40 / 43
閑話
草むしり
しおりを挟む
―――――神の加護とは何か。
夏休みの課題が一瞬で終了するとか、お小遣いがUPするとか、熱中症の心配がないとか、蚊に刺されないとか、そういったことではないらしい。
課題は自分でやらなくちゃならない。
臨時収入がほしければ、酒販店の手伝いに奔走するしかない。
水分補給は必要だし、虫よけスプレーをしても飛んで来る蚊は叩き落とすしかない。
「………須久奈様」
ぶちぶちっ、と雑草を引っこ抜きながら、疲弊した顔で須久奈様を見上げる。
学校ジャージで軍手を嵌め、肩にタオルを引っ掛けた私とは対照的に、須久奈様は水浅葱色の清涼感ある紗の着物を着つけている。炎天下にありながら汗一つなく、にこにこ……というよりは、ニタニタァとした笑顔で私を見下ろしている。
相変わらず、笑い方が下手糞で気持ち悪い。
私はため息を嚥下して、眩い陽射しに目を細める。
「加護って……なんですか?」
「か…加護?え?…なに?きゅ、急に…どうした?」
「別に急って訳じゃないです。ずっと疑問だったんです」
須久奈様から手許の草に視線を落とし、のろのろと雑草を引っこ抜く。
雑草は抜いても抜いても終わりが見えない。
裏庭の草むしりは、夏には必要な作業だ。放置していれば茫々と草が茂り、藪蚊やダニの棲み処になりかねない。なにより、神様の住まいが荒れ果てては母からの説教コースだ。かといって、除草剤はNGという。
昨年までは、母と百花の2人で対処していたんだから頭が下がる。
「須久奈様、言いましたよね?ありったけの加護をあげるって。その加護って言葉が曖昧過ぎて、いまいちピンとこないんです」
「あ…ああ、そういうことか。か…加護っていうのは、神が人間を助け守ることだ。つ、つまり、俺が…いっ、一花を助け守るってこと」
気恥ずかしそうに腰をくねらせているけれど、全く助けられている気がしない。
須久奈様に草むしりしろとは言えないけど…。
まぁ、こうして外に出て来てるだけでも一歩前進。喜ばしいことなんだろう。
私が嘆息したのを何と勘違いしたのか、「は、恥じなくて良い」と口にする。
「い…意味が分からないことがあれば、なんでも俺に訊けばいい。お、俺は、一花の…そ、そそういう…無知なところも可愛いくて好きだから…」
へへへっ、と不気味に笑い、須久奈様が私の隣に腰をおろした。
大きな体を窮屈に丸めて、ぐいぐいと肩を寄せて来る。
「なんですか?」
暑苦しい、という言葉は呑み込む。
須久奈様は指をもじもじ絡め、ちらちらと私を見る。
「お…俺…俺が…手伝おうか?」
待ち望んだ言葉だけど、いざ手伝ってくれるとなると躊躇してしまう。
須久奈様にジャージを着せて、軍手を装着させるなんて絵面、どう足掻いても想像できない。草むしりをさせている姿を母と百花に見られでもしたら、きっと怒られる。お小遣いだって没収の憂き目にあうかもしれない。
「……………でも」と、尻込みしつつ須久奈様を見上げる。
「だ、大丈夫。俺が頑張れば…すぐだから…」
と、須久奈様は頬を赤らめ、私の顔を覗き込んだ。
ちゅ、と素早く頬にキスをする。
「ちょ…なんでキスするんですかっ」
「いっ…い、一花が上目遣いで俺を見るから……催促じゃないのか?見られたら、するだろ?」
「上目遣いで見てません。身長差があるから、見上げる形になるんです。それに、外じゃ禁止だって言いましたよね?」
「一花だって神社でしただろ…。く、くくく口に……口…口……」
須久奈様はふー、ふー、と息を荒げ、両手で顔を覆って身を捩った。
そんなに「口」を連呼されると、こっちまで恥ずかしさに体が震えそうになる。
「あれは!…その…ごめんなさい。言い出しっぺなのに…私が悪かったです。もうしません…」
ぺこり、と軽く頭を下げれば、「なんでだよっ」と不満げな声が返る。
「おっ、俺は一花にいっぱいキ、キス…してほしいし…したい…。見られなければ良いんだろ?」
啄むように頭に、頬に、米神にキスが降って来る。
くすぐったさと気恥ずかしさで目を瞑れば、瞼の上にも唇が触れた。
「も…もう十分です」
逆上せそうになる。
「…じゅ…十分じゃない。キス…したい。一花は…俺が好きなんだろ?お、俺も…す、好き…」
至近距離でじっと見つめられて、心臓が爆発しそうなほど飛び跳ねる。
さらさらと衣擦れの音を立て、そっと頬に触れられただけで、緊張と高揚で胸がきゅっとする。
ほんのり潤んだ鳶色の瞳に見つめられたら、抗うことができなくなる。
性格はアレだけど……やっぱり顔が良い。
肌理の細やかな白い肌に、筋の通った鼻。前髪が邪魔だけどぱっちり二重に、意外と長い睫毛。薄すぎず、厚すぎない形の良い唇は、恐ろしくセクシーだ。この唇がキスを降らせたのだと思うと、胸が高鳴る。
そして、次は私の口に重なろうとしている。
ゆっくりと目を閉じようとした瞬間、頭の隅っこで冷静な自分が悲鳴を上げた。
母から熱中症予防だと、甘酒の他に黒にんにくを食べさせられてるぞ!思い出せ!と、心に急ブレーキがかかる。
「待って、待って、待って!手伝ってくれるんじゃないんですか!?」
唇が触れる寸でのところで頭を仰け反らせれば、須久奈様はキスの形に突き出した唇を引っ込めた。
「な…なんだよ。今、一花だって乗り気だっただろ?」
「私は作業中なんです。邪魔するな部屋に戻って下さい」
深呼吸で顔の熱を取り払いながら離れを指させば、須久奈様は「手伝うよ…」と拗ねたように呟く。
危ない…。
自分ちの庭で、うっかり流されそうになった…。母や百花に目撃でもされれば目も当てられない。
口臭もさることながら、汗だくのジャージ姿でキスなんて絶対に嫌だ。
未遂で終わったことに胸を撫で下ろし、まだ熱い頬を叩いてから須久奈様を見る。
「少し待ってて下さいね。須久奈様の軍手、持って来ます。あと、母と百花ちゃんが来たら隠れて下さい。須久奈様に草むしりさせてたってバレると怒られるので」
「…大丈夫」
須久奈様は「一瞬で終わらせるから」と、空に向けて人差し指をくるくる回す。
もしかすると、何か呪術的な文字を書いているのかもしれないけど、私の目にはくるくる回しているように見える。その指を、とん、と地面についた。
瞬間、そこを中心に見る間に草が萎れて行く。離れの壁に伝う蔓植物のヤブガラシが、目の前で茶色に変色し、ぱらぱらと地面に落ちた。
周囲を見渡せば、茫々と茂っていた雑草が茶色に色褪せ、地面に草臥れると霧散した。まるで、冬枯れを早送りで見せられているような錯覚に陥る。
映画の世界だ。
「す、すごい!神様!」
「ひ、久々だから……上手くいって良かった」
手を叩いて歓喜する私に、須久奈様は真っ赤な顔でもじもじと指を絡める。
ちらちらと期待を込めた視線を寄越し、「じゃ…じゃあ…」と口元をもぞもぞさせる。
「…こ、これで作業は終わりだから…続きしよ。改めて……キ、キキキキ…………」
たぶん、キスしよって言おうとしたんだと思う。
それを言わせなかったのは、ばさり、と須久奈様の頭めがけて落下した茶色いヒマワリだ。
ついさっきまで、燦燦と降り注ぐ太陽光を受けていたヒマワリが、今は見る影もなくカサカサに枯れている。2メートル近く育っていたのに、支柱に添えられていた茎が萎びている。乾涸びた茎は花の重さに耐え兼ね、須久奈様の頭に花を落としたのだ。
よくよく見れば、裏庭の植物が壊滅状態だ。
我が家の宝ともいえる榊すら、風前の灯火となっている。
頭から冷水を浴びせられたように固まった私の心境を代弁したのは、後方で響いた「きゃあああああ!」という悲鳴だ。
振り返れば、珍しくジャージ姿の百花が青い顔で、荒涼たる惨事に見舞われた裏庭を見渡している。手にしたタオルと軍手、日焼け止めスプレーが落ち、震える膝は体重を支え切れずに崩れた。
須久奈様は百花の登場に肩を跳ね上げ、枯れたヒマワリで顔を隠しているけど、もはや笑えないし、可愛くもない。
「これって…失敗ですよね?」
「そ…そうか?ほら……あ、あれだ。一度綺麗さっぱり整理したんだ。……し、失敗じゃない。いっ、一花が好きな植物を植えれば…そ、その……えっと……たぶん、怒られない」
「いえ、怒られます。なにより、綺麗さっぱり無くなったのは、整理とは言いません。失敗です」
きっぱり言い切れば、須久奈様はしょんぼりと眉尻を下げ、力なくヒマワリを足元に落とした。
頭についた枯れた花弁を払い落してやれば、「も、も…1回」とやる気を漲らせる。
「一旦…も、元に戻す」
再びくるくると人差し指を回したかと思うと、とん、と地面をつく。
茶色の裏庭に、緑が芽生える。
榊は瑞々しさを取り戻し、葉脈が光に透かして輝いている。鈴なりに白い花まで咲かせたのだから、拍手を送ってしまうのは許してほしい。
新たに芽吹いたヒマワリもめきめきと成長している。
大きな葉っぱが弾けるように現れ、太陽に向かって黄色の花が開いた。
「す、須久奈様!一花ちゃん!」
引き攣ったような百花の叫びに振り返れば、カラタチバナが赤い実をつけ、トウネズミモチが白い花を咲かせていた。裏庭にはなかった樹木だ。
鳥の糞から育った植物が、ぐんぐんと成長している。
慌てて須久奈様の手を地面から離しても遅い。
ヤマモモとヤマグワまでが育っている。
母屋の屋根にはカラスウリが繁茂し、軒先に赤く色づいた実を垂れ下げている。私たちの真正面に建つ離れに至っては、ヤブガラシに覆われて廃屋の趣だ。
「………森になります………」
須久奈様は目を丸めながら周囲を見渡し、ほんの少し青褪めた。
自慢も、言い訳もなく、無言のままに人差し指をくるくる回すと、とん、と地面をつく。
見る間に植物が枯れ、タイミングが1秒ズレただけで、荒涼とした庭が出来上がる。
そうなれば須久奈様も意地なのだろう。森にする、枯らす、を5回は繰り返した。5回も繰り返せば、須久奈様も感覚を掴むし、百花も立ち直る。
「も…元に戻せた…」と、須久奈様が感極まったように胸を撫でた。
「元に戻せたって、振り出しに戻るってやつですよね…。私が抜いた雑草も元気に復活です」
2時間近い労働が泡と消えてしまった。
それどころか、むしろ草が成長しているし、2時間前までは見なかった種類の雑草までが繁茂する。
ヒマワリはぎっしりと種を詰めて項垂れているし、アメリカセンダングサがトゲトゲの種で威嚇している。セーターとかに引っ付く嫌われもののアレだ。うちでは服に付く種子を”ドロボウ”と言うけど、一般的には”ひっつき虫”と言った気がする。それが裏庭で一大勢力として茂っているのだ。樹木が育っているよりはマシだけど、ゼロからの再スタートどころか、マイナスからの再スタートに身震いしてしまう。
楽をしようとして罰が当たったのだと言われれば、ぐうの音も出ない。
「一花ちゃん。私も手伝うから大丈夫よ」
百花が私の隣に腰を下ろした。
困惑気味の表情は、両手で顔を覆い、さめざめと泣いている須久奈様に向けられている。一応、丁寧に頭を下げてはいるけど、記憶にある気難しげな神様のイメージと乖離しすぎて、気持ちが追い付いていないのが分かる。
「向こうはいいの?」
「お母さんがね、一花ちゃん一人だと大変だからって…」
苦笑する百花に、思わず視線が泳ぐ。
「その…怒ってる?」
「驚いてしまったけど、初めて神様の御力を目の当たりにしたのよ?怒るはずないわ」
ふふっ、と笑う百花に、ほっと胸を撫で下ろす。
「でも、お母さんには内緒にしといて。ズルしようとしたこと……」
「そうね」
百花は言って、眩しそうに榊を仰いだ。
「だったら榊の成長の言い訳を考えないとね」
私の視線も榊へと向かう。
2メートルほどの中木の榊が、今では倍の4メートル超と立派な高木になっている。平屋である離れと同じくらいの高さにまで成長したのだ。どう言い訳すれば納得してもらえるのか、皆目見当もつかない。
どうしたものかと考え込んでいる隣で、須久奈様が袖口で顔を隠しながら立ち上がった。
「お……お、俺…俺が未熟だから…」
猫背になってしくしく泣いて、一歩、後退する。
そして、「うわぁああああ!」と泣き叫びながら離れへと駆け込んで行った。
それに驚いたのは百花だ。心配そうに眉を八の字にして須久奈様を見送っているけど、私は騙されない。
あれは完全に逃げたのだ。
「最低っ!」
ぶちぶちと雑草を引き抜くと、それを思いっきり離れの壁に投げつけた。
夏休みの課題が一瞬で終了するとか、お小遣いがUPするとか、熱中症の心配がないとか、蚊に刺されないとか、そういったことではないらしい。
課題は自分でやらなくちゃならない。
臨時収入がほしければ、酒販店の手伝いに奔走するしかない。
水分補給は必要だし、虫よけスプレーをしても飛んで来る蚊は叩き落とすしかない。
「………須久奈様」
ぶちぶちっ、と雑草を引っこ抜きながら、疲弊した顔で須久奈様を見上げる。
学校ジャージで軍手を嵌め、肩にタオルを引っ掛けた私とは対照的に、須久奈様は水浅葱色の清涼感ある紗の着物を着つけている。炎天下にありながら汗一つなく、にこにこ……というよりは、ニタニタァとした笑顔で私を見下ろしている。
相変わらず、笑い方が下手糞で気持ち悪い。
私はため息を嚥下して、眩い陽射しに目を細める。
「加護って……なんですか?」
「か…加護?え?…なに?きゅ、急に…どうした?」
「別に急って訳じゃないです。ずっと疑問だったんです」
須久奈様から手許の草に視線を落とし、のろのろと雑草を引っこ抜く。
雑草は抜いても抜いても終わりが見えない。
裏庭の草むしりは、夏には必要な作業だ。放置していれば茫々と草が茂り、藪蚊やダニの棲み処になりかねない。なにより、神様の住まいが荒れ果てては母からの説教コースだ。かといって、除草剤はNGという。
昨年までは、母と百花の2人で対処していたんだから頭が下がる。
「須久奈様、言いましたよね?ありったけの加護をあげるって。その加護って言葉が曖昧過ぎて、いまいちピンとこないんです」
「あ…ああ、そういうことか。か…加護っていうのは、神が人間を助け守ることだ。つ、つまり、俺が…いっ、一花を助け守るってこと」
気恥ずかしそうに腰をくねらせているけれど、全く助けられている気がしない。
須久奈様に草むしりしろとは言えないけど…。
まぁ、こうして外に出て来てるだけでも一歩前進。喜ばしいことなんだろう。
私が嘆息したのを何と勘違いしたのか、「は、恥じなくて良い」と口にする。
「い…意味が分からないことがあれば、なんでも俺に訊けばいい。お、俺は、一花の…そ、そそういう…無知なところも可愛いくて好きだから…」
へへへっ、と不気味に笑い、須久奈様が私の隣に腰をおろした。
大きな体を窮屈に丸めて、ぐいぐいと肩を寄せて来る。
「なんですか?」
暑苦しい、という言葉は呑み込む。
須久奈様は指をもじもじ絡め、ちらちらと私を見る。
「お…俺…俺が…手伝おうか?」
待ち望んだ言葉だけど、いざ手伝ってくれるとなると躊躇してしまう。
須久奈様にジャージを着せて、軍手を装着させるなんて絵面、どう足掻いても想像できない。草むしりをさせている姿を母と百花に見られでもしたら、きっと怒られる。お小遣いだって没収の憂き目にあうかもしれない。
「……………でも」と、尻込みしつつ須久奈様を見上げる。
「だ、大丈夫。俺が頑張れば…すぐだから…」
と、須久奈様は頬を赤らめ、私の顔を覗き込んだ。
ちゅ、と素早く頬にキスをする。
「ちょ…なんでキスするんですかっ」
「いっ…い、一花が上目遣いで俺を見るから……催促じゃないのか?見られたら、するだろ?」
「上目遣いで見てません。身長差があるから、見上げる形になるんです。それに、外じゃ禁止だって言いましたよね?」
「一花だって神社でしただろ…。く、くくく口に……口…口……」
須久奈様はふー、ふー、と息を荒げ、両手で顔を覆って身を捩った。
そんなに「口」を連呼されると、こっちまで恥ずかしさに体が震えそうになる。
「あれは!…その…ごめんなさい。言い出しっぺなのに…私が悪かったです。もうしません…」
ぺこり、と軽く頭を下げれば、「なんでだよっ」と不満げな声が返る。
「おっ、俺は一花にいっぱいキ、キス…してほしいし…したい…。見られなければ良いんだろ?」
啄むように頭に、頬に、米神にキスが降って来る。
くすぐったさと気恥ずかしさで目を瞑れば、瞼の上にも唇が触れた。
「も…もう十分です」
逆上せそうになる。
「…じゅ…十分じゃない。キス…したい。一花は…俺が好きなんだろ?お、俺も…す、好き…」
至近距離でじっと見つめられて、心臓が爆発しそうなほど飛び跳ねる。
さらさらと衣擦れの音を立て、そっと頬に触れられただけで、緊張と高揚で胸がきゅっとする。
ほんのり潤んだ鳶色の瞳に見つめられたら、抗うことができなくなる。
性格はアレだけど……やっぱり顔が良い。
肌理の細やかな白い肌に、筋の通った鼻。前髪が邪魔だけどぱっちり二重に、意外と長い睫毛。薄すぎず、厚すぎない形の良い唇は、恐ろしくセクシーだ。この唇がキスを降らせたのだと思うと、胸が高鳴る。
そして、次は私の口に重なろうとしている。
ゆっくりと目を閉じようとした瞬間、頭の隅っこで冷静な自分が悲鳴を上げた。
母から熱中症予防だと、甘酒の他に黒にんにくを食べさせられてるぞ!思い出せ!と、心に急ブレーキがかかる。
「待って、待って、待って!手伝ってくれるんじゃないんですか!?」
唇が触れる寸でのところで頭を仰け反らせれば、須久奈様はキスの形に突き出した唇を引っ込めた。
「な…なんだよ。今、一花だって乗り気だっただろ?」
「私は作業中なんです。邪魔するな部屋に戻って下さい」
深呼吸で顔の熱を取り払いながら離れを指させば、須久奈様は「手伝うよ…」と拗ねたように呟く。
危ない…。
自分ちの庭で、うっかり流されそうになった…。母や百花に目撃でもされれば目も当てられない。
口臭もさることながら、汗だくのジャージ姿でキスなんて絶対に嫌だ。
未遂で終わったことに胸を撫で下ろし、まだ熱い頬を叩いてから須久奈様を見る。
「少し待ってて下さいね。須久奈様の軍手、持って来ます。あと、母と百花ちゃんが来たら隠れて下さい。須久奈様に草むしりさせてたってバレると怒られるので」
「…大丈夫」
須久奈様は「一瞬で終わらせるから」と、空に向けて人差し指をくるくる回す。
もしかすると、何か呪術的な文字を書いているのかもしれないけど、私の目にはくるくる回しているように見える。その指を、とん、と地面についた。
瞬間、そこを中心に見る間に草が萎れて行く。離れの壁に伝う蔓植物のヤブガラシが、目の前で茶色に変色し、ぱらぱらと地面に落ちた。
周囲を見渡せば、茫々と茂っていた雑草が茶色に色褪せ、地面に草臥れると霧散した。まるで、冬枯れを早送りで見せられているような錯覚に陥る。
映画の世界だ。
「す、すごい!神様!」
「ひ、久々だから……上手くいって良かった」
手を叩いて歓喜する私に、須久奈様は真っ赤な顔でもじもじと指を絡める。
ちらちらと期待を込めた視線を寄越し、「じゃ…じゃあ…」と口元をもぞもぞさせる。
「…こ、これで作業は終わりだから…続きしよ。改めて……キ、キキキキ…………」
たぶん、キスしよって言おうとしたんだと思う。
それを言わせなかったのは、ばさり、と須久奈様の頭めがけて落下した茶色いヒマワリだ。
ついさっきまで、燦燦と降り注ぐ太陽光を受けていたヒマワリが、今は見る影もなくカサカサに枯れている。2メートル近く育っていたのに、支柱に添えられていた茎が萎びている。乾涸びた茎は花の重さに耐え兼ね、須久奈様の頭に花を落としたのだ。
よくよく見れば、裏庭の植物が壊滅状態だ。
我が家の宝ともいえる榊すら、風前の灯火となっている。
頭から冷水を浴びせられたように固まった私の心境を代弁したのは、後方で響いた「きゃあああああ!」という悲鳴だ。
振り返れば、珍しくジャージ姿の百花が青い顔で、荒涼たる惨事に見舞われた裏庭を見渡している。手にしたタオルと軍手、日焼け止めスプレーが落ち、震える膝は体重を支え切れずに崩れた。
須久奈様は百花の登場に肩を跳ね上げ、枯れたヒマワリで顔を隠しているけど、もはや笑えないし、可愛くもない。
「これって…失敗ですよね?」
「そ…そうか?ほら……あ、あれだ。一度綺麗さっぱり整理したんだ。……し、失敗じゃない。いっ、一花が好きな植物を植えれば…そ、その……えっと……たぶん、怒られない」
「いえ、怒られます。なにより、綺麗さっぱり無くなったのは、整理とは言いません。失敗です」
きっぱり言い切れば、須久奈様はしょんぼりと眉尻を下げ、力なくヒマワリを足元に落とした。
頭についた枯れた花弁を払い落してやれば、「も、も…1回」とやる気を漲らせる。
「一旦…も、元に戻す」
再びくるくると人差し指を回したかと思うと、とん、と地面をつく。
茶色の裏庭に、緑が芽生える。
榊は瑞々しさを取り戻し、葉脈が光に透かして輝いている。鈴なりに白い花まで咲かせたのだから、拍手を送ってしまうのは許してほしい。
新たに芽吹いたヒマワリもめきめきと成長している。
大きな葉っぱが弾けるように現れ、太陽に向かって黄色の花が開いた。
「す、須久奈様!一花ちゃん!」
引き攣ったような百花の叫びに振り返れば、カラタチバナが赤い実をつけ、トウネズミモチが白い花を咲かせていた。裏庭にはなかった樹木だ。
鳥の糞から育った植物が、ぐんぐんと成長している。
慌てて須久奈様の手を地面から離しても遅い。
ヤマモモとヤマグワまでが育っている。
母屋の屋根にはカラスウリが繁茂し、軒先に赤く色づいた実を垂れ下げている。私たちの真正面に建つ離れに至っては、ヤブガラシに覆われて廃屋の趣だ。
「………森になります………」
須久奈様は目を丸めながら周囲を見渡し、ほんの少し青褪めた。
自慢も、言い訳もなく、無言のままに人差し指をくるくる回すと、とん、と地面をつく。
見る間に植物が枯れ、タイミングが1秒ズレただけで、荒涼とした庭が出来上がる。
そうなれば須久奈様も意地なのだろう。森にする、枯らす、を5回は繰り返した。5回も繰り返せば、須久奈様も感覚を掴むし、百花も立ち直る。
「も…元に戻せた…」と、須久奈様が感極まったように胸を撫でた。
「元に戻せたって、振り出しに戻るってやつですよね…。私が抜いた雑草も元気に復活です」
2時間近い労働が泡と消えてしまった。
それどころか、むしろ草が成長しているし、2時間前までは見なかった種類の雑草までが繁茂する。
ヒマワリはぎっしりと種を詰めて項垂れているし、アメリカセンダングサがトゲトゲの種で威嚇している。セーターとかに引っ付く嫌われもののアレだ。うちでは服に付く種子を”ドロボウ”と言うけど、一般的には”ひっつき虫”と言った気がする。それが裏庭で一大勢力として茂っているのだ。樹木が育っているよりはマシだけど、ゼロからの再スタートどころか、マイナスからの再スタートに身震いしてしまう。
楽をしようとして罰が当たったのだと言われれば、ぐうの音も出ない。
「一花ちゃん。私も手伝うから大丈夫よ」
百花が私の隣に腰を下ろした。
困惑気味の表情は、両手で顔を覆い、さめざめと泣いている須久奈様に向けられている。一応、丁寧に頭を下げてはいるけど、記憶にある気難しげな神様のイメージと乖離しすぎて、気持ちが追い付いていないのが分かる。
「向こうはいいの?」
「お母さんがね、一花ちゃん一人だと大変だからって…」
苦笑する百花に、思わず視線が泳ぐ。
「その…怒ってる?」
「驚いてしまったけど、初めて神様の御力を目の当たりにしたのよ?怒るはずないわ」
ふふっ、と笑う百花に、ほっと胸を撫で下ろす。
「でも、お母さんには内緒にしといて。ズルしようとしたこと……」
「そうね」
百花は言って、眩しそうに榊を仰いだ。
「だったら榊の成長の言い訳を考えないとね」
私の視線も榊へと向かう。
2メートルほどの中木の榊が、今では倍の4メートル超と立派な高木になっている。平屋である離れと同じくらいの高さにまで成長したのだ。どう言い訳すれば納得してもらえるのか、皆目見当もつかない。
どうしたものかと考え込んでいる隣で、須久奈様が袖口で顔を隠しながら立ち上がった。
「お……お、俺…俺が未熟だから…」
猫背になってしくしく泣いて、一歩、後退する。
そして、「うわぁああああ!」と泣き叫びながら離れへと駆け込んで行った。
それに驚いたのは百花だ。心配そうに眉を八の字にして須久奈様を見送っているけど、私は騙されない。
あれは完全に逃げたのだ。
「最低っ!」
ぶちぶちと雑草を引き抜くと、それを思いっきり離れの壁に投げつけた。
0
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。

【完結】フェリシアの誤算
伽羅
恋愛
前世の記憶を持つフェリシアはルームメイトのジェシカと細々と暮らしていた。流行り病でジェシカを亡くしたフェリシアは、彼女を探しに来た人物に彼女と間違えられたのをいい事にジェシカになりすましてついて行くが、なんと彼女は公爵家の孫だった。
正体を明かして迷惑料としてお金をせびろうと考えていたフェリシアだったが、それを言い出す事も出来ないままズルズルと公爵家で暮らしていく事になり…。

[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?
シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。
クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。
貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ?
魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。
ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。
私の生活を邪魔をするなら潰すわよ?
1月5日 誤字脱字修正 54話
★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。

もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。

【完結】番である私の旦那様
桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族!
黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。
バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。
オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。
気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。
でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!)
大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです!
神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。
前半は転移する前の私生活から始まります。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる