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聖女(前編)
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吹けば飛ぶような弱小国フランシス王国は、大国フェルスター皇国と隣り合わせながらも呑み込まれることなく、むしろ最強の後ろ盾として守られている。
その理由は単純明快。
世界で唯一、フランシス王国だけに聖女が生まれるからだ。
聖女と言っても、物語に出てくるような特別な家系の清廉潔白な唯一無二の美少女のことではない。
6才で行われる魔力検査で、治癒、もしくは浄化の適性の出た女性が、一定の年齢に達して神殿に入ると聖女という地位を与える。男性なら武勲を立てて士爵を叙勲されるのと同じで、女性なら聖女だ。
ちなみに、聖女が使う力を治癒魔法や浄化魔法などと言われているけど、これらは正確には魔法ではない。
魔法は精霊の加護により力を借り入れるのに対し、聖女の使う治癒と浄化は月の女神ミスラヴァ様の加護を受け、自身の魔力に上乗せして発動する力となる。
なので、一緒くたにすれば神殿のお偉いさんが大激怒する。
便宜上、治癒魔法、浄化魔法と言われているけど、聖女は絶対に「治癒魔法」「浄化魔法」とは言わない。
そんな聖女は、友好国に貸し出される。
貸し出されるなんて物みたいな言い方だけど、実際にそうなのだから仕方ない。
それに対して聖女が異を唱えることもない。
聖女は衣食住を保証され、給料も出る。各地に出張する場合は特別手当が、他国へ遠征する場合は特別手当に危険手当までが上乗せだ。平民出の聖女は依頼があれば喜んで出張に応じる。貴族家の聖女は箔が付き嫁ぎ先に困らなくなるので、こちらも真面目に遠征する。
結婚する聖女は、還俗を許されているので、結婚適齢期までの腰かけ、箔付けが多かったりする。
還俗を許されているのは、聖女の子が聖女になる確率が高いから。あと、ゆるゆる規則の方が聖女自らが神殿に来てくれるという打算もあると思う。
何十年も昔は処女性を貴び、強制出家だったらしく、多くの聖女が雲隠れしたそうな。国としても神殿としても一大事なので、規則はゆるゆるになったし、福利厚生もばっちし完備となった。
まぁ、子供を産んでも能力が消えるわけじゃないので、聖女量産の方が旨味があると気づいたのだろう。
ということで、フランシス王国の特産物は聖女である。
一概に聖女とは言っても、実は等級がある。
治癒や浄化の魔力量や技量によって1等級から3等級に区分けされている。一番多いのが3等級。次いで2等級で、他国の要請で出張できるのは2等級からだ。
そして、1等級に在籍する聖女は僅か3名。
3名の聖女は警備の問題もあって1名を除いて秘匿扱い。
なぜ1名を除いてなのかと言えば、国内外に聖女をアピールするために公けの場に出る必要があるからだ。
その1名が、王家の血を引く公爵令嬢…令嬢という年齢ではないけど、未婚で公爵家に籍を置いているので令嬢なのだと思う。
イザベラ・ミュルディス1等級聖女。
年齢は40代半ばの未婚。でも聖女だからか見た目は20代後半くらいと若々しい美魔女。いや美聖女だ。
未婚を貫いているのは、十代の時に元婚約者が浮気。相手を孕ませ、婚約破棄騒動を起こしたという。クズ男のせいで男性不信となったイザベラ様は、涯独身を女神ミスラヴァ様に誓ったそうだ。
さらに元婚約者の実家である公爵家一族の治癒のお断りも女神ミスラヴァ様に誓っている。
相手の男もバカだけど、婚約者がいると知って股を開く女も救いがない。
1等級聖女のイザベラ様から治癒お断りを名指しされた公爵家は、今も社交界では腫れ物扱いだそうだ。
2人目は子爵家令嬢、アナスタシア・イェーツ1等級聖女。
こちらはなんとなく婚期を逃して26才だ。
「一応、結婚する気はあるけど、謎のベールに包まれた1等級聖女にアプローチする強心臓はなかなかいないのよね」と、こちらも結婚願望が強いとは言い難い。
アナスタシア様は浄化の使い手で、王族の依頼に応じて厄介な魔素溜まりの浄化を担っている。
魔素溜まりというのは、悪しき穢れのこと。
どうやって発生するのかは分かっていないけど、魔素が発生した土地は草木が枯れ、大地が腐るのだ。魔素溜まりはそれの最終形態。魔素がコールタールのような沼地になり、毒素を吐き出しながら次々と獰猛な魔物を生みだす。放置していれば、スタンピードという恐ろしい大災害となる。
その魔素を浄化できるのが、唯一、浄化の聖女だ。
が、いかんせん浄化の聖女の数が少なすぎる。しかも魔素溜まりを浄化できる聖女は更に少ないので、魔素溜まりが確認される度にアナスタシア様は騎士団を率いて赴く。
結果、浄化の聖女の結婚相手は、ダントツで騎士率が高い。
必然だ。
最後に3人目。
シルヴィア・ランビエール辺境伯令嬢。
私である。
辺境伯は伯とは付くけど、辺境の伯爵という意味じゃない。辺境というのも田舎の意味ではなく、国土防衛の意味を兼ねた重要な役目を意味する。
爵位は侯爵と同格。
田舎の伯爵令嬢と侮れば痛い目に遭うので注意した方がいい。
なんて言ってるけど、結局は王都から離れた辺境なのは間違いはない。
うちは軍馬の生産地としても有名で、私も淑女教育よりも騎士同等の訓練に時間を割いていた。
てことで、謎ベールの1等級聖女ではあるけど、神殿の奥で静かに女神に祈りを捧げる清廉さはない。
今日も今日とて軍馬に跨り、手当たり次第に穢れた土地を浄化している。
浄化の担い手は少ないからね。
私が1等級聖女になった以上、アナスタシア様が無闇に危険に晒されないためにも、機動力を生かして国中を駆け回った方が手っ取り早いのだ。
ただ、欠点がある。
「シ、シルヴィア様ーーー!」
「お、お待ち下さーーーい!」
今にも泣きそうな情けない声で追いかけて来るのは、なんと!聖騎士だ。
装いは聖騎士の白藍色の隊服ではなく粗野な冒険者風。
2人とも剣の腕は立つのだけど、馬術は私の足元にも及ばない。
まぁ、私の愛馬ノアは王国内でも1、2を争う駿馬だからね。1等級聖女になった時、お父様からプレゼントされたのよ。純粋な贈り物じゃなくて、「嫌になったら全力で逃げろ」って逃走用として…。
「おっそーーーい!!」
ノアも急に制止されたのでお怒りだ。
ぶるる、と鼻を鳴らし、頭を前後に振りながら前脚で地面を蹴っている。
「も…申し訳ございません」
息も絶え絶えで頭を下げたのは、胡桃色の髪をしたアーサー・キャラハン。普段は一分の隙もない寡黙な好青年だけど、こうして外回りの時は寡黙好青年の面が剥がれる。
ゼーハーゼーハーと肩で息をしながら、「不甲斐ない」と子犬みたいに落ち込む。
そのギャップが堪らないのよ!とはアナスタシア様の言葉だ。
アーサーがアナスタシア様にアタックすれば、アナスタシア様は陥落しそうだけど、1等級聖女の護衛騎士は聖女と女神を同一視しがちなので、アーサーがアナスタシア様に婚約を申し込む未来はないと思う。
アーサーに遅れて追いついたのは、カーク・ドーラン。
栗色の髪と、少年にも見える童顔がチャームポイントの青年だ。腹黒ってわけじゃないけど、この童顔に騙されると手痛い目に遭う。意外と血の気の多い、チンピラ体質なのだ。
「シルヴィア様。もう少し速度を落としてもらえませんか?」
「え~~」
「え~~、ではございません!」
カークは手厳しい。
「護衛を撒く気ですか?そもそもランビエール辺境伯家の名馬に、我々の馬はどう足掻いても太刀打ちできません」
むすりと頬を膨らませて怒っているけど、ベースが可愛いので迫力がない。
アーサーは汗を拭い、キリっといつもの好青年に戻った。
「シルヴィア様、我々は護衛です。万が一にもシルヴィア様の御身に何かあれば、我々は頭と体がお別れすることになります」
大袈裟な!とは言えないのが辛い。
「そうね。分かったわ」
命を賭して聖女を守るのが聖騎士であるアーサーとカークの役目なのよ。
重い。
「森の中へ入るので、ゆっくり行きましょうか」
ため息を嚥下して、前方に広がる本日の目的地と向き直る。
長閑な田園風景も、清浄な森があってこそだ。
速歩で馬を進めながら、横に並んだアーサーに目を向ける。
「この森って、隣国との境だったかしら?」
地理には滅法弱いけど、確か国境沿いだったと思う。
「フェルスター皇国との境の森です。国境は越えない方が良いでしょう」
「そうね。親しき中にも礼儀ありよね」
ランビエール領だと、隣はスロカム公国のルサルド侯爵の領地なんだけど、家族ぐるみで仲良しなのよ。
ご近所付き合いは大切だしね。隣国との良好な関係は尚大切だ。
なので、魔素が確認されると浄化してあげている。
綺麗さっぱりに浄化が終わると、ゼイビアおじ様…もといルサルド侯爵がお茶に誘ってくれるのが定番。ルサルド侯爵家のお菓子はめちゃくちゃ美味しいので、私も張り切っちゃうのよね。
ルサルド侯爵家の3姉妹とも仲が良いから、サービス浄化は何一つ苦ではないのだ。
片やフェルスター皇国に知り合いは1人としていない。
フェルスター皇国から要請が入るのは、イザベラ様とアナスタシア様だしね。
ぽっと出の私はお呼びではない。というか、私という存在自体を知らないと思う。1等級聖女の中で、一番の秘匿は何を隠そう私なのだ。
理由は幾つかある。
表向きの理由は未成年だから。
本音は、マナー面で不安しかない私を大国に派遣するのは恐ろしいから。
これでも辺境伯令嬢なんだけどね。
残念ながら我が家は武の血統。
生まれてくるのは男児が多く、その全ての子が武に秀でている。一騎当千を地で行く騎士など、ランビエール家以外はいない。
豪放磊落とした祖父ニコラスは現役で若手をしごく鬼教官。
父は領主としての仕事をこなしながら、朝夕に大剣を振っての特訓を欠かさない八面六臂の天才。
長兄ローランは父と同じく大剣を振るう猛者。父子揃って筋骨隆々の武人だ。
次男のマルクスは細身なナイスガイだけど、弓矢の名手。百発百中の射手として、王国一と名を馳せている。
三男のジャマルは槍を極め中。まだ15才なので、本人に合う武器を模索中と言ったところかな。
四男のミカエルは基礎体力をつけるべく朝夕に父と一緒に剣を振っての成長中。
で、唯一にして3代目ぶりに誕生した女児が私なのだけど、蝶よ花よとはならず、兄弟と同じ鍛錬を積み重ねたのだ。
四男が乳離れをした時、ようやく母は私の現状を知った。十分に手遅れな状態で…。
体術を極めた私は、慎ましやかな令嬢とは対極の、騎士のような令嬢へと育っていた。
泣きながら父をフルボッコにしていた母には申し訳ないけど、この騎士として育てられたベースがあるからこそ、イザベラ様やアナスタシア様の手が届かない場所まで駆けることができるのだ。
「森に入るわ。油断しないで」
「了解しました」
「殿は任されました」
魔素は人里離れた場所で生じやすい。
中でも森は顕著だ。
魔物以外にも狂暴な獣や盗賊が潜んでいたりするから、本当に油断できない。
速歩から常歩に速度を落とす。
森としては百点満点だ。
見惚れるほどに美しい木漏れ日が、森の奥まで燦燦と降り注いでいる。植物の息吹に小鳥の囀り。リスは木々を駆け回り、ウサギやシカが遠くから私たちを監視している。
ちゃんと正常な森だ。
「ここには2年前、アナスタシア様が浄化に訪れています」
「なるほど。だから澄んだままなのね」
アナスタシア様が浄化に赴く時は、他の浄化の聖女も同行する。勉強と訓練を兼ねて、魔素の浄化を手当たり次第に行うので、森は穢れなく蘇る。
ちなみに、1等級聖女の護衛は、聖女1人に対して複数人の護衛が付いているのけど、2等級聖女と3等級聖女の護衛は複数人の聖女に対して数人で警護している。
なので、聖騎士は1等級聖女の護衛に就くほど誉れとなる。
ただ、私の護衛は罰ゲームみたいな感じかな。
最初は8人いた護衛も次第に脱落者…いや、足手まといが増えて煩わしくなった。
護衛の数を交渉して、交渉して、2人にまで絞ったくらいだ。2人の仕事量のハードさは計り知れないけど、それも仕事と思って頑張ってほしい。
「どの辺りが国境か分かる?」
「川が境ですよ」
川とは分かりやすい。
うちは黒杉で国境の目印としている。黒杉は北方の植物で、ランビエール辺境伯領周辺には自生していない。
それをわざわざ植樹して、分かりやすく目印としている。
でも、日が陰ると普通の杉と黒杉の判別が難しいので、他所から来た人たちはうっかり国境を越えてしまう事例が後を絶たない。
その点、川だとうっかり国境越えもないだろうし、清流であればあるほど自然浄化の力が働いて魔素が溜まり難い森になる。
アナスタシア様はそれを知っていたから、この地域の聖女の見回りを3年に1度と設定したのだろう。今回も私が赴かなくても良いと言われていたけど、神殿にいるのは息が詰まって仕方ない。
ほぼほぼ脱走のように神殿を抜けて来たけど正解。
こんなにのんびり出来るなんて、最高の休暇じゃない!
護衛の2人は休暇とは思ってなさそうだけど。
うっかり鼻歌が零れないように気を付けないといけない。
と、後ろにいたカークが前へと進み出て制止の手を上げた。
その理由は単純明快。
世界で唯一、フランシス王国だけに聖女が生まれるからだ。
聖女と言っても、物語に出てくるような特別な家系の清廉潔白な唯一無二の美少女のことではない。
6才で行われる魔力検査で、治癒、もしくは浄化の適性の出た女性が、一定の年齢に達して神殿に入ると聖女という地位を与える。男性なら武勲を立てて士爵を叙勲されるのと同じで、女性なら聖女だ。
ちなみに、聖女が使う力を治癒魔法や浄化魔法などと言われているけど、これらは正確には魔法ではない。
魔法は精霊の加護により力を借り入れるのに対し、聖女の使う治癒と浄化は月の女神ミスラヴァ様の加護を受け、自身の魔力に上乗せして発動する力となる。
なので、一緒くたにすれば神殿のお偉いさんが大激怒する。
便宜上、治癒魔法、浄化魔法と言われているけど、聖女は絶対に「治癒魔法」「浄化魔法」とは言わない。
そんな聖女は、友好国に貸し出される。
貸し出されるなんて物みたいな言い方だけど、実際にそうなのだから仕方ない。
それに対して聖女が異を唱えることもない。
聖女は衣食住を保証され、給料も出る。各地に出張する場合は特別手当が、他国へ遠征する場合は特別手当に危険手当までが上乗せだ。平民出の聖女は依頼があれば喜んで出張に応じる。貴族家の聖女は箔が付き嫁ぎ先に困らなくなるので、こちらも真面目に遠征する。
結婚する聖女は、還俗を許されているので、結婚適齢期までの腰かけ、箔付けが多かったりする。
還俗を許されているのは、聖女の子が聖女になる確率が高いから。あと、ゆるゆる規則の方が聖女自らが神殿に来てくれるという打算もあると思う。
何十年も昔は処女性を貴び、強制出家だったらしく、多くの聖女が雲隠れしたそうな。国としても神殿としても一大事なので、規則はゆるゆるになったし、福利厚生もばっちし完備となった。
まぁ、子供を産んでも能力が消えるわけじゃないので、聖女量産の方が旨味があると気づいたのだろう。
ということで、フランシス王国の特産物は聖女である。
一概に聖女とは言っても、実は等級がある。
治癒や浄化の魔力量や技量によって1等級から3等級に区分けされている。一番多いのが3等級。次いで2等級で、他国の要請で出張できるのは2等級からだ。
そして、1等級に在籍する聖女は僅か3名。
3名の聖女は警備の問題もあって1名を除いて秘匿扱い。
なぜ1名を除いてなのかと言えば、国内外に聖女をアピールするために公けの場に出る必要があるからだ。
その1名が、王家の血を引く公爵令嬢…令嬢という年齢ではないけど、未婚で公爵家に籍を置いているので令嬢なのだと思う。
イザベラ・ミュルディス1等級聖女。
年齢は40代半ばの未婚。でも聖女だからか見た目は20代後半くらいと若々しい美魔女。いや美聖女だ。
未婚を貫いているのは、十代の時に元婚約者が浮気。相手を孕ませ、婚約破棄騒動を起こしたという。クズ男のせいで男性不信となったイザベラ様は、涯独身を女神ミスラヴァ様に誓ったそうだ。
さらに元婚約者の実家である公爵家一族の治癒のお断りも女神ミスラヴァ様に誓っている。
相手の男もバカだけど、婚約者がいると知って股を開く女も救いがない。
1等級聖女のイザベラ様から治癒お断りを名指しされた公爵家は、今も社交界では腫れ物扱いだそうだ。
2人目は子爵家令嬢、アナスタシア・イェーツ1等級聖女。
こちらはなんとなく婚期を逃して26才だ。
「一応、結婚する気はあるけど、謎のベールに包まれた1等級聖女にアプローチする強心臓はなかなかいないのよね」と、こちらも結婚願望が強いとは言い難い。
アナスタシア様は浄化の使い手で、王族の依頼に応じて厄介な魔素溜まりの浄化を担っている。
魔素溜まりというのは、悪しき穢れのこと。
どうやって発生するのかは分かっていないけど、魔素が発生した土地は草木が枯れ、大地が腐るのだ。魔素溜まりはそれの最終形態。魔素がコールタールのような沼地になり、毒素を吐き出しながら次々と獰猛な魔物を生みだす。放置していれば、スタンピードという恐ろしい大災害となる。
その魔素を浄化できるのが、唯一、浄化の聖女だ。
が、いかんせん浄化の聖女の数が少なすぎる。しかも魔素溜まりを浄化できる聖女は更に少ないので、魔素溜まりが確認される度にアナスタシア様は騎士団を率いて赴く。
結果、浄化の聖女の結婚相手は、ダントツで騎士率が高い。
必然だ。
最後に3人目。
シルヴィア・ランビエール辺境伯令嬢。
私である。
辺境伯は伯とは付くけど、辺境の伯爵という意味じゃない。辺境というのも田舎の意味ではなく、国土防衛の意味を兼ねた重要な役目を意味する。
爵位は侯爵と同格。
田舎の伯爵令嬢と侮れば痛い目に遭うので注意した方がいい。
なんて言ってるけど、結局は王都から離れた辺境なのは間違いはない。
うちは軍馬の生産地としても有名で、私も淑女教育よりも騎士同等の訓練に時間を割いていた。
てことで、謎ベールの1等級聖女ではあるけど、神殿の奥で静かに女神に祈りを捧げる清廉さはない。
今日も今日とて軍馬に跨り、手当たり次第に穢れた土地を浄化している。
浄化の担い手は少ないからね。
私が1等級聖女になった以上、アナスタシア様が無闇に危険に晒されないためにも、機動力を生かして国中を駆け回った方が手っ取り早いのだ。
ただ、欠点がある。
「シ、シルヴィア様ーーー!」
「お、お待ち下さーーーい!」
今にも泣きそうな情けない声で追いかけて来るのは、なんと!聖騎士だ。
装いは聖騎士の白藍色の隊服ではなく粗野な冒険者風。
2人とも剣の腕は立つのだけど、馬術は私の足元にも及ばない。
まぁ、私の愛馬ノアは王国内でも1、2を争う駿馬だからね。1等級聖女になった時、お父様からプレゼントされたのよ。純粋な贈り物じゃなくて、「嫌になったら全力で逃げろ」って逃走用として…。
「おっそーーーい!!」
ノアも急に制止されたのでお怒りだ。
ぶるる、と鼻を鳴らし、頭を前後に振りながら前脚で地面を蹴っている。
「も…申し訳ございません」
息も絶え絶えで頭を下げたのは、胡桃色の髪をしたアーサー・キャラハン。普段は一分の隙もない寡黙な好青年だけど、こうして外回りの時は寡黙好青年の面が剥がれる。
ゼーハーゼーハーと肩で息をしながら、「不甲斐ない」と子犬みたいに落ち込む。
そのギャップが堪らないのよ!とはアナスタシア様の言葉だ。
アーサーがアナスタシア様にアタックすれば、アナスタシア様は陥落しそうだけど、1等級聖女の護衛騎士は聖女と女神を同一視しがちなので、アーサーがアナスタシア様に婚約を申し込む未来はないと思う。
アーサーに遅れて追いついたのは、カーク・ドーラン。
栗色の髪と、少年にも見える童顔がチャームポイントの青年だ。腹黒ってわけじゃないけど、この童顔に騙されると手痛い目に遭う。意外と血の気の多い、チンピラ体質なのだ。
「シルヴィア様。もう少し速度を落としてもらえませんか?」
「え~~」
「え~~、ではございません!」
カークは手厳しい。
「護衛を撒く気ですか?そもそもランビエール辺境伯家の名馬に、我々の馬はどう足掻いても太刀打ちできません」
むすりと頬を膨らませて怒っているけど、ベースが可愛いので迫力がない。
アーサーは汗を拭い、キリっといつもの好青年に戻った。
「シルヴィア様、我々は護衛です。万が一にもシルヴィア様の御身に何かあれば、我々は頭と体がお別れすることになります」
大袈裟な!とは言えないのが辛い。
「そうね。分かったわ」
命を賭して聖女を守るのが聖騎士であるアーサーとカークの役目なのよ。
重い。
「森の中へ入るので、ゆっくり行きましょうか」
ため息を嚥下して、前方に広がる本日の目的地と向き直る。
長閑な田園風景も、清浄な森があってこそだ。
速歩で馬を進めながら、横に並んだアーサーに目を向ける。
「この森って、隣国との境だったかしら?」
地理には滅法弱いけど、確か国境沿いだったと思う。
「フェルスター皇国との境の森です。国境は越えない方が良いでしょう」
「そうね。親しき中にも礼儀ありよね」
ランビエール領だと、隣はスロカム公国のルサルド侯爵の領地なんだけど、家族ぐるみで仲良しなのよ。
ご近所付き合いは大切だしね。隣国との良好な関係は尚大切だ。
なので、魔素が確認されると浄化してあげている。
綺麗さっぱりに浄化が終わると、ゼイビアおじ様…もといルサルド侯爵がお茶に誘ってくれるのが定番。ルサルド侯爵家のお菓子はめちゃくちゃ美味しいので、私も張り切っちゃうのよね。
ルサルド侯爵家の3姉妹とも仲が良いから、サービス浄化は何一つ苦ではないのだ。
片やフェルスター皇国に知り合いは1人としていない。
フェルスター皇国から要請が入るのは、イザベラ様とアナスタシア様だしね。
ぽっと出の私はお呼びではない。というか、私という存在自体を知らないと思う。1等級聖女の中で、一番の秘匿は何を隠そう私なのだ。
理由は幾つかある。
表向きの理由は未成年だから。
本音は、マナー面で不安しかない私を大国に派遣するのは恐ろしいから。
これでも辺境伯令嬢なんだけどね。
残念ながら我が家は武の血統。
生まれてくるのは男児が多く、その全ての子が武に秀でている。一騎当千を地で行く騎士など、ランビエール家以外はいない。
豪放磊落とした祖父ニコラスは現役で若手をしごく鬼教官。
父は領主としての仕事をこなしながら、朝夕に大剣を振っての特訓を欠かさない八面六臂の天才。
長兄ローランは父と同じく大剣を振るう猛者。父子揃って筋骨隆々の武人だ。
次男のマルクスは細身なナイスガイだけど、弓矢の名手。百発百中の射手として、王国一と名を馳せている。
三男のジャマルは槍を極め中。まだ15才なので、本人に合う武器を模索中と言ったところかな。
四男のミカエルは基礎体力をつけるべく朝夕に父と一緒に剣を振っての成長中。
で、唯一にして3代目ぶりに誕生した女児が私なのだけど、蝶よ花よとはならず、兄弟と同じ鍛錬を積み重ねたのだ。
四男が乳離れをした時、ようやく母は私の現状を知った。十分に手遅れな状態で…。
体術を極めた私は、慎ましやかな令嬢とは対極の、騎士のような令嬢へと育っていた。
泣きながら父をフルボッコにしていた母には申し訳ないけど、この騎士として育てられたベースがあるからこそ、イザベラ様やアナスタシア様の手が届かない場所まで駆けることができるのだ。
「森に入るわ。油断しないで」
「了解しました」
「殿は任されました」
魔素は人里離れた場所で生じやすい。
中でも森は顕著だ。
魔物以外にも狂暴な獣や盗賊が潜んでいたりするから、本当に油断できない。
速歩から常歩に速度を落とす。
森としては百点満点だ。
見惚れるほどに美しい木漏れ日が、森の奥まで燦燦と降り注いでいる。植物の息吹に小鳥の囀り。リスは木々を駆け回り、ウサギやシカが遠くから私たちを監視している。
ちゃんと正常な森だ。
「ここには2年前、アナスタシア様が浄化に訪れています」
「なるほど。だから澄んだままなのね」
アナスタシア様が浄化に赴く時は、他の浄化の聖女も同行する。勉強と訓練を兼ねて、魔素の浄化を手当たり次第に行うので、森は穢れなく蘇る。
ちなみに、1等級聖女の護衛は、聖女1人に対して複数人の護衛が付いているのけど、2等級聖女と3等級聖女の護衛は複数人の聖女に対して数人で警護している。
なので、聖騎士は1等級聖女の護衛に就くほど誉れとなる。
ただ、私の護衛は罰ゲームみたいな感じかな。
最初は8人いた護衛も次第に脱落者…いや、足手まといが増えて煩わしくなった。
護衛の数を交渉して、交渉して、2人にまで絞ったくらいだ。2人の仕事量のハードさは計り知れないけど、それも仕事と思って頑張ってほしい。
「どの辺りが国境か分かる?」
「川が境ですよ」
川とは分かりやすい。
うちは黒杉で国境の目印としている。黒杉は北方の植物で、ランビエール辺境伯領周辺には自生していない。
それをわざわざ植樹して、分かりやすく目印としている。
でも、日が陰ると普通の杉と黒杉の判別が難しいので、他所から来た人たちはうっかり国境を越えてしまう事例が後を絶たない。
その点、川だとうっかり国境越えもないだろうし、清流であればあるほど自然浄化の力が働いて魔素が溜まり難い森になる。
アナスタシア様はそれを知っていたから、この地域の聖女の見回りを3年に1度と設定したのだろう。今回も私が赴かなくても良いと言われていたけど、神殿にいるのは息が詰まって仕方ない。
ほぼほぼ脱走のように神殿を抜けて来たけど正解。
こんなにのんびり出来るなんて、最高の休暇じゃない!
護衛の2人は休暇とは思ってなさそうだけど。
うっかり鼻歌が零れないように気を付けないといけない。
と、後ろにいたカークが前へと進み出て制止の手を上げた。
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