東雲色のロマンス

海子

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5.聖夜

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 寒いと思ったら、雪・・・。
レティシアは、キッチンから中庭へと続くドアをそっと開けて、夜空から舞い降りてくる、粉雪を眺めた。
吐く息が、白かった。
今年も、もうあと少し・・・。 
レティシアは、寒さに両手を胸の前でこすり合わせながら、クリスマスイブの空からの贈り物を、じっと眺めた。
レティシアは、今、ここでこうして、ひとり雪を眺めているのが、不思議な気持ちだった。
去年の今頃は、修道院を出ることなど、考えつきもしなかった。
このまま、聖ラファエラ女子修道院で、一生涯を過ごすことになるのだと信じて疑わなかったし、それを望んでいた。 
本当に、わからないものね。
レティシアは夜空を仰ぎながら、フランク一家の健康と幸福を祈ると、中庭へと続く、キッチンのドアを閉めた。
今、家の中は、静けさに包まれていた。
フランク、ケイティ、四人の子供たちは、昨日から、クリスマスと新年を迎えるために、フランクの実家へ行った。
これから、ケイティたちが帰ってくるまでの十日ほど、レティシアは、この家でひとり過ごすことになるのだった。 
ケイティは、レティシアも、一緒にフランクの実家へ行こうと、何度も誘ってくれた。 
しかも、ケイティの話を聞いていると、使用人としてではなく、レティシアを客として招こうとしているのが、わかった。
レティシアはそれを、固辞した。 
手伝いとして行くならともかく、使用人風情の自分が向こうへ行って、客のように振る舞うなど、考えられるものではなかった。 
それに、第一、そのような場所へ着て行く洋服もなかった。 
地味な普段着で、みなが華やかに着飾ったクリスマスに加わるなど、どう考えても気後れした。 
そういうわけで、レティシアは、クリスマスから新年にかけての十日ほどを、フランクの家で、一人過ごすことになったのだった。
暖を取るために、火を入れてあるキッチン・ストーブの前においた椅子に座って、十二月に入ってからの、約一カ月は、本当に慌ただしかったと、レティシアは振り返った。



 十二月にはいってすぐ、アンディと、デイヴの誕生日祝いがあった。 
ふたりは、両親、フランクの両親、ジェフリー、リック、そしてレティシアからの、誕生日プレゼントに、大喜びだったが、ケイティは、ふたりが生まれた時のことを思い出して、珍しく、瞳を潤ませていた。 
結婚して間もなくの妊娠で、みな驚いたこと。
妊娠中の体調が思わしくなくて、とても心配になったこと。 
双子かもしれないと知らされて、さらにみな、びっくりしたこと。 
予定日よりも早い出産になって、不安だったこと。
無事に生まれたふたりの男の子を見て、涙が止まらなかったこと。 
瞳を潤ませながら話すケイティの手を、フランクは優しく握っていた。 
レティシアはケイティの話を聞きながら、無事、生まれることは奇跡なのだと、知らず知らずのうち、自分の下腹部に手を当てていた。
そして、そのアンディと、デイヴの誕生日会が終わるや否や、四人の子供たちが、次々と熱を出した。 
ケイティとレティシアは、心配とその看病で、心も身体も、休まる暇がなかった。 
ようやく、子供たちの体調が回復したころには、もうクリスマスが近く、昨日慌ただしく、フランクたちは、フランクの実家へと出発したのだった。



 レティシアは、キッチン・ストーブの火に当たりながら、スカートの裾をそっとめくって、自分のブーツを眺めた。 
その真新しい編み上げブーツは、昨日、フランク一家が出発する際、ひとりひとりにクリスマスカードを贈ったレティシアに、フランクとケイティから手渡されたクリスマスプレゼントだった。 
ブーツは、レティシアの足にぴったりで、履き心地がとてもよかった。
「メリー・クリスマス、レティシア。この二カ月余り、本当にありがとう。あなたが来てくれて、本当に助かっているのよ。来年も、よろしくね」 
ふたりは、笑顔で、レティシアに、真新しいブーツの入った箱を渡すと、四人の子供と共に馬車に乗りこんで、フランクの実家へと出発した。 
今、レティシアは、クリスマスイブをひとりで過ごすことになったのだったが、いつもは賑やかすぎるくらい賑やかな家の中が、考えられないくらい静かなので、少しばかり、寂しさを覚えていた。 
子供たちがいなくなってまだ一日しかたってはいなかったが、早くも、心に穴が開いたような寂しさがあった。 
こんなことじゃ、さきが、ずいぶん長く感じられるわね。 
と、レティシアが灯りを近くに寄せて、読みかけの本に、目を落とした時だった。 
どんどん、と、玄関のドアが勢いよくノックされた。
いつもなら、家の中に大勢人がいるので、そのようにドアをノックされても不安は感じなかったが、今、家の中に、レティシアはひとりきりだった。 
しかも、時刻は、夜の八時が近いはずだった。
そおっと、足音を立てないように、玄関をうかがった。
また、どんどんどん、と拳で、ドアをたたく音がして、思わずレティシアは、後ずさった。 
「レティシア、居るんだろう?俺だ、開けてくれ」 
聞き覚えのある声がした。
「リック?」 
おそるおそる、レティシアは声をかけた。
「そうだ」 
レティシアは、急いでドアを開けた。
「もう時間、遅い。今夜、クリスマスイブ。リック、フランクさんの実家に、行かないと。それに、その恰好。どうして?」 
レティシアは、リックに灯りをかざして、驚いた。 
いつもは、シャツに、くたびれたジャケット、そして、着古したズボンに脚絆といういでたちのリックが、今夜は、トップハットに、外套、マフラー、ステッキに手袋まで、身に着けていたからだった。 
外套の下は、フロックコートにベスト、ネクタイ、というスーツ姿であることに、間違いなかった。 
そして、リックは手に、大きな包みを抱えていた。
「少し前に、タリスから戻ってきた」 
「タリス?タリスって、首都?寒い、寒い、中、入って」
レティシアは、急いで、リックを家の中へ招き入れた。 
リックの帽子や肩には、粉雪が落ちていた。
「鉄道会社から呼び出しがあって、昨日までタリスにいた。社長のエドガーさんと、息子のブラッドさんと一緒に、俺も、呼ばれた」 
「クリスマスなのに、大変」
「みんな、クリスマスは家で過ごしたいから、話が終わって、昨日の夕刻、すぐにタリスを出立して仮眠を少し取っただけで、馬車をとばして帰って来た。俺が馬車の手綱を握ったんだが、ちょっと、とばしすぎたか。ふたりとも酔ったみたいで、青い顔をしていた」 
四年前まで、急行馬車の御者だったリックにとって、馬車の扱いは、お手の物だった。 
「で、お前は、ここで何をしているんだ?」 
火の入ったキッチン・ストーブの前の椅子に、ショールと、先日、貸本屋で借りた、読みかけの本が置いてあるのを見つけたリックが、尋ねた。
「何って・・・。本を、読んでいます」 
「ここで?ひとりで?クリスマスイブに?」 
リックは、いささか、腹を立てているようだった。 
「ケイティたちは、昨日から、フランクさんの実家・・・」 
「知っている」 
「知っている?ケイティに、聞いた?」 
「さっき、マクファーレンの家に行って来た」 
「行ってきた?」 
「お前も、てっきりそっちにいると思って、俺はタリスから戻って、そのままマクファーレンの家へ行った。そしたら、お前は、ここに残っているって。ケイティも、心配していた。どう誘っても、一緒に行かないっていうから、置いてきてしまったけれど、ひとりでどうしているか、って」 
リックは、そう言いながら、持ってきた大きな包みをキッチンの台の上に置き、外套を脱いで、トップハットと手袋を取った。 
「あの、私、行っても、みんなのお邪魔・・・」 
「マクファーレンの家は、そんな家じゃない」
「私、ひとり、大丈夫。心配しないで、大丈夫」 
リックは、キッチンを見回して、 
「夕飯は?」 
と、尋ねた。
「今夜は、まだ・・・」 
分からない言葉は、こまめに辞書を引きつつ、さきほどまで本に夢中で、レティシアは、つい夕食を後回しにしてしまっていた。
「そうじゃない。何を食うつもりだ?」 
「何って・・・。パンと、ベーコンを・・・」
「何だって?よく聞こえなかった」 
「パンと、ベーコン・・・」 
何故だか叱られているようで、レティシアの声は、だんだん小さくなって言った。 
「クリスマスイブの夕飯が、キッチン・ストーブの前で、パンと、ベーコン!」 
リックは、呆れたように、ため息をついた。 
「まあ、いい。お前のことだ。こんなことじゃないだろうかと、予想はしていた。ケイティもそう思ったんだろう。色々、俺に持たせた」
と、キッチンの台に置いた包みを、示した。
「あの、リック、フランクさんの実家、みんな待ってる。早く行って。私、大丈夫。心配ないから」
「向こうは、大人数だ。俺一人くらいいなくても、誰も気にしない」
「そんなことない。みんな、リック、待ってる」 
「じゃあ、お前も一緒だ」 
「それは・・・」 
「お前は、俺を追い出したいのか」 
「そんなこと・・・」
「なあ、せっかくのクリスマスだ。こんな言い合いは、止めにしようぜ」 
「・・・ごめんなさい、寒い中、心配して、わざわざ、来てくれた」 
「謝るのもなしだ」
「・・・そうね。リック、来てくれて、ありがとう」 
「いい言葉だ」 
リックが初めて、笑みを浮かべた。
「メリー・クリスマス、ミスター・スペンサー」 
レティシアに、そう言われて、リックは、声を立てて笑った。
「メリー・クリスマス、ミス・ダンビエ」 
ふたりは、瞳を重ねて、笑いだした。 

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