皇弟殿下お断り!

衣更月

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恐怖の執念

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 クラレンス様との婚約者っぽいやり取りは、週に1度の恋文くらいかもしれない。
 デートで購入したレターセットを使った恋文は、私宛だけど対象者はフラック男爵令嬢宛になる。なので、恋文を受け取ると、開封することなく味気ない茶封筒に押し込んで侍女に託すのだ。
 反対に、フラック男爵令嬢から届く手紙は2通。1通は私を介したクラレンス様宛で、もう1通が私宛となる。内容は謝罪と感謝。あとは他愛ないお喋りといった感じの文になる。
 丁寧な文は、彼女の人柄を垣間見せてくれる。
 丸みを帯びた文字は愛らしく、フラック男爵家の庭で摘んだカミツレの押し花が同封されることもある。
 妬み嫉みは一切ない文章は、彼女の優しい人となりを忍ばせる。
 本当はクラレンス様と直接やり取りしたいと思う。
 けどね、どこに皇弟の間者がいるか分からない。
 なんて厄介な相手なのかしら!
「早く諦めてくれれば良いのに」
 昨日届いたフラック男爵令嬢の手紙を今度はクラレンス様宛て送らなければ、と便箋を用意している途中でノックがした。
 引き出しから便箋を取り出しつつ「どうぞ」と言えば、ロージーが入ってくる。
「お嬢様。クラレンス様がお見えになりました」
「ん?そんな約束してたっけ?」
「いいえ。知らせもなく来たことを謝罪していましたので、不測の事態が起きたと思われます。クラレンス様の顔色も非常に悪く…。今はイザベラ様が対応に出ています」
 不測の事態?
 一体何が起きたというの?
 でも、手紙を送る手間が省けたわ。
 取り出した便箋を引き出しに戻し、代わりにフラック男爵令嬢からの手紙を手に「すぐ行くわ」と立ち上がる。
 聖女の制服というのは楽なもので、何から何まで免罪符として使える。これが実家なら、来客に会うだけでドレスを着替え、白粉を叩き、紅を引き、ヘアスタイルを決めなければならない。
 でも、聖女にそんなことは関係ない。
 服装は決まっているし、化粧だって薄っすらと清楚に見えるような控えめが推奨される。髪は首の後ろで一括りにするか、ポニーテールが定番だ。
 ロージーの後ろをついて歩きながら、とりあえずスカートの皺を軽く伸ばすことはする。
 大神殿には応接室が幾つもある。
 しかも応接室にはランクがあり、王族や高位貴族を迎えるのは離れの応接室となる。
 クラレンス様は侯爵令息だけど、爵位があるのは父親でクラレンス様ではない。なので、案内されるのはありふれた応接室の1つになる。
 コンコン。
 ロージーがノックの後にドアを開ければ、真っ白い顔をしたクラレンス様が直立不動でこちらを見ていた。
 お化けかと、ちょっとびっくりしたのは内緒だ。
 イザベラ様はソファに座して、少しだけ困惑の表情を浮かべている。
 あまり良い兆候ではないわね。
「お待たせ致しました」
 2人の様子を交互に観察しながら、胸の中にストレスが蓄積するのが分かる。
「クラレンス様。こちら、フラック男爵令嬢からのお手紙です」
 すすす、と顔色悪いクラレンス様に歩み寄り、手紙を手渡す。
「ありがとうございます…」
 今にも泣きそうな笑顔が、大事そうに手紙を見つめている。
 ますます何があったの?
 戦々恐々としていると、クラレンス様は私に向かって頭を下げた。
「シルヴィア1等級聖女様、先触れもなく押しかけてしまい誠に申し訳ございません」
「い…いえ、構いませんよ。聞けば急を要するとのことですし。緊急の要件に先触れなど手間でしかありませんわ」
 クラレンス様にソファを進めてから、私も腰を落ち着ける。
 目を向けるのは、クラレンス様ではなくイザベラ様だ。クラレンス様も同様に、イザベラ様へと目を向けている。
「あの…何が起きたのでしょう?」
 応接室の空気が重い。
 ほんの数秒の沈黙が、窒息するほどの長い時間に感じる。
「今朝」
 イザベラ様が私を見据えて、ほんの僅かに眉尻を下げた。
「エスクード侯爵家に先触れもなく、ブラウニンガー公爵が非公式で訪問されました」
 なんということ!
 クラレンス様の顔色の悪さの理由が分かったわ。
 大国の皇弟だからと言って、あまりにも嫌がらせがすぎる。
 イザベラ様の次にクラレンス様に突撃するなんて、手についた松脂まつやに並みにしつこいわ!
「幸運なことに父は登城、母はミュルディス公爵家に呼ばれていて留守でした。私とシルヴィア1等級聖女様の婚約は偽装。モニカを快く思っていない両親に知られれば、これ幸いとシルヴィア1等級聖女様と本当に婚約を結んでしまいますから…」
「それを避ける為に、あえて侯爵が留守の時を狙ったとも受け取れますわね」
 イザベラ様が肩を竦め、私とクラレンス様はぞっとした。
 そんな微調整ができるなんて、侯爵家の情報が筒抜けということだ。
「クラレンスでは、ブラウニンガー公爵相手には力不足。上手く躱せる腹芸1つも出来なかったでしょう?」
 図星だったのか、クラレンス様がしおしおと項垂れる。
「すみません…。シルヴィア1等級聖女様、私では盾にもなれませんでした」
 土下座しそうな勢いでクラレンス様が頭を下げた。
 いえいえ、こちらこそ無理なお願いをしたので気にしてませんよ。なんて言えればいいのに、衝撃が大きすぎて言葉が出ないわ!
 皇弟怖っ!!
 執念が凄すぎるわ!!
 そこまでして1等級聖女が欲しいの!?
 イケメンらしいけど、かなり性格がヤバめっぽいわ。
 そもそもイケメンで、皇弟で現公爵が独身って時点でヤバめだわ…。
 女性が忌避する何かがあるに違いない。
 ヤバめの性癖とか、嗜虐思考とか…。もしくは、クラレンス様のような身分違いの恋人がいて、白い結婚を求めているとか?小説でよくある「お前を愛することはない!」とか叫ぶクズ男系かしら?そんなことを叫んだ後に溺愛するキモ男系かしら?
 男色の線もあるんじゃない?
 隠れ蓑の生贄が必要。どうせならお金になりそうな聖女が一石二鳥とか思ってたりする?
「シルヴィアさん?あなた、どこかでブラウニンガー公爵とお会いしたことはない?」
 イザベラ様の問いに、全力で頭を振る。
「でも、おかしいのよ。秘匿聖女であるシルヴィアさんを名指ししているでしょう?さらに、この執着というか執念。絶対にブラウニンガー公爵はシルヴィアさんを知っていると思うの」
「それには私も同意します。ブラウニンガー公爵は1等級聖女ではなく、シルヴィア様に執着しているように思えました」
 ぶるり、とクラレンス様が震えた。
 一体、何が遭ったというのか…。
「こうなってしまっては、一度ブラウニンガー公爵とお会いするしかないでしょうね。そして、面と向かってお断りなさい」
「うぅ…………怖いです」
「大丈夫よ。わたくしも、アナスタシアさんも同席しますわ」
 まるで断頭台の階段を上る心境で、私は「はい…」と消え入るように頷いた。
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