬袋さんは、水路を指さした。
「あそこに飛び込んだでしょ?」
「は…はぁ。妖怪かどうかは知らないですけど、何か飛び込んだのは見えました」
「それが妖怪なんです」
至福の表情で、薬袋さんは胸の前で手を組み合わせた。
「あぁ…神様。まさかのお仲間と出会えました。奇跡ですな」
ヤバい人だ。
じっと見ていると、薬袋さんは咳払いを一つして、「すみません。興奮しました」と頬を赤くした。その顔は、意外と可愛らしい。
こんなことを思うと失礼なんだろうけど、男性ウケしそうな男性だ。
「実はですね。僕は昔から妖怪が見える体質なんですな。とは言っても、最初から妖怪に肯定的だったわけじゃありません。最初は幽霊を見る霊感体質というやつですよ」
「はぁ」と相槌を打つ。
なんとなく話が長くなりそうだ。
「ある時ですね。中学2年生の秋なのですが、一反木綿を見たんです!」
「一反木綿って…アニメに出てくる?」
「アニメで有名ですが、一反木綿は創作ではなく、鹿児島県の歴とした妖怪なのです。反というのは尺貫法の単位です。面積なら300坪。着尺の一反は、長さが12メートル、幅が37cm。着物一着分ですな。つまり、一反木綿は12メートルの木綿なんです」
「12メートル…」
アニメの一反木綿は、もっと小ぶりなイメージだ。
薄っぺらとはいえ、12メートルの妖怪が襲って来たらと思うと恐ろしい。巻き付かれれば、間違いなくあの世逝きだ。
「遠目で見たんですけどね。山の頂の向こうへ消えて行った一反木綿を見た日から、僕は妖怪に魅了されたんです。それからもちょくちょく、小さな妖怪を見るようになりました。たまに、恐ろし気な妖怪も見ましたが、僕は逃げ足が速いので生き延びています」
へらり、と笑っているけど、”生き延びています”は恐ろしいフレーズだと思う。
鈍足なら、生き延びていないということだ。それは、妖怪=人間を襲うということでもある。
「妖怪の勉強がしたくて、大学で民俗学を勉強しました」
「へぇ…。大学で妖怪を学べるんですね」
「正直に言えば、全く学べません。民俗学は妖怪研究の第一歩…という先入観ですな。その先入観で先走ったのが僕です」
頭を掻きつつ、へらりと笑う。
想像以上にヤバい人だ。
「で、今は妖怪研究家…?」
もう一度、手にしたままの名刺に視線を落とす。
妖怪の妖の字も見当たらない。
「名刺にある通り、郷土史家です。先週から神籟町に入り、調査しているんです。まぁ、調査と言いますか…観光と言いますか…。今はまだ散策メインですが」
「ここを?」
「郷土資料館の建設の着工をご存ですかな?」
「そこにも資料館がありますよ?」
つん、と通りの先を指させば、「いえいえ」と薬袋さんが頭を振る。
「そこは展示物は寄贈されたもので、建物は借家なのです」
「借家…」
町か市が買い上げているものと思っていた。
驚きに目を見張っていると、薬袋さんが「びっくりですよね」と何度も頷く。
「神籟町は歴史がありますし、その成り立ちも興味深く価値もあるので、市町の出資で資料館が建設されたのです。運営は市になるので、展示物には専門家の鑑定が入るのですよ。観光地というのも考慮し、神籟町の歴史と一緒に老舗の紹介もされるのです」
「老舗…」
「醸造所、呉服、林業、工芸…ですな」
うちも紹介されるらしい。
「その片隅に、妖怪も紹介出来たら!と目論んでいるわけです」
「はぁ…」
適当な相槌にも、薬袋さんは怒らない。
「ああ、名刺には郷土史家、薬袋寛幸とありますが、資料館が竣工されれば、館長となります。来月には開館となる運びです」
なにげに凄い人らしい…。
「館長権限で妖怪コーナーを作るんですか?」
「片隅です。か、た、す、み!」
薬袋さんは唇を尖らせ、不貞腐れた表情を作る。
かと思えば、しゅんと項垂れた。
「なのに、この町には妖怪の妖の字も見えない。大抵の場所は、小さな妖怪がいるものなんです。あと、幽霊も。それが神籟町は恐ろしいほど見当たらない…」
ふと、須久奈様の顔が浮かんだ。
口を開けば、「殺そう…」が口癖で、止めなければ有言実行する神様だ。
「なので、さきほど見た時は恐懼感激!さらには、あなたにも会えました!これは神様に感謝の祈りを捧げなければと思っている次第ですよ」
興奮に鼻孔を膨らませ、薬袋さんは大袈裟に手を組むと空に向けて「感謝ですぞ」と叫んだ。
通りを歩く人たちが、胡乱げな視線を投げて来る。
ヤバイ人、確定だ。
「妖怪。昔はいたそうですよ」
思い出した、と手を叩けば、薬袋さんの顔が見る間に笑顔になった。
「本当ですか!?」
「妖怪に興味があるなら、タナベ醸造所の兼継さんに話を聞くのをお勧めします。通称”妖怪じじい”と言われているんです」
「なんと!」
興奮したのか、薬袋さんの頭から幾筋もの汗が流れ落ちる。それを乱暴にハンカチで拭い、「妖怪じじいに負けられませんな」と頬を紅潮させた。
どことなく、テレビで見るオタクの典型みたいな人だ。
薬袋さんは「どうもありがとうございます」と頭を下げ、炎天下の中を駆け抜けて行った。
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