Joker

海子

文字の大きさ
上 下
48 / 83
16.新たな旅立ち

しおりを挟む
 リックは、上機嫌だった。 
何故なら、明日、レティシアと共に、ブリストンへ発つことが決まったからだった。 
そして、フィリップが、リヴィングストン伯爵に頼んでくれて、リックに幌つきの手ごろな馬車を用意してくれた。 
荷物らしい荷物はなかったので、あとは、レティシアと、発つのを待つばかりだった。 
レティシアと言えば、これまでは、恋人であったとはいえ、どこか遠慮がちで、リックにしてみれば、そのよそよそしさが、歯がゆくもあったのだが、リックと一緒にブリストンに行くと決めた二日前のあの夜以来、その隔たりが消え、レティシアの全てを手に入れたようで、リックは、この上なく満足だった。
時間を見つけては、逢瀬を、楽しんでいたふたりだったが、ベッドで抱きしめる素肌は、リックの求めに応じて、甘えるように、ねだる様に縋りついて来て、リックの名前を呼んだ。 
肌を重ねるたびに、愛しさは、募るばかりだった。 
あれこれと、楽しそうにリックの身の周りの世話を焼く、幸せに満ち溢れたレティシアが、眩しかった。
本当を言うと、ハリーも一緒に、ブリストンに向かうつもりだった。
ハリーは、タリスの駅馬車会社を辞めて、今回のウッドフィールドへの旅に加わった。 
だから、一緒にブリストンに行って、リックの兄貴分であり、雇い主でもあるジェフリーに紹介して、マクファーレン商会で雇ってもらえるように、話をつけるつもりだった。
けれども、ハリーは、 
「俺は、もう二、三日ここでゆっくりしてから、発つことにする。これ以上、お前さんたちにあてられたんじゃ、たまらんよ」 
と、あっさり断った。
そういう訳で、リックは、レティシアとふたり、明日、ウッドフィールドを発ってブリストンへ向かうことになったのだった。 



 リックは、釘の緩んでいた馬車のカートの木枠を、金槌を使って丁寧に手入れしていた。
この馬車で、ブリストンまでの長距離を走ることになるのだから、準備は万全にしておこうと思っていた。 
そのリックの横へ、すっ、と誰かが立つような気配がした。 
顔を上げると、立っていたのは、アンヌだった。
引き締まった身体に、上品な深紅のドレスをまとい、艶のある黒みがかった茶色い髪を、少しの乱れもなく結いあげたアンヌは、ユースティティアの公爵令嬢として、相変わらず一分の隙もなかった。 
そして、例の濃い緑色の瞳で、屈んでいるリックを、上から見下ろしていた。 
「何だ?」
「明日、発つそうですね」 
アンヌはにこりともせずに、そう言った。 
「そうだ、レティシアは、あんたにちゃんと暇をもらったって、言ってたぜ」 
リックは、てっきりアンヌが文句を言いに来たのだと思った。 
そのリックの前に、アンヌは、すっ、と封筒を差し出した。
訝しげに思いながらも、手を伸ばして受け取り、中身を確認した。
紙幣が入っていた。 
かなりの厚みで、リックが最初に提示した額よりも、幾分多いように思えた。
「金なら、伯爵にもらったさ。ついでに、この馬車も。二重取りするつもりはない」 
リックは、中身を見ただけで、受け取らずにそのまま、アンヌに差し戻した。 
「伯爵様からの謝礼は、謝礼であって、支払いとは別です」 
「だけど、あんたが損をするぜ」 
「わたくしが、よろしいと言っているのです。黙って、お受け取りなさい」 
言い方は、気に食わなかったが、もらっておいて損はなかった。
マクファーレン商会の経営者で、金の亡者、ジェフリーの顔が思い浮かんだ。 
弟のフランクが発端で起こった、今回の逃走劇だった。
ブリストンに戻って、ジェフリーがリックにどういう態度に出るかは、分からなかったが、ブリストンから脱出する時、ピエールが亡くなっている。 
その後始末が、フランクひとりでできたとは思えない。 
そのことからしても、今回の事態を好ましく思っているはずは、なかった。 
世の中のあらゆる出来事は、金で解決できると思っているジェフリーだ。 
今、アンヌから差し出された紙幣を、そのままジェフリーに渡せば、多少機嫌を損ねていたとしても、この金で持ち直すことができるだろう。 
リックは受け取った封筒を上に上げて見せて、礼の言葉に変えた。 
「ああ、そうだ、一応、あっちも礼を言っておかないとな」 
思いだしたように、リックが言った。
「何の話ですか?」 
「この前の、グラディウスの暗殺者だよ。俺が、頭に銃を突きつけられた時、奴らの注意をそらせてくれただろう。あともう数秒遅けりゃ、今頃、俺は墓場の中だ。あの時、リヴィングストン伯爵が、来ていたことに気付いていたのか?」
「様子をうかがいながら、静かにこちらに進んでくる伯爵様が、眼に入りました」 
「それで?」 
「暗殺者たちは、伯爵様に気付いていませんでした。あなたを撃つことしか、考えていませんでしたから。とはいえ、伯爵様が来たと叫んで、銃撃戦にでもなって、こちらに負傷者が出ても困ります。ですので、夕日の方を向いて、叫んだのです。リヴィングストン伯爵様、と。わたくしの思惑通り、暗殺者たちは、そちらに気を取られました。そして、眩しさに眼を細めました。相手が戸惑う間に、伯爵様の従僕の銃弾が、暗殺者を仕留めました」 
アンヌは、淡々と語る。 
「あんた・・・」
「何ですか?」 
「よく、咄嗟に、そんなことを考えつくな」 
今回ばかりは、リックも脱帽だった。 
アンヌは、リックに褒められたからと言って、別段、面白くもなさそうだった。
「一応、礼は言っておく。命拾いをした」 
「わたくしは、借りを作るのが嫌いです」 
「借り?」 
「ブリストンで、暗殺者に追われた時、逃げるのを助けてもらったでしょう」
リックは、一瞬考えて、思いだした。
ブリストンで、暗殺者たちから逃げる時、馬に乗るのを手助けしてやった。 
リックは、意外だった。
そんなことを、アンヌが気に留めているとは思わなかった。 
「貸し借り無し、ってことだな」 
リックは、瞳に笑みを浮かべたが、アンヌは、にこりともせず、背を向けて歩き出した。
別段、握手もなく、別れのあいさつもなかったが、それはそれで、この女は、案外、潔いのかもしれないと、リックは思った。 
「あんたさ」 
声を掛けられて、アンヌは振り返った。 
「中々、いい度胸してるぜ。器量も悪くない。ちょっとは、愛想よくしてみろよ。あんたの前に、男が列をなすぜ」
リックは、笑いながら、そう言った。 
リックなりの褒め言葉だっのだが、アンヌの眉は、きゅきゅっ、と釣り上った。
どうやら怒らせたようだ。
余計な世話だと言わんばかりに、リックに冷たい一瞥をくれると、アンヌは踵を返して、立ち去った。 
立ち去るその後ろ姿を見つめながら、あのアンヌに笑ってもらえるのはどんな男なんだろうと、笑顔のアンヌを想像して、リックは、ひとり吹き出した。 
「リック」
リックが笑みを残しながら、馬車の修理に戻ろうとすると、リックを呼ぶ声が聞こえた。 
ハリーだった。
「リヴィングストン伯爵が、お呼びだ」 
リックは、嫌な予感がした。 
その予感が当たらないことを、祈った。 

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

処理中です...