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16.新たな旅立ち
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花模様のモチーフが描かれた、分厚い絨毯の敷いてある、落ち着いた雰囲気の部屋に、ハリーとリックが入った時、リヴィングストン伯爵は窓辺に立ち、カトリーヌ、フィリップ、アンヌ、レティシアは、椅子に座っていた。
屋敷の数ある部屋の中から、こじんまりとしたこの部屋に、一同が集められ、リックとハリーが入って来た途端、人払いがされ、ドアがぴたりと閉められたことから、どうやら簡単な話ではなさそうだと、リックにも、想像がついた。
そもそも、貴族と使用人が、対等に話をすることなど、階級社会のフォルティスでは考えられないのに、レティシア、リック、ハリーにまで、きちんと椅子が用意されていた。
それを有り難いと思うよりも、深刻な、長い話になることが予想されて、リックは、重い気分になった。
リックと、ハリーが座ったのを見届けて、
「早速だが・・・」
と、伯爵が口を開いた。
「私のグラディウスの友人から、今朝、手紙が届いた。私としても、とても・・・、すぐにはどう判断して良いのか、わからない事態だ。これから、親しい友人たちに、連絡を取って、事態の把握に努めたいと思っている」
リックは、内心、前置きはいいから、とっとと話してくれ、と思っていた。
「何がありましたの、あなた」
カトリーヌが、心配そうに夫を見上げた。
「実は・・・」
と、伯爵はアンヌを見つめて、
「クリスティーヌ王妃が、グラディウスの王都、セヴェロリンスクの王宮で生きている。母君も一緒に」
そう告げた。
「クリスティーヌ王妃と、母君が生きているとは、一体どういうことですか?ジャン王と、親族、その取り巻きは、ひとり残らず、処刑されたのではなかったのですか?」
驚いて口を開いたのは、アンヌではなく、フィリップだった。
ジャン王の妻、つまりユースティティアの王妃は、アンヌの姉のクリスティーヌだった。
そして、その母は、当然、アンヌの母でもあった。
「そうだ、私も、これまで、そのように聞いていた。けれども、アルカンスィエルから、グラディウスの王都セヴェロリンスクに帰還したアレクセイ国王が、ユースティティアのクリスティーヌ王妃とその母君を、連れて戻ったというのだ。ただ、これはまだ、公にはされていない」
「一体どういうことなのでしょう、叔父上」
フィリップの問いかけに、リヴィングストン伯爵はすぐには答えなかった。
「考えられるのは・・・」
と、夫を気にしながら、口を開いたのは、カトリーヌだった。
「考えられるのは・・・、アレクセイ国王が、クリスティーヌ王妃に、心を奪われたということではないでしょうか」
「王妃は、そんなに別嬪なのか?」
伯爵夫人へのあまりのぞんざいな口のきき方に、傍らのレティシアは、リックの口元を押さえたくなった。
「美しいかですって?外国の、このフォルティスでも、その美しさが、称賛される方ですよ。もちろん、お姿だけのことではありませんのよ。知性、気品、教養、全てを兼ね備えた素晴らしい方ですわ。ねえ?」
と、アンヌに水を向けたが、アンヌは厳しい表情のまま、何も答えなかった。
「ラングラン公爵は・・・、どうなったのですか?」
「そのあたりの状況は、まだわからない、フィリップ。友人からの手紙に書いてあったのは、ユースティティアのクリスティーヌ王妃とその母君が、グラディウスの王都、セヴェロリンスクの王宮に連れて来られたようだ、ということだけだ。グラディウスとの戦いの指揮を取っていた、ラングラン公爵がどうなったのかは、未だ不明なのだ」
ラングラン公爵、つまりはアンヌの父親だった。
「しかし、その王妃も不憫だな。旦那を殺った奴に、囲われるとは」
堪らずに、レティシアは、リックのシャツを引っ張った。
リックは、自分の不躾な言葉遣いには、全く気がつかない様子で、何だ、と、レティシアを振り返った。
「そのあたりにも、少し複雑な事情はあるのですが・・・、ジャン王は、あまりクリスティーヌ王妃にご関心が無くて・・・」
と、カトリーヌは、夫とアンヌの顔を交互に見つめながら、口ごもった。
カトリーヌは、伯爵夫人だけあって、外国の王室・社交界事情にも、精通していた。
「ジャン王は、女性に興味が無いのですわ」
口ごもるカトリーヌの代わりに、アンヌが、言い放った。
「それって・・・」
フィリップは、後の言葉が続かなかった。
母は違えど、ジャン王は兄だ。
少なからず、衝撃を受けた。
「それと、少し気にかかるのが、グラディウスのアレクセイ国王は、十年程前に、天然痘にかかられていて、お顔が・・・」
カトリーヌがその後を言わずとも、誰もが理解した。
天然痘で、顔が醜く崩れてしまった、ということを。
「結婚は?」
「なさっておられませんわ」
リックの問いに、カトリーヌが即答した。
「何だか、複雑だな・・・」
ハリーが、白髪まじりの髪をばりばりとかいた。
断片的な情報を、どうつなげればまとまるのか、誰も分からなかった。
「グラディウスの国王は、これまでに、クリスティーヌ王妃に会ったことはあるのか?」
ぽつりと、リックが呟いた。
「さあ、それは、わからない。だけど、何故、そんなことを?」
鷹揚なリヴィングストン伯爵は、一介の御者に過ぎないリックの意見にも、きちんと耳を傾けた。
「クリスティーヌ王妃は、偶然得た、戦利品だったのかな・・・、ああ失礼」
カトリーヌの咎めるような視線に、さすがにリックも、不適切な発言だと気づいたらしかった。
じっと、考え込んでいたカトリーヌだったが、
「あります。会われたことが、ありますわ!」
弾かれたように声を上げた。
「確か、四年前、ユースティティア、グラディウス、両国の友好の証として、ラングラン公爵一家が、セヴェロリンスクの王宮に招かれたことがありますの。その際に、一度会われているはずですわ」
一斉に、皆の眼が、アンヌに注がれた。
「お会いしたことは、あります。けれども、わたくしは、十四歳でした。アレクセイ国王と、お姉様の間に、何があったのかは知りませんし、わかりません」
アンヌは、取り乱すことなく、答えた。
「まさかとは思うんだが・・・」
ハリーも言うのをためらった。
誰もが、浮かび上がって来たそのひとつの推測に、驚きを覚えた。
「まさか、今回のアルカンスィエルの一件は、最初から、グラディウスのアレクセイ国王が、クリスティーヌ王妃を目当てに、仕組んだものだと?だから、ジャン王とその一族を無残に殺して、クリスティーヌ王妃と母君だけを連れ去ったと・・・?」
「ないと、信じたいが」
フィリップの疑問に、伯爵も、黙りこんだ。
長い沈黙の後、すっと、アンヌが立ちあがった。
アンヌは、一同の視線を受けつつ、
「わたくし、セヴェロリンスクへまいります」
そう告げた。
「それは、危険だ。アレクセイ国王が、あなたの身の安全を脅かすかもしれない。クリスティーヌ王妃と母君が、本当にセヴェロリンスクの王宮にいるのだとしても、はっきりとした事情がわかならい今、セヴェロリンスクへ向かうのは、とても危険だ」
「わたくしが行かなければ、真実はわかりません。どのような事情があるにせよ、一度お姉様とお母様にお会いして、お話をうかがってまいります」
「しかし・・・」
「わたくしの家族の話です。どのような危険があるにせよ、このまま見過ごすわけにはまいりません」
リヴィングストン伯爵も、この数日間で、歳に似合わず、アンヌがどれほど聡明で、理知的な女性かということが、よくわかった。
だから、それ以上の反対はしなかった。
「わかった。では、私も、出来る限りの協力をする。手紙をくれた、信頼できるグラディウスの友人を紹介しよう。セヴェロリンスクにいる間は、彼の屋敷に滞在できるように、取り計らっておく。もちろん、セヴェロリンスクまでは、護衛をつけ、道中は、私の知人たちの屋敷に泊れるよう、手紙をしたためる」
「御好意に、感謝いたします。アルカンスィエルから、ウッドフィールドまでは不安も多くありましたが、今回は伯爵様のお力添えがありますから、安心しております」
それは、俺へのあてつけか、と、リックはそのアンヌの言葉を、苦々しく聞いた。
レティシアは、セヴェロリンスクにひとりで向かうという、アンヌの顔をじっと見つめた。
めったに感情をあらわさない、アンヌの気持を汲み取るのは、難しかった。
けれども、アンヌに長く接してきたレティシアは、その深い緑色の瞳の奥に、哀しみを感じた。
ラングラン公爵は、行方知れずのまま、そして姉と母は、敵国セヴェロリンスクの王宮にいるという。
アンヌのその気持ちを推し量ると、レティシアは黙っていられなくなった。
アルカンスィエルで、どれだけの恩を受けたことか。
それは、レティシアに対してではなく、アンジェラに対してのものだったかもしれないが、アンヌの思いやりを、いつも目の当たりにしていた。
今、苦境に立たされているアンヌをひとり、セヴェロリンスクに行かせることはできないと思った。
「私も、アンヌ様と一緒に、セヴェロリンスクへまいります」
そのレティシアの言葉に、誰よりも驚いたのは、リックだった。
「何を言い出すんだ、レティシア。俺たちは、明日、ブリストンへ戻るんだぜ」
「レティシア、あなたは、その御者の言う通りになさい」
アンヌの凛とした声だった。
「いいえ、アンヌ様。私、アンヌ様と、一緒にまいります。私では、何の力にもなれないかもしれませんが、それでも、おひとりでいかれるのは、心細いことですわ」
「わたくしなら、大丈夫です」
「そうだ、レティシア、考え直せ」
誰よりも、リックは必死だった。
「いいえ、いいえ・・・、アンヌ様、おひとりを行かせて、私だけ呑気に暮らすことなんてできません。ブリストンへは、アンヌ様のご心配が解決してから、向かいます」
レティシアの意思は、固かった。
「僕も・・・、ちょっといいかな」
と、そこへフィリップが、口を差し挟んだ。
「僕も、アルカンスィエルへ帰る」
重大な件にも関わらず、フィリップは微笑んでいた。
「何を言い出すの、フィリップ。ようやく、ウッドフィールドへ来て、落ち着いたのではありませんか」
カトリーヌは、動揺を隠せなかった。
「ウッドフィールドへ向かったのは、アンジェラのためでした。アンジェラに、穏やかで、落ち着いた生活を、与えてやりたかった。・・・できなかったけど」
フィリップは、憂いを含んだ青い瞳を伏せた。
「だけど、ここは、僕の居場所じゃない。僕は、ユースティティアの人間だ。叔父上、本当に申し訳・・・」
「謝らなくていい、フィリップ」
リヴィングストン伯爵は、フィリップを遮った。
「謝らなくていい、フィリップ。それでいい。私は、君を、誇りに思う」
リヴィングストン伯爵には、フィリップの気持がよくわかった。
もし、フォルティスに同じようなことが起こった場合、自分も安全な土地で呑気に暮らすことなどできないだろうと、思ったからだった。
カトリーヌは、固い表情のまま、俯いてしまったが。
「アルカンスィエルまで、護衛をつけよう。私が関わった以上、グラディウスが簡単に手を出してくるとは思えないが、念のためだ」
「叔父上、それは、遠慮します。僕は、街道を、ひとりで帰ります」
「フィリップ・・・」
「襲われることがあったとしても、それは、僕の運命だ。もう、誰かに、守ってもらおうとは思いません。僕は、この旅で、守るべきものを失ってしまった。それは、とてもつらいことです。この先も、ずっと癒えることはないでしょう・・・。でも、ひとりになって、僕に、恐れはなくなりました。殺したいのなら、殺しに来ればいい。僕は、ユースティティアに戻って、グラディウスと戦う。アルカンスィエルを取り戻すために」
フィリップは淡々と語った。
それだけに、却って、その意思の強さが、感じられた。
十七歳の青年は、大人の男へと成長を遂げようとしていた。
優しい端正な顔立ちの中にある、青い瞳には、頑固な信念が宿っていた。
「気持ちはよくわかった、フィリップ。だが、私にも、ひとつくらい、手伝いをさせてくれ。先日、ユースティティアの、私の師から手紙が来た。私とは、随分歳が離れているが、若い頃、ユースティティアに留学していた時、私に、さまざまなことを教えてくれた。学識深い、そして勇敢な方だ。今、戦いの前線で、ユースティティア軍を鼓舞し、指揮を取っている。その方に、手紙を書こう。君のことをよろしく、と」
「叔父上・・・、感謝します」
「私も忙しくなりそうだ。勇敢な甥ひとりだけを、英雄にはできない。カトリーヌに愛想をつかされてしまいそうだからね」
伯爵はそう言うと、うつむいて、そっと瞳をぬぐう妻の肩を、優しく抱きしめた。
そして、
「君たちにも、ぜひ、手伝ってほしいのだが」
伯爵は、ハリーとリックに視線を向けた。
「もちろん、ぜひ」
「いや、ちょ、ちょっと待て。ハリー」
即答するハリーに、リックはただ、驚いた。
「逃げるのか?」
珍しく、ハリーは強引だった。
リックは、今回のウッドフィールドへの旅に、ハリーを無理に誘った経緯があった。
そのハリーに誘われたとあれば、断るわけにもいかなかった。
何で、こんなことになっちまうんだ。
リックは、心の中で悪態をついた。
俺は、一体いつ、レティシアと一緒にブリストンに帰れるんだ?
リックの脳裏に、苦々しい顔のジェフリーが、思い浮かんだ。
深夜、アンヌは、眼を開いた。
眠ることができなかった。
ベッドから起き上がり、自室のカーテンを静かに開けた。
月はなく、夜の闇の中、視界に入るものは何もなかった。
アンヌの視線のはるか彼方には、グラディウスの王都、セヴェロリンスクがある。
「本当にこれで、よかったの?・・・ブロンディーヌ」
アンヌは、小さく、そう呟いた。
屋敷の数ある部屋の中から、こじんまりとしたこの部屋に、一同が集められ、リックとハリーが入って来た途端、人払いがされ、ドアがぴたりと閉められたことから、どうやら簡単な話ではなさそうだと、リックにも、想像がついた。
そもそも、貴族と使用人が、対等に話をすることなど、階級社会のフォルティスでは考えられないのに、レティシア、リック、ハリーにまで、きちんと椅子が用意されていた。
それを有り難いと思うよりも、深刻な、長い話になることが予想されて、リックは、重い気分になった。
リックと、ハリーが座ったのを見届けて、
「早速だが・・・」
と、伯爵が口を開いた。
「私のグラディウスの友人から、今朝、手紙が届いた。私としても、とても・・・、すぐにはどう判断して良いのか、わからない事態だ。これから、親しい友人たちに、連絡を取って、事態の把握に努めたいと思っている」
リックは、内心、前置きはいいから、とっとと話してくれ、と思っていた。
「何がありましたの、あなた」
カトリーヌが、心配そうに夫を見上げた。
「実は・・・」
と、伯爵はアンヌを見つめて、
「クリスティーヌ王妃が、グラディウスの王都、セヴェロリンスクの王宮で生きている。母君も一緒に」
そう告げた。
「クリスティーヌ王妃と、母君が生きているとは、一体どういうことですか?ジャン王と、親族、その取り巻きは、ひとり残らず、処刑されたのではなかったのですか?」
驚いて口を開いたのは、アンヌではなく、フィリップだった。
ジャン王の妻、つまりユースティティアの王妃は、アンヌの姉のクリスティーヌだった。
そして、その母は、当然、アンヌの母でもあった。
「そうだ、私も、これまで、そのように聞いていた。けれども、アルカンスィエルから、グラディウスの王都セヴェロリンスクに帰還したアレクセイ国王が、ユースティティアのクリスティーヌ王妃とその母君を、連れて戻ったというのだ。ただ、これはまだ、公にはされていない」
「一体どういうことなのでしょう、叔父上」
フィリップの問いかけに、リヴィングストン伯爵はすぐには答えなかった。
「考えられるのは・・・」
と、夫を気にしながら、口を開いたのは、カトリーヌだった。
「考えられるのは・・・、アレクセイ国王が、クリスティーヌ王妃に、心を奪われたということではないでしょうか」
「王妃は、そんなに別嬪なのか?」
伯爵夫人へのあまりのぞんざいな口のきき方に、傍らのレティシアは、リックの口元を押さえたくなった。
「美しいかですって?外国の、このフォルティスでも、その美しさが、称賛される方ですよ。もちろん、お姿だけのことではありませんのよ。知性、気品、教養、全てを兼ね備えた素晴らしい方ですわ。ねえ?」
と、アンヌに水を向けたが、アンヌは厳しい表情のまま、何も答えなかった。
「ラングラン公爵は・・・、どうなったのですか?」
「そのあたりの状況は、まだわからない、フィリップ。友人からの手紙に書いてあったのは、ユースティティアのクリスティーヌ王妃とその母君が、グラディウスの王都、セヴェロリンスクの王宮に連れて来られたようだ、ということだけだ。グラディウスとの戦いの指揮を取っていた、ラングラン公爵がどうなったのかは、未だ不明なのだ」
ラングラン公爵、つまりはアンヌの父親だった。
「しかし、その王妃も不憫だな。旦那を殺った奴に、囲われるとは」
堪らずに、レティシアは、リックのシャツを引っ張った。
リックは、自分の不躾な言葉遣いには、全く気がつかない様子で、何だ、と、レティシアを振り返った。
「そのあたりにも、少し複雑な事情はあるのですが・・・、ジャン王は、あまりクリスティーヌ王妃にご関心が無くて・・・」
と、カトリーヌは、夫とアンヌの顔を交互に見つめながら、口ごもった。
カトリーヌは、伯爵夫人だけあって、外国の王室・社交界事情にも、精通していた。
「ジャン王は、女性に興味が無いのですわ」
口ごもるカトリーヌの代わりに、アンヌが、言い放った。
「それって・・・」
フィリップは、後の言葉が続かなかった。
母は違えど、ジャン王は兄だ。
少なからず、衝撃を受けた。
「それと、少し気にかかるのが、グラディウスのアレクセイ国王は、十年程前に、天然痘にかかられていて、お顔が・・・」
カトリーヌがその後を言わずとも、誰もが理解した。
天然痘で、顔が醜く崩れてしまった、ということを。
「結婚は?」
「なさっておられませんわ」
リックの問いに、カトリーヌが即答した。
「何だか、複雑だな・・・」
ハリーが、白髪まじりの髪をばりばりとかいた。
断片的な情報を、どうつなげればまとまるのか、誰も分からなかった。
「グラディウスの国王は、これまでに、クリスティーヌ王妃に会ったことはあるのか?」
ぽつりと、リックが呟いた。
「さあ、それは、わからない。だけど、何故、そんなことを?」
鷹揚なリヴィングストン伯爵は、一介の御者に過ぎないリックの意見にも、きちんと耳を傾けた。
「クリスティーヌ王妃は、偶然得た、戦利品だったのかな・・・、ああ失礼」
カトリーヌの咎めるような視線に、さすがにリックも、不適切な発言だと気づいたらしかった。
じっと、考え込んでいたカトリーヌだったが、
「あります。会われたことが、ありますわ!」
弾かれたように声を上げた。
「確か、四年前、ユースティティア、グラディウス、両国の友好の証として、ラングラン公爵一家が、セヴェロリンスクの王宮に招かれたことがありますの。その際に、一度会われているはずですわ」
一斉に、皆の眼が、アンヌに注がれた。
「お会いしたことは、あります。けれども、わたくしは、十四歳でした。アレクセイ国王と、お姉様の間に、何があったのかは知りませんし、わかりません」
アンヌは、取り乱すことなく、答えた。
「まさかとは思うんだが・・・」
ハリーも言うのをためらった。
誰もが、浮かび上がって来たそのひとつの推測に、驚きを覚えた。
「まさか、今回のアルカンスィエルの一件は、最初から、グラディウスのアレクセイ国王が、クリスティーヌ王妃を目当てに、仕組んだものだと?だから、ジャン王とその一族を無残に殺して、クリスティーヌ王妃と母君だけを連れ去ったと・・・?」
「ないと、信じたいが」
フィリップの疑問に、伯爵も、黙りこんだ。
長い沈黙の後、すっと、アンヌが立ちあがった。
アンヌは、一同の視線を受けつつ、
「わたくし、セヴェロリンスクへまいります」
そう告げた。
「それは、危険だ。アレクセイ国王が、あなたの身の安全を脅かすかもしれない。クリスティーヌ王妃と母君が、本当にセヴェロリンスクの王宮にいるのだとしても、はっきりとした事情がわかならい今、セヴェロリンスクへ向かうのは、とても危険だ」
「わたくしが行かなければ、真実はわかりません。どのような事情があるにせよ、一度お姉様とお母様にお会いして、お話をうかがってまいります」
「しかし・・・」
「わたくしの家族の話です。どのような危険があるにせよ、このまま見過ごすわけにはまいりません」
リヴィングストン伯爵も、この数日間で、歳に似合わず、アンヌがどれほど聡明で、理知的な女性かということが、よくわかった。
だから、それ以上の反対はしなかった。
「わかった。では、私も、出来る限りの協力をする。手紙をくれた、信頼できるグラディウスの友人を紹介しよう。セヴェロリンスクにいる間は、彼の屋敷に滞在できるように、取り計らっておく。もちろん、セヴェロリンスクまでは、護衛をつけ、道中は、私の知人たちの屋敷に泊れるよう、手紙をしたためる」
「御好意に、感謝いたします。アルカンスィエルから、ウッドフィールドまでは不安も多くありましたが、今回は伯爵様のお力添えがありますから、安心しております」
それは、俺へのあてつけか、と、リックはそのアンヌの言葉を、苦々しく聞いた。
レティシアは、セヴェロリンスクにひとりで向かうという、アンヌの顔をじっと見つめた。
めったに感情をあらわさない、アンヌの気持を汲み取るのは、難しかった。
けれども、アンヌに長く接してきたレティシアは、その深い緑色の瞳の奥に、哀しみを感じた。
ラングラン公爵は、行方知れずのまま、そして姉と母は、敵国セヴェロリンスクの王宮にいるという。
アンヌのその気持ちを推し量ると、レティシアは黙っていられなくなった。
アルカンスィエルで、どれだけの恩を受けたことか。
それは、レティシアに対してではなく、アンジェラに対してのものだったかもしれないが、アンヌの思いやりを、いつも目の当たりにしていた。
今、苦境に立たされているアンヌをひとり、セヴェロリンスクに行かせることはできないと思った。
「私も、アンヌ様と一緒に、セヴェロリンスクへまいります」
そのレティシアの言葉に、誰よりも驚いたのは、リックだった。
「何を言い出すんだ、レティシア。俺たちは、明日、ブリストンへ戻るんだぜ」
「レティシア、あなたは、その御者の言う通りになさい」
アンヌの凛とした声だった。
「いいえ、アンヌ様。私、アンヌ様と、一緒にまいります。私では、何の力にもなれないかもしれませんが、それでも、おひとりでいかれるのは、心細いことですわ」
「わたくしなら、大丈夫です」
「そうだ、レティシア、考え直せ」
誰よりも、リックは必死だった。
「いいえ、いいえ・・・、アンヌ様、おひとりを行かせて、私だけ呑気に暮らすことなんてできません。ブリストンへは、アンヌ様のご心配が解決してから、向かいます」
レティシアの意思は、固かった。
「僕も・・・、ちょっといいかな」
と、そこへフィリップが、口を差し挟んだ。
「僕も、アルカンスィエルへ帰る」
重大な件にも関わらず、フィリップは微笑んでいた。
「何を言い出すの、フィリップ。ようやく、ウッドフィールドへ来て、落ち着いたのではありませんか」
カトリーヌは、動揺を隠せなかった。
「ウッドフィールドへ向かったのは、アンジェラのためでした。アンジェラに、穏やかで、落ち着いた生活を、与えてやりたかった。・・・できなかったけど」
フィリップは、憂いを含んだ青い瞳を伏せた。
「だけど、ここは、僕の居場所じゃない。僕は、ユースティティアの人間だ。叔父上、本当に申し訳・・・」
「謝らなくていい、フィリップ」
リヴィングストン伯爵は、フィリップを遮った。
「謝らなくていい、フィリップ。それでいい。私は、君を、誇りに思う」
リヴィングストン伯爵には、フィリップの気持がよくわかった。
もし、フォルティスに同じようなことが起こった場合、自分も安全な土地で呑気に暮らすことなどできないだろうと、思ったからだった。
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「アルカンスィエルまで、護衛をつけよう。私が関わった以上、グラディウスが簡単に手を出してくるとは思えないが、念のためだ」
「叔父上、それは、遠慮します。僕は、街道を、ひとりで帰ります」
「フィリップ・・・」
「襲われることがあったとしても、それは、僕の運命だ。もう、誰かに、守ってもらおうとは思いません。僕は、この旅で、守るべきものを失ってしまった。それは、とてもつらいことです。この先も、ずっと癒えることはないでしょう・・・。でも、ひとりになって、僕に、恐れはなくなりました。殺したいのなら、殺しに来ればいい。僕は、ユースティティアに戻って、グラディウスと戦う。アルカンスィエルを取り戻すために」
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それだけに、却って、その意思の強さが、感じられた。
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「気持ちはよくわかった、フィリップ。だが、私にも、ひとつくらい、手伝いをさせてくれ。先日、ユースティティアの、私の師から手紙が来た。私とは、随分歳が離れているが、若い頃、ユースティティアに留学していた時、私に、さまざまなことを教えてくれた。学識深い、そして勇敢な方だ。今、戦いの前線で、ユースティティア軍を鼓舞し、指揮を取っている。その方に、手紙を書こう。君のことをよろしく、と」
「叔父上・・・、感謝します」
「私も忙しくなりそうだ。勇敢な甥ひとりだけを、英雄にはできない。カトリーヌに愛想をつかされてしまいそうだからね」
伯爵はそう言うと、うつむいて、そっと瞳をぬぐう妻の肩を、優しく抱きしめた。
そして、
「君たちにも、ぜひ、手伝ってほしいのだが」
伯爵は、ハリーとリックに視線を向けた。
「もちろん、ぜひ」
「いや、ちょ、ちょっと待て。ハリー」
即答するハリーに、リックはただ、驚いた。
「逃げるのか?」
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俺は、一体いつ、レティシアと一緒にブリストンに帰れるんだ?
リックの脳裏に、苦々しい顔のジェフリーが、思い浮かんだ。
深夜、アンヌは、眼を開いた。
眠ることができなかった。
ベッドから起き上がり、自室のカーテンを静かに開けた。
月はなく、夜の闇の中、視界に入るものは何もなかった。
アンヌの視線のはるか彼方には、グラディウスの王都、セヴェロリンスクがある。
「本当にこれで、よかったの?・・・ブロンディーヌ」
アンヌは、小さく、そう呟いた。
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髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。
性描写激しめですが、甘々の溺愛です。
※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。
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