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海子

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8.ブロンディーヌ

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 「首尾は?」 
ダニエルは、ブロンディーヌが馬車に乗り込んで来るなり、尋ねた。 
「心配ありませんわ。全て、上手く行きました」 
ブロンディーヌは、ダニエルの向かいの座席に座ると、落ち着いた声でそう告げた。 
ダニエルは、合図して、馬車を出させた。
「眠り薬の効果が遅くて、ずいぶん困りましたのよ、私」 
ブロンディーヌは、ダニエルに苦情を言った。
「オズワルドも、本望だろう」 
つまり、随分、オズワルドに奉仕させられたということかと、ダニエルは、ブロンディーヌの苦情を笑って聞き流した。
しかし、したたかな女になったものだ。
ダニエルは、ブロンディーヌを眺めてそう思った。 
人を手に掛けて、こうも落ちついていられるとは。 
少なくとも以前は、このようではなかった。 
仕事から帰った後は、よく取り乱して、泣いていた。 
待てよ。 
まさか、オズワルドを殺っていないのでは… 。
そのダニエルの不審の眼を、ブロンディーヌは敏感に感じ取った。
「お疑い?」 
ブロンディーヌは、ポーチの中からある包みを取り出すと、ダニエルの膝の上に置いた。 
ダニエルが、包みを開くと、ツンと血の臭いが鼻をついた。 
ダニエルが顏をしかめる。
たっぷりと血を吸った、シャツの切れ端が入っていた。
ダニエルはひとめ確認すると、それをすぐ横に退けた。
「手袋をして毛布の上から、仕留めました。ドレスが汚れていないといいのだけれど」 
闇の中を走る馬車の中では、濃い色合いのドレスの汚れは、わからなかった。 
「ブロンディーヌ、昨日と、随分様子が違うのは何故かな?」 
「そうでしょうか?」 
「昨日、君は私の依頼を拒んでいた。今日の君と、まるで違う」 
ダニエルはブロンディーヌに、探るような瞳を向ける。
「それはきっと、このドレスのせいですわね」 
「ドレスの?」 
「今夜、このドレスに袖を通して、思いましたの。この六年間、私のしてきたことは、何だったのかしらって」 
「ほう」 
「私、あなたに見捨てられてから、一生懸命働きました。一生懸命働けば、少しでも暮らしがよくなるのではないかと思って。でも、毎日食べて行くのがやっとで、なにひとつ、欲しい物は、手に入りませんでした。こんな素敵なドレスや首飾りなんて、夢の中でしか身に着けられませんでした」 
ブロンディーヌはうっとりと、ドレスに触れた。
「ミラージュに戻って来るかね?」 
「少し考える時間をいただければ、きっと良い返事ができると思いますわ」 
妖しい光を含んだ、魔性の女の眼で、ブロンディーヌはダニエルを見つめた。
「少し・・・、歩かないか、ブロンディーヌ」 
「ここから?」 
ダニエルの滞在するタリスのタヴァンは、橋を渡った先だった。 
夕刻、ブロンディーヌは、そこでダニエルの連れて来た女に支度を手伝わせ、さきほどの娼館に向かったのだった。 
これからそのタヴァンへ戻り、手早く荷物をまとめて出発し、明日の朝、娼館の一室でオズワルドの死体が発見される頃には、ダニエルもブロンディーヌも、行方がわからない、という手はずだった。
「まだ少し、距離がありますわね」 
ブロンディーヌは、馬車の窓から外の景色を見つめる。
「夜明けまで、まだ時間がある。ここから歩いても、いくらもかからない。少し、夜風に当たって、君と歩きたいんだ」 
「私と?それは光栄ですわ」 
ダニエルは馬車を止め、降り、支払いを済ませると、ブロンディーヌの手を取って、馬車から降ろした。
馬車は、すぐに走り去った。 
ブロンディーヌは、ダニエルと腕を組んで、月明かりを頼りに、歩き出した。 
ふたりの他に、人影はなかった。
ブロンディーヌの香りが、芳しく漂って、ダニエルの嗅覚を甘やかに刺激した。
「君とこうやって、一緒に歩ける日が来るとは」 
「本当ですわね。私も、そう思いますわ」 
「本当に、私を怨んではないのかね」 
「怨む?」 
ブロンディーヌは、何かを思い出したように、くすくす笑い出した。 
「何がおかしい?」 
「昨日、あなたの言った言葉ですわ。左肩の傷痕なんて、情欲に囚われた男には、何の躊躇もあたえない、って。あなたの言う通り、今夜、確かめてみて、本当にその通りだと思いました」 
「ブロンディーヌ・・・」 
「私は、今まで、何をつまらないことにこだわっていたのかと、自分の子供っぽさにあきれているところです」
ブロンディーヌは、おかしそうに笑った。 
二人は歩みを進めて、橋の上まで来ていた。
この橋を渡りさえすれば、目指すタヴァンはすぐだった。 
橋は、さほど長くはなかったが、随分と高さがあった。 
昼間、降っていた雨のせいで、水かさも幾分増して見えた。 
ダニエルは、橋のちょうど真ん中で立ち止まった。
「ダニエル?」 
ブロンディーヌの、腰に腕を回して、二人で橋の下を見下ろすような形になった。 
橋の欄干は、さほど高くなかった。 
「月がきれいだ」 
ダニエルは、空を見上げた。
「本当に」 
と、ブロンディーヌが相槌を打った瞬間、ダニエルは、ブロンディーヌの身体を、後ろから勢いよく突き飛ばした。



 ダニエルは、力いっぱい、ブロンディーヌを突き飛ばした。 
よもや、瞬時に、ブロンディーヌが身をかわすとは思っていなかった。 
そして、まさか前のめりになった自分の身体が、ブロンディーヌのしなやかな白い腕で、橋の上から押し出されるとは思いもしなかった。 
ダニエルは、叫び声をあげて橋の上から消えた。 
けれども、間一髪、ダニエルは、右手で欄干を掴んでいた。
ブロンディーヌは、橋の上から、右手一つで欄干にぶら下がるダニエルを、冷酷に見つめた。
ブロンディーヌの手に握られたナイフが、月明かりに、煌めいた。
ブロンディーヌは最初から、わかっていた。
今夜、ダニエルが、自分を殺そうとしていることを。
だから、ナイフを隠し持ち、ダニエルが襲ってきた時には、手向かうつもりだった。
「ブロンディーヌ・・・、た、助けてくれ、頼む」 
ダニエルは、必死の形相だった。 
落ちれば、命はない。
「六年前、私も、同じことを言いました。見捨てないで、って」 
先ほど、ダニエルの攻撃をかわした時に乱れた髪が、夜風に舞う。
「私も、泣いて、あなたに懇願しました。一緒に、連れて行って、って」 
「ブロンディーヌ・・・」 
「でも、あなたは、私を置いて・・・、私ひとりを置き去りにして、逃げました」 
ブロンディーヌは、抑揚のない冷たい瞳で、ダニエルを見下ろしていた。
けれども、その頬には一筋の涙が伝った。
「た、助けてくれ、頼む、頼むっ・・・」 
「ブロンディーヌは、あの時、亡くなりました。ここにいるのは、レティシアです」 
ダニエルの指が、ほどけて行く。 
その表情が、死の恐怖に歪んでいた。
ブロンディーヌは、黙ってそれを見つめていた。
ダニエルは、絶叫しながら、落ちて行った。
重い水音がして、何度か水面を掻く音がしたが、それもすぐに消えた。 
ブロンディーヌは、持っていたナイフを、ダニエルが落ちて行った川へと落とした。
小さな水音がした。
そして、
「さようなら、ダニエル」 
そう呟くと、一度も振り返らずにタヴァンへ向かった。
一度も、立ち止まらなかった。 
そうして、夜が明け始め、旅人たちが、タヴァンの前で、せわしなく出立の準備を始める時刻までしばらく身を潜め、その喧噪にまぎれて、タヴァンの階段を上がり、部屋に入って、ドレスを脱ぎ捨て、出発の準備を始めた。 

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