ホワイトノクターン

海子

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8.愛しい人へ 前編

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 四月、武器密売村の存在が明るみに出て以降、グラディウス・ユースティティア国境で起こる紛争は、次第に、規模が大きく、頻回となり、両国家は歩み寄ることなく、乖離していった。
そして、十月に入ってすぐ、グラディウスのアレクセイ国王が、ユースティティアに対し、宣戦布告した。 



 十月初旬、グラディウスが、ユースティティアに宣戦布告、そして、国境での戦闘が始まった。 
アルカンスィエルの市民は、国境で度々起こる、小さな紛争には慣れてはいたものの、グラディウスの宣戦布告を受け、戦争状態に入ったとあって、流石に街の人々にも、動揺が走った。
一度目の大きな軍事衝突では、ユースティティア軍が国境を守り抜いたものの、余力を残すグラディウス軍は第二、第三の攻撃を仕掛けて来ることが予想され、長期化が懸念された。
そうして、最初の軍事衝突の後、国境からは、多数の負傷兵が、アルカンスィエルへと送り返されて来た。 
病院は、国境から次々と運び込まれる負傷兵たちで、直ぐに溢れかえり、人手も、物資も不足するようになった。 
そうした事態に、軍人を支援する婦人団体は、次々に協力を申し出た。 
ミレーヌの所属する、アルカンスィエル軍人家庭婦人会も同様で、病院での奉仕を志願した。
アルカンスィエル軍人家庭婦人会の婦人たちは、病院に送り込まれてくる負傷兵の看病を、するようになったのだった。
ミレーヌも、アルカンスイエル軍人家庭婦人会の仲間と共に、病院へと赴き、傷を負った兵士たちの看病にあたった。 
そこには、戦争の現実が、待ち受けていた。 
回復して、家族の待つ家へ帰ることのできる者など少数で、銃剣、あるいは砲弾の標的となって、身体に傷を負い、アルカンスィエルまで、何とか搬送されたものの、手の施しようがなく、そのまま命尽きてしまう者、傷ついた身体の痛みに、一日中うめき声を上げ続ける者、正気を失った者・・・、目を背けたくなるような惨状が、あった。
ほんの四カ月前、ミレーヌが出陣壮行式で見た、軍隊の勇ましさや雄々しさは、見る影もなく、痛みや苦しみに、嘆き、哀しみ、あるいはその声を上げる力さえ残されておらず、力なく死に向かう男たちの姿が、あるばかりだった。 
それら多数の負傷兵の世話と言えば、ほとんどが、食事の支度、介助や、吐物や汚物の処理で、当初、ミレーヌを含む若い娘たちは、戸惑い、躊躇った。
特に、見知らぬ男たちの排泄の世話などは、羞恥心でいっぱいになった。
けれども、ミレーヌは、すぐに思い直した。
国のために戦って、傷ついた人に、必要な世話をすることを、恥ずかしがるべきではないと。 
この傷を負った人たちが、ヴィクトルだったなら・・・、ヴィクトルだったなら、自分に出来る限りの、精一杯のお世話をして差し上げたい。
そう思い、ミレーヌは、傷ついた兵士たちの看病に、励み続けた。
国境から、多くの負傷兵が、王都アルカンスィエルへ担ぎ込まれると共に、病院の掲示板には、戦死者の名前が、張り出されるようになった。
戦死者の名前の掲示があると伝え聞くと、病院で奉仕活動に従事する夫人たちは、急いで掲示板に向かうのだった。
どうか、夫の、息子の、父の、兄弟の、愛しい人の名前がありませんように。
婦人たちは、祈るような思いで、名前の張り出された掲示板を見つめた。 
ミレーヌもそのうちの一人で、掲示板へと駆け付ける時には、どうか、どうか・・・、兄の、ヴィクトルの・・・、大切な人の名前がありませんようにと、緊張と不安で、胃がきりきりと痛んだ。 



 十二月に入ってすぐの二度目の戦闘の後、アルカンスィエルの病院には、一度目の戦闘を上回る数の負傷兵が、担ぎ込まれた。 
それと同時に、病院の掲示板には、戦死者の名前が連なった。 
ミレーヌは、ディアンヌ、アリスと共に、食い入る様に、掲示板に上がった名前に目を走らせた。
掲示板の中に、兄ラウル、ヴィクトルの名前が見つからず、ミレーヌは、ほっと胸をなでおろしたが、家族の、愛する人の名前を見つけて、表情を失って座り込んでしまう婦人、涙ぐんだまま、動けなくなってしまう婦人を見るのは、何よりも辛いことだった。
その中には、見知った顔もあったが、ミレーヌは、掛ける言葉を見つけることが出来ずにいた。 
その時、掲示板に目を走らせていた傍らのアリスが、嘘よ、と小さく呟いたかと思うと、両手で口元を抑え、その場に倒れ込んだ。
アリスを挟む様にして立っていたミレーヌとディアンヌは、慌ててアリスの身体を支えた。
「アリス、どうしたの、まさか・・・」 
ディアンヌの問いかけに、答えることのできないアリスの姿に、ディアンヌとミレーヌは、一気に不安が押し寄せ、再び、掲示板に眼を走らせた。 
ふたりの眼に、アリスの婚約者の名前が、くっきりと、焼き付いた。



 アルカンスィエル軍人家庭婦人会が、奉仕活動を行う病院の一室で、ミレーヌとディアンヌ、そしてオレリーは、他の婦人たちと入れ替わりで、少し遅めの昼食を取っていた。 
二十五歳になるオレリーは、独身で、弟が騎兵の中尉として国境へ派遣されている今は、母親とのふたり暮らしだった。
オレリーは、アルカンスィエル軍人家庭婦人会の活動に参加していても、打ち解けない性格で、ミレーヌたちと親しく話すようなことは、これまであまりなかった。 
十二月に、アリスの婚約者の訃報が届いてから、一ヵ月が過ぎ、新たな年を迎えていた。 
クリスマスと新年を迎え、本当なら、誰もが心浮き立つ時期も、数多くの負傷兵が王都に送り返され続け、誰もが、これから、一体どうなっていくのだろうという不安を胸に抱き、街に例年のような華やさはなかった。 
ミレーヌの自宅でも、クリスマスの賑わいは影を潜め、国境で戦う将兵と、国の安寧に祈りを捧げる時となったが、父親が不在のアランには、できるだけいつもと変わらないクリスマスの賑わいをと、ミレーヌは、クリスマス料理と、クリスマスの贈り物を欠かさなかった。 



 「来ないわね、アリス」 
ミレーヌの肩越しに、雨が落ちる窓の外に視線をむけ、ひっそりとディアンヌが呟いた。
「ええ・・・」
ミレーヌは、そっと目を伏せた。
アリスは、あれ以降、病院に姿を見せることはなかった。
病院に来なくなったアリスを心配して、ミレーヌとディアンヌは、クリスマス前に、クリスマスカードにメッセージを添えて、一度、アリスの自宅を訪れたのだったが、アリスが出て来ることはなかった。 
ミレーヌとディアンヌに応対したアリスの母親は、ふたりに、ごめんなさいね、今は誰にも会いたくないそうなの、と、陰った表情で告げた。



 「アリス、大丈夫かしら・・・」 
アリスを想うと、持参した昼食のパンを千切るミレーヌの指は、滞りがちになった。 
「元気になるには、時間がかかるのかもしれないわね」 
「もしも、アリスのようなことが、自分に起こったらと思うと・・・」 
「それは、みんな一緒よ」
ミレーヌとディアンヌが、そんな会話を交わしつつ、重苦しい昼食の時間を過ごしているところへ、
「アリスの婚約者が亡くなったのは、気の毒なことだけれど、不自由な身体になって帰って来るよりは、よかったのかもしれないわ」 
ふたりからは、少し離れたところで、やはり昼食を取っていたオレリーが、口を差しはさんだ。
「どういう意味?」 
そう問い返すディアンヌの声には、剣があった 。
「気を悪くしたかしら、ディアンヌ。だったらごめんなさい。だけど、本当のことよ。腕や脚を無くしたり、眼が見えなくなって、戦地から帰ってくる人たちはたくさんいるわ。あなたたちも、ここで、毎日、そういった人たちのお世話をしているはずよ。でも、もしそれが、自分の夫や、兄弟だとしたらどう?夫や兄弟が、働くことのできない、家族を養うことの出来ない身体になって帰って来たら、家族は一体どうすればいいの?生活を送るのに、いつも人の手が必要になって、収入が途絶えるのよ。家族は、悲惨だわ」 
ディアンヌは、反論の矛を収めざるを得なかった。 
オレリーの言うことは、残酷ではあったけれども、事実でもあった。 
心に、身体に、障害を負った夫の、兄弟の世話に労力を費やし、生活は困窮する。 
それが、現実だった。 
「いいえ、オレリー、私は、そうは思わないわ」 
ディアンヌの代わりに、反論したのは、ミレーヌだった。
「腕を無くしていても・・・、足が動かなくても構わない。眼が見えなくても、寝たきりでも、私のことがわからなくても、一生お世話が必要な身体でも、構わない。生きて、帰って来てくれさえすれば、構わないわ」 
「ミレーヌ・・・」
いつも控えめで、滅多に意見を主張することのないミレーヌの反論に、ディアンヌは驚きの表情を見せた。
「あなたが、そう言えるのは、世間を知らないからよ」
「いいえ、あなたが愛を知らないからだわ」 
ミレーヌは、きっぱりとそう言い切った。
オレリーは、何か言い返そうと口を開きかけたが、口を噤んだ。 

地面を叩く雨音は、ずっと続いていた。 

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