Joker

海子

文字の大きさ
上 下
55 / 83
17.イーオン<永遠> 前編

しおりを挟む
 その夜、ウィンベリー伯爵の屋敷から、大きな人影が走り出た。 
裏門から、速やかに滑り出ると、ずいぶんと辺りを気にする様子で、目深に帽子をかぶり、足早に行き過ぎる。 
その人目を避けて歩く様から、誰にも会いたくないという心中は、明らかだった。 
ちょうど、その男が、ウィンベリー伯爵の屋敷をぐるりと取り囲む塀の角を曲がろうとした時、背の高い男と鉢合わせした。 
男はぎくりとして、一歩後ずさった。
深夜、このような場所を、用もなく歩く者がいるとは思えなかった。 
まずい! 
男は、全速力で反対方向へ、駆け出した。 
「待てよ、マックス!」 
背の高い男が、声をかけた。 
マックスの足が、止まった。 
「逃げるなよ、卑怯者」 
卑怯者、その言葉は、マックスの胸にぐさりと突き刺さった。 
マックスは奥歯をかみしめて、振り返った。 
「あんた・・・、リック」
「逃げるなよ、卑怯者。自分の仕出かしたことは、わかっているんだろうな」
リックは、すかさず、マックスの内ポケットに手を差し込み、紙幣の束を地面に投げ捨てた。
そして、胸倉を捕まえると、その場から、マックスを人目につかない場所に連れだした。 
大男だけに、抵抗されるとやっかいだったが、観念したのかマックスは大人しかった。
「よそ者のあんたに、何がわかるんだ」 
「お前の言う通りだ。じゃあ、そいつに話せよ」 
と、リックはマックスの後方を、顎で示した。 
はっとした表情で、マックスは後ろを振り返った。 
ロイが立っていた。
その後ろには、ジェームズがいた。 
「ロイ・・・」
「マックス、俺たちは、親友だろ・・・?何故、何故・・・、こんなことを?」
ロイの頬には、擦り傷があった。 
昨夜、ダイスからラルフと逃げる際に、負った傷だった。 
ロイは、怒りの感情が湧くより、動揺していた。
イーオンを弾圧するグラディウスに屈せず、共に抗う仲間だと思っていた。 
マックスを心から、信頼していた。 
それなのに、グラディウスに追従する裏切り者、ウィンベリー伯爵に、仲間を売るとは。 
仲間を、陥れるとは! 
一体何故、という思いの方が、圧倒的に強かった。
「娘が病気だ。治すには・・・、金がかかる」 
「だから?」
「だから?だから、仲間を売ったのかって?ああ、そうさ。娘のために、俺は仲間を売った。情報を渡せば、娘の治療費は、面倒を見てやると言われた。医者に見せて、十分に食べさせてやると言われた。お前に、わかるか・・・?日に日にやせ細っていく娘を、ただ見ていることしかできない辛さが。十分な薬も食べ物も手に入れてやることができない、やるせなさが。俺と妻の嘆きが・・・」
みな、押し黙った。
マックスは、泣いていた。 
「俺は、後悔してない。これで、娘が、助かるなら、後悔はしない。例え、俺は地獄に落ちたとしても。何度だって、同じことをするだろう」 
マックスは、懐からナイフを取り出すと、ロイの前に投げてよこした。
「殺せよ。俺を殺せよ」
「マックス・・・」
「俺を許せないだろう。ラルフを、お前の兄貴を、殺したのは、俺だ」 
ロイは、足元のナイフを拾った。
「ロイ、止めるんだ」 
ジェームズが、口をはさんだ。 
兄さんを、殺した・・・。
たったひとりの兄さんを・・・、こいつが殺した。 
ナイフを握る手に、力が籠もる。 
「よすんだ、ロイ」 
「こいつも、俺に殺られるなら、本望だ。兄さんも、それを望んでいる」 
ロイの前で、マックスは、膝をついた。 
こうべを垂れ、身体を震わせていた。 
ジェームズは、がっちりと、ロイの身体を掴んだ。 
「駄目だ、ロイ。それでは、何の解決にもならない」 
「でも、それじゃあ、兄さんが・・・、兄さんが、兄さんが・・・!」 
ロイの眼から、涙がこぼれ落ちた。 
「絶対に駄目だ、ロイ。君が、マックスを殺せば、それこそグラディウスの思うつぼだ。ミグノフ総督の術中に、はまる。君には、大切な人がいるだろう。心から君を愛して、待っていてくれる人がいるはずだ。その人を、哀しませるようなことをしてはいけない」 
ロイは、はっ、とジェームズの眼を見つめた。
「いいね。二度と無謀な真似を、してはいけない」 
ジェームズの真摯な眼差しに、ロイは、拳を握りしめた。 
そうして、ナイフを、地面に落した。
「畜生・・・、畜生、畜生・・・!」 
ロイは地面に、突っ伏して、大声で、泣いた。 



 「少しは、落ち着いたか?」
明け方が、近かった。 
ジェームズの屋敷の居間に、ジェームズと、ロイはふたりだった。 
ジェームズはロイにソファを勧めたが、ロイは固辞して、立ったままだった。
例え、屋敷を辞めて何年が過ぎようと、ロイにとってジェームズは雇い主だった。 
主人が立っているのに、座ることなどできなかった。 
昨夜、ダイスの襲撃の後、身を潜めていたロイは、行く先にあてがなく、迷った挙句、今日の昼になって、ジェームズの屋敷を訪れ、昨夜の一件全てを話した。 
ロイの話を聞いた後、その場に居合わせたリックは、突然、今夜から張り込みをしようと言いだした。 
誰しも、その真意を測りかねたが、仲間を売った奴が現れるかもしれないというリックの主張を、無視するわけにはいかなかった。 
リックは、ロイの話を聞いてすぐに、密告者がいると、それは、その場にいなかったマックスだろうと、睨んだ。
そして、おそらくグラディウスの貴族か、グラディウスに追従する者と接触しているはずだと、考えた。
うまく行けば、夜、人目を忍んで、貴族の屋敷に出入りするマックスを、捕まえることができるかもしれないと思った。
今夜、リックたちがウィンベリー伯爵の屋敷に張り込む以外にも、めぼしい者の屋敷に、ハリーや、その他数名を、張り込ませて、様子をうかがっていたところ、リックの予想通り、ウィンベリー伯爵の屋敷に、マックスが現れたのだった。
「私は、座るよ」 
ジェームズは、察して先に座った。
一瞬、迷って、ようやくロイも腰を下ろした。 
リックと、ハリーには下がってもらった。 
イーオンのこれからについて、ジェームズは、ロイとふたりで話し合いたかった。
「私は、君たち兄弟と、話し合いたかった。ラルフには、ずっと無視されていたけどね」 
「知っています。兄さんは、あなたのやり方は、生ぬるいと言っていた」 
「気持ちは、分からないでもない。グラディウスは、圧倒的な軍事力で、イーオンを弾圧している。私たちが、何を訴えたところで、握りつぶされ、踏みにじられる。それでも、戦わなければならない」
「でも、一体、どうやって・・・?」 
「グラディウスが、我々を侮る理由のひとつは、イーオンがまとまらないせいだ。イーオンを思う気持ちは変わらないのに、君たちは君たちで、私たちは私たちで、行動を起こして、足を引っ張り合う。どうかすると、お互いを非難しあっている。それでは、グラディウスの思うつぼだ」 
「だから、手を取りあおうと?」 
「ラルフには、幾度も、そう持ちかけた。けれど、聞く耳を持たなかった。我々貴族に、気を許そうとはしなかった。私の力が及ばなかった。残念だ」 
「例え、イーオンがひとつにまとまったところで、グラディウスの奴らは、やっぱりイーオンを弾圧するでしょう。どうしたところで、イーオンが、グラディウスに勝てるわけがない」
「だから、無差別に人を殺すのか?それで、何が解決する?復讐が生み出すものなど、何一つない。わからないか?」 
わからないか、その一言は、重たかった。
そう、無差別殺人の結果が、ラルフだ。 
ラルフは、死んだ。 
「このイーオンの問題を、イーオンだけの問題にしておいていいはずがない。私は、フォルティスも、ユースティティアも巻き込んでやるべきだと思う」 
「ユースティティアも?」 
「そうだ。ユースティティアも引き込んで、立ち向かうんだ。さらには、フォルティスの支援を取りつける。現実に起こり得ないことじゃない。少なくとも、ハリーとリックは、イーオンの出方を探るために、フォルティスの、私の親戚にあたる、リヴィングストン伯爵から、言い遣ってやって来た」 
「フォルティスが・・・」 
「私に、力を貸してくれ、ロイ。再び、平和なイーオンを取り戻すには、貴族も、平民も、皆が力を合わせて戦う必要がある。君たちの勢力が、私たちと合流することができれば、グラディウスに立ち向かえる。兄を失った君だからこそ、皆を説得できると思う。その深い悲しみを、イーオンに役立つ力へかえてほしい」 
ジェームズの熱い思いが、伝わって来た。 
復讐が生み出すものなど、何一つない。 
兄を失った今、その言葉は、ロイの胸に突き刺さった。
その通りだった。 
今、憎しみに満たされて、ラルフの敵を討ちに行ったところで、何の解決にもならないということが、聡いロイには、はっきりとわかった。 
「ジェームズ様・・・」 
「何だ?」 
「俺・・・、今、仕事がないんです。以前のように、もう一度、このお屋敷で、働かせてもらえませんか?以前と同じように、いえ、以前よりもっと、精一杯奉公しますから」 
それは、ジェームズの申し出を承諾した、ということに他ならなかった。
「もちろん、大歓迎だ」 
ジェームズの顔が、よくやく明るく輝いた。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

処理中です...