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翌朝、リックは、ジェフリー手書きのメモを片手に、鉄道の機関車を専門に製造する会社、エドガー・ホイットマン製造会社を訪れた。
エドガー・ホイットマン製造会社は、バッカスから、歩いて十五分ほどの距離にあり、ハロルド河沿いに、大小数々の鉄工所が立ち並ぶ一角にあった。
社長のエドガー・ホイットマンは、話はジェフリーさんに聞いている、と、リックを事務所に招き入れた。
エドガー・ホイットマン製造会社には、五人の従業員がいて、事務所には、三つほどの机が並んでいた。
五人の従業員の中には、エドガーの息子で、リックより二つ年上のブラッドもいた。
今まで、御者をやっていた俺に、一体ここで何をしろって言うんだ?
ジェフリーに言われてしぶしぶやってきたものの、お門違いもいいところだと、リックは内心、辟易としていた。
それは、エドガーの方も同じだったらしく、図体ばかり大きくて、機関車というものに何の知識も情熱もない男を、突如任されて、困惑していた。
ただ、エドガー・ホイットマン製造会社の機関車開発に多額の投資をし、ブリストンの有力な企業である、マクファーレン商会の経営者ジェフリー・マクファーレンに直接頼まれれば、中々首を横には振りにくかった。
けれども、リックが、エドガー・ホイットマン製造会社の、ただの使い走りだったのは、ほんの二日のことだった。
リックは、二日間で、蒸気機関車の魅力に、取りつかれてしまった。
最初の二日間は、取り立てて出来ることもないので、社長のエドガーに言われた荷物を近くの鉄工所へ取りに行ったり、必要な書籍を大学に借りに行ったりしていた。
けれども、その二日間で、何気なく、蒸気機関車に関する資料を目にするうちに、リックは俄然、興味がわいた。
そして、六年ほど先には、首都タリスと、このブリストンを結んで、機関車が走るのだと聞けば、自分もそれに関わりたいという思いが、ふつふつと沸いた。
リックは、蒸気機関車というものを、必死に学び始めた。
図面など、書くことはもちろん、見たこともないリックだった。
工学や理論など、聴いたことのない言葉だった。
けれども、寝食を忘れて、仕事にのめりこんだ。
社長のエドガー・ホイットマンは、五十歳近い、少々後頭部の薄い、小柄で、寡黙な、物作りに対する情熱に長けた人物だった。
炭鉱の機関夫の息子として生まれ、家は貧しく、学校へは行っていなかった。
父の手伝いをしながら、技術を学び、自らも炭鉱夫として働きながら、夜間学校に通い、読み書き計算を学んだ。
手先の器用なエドガーは、炭鉱の機械修理を任されることも多かった。
そんなある時、炭鉱で、ポンプが故障した。
その修理を依頼されたエドガーは、その修理に成功し、その成功故に、技術者として、評価されるようになった。
やがて、蒸気機関に精通するようになり、石炭輸送のための蒸気機関車の発明を経て、蒸気機関車の輸送力を熱望する、政府・産業界の期待を背に、旅客輸送のための、蒸気機関車の製造に携わることになった。
そのエドガーが、偶然、自分の会社で働くことになったリックを、認めるようになるまでに、そう時間はかからなかった。
エドガーは、仕事は見て覚えろという、職人気質であったため、リックを丁寧に指導するということはなかったが、リックは、ずっとエドガーの傍について、必死に仕事を覚えようとしていた。
不愛想で、決して人当たりがいいとは言えなかったが、リックは、仕事に対しては、常に真摯だった。
時には、エドガーと息子のブラッドが、明け方まで作業に取り掛かることもあったが、最後までリックは、二人について、作業に取り組んだ。
その情熱は、師匠のエドガーに、勝るとも劣らなかった。
当初、エドガーの息子ブラッドも、エドガーと同じく、蒸気機関車に何の関心もないリックのことを、ただの使い走りとしか考えていなかった。
けれども、寝食を忘れ、仕事にのめりこむリックを見ていくうちに、考えを改めていった。
これは、うまくいけば、いい技術者になる。
そう思ったブラッドは、時間を見つけては、学術的な質問を重ねてくるリックに、丁寧に応じた。
大学を出ていたブラッドは、工学や理論を十分に理解していた。
そうして、リックは、エドガーからは蒸気機関車の技術を、ブラッドからは、知識を吸収していったのだった。
リックがウッドフィールドからブリストンに帰った後、アンヌがこれまでの真相を記した手紙が、フィリップからリックの元へと届けられた。
そこには、赤ん坊を失い、傷を負ったレティシアが、傷を癒したら、リックに連絡をよこすだろうと、記されていた。
けれども、レティシアが、ブリストンへやってくることはなかった。
リックは、レティシアを思い出せば、胸をえぐられるような後悔に襲われた。
何故、あの時、ウッドフィールドで別れてしまったのか。
どんなことをしても、ブリストンへ一緒に帰ってくるべきではなかったか。
そして、守ってやれなかったという思いで、締め付けられるような胸苦しさを覚えるのだった。
全て過去にしようと、何度も感情に抗った。
けれどもまだ、レティシアを思い出に変えることはできなかった。
どれほど狂おしく身体を求めあっても、レティシアは一度も愛していると言わなかった。
レティシアは、リックとの幸せな将来を確信することが、出来なかったのだろう。
レティシアは、言わなかったのではなく、言えなかったのだと、その胸の内を思いやる時、リックは言いようのない苦しみに囚われた。
けれども、仕事に、夢中になっていれば、忘れられた。
リックとの赤ん坊をお腹に宿したまま、自らの胸を刺し、行方知れずになった、哀れで、愛しい女を。
そうして、一年が経つころには、図面を理解することができるようになり、二年目の終わりには、自ら図面を書くことができるようになり、三年目の終わりには、エドガー・ホイットマン製造会社の事務所に、自分の机を置くことができたのだった。
エドガー・ホイットマン製造会社に勤め始めて四年が経ち、自分を振り返る余裕ができたのか、十五年以上も昔、リックが学校を辞めようとしたときに、マーク先生がもし引き留めてくれなければ、今の自分はなかったと、思うようになった。
あの時、中途半端な学力のまま学校を辞めていれば、どうあがいたところで、今、ホイットマン製造会社で働くことは、できなかったに違いない。
二十六歳という年齢を迎えて、改めて、リックは、マーク先生に感謝した。
そのマーク先生はといえば、今やリックの母校の校長となっていたが、ミルフェアストリートでリックを見つけると、リックが、たとえ通りの反対側を歩いていたとしても、十歳のリックにしたように、相変わらず大きな声で、
「おはよう、リック。元気かい?」
と声をかけるものだから、気恥ずかしくて仕方なかった。
以前は、聞こえなかったふりをして通り過ぎることもしばしばあったが、最近では、伏し目がちではあるものの、会釈を返すようになった、リックだった。
そして、四年前、リックを半ば強制的に、エドガー・ホイットマン製造会社で働かせたジェフリーは、こうなることを予想していたではないかと、考えるようになっていた。
思えば、リックが十二歳の時に、ミルフェアストリートで凍死した父親も、土木技師だった。
これも、親父の血かな。
エドガー・ホイットマン製造会社で働くようになって、そう考えることもあった。
案外、フランクより、ジェフリーの方が、俺のことをわかっているのかもしれない。
近頃では、リックは、そう思うようになっていた。
レティシアの行方は、時を経ても依然わからなかった。
時折、ウッドフィールドのリヴィングストン伯爵と、今やユースティティアの国王となったフィリップから、便りが届くものの、リックが期待するような知らせではなく、レティシアの足取りは不明のままだった。
そして、四年という歳月を経ても、未だリックの心に、花のような柔らかな微笑みを残したままだったレティシアは、先月、突如として、リックの前に姿を現した。
エドガー・ホイットマン製造会社は、バッカスから、歩いて十五分ほどの距離にあり、ハロルド河沿いに、大小数々の鉄工所が立ち並ぶ一角にあった。
社長のエドガー・ホイットマンは、話はジェフリーさんに聞いている、と、リックを事務所に招き入れた。
エドガー・ホイットマン製造会社には、五人の従業員がいて、事務所には、三つほどの机が並んでいた。
五人の従業員の中には、エドガーの息子で、リックより二つ年上のブラッドもいた。
今まで、御者をやっていた俺に、一体ここで何をしろって言うんだ?
ジェフリーに言われてしぶしぶやってきたものの、お門違いもいいところだと、リックは内心、辟易としていた。
それは、エドガーの方も同じだったらしく、図体ばかり大きくて、機関車というものに何の知識も情熱もない男を、突如任されて、困惑していた。
ただ、エドガー・ホイットマン製造会社の機関車開発に多額の投資をし、ブリストンの有力な企業である、マクファーレン商会の経営者ジェフリー・マクファーレンに直接頼まれれば、中々首を横には振りにくかった。
けれども、リックが、エドガー・ホイットマン製造会社の、ただの使い走りだったのは、ほんの二日のことだった。
リックは、二日間で、蒸気機関車の魅力に、取りつかれてしまった。
最初の二日間は、取り立てて出来ることもないので、社長のエドガーに言われた荷物を近くの鉄工所へ取りに行ったり、必要な書籍を大学に借りに行ったりしていた。
けれども、その二日間で、何気なく、蒸気機関車に関する資料を目にするうちに、リックは俄然、興味がわいた。
そして、六年ほど先には、首都タリスと、このブリストンを結んで、機関車が走るのだと聞けば、自分もそれに関わりたいという思いが、ふつふつと沸いた。
リックは、蒸気機関車というものを、必死に学び始めた。
図面など、書くことはもちろん、見たこともないリックだった。
工学や理論など、聴いたことのない言葉だった。
けれども、寝食を忘れて、仕事にのめりこんだ。
社長のエドガー・ホイットマンは、五十歳近い、少々後頭部の薄い、小柄で、寡黙な、物作りに対する情熱に長けた人物だった。
炭鉱の機関夫の息子として生まれ、家は貧しく、学校へは行っていなかった。
父の手伝いをしながら、技術を学び、自らも炭鉱夫として働きながら、夜間学校に通い、読み書き計算を学んだ。
手先の器用なエドガーは、炭鉱の機械修理を任されることも多かった。
そんなある時、炭鉱で、ポンプが故障した。
その修理を依頼されたエドガーは、その修理に成功し、その成功故に、技術者として、評価されるようになった。
やがて、蒸気機関に精通するようになり、石炭輸送のための蒸気機関車の発明を経て、蒸気機関車の輸送力を熱望する、政府・産業界の期待を背に、旅客輸送のための、蒸気機関車の製造に携わることになった。
そのエドガーが、偶然、自分の会社で働くことになったリックを、認めるようになるまでに、そう時間はかからなかった。
エドガーは、仕事は見て覚えろという、職人気質であったため、リックを丁寧に指導するということはなかったが、リックは、ずっとエドガーの傍について、必死に仕事を覚えようとしていた。
不愛想で、決して人当たりがいいとは言えなかったが、リックは、仕事に対しては、常に真摯だった。
時には、エドガーと息子のブラッドが、明け方まで作業に取り掛かることもあったが、最後までリックは、二人について、作業に取り組んだ。
その情熱は、師匠のエドガーに、勝るとも劣らなかった。
当初、エドガーの息子ブラッドも、エドガーと同じく、蒸気機関車に何の関心もないリックのことを、ただの使い走りとしか考えていなかった。
けれども、寝食を忘れ、仕事にのめりこむリックを見ていくうちに、考えを改めていった。
これは、うまくいけば、いい技術者になる。
そう思ったブラッドは、時間を見つけては、学術的な質問を重ねてくるリックに、丁寧に応じた。
大学を出ていたブラッドは、工学や理論を十分に理解していた。
そうして、リックは、エドガーからは蒸気機関車の技術を、ブラッドからは、知識を吸収していったのだった。
リックがウッドフィールドからブリストンに帰った後、アンヌがこれまでの真相を記した手紙が、フィリップからリックの元へと届けられた。
そこには、赤ん坊を失い、傷を負ったレティシアが、傷を癒したら、リックに連絡をよこすだろうと、記されていた。
けれども、レティシアが、ブリストンへやってくることはなかった。
リックは、レティシアを思い出せば、胸をえぐられるような後悔に襲われた。
何故、あの時、ウッドフィールドで別れてしまったのか。
どんなことをしても、ブリストンへ一緒に帰ってくるべきではなかったか。
そして、守ってやれなかったという思いで、締め付けられるような胸苦しさを覚えるのだった。
全て過去にしようと、何度も感情に抗った。
けれどもまだ、レティシアを思い出に変えることはできなかった。
どれほど狂おしく身体を求めあっても、レティシアは一度も愛していると言わなかった。
レティシアは、リックとの幸せな将来を確信することが、出来なかったのだろう。
レティシアは、言わなかったのではなく、言えなかったのだと、その胸の内を思いやる時、リックは言いようのない苦しみに囚われた。
けれども、仕事に、夢中になっていれば、忘れられた。
リックとの赤ん坊をお腹に宿したまま、自らの胸を刺し、行方知れずになった、哀れで、愛しい女を。
そうして、一年が経つころには、図面を理解することができるようになり、二年目の終わりには、自ら図面を書くことができるようになり、三年目の終わりには、エドガー・ホイットマン製造会社の事務所に、自分の机を置くことができたのだった。
エドガー・ホイットマン製造会社に勤め始めて四年が経ち、自分を振り返る余裕ができたのか、十五年以上も昔、リックが学校を辞めようとしたときに、マーク先生がもし引き留めてくれなければ、今の自分はなかったと、思うようになった。
あの時、中途半端な学力のまま学校を辞めていれば、どうあがいたところで、今、ホイットマン製造会社で働くことは、できなかったに違いない。
二十六歳という年齢を迎えて、改めて、リックは、マーク先生に感謝した。
そのマーク先生はといえば、今やリックの母校の校長となっていたが、ミルフェアストリートでリックを見つけると、リックが、たとえ通りの反対側を歩いていたとしても、十歳のリックにしたように、相変わらず大きな声で、
「おはよう、リック。元気かい?」
と声をかけるものだから、気恥ずかしくて仕方なかった。
以前は、聞こえなかったふりをして通り過ぎることもしばしばあったが、最近では、伏し目がちではあるものの、会釈を返すようになった、リックだった。
そして、四年前、リックを半ば強制的に、エドガー・ホイットマン製造会社で働かせたジェフリーは、こうなることを予想していたではないかと、考えるようになっていた。
思えば、リックが十二歳の時に、ミルフェアストリートで凍死した父親も、土木技師だった。
これも、親父の血かな。
エドガー・ホイットマン製造会社で働くようになって、そう考えることもあった。
案外、フランクより、ジェフリーの方が、俺のことをわかっているのかもしれない。
近頃では、リックは、そう思うようになっていた。
レティシアの行方は、時を経ても依然わからなかった。
時折、ウッドフィールドのリヴィングストン伯爵と、今やユースティティアの国王となったフィリップから、便りが届くものの、リックが期待するような知らせではなく、レティシアの足取りは不明のままだった。
そして、四年という歳月を経ても、未だリックの心に、花のような柔らかな微笑みを残したままだったレティシアは、先月、突如として、リックの前に姿を現した。
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