Joker

海子

文字の大きさ
上 下
69 / 83
20.初雪

しおりを挟む
 「お父様」 
ブロンディーヌを捕えたという報告を待ちながら、せわしなく歩き回るラングラン公爵の背に、呼びかける声があった。
「アンヌ・・・」
「お待たせして、申し訳ございませんでした」
アンヌは、外套を取ると、侍女に渡して、下がっていなさいと命じた。
「アンヌ、ブロンディーヌは・・・」 
「お父様のお傍から、逃げ出したようですわね。先ほど、護衛に聞きました。でも、この屋敷から、ひとりで逃げられるはずはありません。どこかの物陰にでも潜んでいるのでしょう。見つかるのは、時間の問題ですわ。ご安心ください」
ラングラン公爵が、アンヌの言葉に、ほっとしたような表情を浮かべたのは、それだけ、アンヌを信頼しているということに、他ならなかった。
「ブロンディーヌは、お父様のお手元に、帰ってきました。わたくしの申し上げた通り、ダニエルからの連絡は、途絶えたままでしょう?」 
「あの男が、ブロンディーヌに殺されるとは・・・。にわかには信じられなかったが、お前からの手紙に、書いてあったとおりだ。ふつりと、音信が途絶えた。何故、わかった?」 
「わたくしの・・・、第六感とでも、申し上げておきましょう。いただいて、よろしい?」 
アンヌは、コニャックの瓶を取って、自らグラスに注ぐと、喉に運んだ。
「いつの間に飲めるようになった?お前には、驚かされることばかりだ。だが、頼もしい。ミラージュを、安心して任せられる。私は、まだまだ引退する気はないがね。いずれ、ミラージュは、お前のものだ」 
ラングラン公爵は、嬉しそうに、娘の顔を見つめた。 
「後は・・・、アレクセイ国王に、力を尽くしていただかなくては。少々、グラディウスに旗色が悪いようですわね」
「クリスティーヌを、自らセヴェロリンスクまで連れてきたりするからだ。兵士の士気が落ちた。全く、忌々しい」 
「それは、致し方ないでしょう。奪ったユースティティアの土地を、そのままお父様に譲る代わりに、お姉さまを差し上げるという約束だったのですから。手に入れた宝石は、自ら宝石箱へ仕舞わないと、心配だったのでしょう。それにしても・・・、大胆な賭けでしたわね」 
ラングラン公爵は、声を上げて笑いだした。
「アンヌ、それは四年前、クリスティーヌと顔を合わせた時の、あの醜男の顔を見ていれば、わかることだ。もちろん、セヴェロリンスクの王宮にも、ミラージュの者を潜ませている。それとなく、クリスティーヌの話を持ち出す度、顔色が変わるらしい。脈ありだ。少なくとも、ジャン王と、クリスティーヌの間に子どもが誕生するのを待つより、可能性が高い」 
「ジャン王には、早々に消えていただいて、未来の国王陛下、もしくは女王陛下の祖父として、ブロンピュール宮殿の覇権を握り、ユースティティアを意のままにあやつるおつもりでしたのに・・・」
「どのような女をあてがったところで、ジャン王では、子どもなど望むべくもない。アレクセイ国王に鞍替えした方が得策だ」 
「ユースティティアから、お父様が支配するべき土地を、奪えなければ、お姉さまをユースティティアに連れて帰ると、申し上げましょうか。きっと、アレクセイ国王は、血眼になってお父様の望みを果たすことでしょう」 
アンヌは、ソファから立ち上がると、炎が上がるマントルピースへと静かに近づいた。
そして、その火をじっと、見つめていた。
「それはそうとアンヌ、お前にひとつ尋ねたいことがある」 
「何でしょう」 
「一度、アレクセイ国王から苦情が来た。フォレストバーグで、後ひと息で、フィリップを亡き者に出来たのに、邪魔が入ったと。それが、お前だと言うのだ。一体、どういう思惑が?」 
「思惑・・・。それは、そう・・・、こういう思惑ですわ」
振り返ったアンヌの手には、ピストルがあった。
銃口は、ラングラン公爵を向いていた。



 「アンヌ・・・」 
ラングラン公爵は、自分に向けられた銃口に、眼を見開いた。
そして、眉が釣り上った。 
「一体、何の真似だ」 
「ミラージュに、理由はいりません」 
「ミラージュは、私だ」 
「いいえ、ミラージュは、既にわたくしのものです」
ラングラン公爵は、ぎりぎりと歯ぎしりをした。 
「お前に、なにがわかるっ!」 
「わたくしは、全て理解しております」 
「これまでの恩を忘れたか!」 
「御恩は、既にお返ししております。あとは、どうぞ、大人しく、わたくしの手にかかってくださいませ」 
アンヌは、両手でピストルを持ち、ラングラン公爵に狙いを付けた。 
ラングラン公爵は、ぎらぎらした眼で、アンヌを睨みつけていたが、ふふっ、と、皮肉に笑った。
「面白い。私を撃つというのなら、撃つがいい」 
ラングラン公爵は、笑っていた。 
けれども、その額には、脂汗がじっとりと滲んでいた。 
じりじり、ラングラン公爵は、アンヌに歩みよって来る。
アンヌは、引き金に指をかけていた。 
あとは、その引き金を引くだけだった。 
「さあ、撃つがいい!さあ!」 
緊迫の時間が、流れる。
それは、ほんのわずかな時間だったが、数時間のように長く思えた。 
公爵は、アンヌの眼の前に立った。 
アンヌは・・・、撃たなかった。 
ラングラン公爵が、アンヌの手から、ピストルを獲った。 
今度は、銃口が、アンヌへ向けられた。 
アンヌの表情は、変わらなかった。 
死に対する怯えはなかった。 
その緑色の瞳に浮かぶのは、一切の罪を受け入れる覚悟だった。
「覚悟は・・・、いいな」 
ラングラン公爵が、アンヌの心臓に狙いを付けた。 
アンヌは、静かに眼を閉じた。
けれどもその時、ラングラン公爵の唇が、わなわなと震えだした。
瞳には、涙が盛り上がり、顔が大きく歪んだ。 
「お前まで・・・、お前まで、私を裏切るのか・・・!」
銃声が、響いた。
倒れたのは・・・、ラングラン公爵だった。 
アンヌは、静かに振り返った。 
フランセットが、立っていた。 
フランセットの手には、ピストルが握られていた。 
銃口からは、硝煙が上がっていた。 
「どうしても、あなたの誤解を解きたくて・・・」 
フランセットは、アンヌを見て、優しく微笑んだ。
「クリスティーヌも、あなたも・・・、誤解しているのよ。わたくしのことを」 
「お母様・・・」 
「わたくしは、最初から、公爵の・・・、夫の言いなりだったわけではないの。逆らって、酷い目に会ったこともあった。でも、クリスティーヌとあなたが生まれて、公爵は、わたくしへの仕返しを、あなたたちにするようになった」 
それは、初めてアンヌが知る事実だった。
「あなたたちの記憶には、残っていないと思うけれど、わたくしは、今でも鮮明に覚えているの。幼いあなたたちが、わたくしのせいでひどい折檻を受けて、泣き叫ぶ姿を。わたくしは、その時に決めたの。わたくしはどうなってもいい。わたくしはどうなってもいいから、娘たちだけは、どんなことをしても守らなければならないって・・・」 
フランセットは、ピストルを床に落とした。
そして、アンヌを抱きしめた。 
「それが・・・、そのことが、こんなにもあなたを傷つけることになってしまって、本当にごめんなさい・・・。わたくしは、母親なのに、あなたを幸せにしてあげることができなかった」 
「お母様・・・」 
長く愛情から遠ざかったアンヌの瞳に、涙は浮かばなかった。 
けれども、フランセットのその思いは、確かに、アンヌの胸を突くものがあった。 
フランセットはアンヌの顔を、ひと時じっと見つめて、 
「さあ・・、アンヌ、早くお行きなさい」 
と、その身体をそっと押しやった。 
アンヌは、一瞬、ためらいを見せた。
「アンヌ、行くのです。あなたは、行かなくてはいけません。そして、後ろを振り返ってはいけません。決して、後ろを振り返らずにお行きなさい。いいですね。わたくしとの、約束ですよ」 
フランセットはそう言って、アンヌをもう一度強く抱きしめると、促した。
アンヌは、眼を閉じて、母のその温もりを確かめると、フランセットの言葉通り、一度も振り返ることなく、去った。
フランセットは、アンヌが立ち去っても尚、立ち去った扉をしばらく見つめていた。
そして、床にうつぶせに倒れ、既にこと切れた夫に、視線を移した。
「公爵、おひとりではありませんわ。わたくしが、一緒です・・・」 
フランセットは、そっと、微笑んだ。 



 「火だっ!火が出たぞ!」 
セヴェロリンスク郊外の古城から出た火は、すぐに凄まじい勢いで燃え広がった。 
あまりにも激しい火炎に、使用人たちも、護衛も、ただ逃げまどうばかりだった。 
火は、夜空に高く、赤く舞い上がった。 
炎は全てを包み、全てを呑みこみ、全てを焼き尽くした。 
  
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

結婚式をやり直したい辺境伯

C t R
恋愛
若き辺境伯カークは新妻に言い放った。 「――お前を愛する事は無いぞ」 帝国北西の辺境地、通称「世界の果て」に隣国の貴族家から花嫁がやって来た。 誰からも期待されていなかった花嫁ラルカは、美貌と知性を兼ね備える活発で明るい女性だった。 予想を裏切るハイスペックな花嫁を得た事を辺境の人々は歓び、彼女を歓迎する。 ラルカを放置し続けていたカークもまた、彼女を知るようになる。 彼女への仕打ちを後悔したカークは、やり直しに努める――――のだが。 ※シリアスなラブコメ ■作品転載、盗作、明らかな設定の類似・盗用、オマージュ、全て禁止致します。

【完結】公女が死んだ、その後のこと

杜野秋人
恋愛
【第17回恋愛小説大賞 奨励賞受賞しました!】 「お母様……」 冷たく薄暗く、不潔で不快な地下の罪人牢で、彼女は独り、亡き母に語りかける。その掌の中には、ひと粒の小さな白い錠剤。 古ぼけた簡易寝台に座り、彼女はそのままゆっくりと、覚悟を決めたように横たわる。 「言いつけを、守ります」 最期にそう呟いて、彼女は震える手で錠剤を口に含み、そのまま飲み下した。 こうして、第二王子ボアネルジェスの婚約者でありカストリア公爵家の次期女公爵でもある公女オフィーリアは、獄中にて自ら命を断った。 そして彼女の死後、その影響はマケダニア王国の王宮内外の至るところで噴出した。 「ええい、公務が回らん!オフィーリアは何をやっている!?」 「殿下は何を仰せか!すでに公女は儚くなられたでしょうが!」 「くっ……、な、ならば蘇生させ」 「あれから何日経つとお思いで!?お気は確かか!」 「何故だ!何故この私が裁かれねばならん!」 「そうよ!お父様も私も何も悪くないわ!悪いのは全部お義姉さまよ!」 「…………申し開きがあるのなら、今ここではなく取り調べと裁判の場で存分に申すがよいわ。⸺連れて行け」 「まっ、待て!話を」 「嫌ぁ〜!」 「今さら何しに戻ってきたかね先々代様。わしらはもう、公女さま以外にお仕えする気も従う気もないんじゃがな?」 「なっ……貴様!領主たる儂の言うことが聞けんと」 「領主だったのは亡くなった女公さまとその娘の公女さまじゃ。あの方らはあんたと違って、わしら領民を第一に考えて下さった。あんたと違ってな!」 「くっ……!」 「なっ、譲位せよだと!?」 「本国の決定にございます。これ以上の混迷は連邦友邦にまで悪影響を与えかねないと。⸺潔く観念なさいませ。さあ、ご署名を」 「おのれ、謀りおったか!」 「…………父上が悪いのですよ。あの時止めてさえいれば、彼女は死なずに済んだのに」 ◆人が亡くなる描写、及びベッドシーンがあるのでR15で。生々しい表現は避けています。 ◆公女が亡くなってからが本番。なので最初の方、恋愛要素はほぼありません。最後はちゃんとジャンル:恋愛です。 ◆ドアマットヒロインを書こうとしたはずが。どうしてこうなった? ◆作中の演出として自死のシーンがありますが、決して推奨し助長するものではありません。早まっちゃう前に然るべき窓口に一言相談を。 ◆作者の作品は特に断りなき場合、基本的に同一の世界観に基づいています。が、他作品とリンクする予定は特にありません。本作単品でお楽しみ頂けます。 ◆この作品は小説家になろうでも公開します。 ◆24/2/17、HOTランキング女性向け1位!?1位は初ですありがとうございます!

契約婚ですが可愛い継子を溺愛します

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
恋愛
 前世の記憶がうっすら残る私が転生したのは、貧乏伯爵家の長女。父親に頼まれ、公爵家の圧力と財力に負けた我が家は私を売った。  悲壮感漂う状況のようだが、契約婚は悪くない。実家の借金を返し、可愛い継子を愛でながら、旦那様は元気で留守が最高! と日常を謳歌する。旦那様に放置された妻ですが、息子や使用人と快適ライフを追求する。  逞しく生きる私に、旦那様が距離を詰めてきて? 本気の恋愛や溺愛はお断りです!!  ハッピーエンド確定 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/09/07……カクヨム、恋愛週間 4位 2024/09/02……小説家になろう、総合連載 2位 2024/09/02……小説家になろう、週間恋愛 2位 2024/08/28……小説家になろう、日間恋愛連載 1位 2024/08/24……アルファポリス 女性向けHOT 8位 2024/08/16……エブリスタ 恋愛ファンタジー 1位 2024/08/14……連載開始

ロンガニアの花 ー薬師ロンの奔走記ー

MIRICO
恋愛
薬師のロンは剣士セウと共に山奥で静かに暮らしていた。 庭先で怪我をしていた白豹を助けると、白豹を探す王国の兵士と銀髪の美しい男リングが訪れてきた。 尋ねられても知らんぷりを決め込むが、実はその男は天才的な力を持つ薬師で、恐ろしい怪異を操る男だと知る。その男にロンは目をつけられてしまったのだ。 性別を偽り自分の素性を隠してきたロンは白豹に変身していたシェインと言う男と、王都エンリルへ行動を共にすることを決めた。しかし、王都の兵士から追われているシェインも、王都の大聖騎士団に所属する剣士だった。 シェインに巻き込まれて数々の追っ手に追われ、そうして再び美貌の男リングに出会い、ロンは隠されていた事実を知る…。 小説家になろう様に掲載済みです。

姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです

鳴宮野々花@初書籍発売中【二度婚約破棄】
恋愛
王国の片田舎にある小さな町から、八歳の時に母方の縁戚であるエヴェリー伯爵家に引き取られたミシェル。彼女は伯爵一家に疎まれ、美しい髪を黒く染めて使用人として生活するよう強いられた。以来エヴェリー一家に虐げられて育つ。 十年後。ミシェルは同い年でエヴェリー伯爵家の一人娘であるパドマの婚約者に嵌められ、伯爵家を身一つで追い出されることに。ボロボロの格好で人気のない場所を彷徨っていたミシェルは、空腹のあまりふらつき倒れそうになる。 そこへ馬で通りがかった男性と、危うくぶつかりそうになり────── ※いつもの独自の世界のゆる設定なお話です。何もかもファンタジーです。よろしくお願いします。 ※この作品はカクヨム、小説家になろう、ベリーズカフェにも投稿しています。

究極妹属性のぼっち少女が神さまから授かった胸キュンアニマルズが最強だった

盛平
ファンタジー
 パティは教会に捨てられた少女。パティは村では珍しい黒い髪と黒い瞳だったため、村人からは忌子といわれ、孤独な生活をおくっていた。この世界では十歳になると、神さまから一つだけ魔法を授かる事ができる。パティは神さまに願った。ずっと側にいてくれる友達をくださいと。  神さまが与えてくれた友達は、犬、猫、インコ、カメだった。友達は魔法でパティのお願いを何でも叶えてくれた。  パティは友達と一緒に冒険の旅に出た。パティの生活環境は激変した。パティは究極の妹属性だったのだ。冒険者協会の美人受付嬢と美女の女剣士が、どっちがパティの姉にふさわしいかケンカするし、永遠の美少女にも気に入られてしまう。  ぼっち少女の愛されまくりな旅が始まる。    

初めてなら、本気で喘がせてあげる

ヘロディア
恋愛
美しい彼女の初めてを奪うことになった主人公。 初めての体験に喘いでいく彼女をみて興奮が抑えられず…

【完結】悪役令嬢だって真実の愛を手に入れたい~本来の私に戻って初恋の君を射止めます!

灰銀猫
恋愛
筆頭侯爵家の令嬢レティシアは、真実の愛に目覚めたと言い出した婚約者の第三王子に婚約破棄される。元々交流もなく、学園に入学してからは男爵令嬢に骨抜きになった王子に呆れていたレティシアは、嬉々として婚約解消を受け入れた。 そっちがその気なら、私だって真実の愛を手に入れたっていい筈!そう心に決めたレティシアは、これまでの他人に作られた自分を脱ぎ捨てて、以前から心に秘めていた初恋の相手に求婚する。 実は可憐で庇護欲をそそる外見だった王子の元婚約者が、初恋の人に求婚して好きになってもらおうと奮闘する話です。 誤字脱字のご報告ありがとうございます。この場を借りてお礼申し上げます。 R15は保険です。 番外編~レアンドルはBL要素を含みます。ご注意ください。 他サイトでも掲載しています。

処理中です...