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梅雨が明けた。
抜けるような青い空に、ぽつぽつと真っ白な雲が浮かぶ。湿度を払い除けるように強い陽射しが降り注ぎ、蝉時雨が「夏休み間近!」の雰囲気を醸し出している。
私たちは大きなトラウマもなく、日常を取り戻すことが出来た。
誓志は部活中心の生活に戻り、朝早くに家を出て、日が沈む頃にくたくたになって帰って来る。こんがり焼いた肌は、見ているだけで痛々しいのに、本人は気にも留めていない。
赤点を取らない程度に勉強を頑張り、部活に精を出すという具合だ。
ただ、以前よりも信仰心が篤くなったと思う。
神棚に合わせていた手が、意味を持つようになったし、率先して神棚の掃除を手伝うようにもなった。特に須久奈様と神直日神への信仰心は突出して見える。
それはなにも誓志だけに限ったことじゃない。
2柱への信仰心を高めているのは、父も同じだ。
神事で起きた怪異が、父の疑心を払拭した。誓志でさえ神様に対して偶像崇拝と言っていたのだ。他所から婿入りした父は、神様を崇めながらも、心のどこかで違和感を抱え続けていたに違いない。それが、あの日を境に信心深くなった。
あの日、あの場に居合わせた人たちはみんな、人ならざるものの畏れと、神様の威光を見たのだと聞いた。
内情を知る父は、死ぬほど怖かったのだという。私たちが、その恐怖と対峙している事実が恐ろしかったのだと泣いていた。
そこから救い出してくれた須久奈様と神直日神は、父にとってはヒーローに等しいのだろう。日々感謝し、神棚に平伏している。
母は呆れているけど、変な宗教にハマった訳じゃないと放置している。
百花は秋一くんと良く話すようになった。進展のほどは分からないけど、秋一くんから映画に誘われたのだと、嬉しそうにしていた。
もう2人には縁結びは必要ないのだろう。
それでも、なんとなく四つ葉のクローバーを探すのは、須久奈様を引っ張り出す口実が欲しかったからなのだと思う。
稲荷神社の四つ葉のクローバーは願いを叶えてくれる。
参道脇の草むらにしゃがみ込んだ藍色の着物姿に、口元が綻んでしまう。
母も百花も家にいて、神社に人気はないけど、ここに来るまでに多くの人たちが行き交っていた。一応は城下町だ。賑わうほどではなくても、観光客は行き交う。
それなのに、四つ葉のクローバー探しに付き合ってくれている。
背中を丸め、熱心に草むらを探る姿が、素直に可愛く思える。
「そこは境内に入るんですか?」
須久奈様の隣に腰を下ろせば、「入るだろ」と唇を尖らせた。
気恥ずかしそうに頬を染め、もじもじと指を絡ませながら、足元に広がるクローバーに視線を泳がせる。
「お…俺が……入るって言ったら入る。か、神だぞ…」
なぜか自信なさげに眉尻を下げる須久奈様に苦笑が漏れる。
もっと堂々と言えばいいのに、おどおどと視線を泳がせ、もっさりとした前髪を引っ張って顔を隠す。
「あ…あ、あんまり見るな。恥ずかしいから……」
「そんなに見てないですよ?」
「じ、自覚がないのか?」
「目を真っ直ぐ見て話すのは、もう癖です」
また説教かなと嘆息したのに、須久奈様は緩く頭を振った。
「…たぶん…それが一花なんだろうな…。だから……その、あの……お、俺は……」
しどろもどろに呟き、須久奈様の顔が上気する。
次の言葉を辛抱強く待っていると、「あ!」と嬉しそうな声を上げた。
「いっ…一花!あ、あ、あった!」
破顔して、須久奈様の手がクローバーの茎を摘まみ取った。
「ほら」と、私の目の前に掲げられたクローバーには、ハート型の葉が4枚ある。
「おお~」と感嘆の声が出る。
ぱちぱちと拍手すれば、須久奈様は照れ臭そうに「へへへっ」と笑った。
「凄いです。須久奈様」
パーカーのポケットからハンカチを取り出して広げると、須久奈様が丁寧に四つ葉のクローバーを置いた。
「あ、あと…これも…」と、須久奈様の手が衿元から奇妙な草を取り出す。
よくよく見れば、うじゃうじゃと歪な葉を茂らせたクローバーだ。
ここまで葉が茂ると、クローバーとは別種の植物に見える。三つ葉、四つ葉は可愛いのに、ここまで派手になると可愛さの欠片もない。
実に気持ち悪い。
「凄すぎて…言葉が出ないです」
眉根を寄せた私に、須久奈様は苦笑する。
「九つ葉……い、一花にあげる」と、四つ葉のクローバーの横に並べて置く。
「九つ!九つもあるんですか?」
「う、うん。一花に……」
「私が貰っていいんですか?」
「う…うん」
須久奈様は口元を綻ばせ、こてんと首を傾げ、抱えた膝に頬を寄せる。
さらりと前髪が流れ、ほんのり潤んだ瞳と目が合った。
あざと可愛い仕草に、心臓が跳ねる。
自分の顔の価値を知ってて見せてるのなら、かなり強かだ。
「ク…クローバーには意味があるの…知ってる?」
無言で頭を振ると、須久奈様は微笑んだ。
「四つ葉の幸運くらいしか知りません」
「クローバーの葉は…そ、それぞれ意味があるんだ。一つ葉は初恋。二つ葉は出会い。三つ葉は愛。四つ葉は幸運。五つ葉は財運。六つ葉は名誉。七つ葉は無限の幸福。八つ葉は子孫繁栄。そして九つ葉は…神の運」
「神の…運?」
「そ…そう」
須久奈様は頭を上げ、徐に足元に広がるクローバーの茂みに手を伸ばした。
「い…一花に…神の運。お、俺がありったけの加護をあげる」
そう言って、須久奈様はシロツメクサを一輪手折ると、そっと私の耳元に差した。
「一花……お…俺のお嫁さんになって?」
頬に添えられた手の熱か、それとも私の顔が上気しているのか………。
我が家の常駐の神様は根暗で、恥ずかしがり屋で、気持ち悪くて、たまに畏ろしい一面を垣間見せるけど、とても愛情深い神様だということを私は知っている。
”一花”をくれた嬉しさも、あの夜、こっそり神様の後ろ姿を覗き見た高揚感も、今も鮮明に覚えている。
好きになったのは最近だと思ってたけど、ずっと想ってたのは私の方だったのだ。
きっと苦労するんだろうな、と思う。
それでも離れたくはない気持ちを自覚してしまえば、答えはひとつしかない。
私は苦笑し、須久奈様の唇にキスを送った。
抜けるような青い空に、ぽつぽつと真っ白な雲が浮かぶ。湿度を払い除けるように強い陽射しが降り注ぎ、蝉時雨が「夏休み間近!」の雰囲気を醸し出している。
私たちは大きなトラウマもなく、日常を取り戻すことが出来た。
誓志は部活中心の生活に戻り、朝早くに家を出て、日が沈む頃にくたくたになって帰って来る。こんがり焼いた肌は、見ているだけで痛々しいのに、本人は気にも留めていない。
赤点を取らない程度に勉強を頑張り、部活に精を出すという具合だ。
ただ、以前よりも信仰心が篤くなったと思う。
神棚に合わせていた手が、意味を持つようになったし、率先して神棚の掃除を手伝うようにもなった。特に須久奈様と神直日神への信仰心は突出して見える。
それはなにも誓志だけに限ったことじゃない。
2柱への信仰心を高めているのは、父も同じだ。
神事で起きた怪異が、父の疑心を払拭した。誓志でさえ神様に対して偶像崇拝と言っていたのだ。他所から婿入りした父は、神様を崇めながらも、心のどこかで違和感を抱え続けていたに違いない。それが、あの日を境に信心深くなった。
あの日、あの場に居合わせた人たちはみんな、人ならざるものの畏れと、神様の威光を見たのだと聞いた。
内情を知る父は、死ぬほど怖かったのだという。私たちが、その恐怖と対峙している事実が恐ろしかったのだと泣いていた。
そこから救い出してくれた須久奈様と神直日神は、父にとってはヒーローに等しいのだろう。日々感謝し、神棚に平伏している。
母は呆れているけど、変な宗教にハマった訳じゃないと放置している。
百花は秋一くんと良く話すようになった。進展のほどは分からないけど、秋一くんから映画に誘われたのだと、嬉しそうにしていた。
もう2人には縁結びは必要ないのだろう。
それでも、なんとなく四つ葉のクローバーを探すのは、須久奈様を引っ張り出す口実が欲しかったからなのだと思う。
稲荷神社の四つ葉のクローバーは願いを叶えてくれる。
参道脇の草むらにしゃがみ込んだ藍色の着物姿に、口元が綻んでしまう。
母も百花も家にいて、神社に人気はないけど、ここに来るまでに多くの人たちが行き交っていた。一応は城下町だ。賑わうほどではなくても、観光客は行き交う。
それなのに、四つ葉のクローバー探しに付き合ってくれている。
背中を丸め、熱心に草むらを探る姿が、素直に可愛く思える。
「そこは境内に入るんですか?」
須久奈様の隣に腰を下ろせば、「入るだろ」と唇を尖らせた。
気恥ずかしそうに頬を染め、もじもじと指を絡ませながら、足元に広がるクローバーに視線を泳がせる。
「お…俺が……入るって言ったら入る。か、神だぞ…」
なぜか自信なさげに眉尻を下げる須久奈様に苦笑が漏れる。
もっと堂々と言えばいいのに、おどおどと視線を泳がせ、もっさりとした前髪を引っ張って顔を隠す。
「あ…あ、あんまり見るな。恥ずかしいから……」
「そんなに見てないですよ?」
「じ、自覚がないのか?」
「目を真っ直ぐ見て話すのは、もう癖です」
また説教かなと嘆息したのに、須久奈様は緩く頭を振った。
「…たぶん…それが一花なんだろうな…。だから……その、あの……お、俺は……」
しどろもどろに呟き、須久奈様の顔が上気する。
次の言葉を辛抱強く待っていると、「あ!」と嬉しそうな声を上げた。
「いっ…一花!あ、あ、あった!」
破顔して、須久奈様の手がクローバーの茎を摘まみ取った。
「ほら」と、私の目の前に掲げられたクローバーには、ハート型の葉が4枚ある。
「おお~」と感嘆の声が出る。
ぱちぱちと拍手すれば、須久奈様は照れ臭そうに「へへへっ」と笑った。
「凄いです。須久奈様」
パーカーのポケットからハンカチを取り出して広げると、須久奈様が丁寧に四つ葉のクローバーを置いた。
「あ、あと…これも…」と、須久奈様の手が衿元から奇妙な草を取り出す。
よくよく見れば、うじゃうじゃと歪な葉を茂らせたクローバーだ。
ここまで葉が茂ると、クローバーとは別種の植物に見える。三つ葉、四つ葉は可愛いのに、ここまで派手になると可愛さの欠片もない。
実に気持ち悪い。
「凄すぎて…言葉が出ないです」
眉根を寄せた私に、須久奈様は苦笑する。
「九つ葉……い、一花にあげる」と、四つ葉のクローバーの横に並べて置く。
「九つ!九つもあるんですか?」
「う、うん。一花に……」
「私が貰っていいんですか?」
「う…うん」
須久奈様は口元を綻ばせ、こてんと首を傾げ、抱えた膝に頬を寄せる。
さらりと前髪が流れ、ほんのり潤んだ瞳と目が合った。
あざと可愛い仕草に、心臓が跳ねる。
自分の顔の価値を知ってて見せてるのなら、かなり強かだ。
「ク…クローバーには意味があるの…知ってる?」
無言で頭を振ると、須久奈様は微笑んだ。
「四つ葉の幸運くらいしか知りません」
「クローバーの葉は…そ、それぞれ意味があるんだ。一つ葉は初恋。二つ葉は出会い。三つ葉は愛。四つ葉は幸運。五つ葉は財運。六つ葉は名誉。七つ葉は無限の幸福。八つ葉は子孫繁栄。そして九つ葉は…神の運」
「神の…運?」
「そ…そう」
須久奈様は頭を上げ、徐に足元に広がるクローバーの茂みに手を伸ばした。
「い…一花に…神の運。お、俺がありったけの加護をあげる」
そう言って、須久奈様はシロツメクサを一輪手折ると、そっと私の耳元に差した。
「一花……お…俺のお嫁さんになって?」
頬に添えられた手の熱か、それとも私の顔が上気しているのか………。
我が家の常駐の神様は根暗で、恥ずかしがり屋で、気持ち悪くて、たまに畏ろしい一面を垣間見せるけど、とても愛情深い神様だということを私は知っている。
”一花”をくれた嬉しさも、あの夜、こっそり神様の後ろ姿を覗き見た高揚感も、今も鮮明に覚えている。
好きになったのは最近だと思ってたけど、ずっと想ってたのは私の方だったのだ。
きっと苦労するんだろうな、と思う。
それでも離れたくはない気持ちを自覚してしまえば、答えはひとつしかない。
私は苦笑し、須久奈様の唇にキスを送った。
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