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11.コットンブーケ
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その日、ペンナの街へと赴いたランドルフは、速やかに、アンヌと結婚式を挙げるための行動に出た。
ランドルフの予想通り、教会は、ランドルフの申し入れを難なく受け入れた。
牧師は、婚姻前の契りを認めないという、教義を守るために、絶大な権力を持つモーガン家当主直々の申し出と、破格の寄付を断るなどという、愚かな過ちを、犯したりはしなかった。
牧師は、教会のために、そして、牧師自身のために、どうすることが有益であるかを即座に理解できる、柔軟な頭脳の持ち主だった。
アンヌの体調を考慮し、二日後の午後、牧師自らモーガン家へ赴き、ランドルフと、アンヌに結婚の祝福を与えるということで、あっさり話はついた。
ランドルフのその行動は、大変手際のよいもので、その日の夜、屋敷へ戻ったランドルフは、父母にそう報告をし、翌朝、自らアンヌの屋敷へ赴いて、その経緯を報告するつもりでいた。
けれども、モーガン家には、ランドルフ以上に、手際のよい人物がいた。
猪突猛進。
その人物・・・、つまり、マーガレットを評して、ヘンリーは、心の内で、そう呟くこともしばしばだった。
そのマーガレットが、モーガン家にとってのこの一大事に、黙って、成り行きを見守るなどということは、あり得なかった。
翌朝、アンヌの屋敷へ現れたランドルフの表情は、決して晴れやかではなく、どこか、戸惑いがあった。
もしかしたら、難題の多い結婚式を、牧師に認められなかったのかもしれないと、アンヌは察した。
けれども、そうではなかった。
「昨日、牧師と相談して、明日、僕の屋敷で、僕たちの結婚式を、挙げることになったよ」
アンヌの屋敷のリビングに通されてすぐ、そう切り出したランドルフだったが、どうにも歯切れが悪かった。
「それは、安心しました。ですが、何か困りごとが?顔色が、冴えないように、思います。その・・・、手にしている荷物は、何でしょう?」
ランドルフは、大きな包みを手にしていた。
説明するより、見せた方が早いと思ったのか、ランドルフはテーブルで、包みを解いた。
「これは・・・」
中身を見て、アンヌも戸惑った。
包みの中身は、真っ白い大きな襟のついたキャロットオレンジの、シンプルで清楚なドレスだった。
けれども、それは胸の下に切り返しがあって、一目で、お腹に子供を宿した女性のためのもの、いうことがわかった。
「これを、わたくしに?」
ゆくゆく、そういったドレスが必要になるであろうことは、理解していた。
けれども、今はむしろ、アンヌのお腹に子どもがいることは、隠しておくべきで、まだお腹の膨らみもほとんどなかったから、コルセットを締めつけないようにして、普通のドレスを身に着けていたアンヌだった。
「母からだ」
「マーガレット様から?」
「昨夜、教会での経緯を、両親に話したんだ。明後日、牧師を招いて、モーガン家で結婚式を挙げることになったって。そしたら、母が、その結婚式は、挙げる必要がないから、断っておくように、と。一体どういうことか、説明を頼んだけど、明後日になったら全てがわかるから、とにかく、君はそのドレスを着て、モーガン家へ来るように、って」
「一体、どういうことでしょう?」
「僕にも、全く見当がつかない。説明してくれるように、僕も、随分、食い下がったんだけど、明後日、アンヌを連れてくればいいと、そう繰り返すばかりだ。父は、どうやら母の企みを知っているようだけど、教えてはくれない。何だか、妙な気分だよ」
ランドルフの話を聞いて、アンヌも、ランドルフと同じく、妙な気分になった。
それから、一体、マーガレットが何をしようとしているのか、ふたりであれこれ考えてはみるものの、全く予想がつかなかった。
結局、ともかくマーガレットの指示に従うより仕方ないだろう、ということになり、翌朝、マーガレットから贈られたドレスを身に着けて、迎えに来たランドルフと一緒に、アンヌは、モーガン邸へと向かった。
昼前、ランドルフに伴われ、モーガン邸へ着いたアンヌは、先日はとても心に余裕がなかったせいで、眼を向けることのなかった、モーガン邸のクリスマスの飾り付けに眼を止め、同じ農園に暮らす親戚たち、ランドルフの叔父にあたるトーマスとその妻レイチェル、そして従兄弟たちと、その子供たちに、顔を合わせた。
クリスマスを間近に控えていたことと、新しい家族が増えるということで、集うモーガン家の人々は、心浮き立っていた。
ランドルフとアンヌの事情は、すっかり知れていて、アンヌは、早くもランドルフの妻としての扱いを受けた。
そこには、既にマーガレットの策略があったのだと知ったのは、後のことだった。
突然、モーガン家の家族の輪の中へ導かれて、既に、家族の一員のように扱われることに、驚きがないと言えば嘘になったが、一昨日、ランドルフに言われた、モーガン家に嫁ぐ心づもりをという、その言葉を胸に、そして、ずっとアンヌの傍らにいて、困らぬように、気配りをしてくれるランドルフを支えに、ここが、これから自分が生きてゆく場所なのだと、アンヌは、心を決めた。
和やかな昼食の時間ではあったけれど、アンヌの体調を気遣うマーガレットは、昼食を早めに切り上げた。
しばらくして、ランドルフとアンヌは、マーガレットにゲストルームへと呼び出された。
そうして、マーガレットは、その場の主役となるかのように、ソファの中央に並んでふたりを座らせ、親密な関係を演出させるかのように、手を重ねるよう促し、召使のひとりに命じて、念入りに、アンヌのドレスの裾の膨らみを直させた。
そして、咳払いをひとつすると、
「あなた方は、そこにそうして座っていなさい。アンヌは、身体を楽にしているのです。できるだけ、早く済ませますから」
並んだふたりを前に、そう言った。
「お母さん、一体・・・」
「ランドルフ、話は後です。全て、私に任せておきなさい」
いつものように、ランディとは言わず、わざわざランドルフというあたり、何か、これから特別な事態の起こることが、予想された。
少々遅れて、そのゲストルームに姿を見せたヘンリーだったが、何やら、その表情には、緊張が見て取れた。
一体何が始まるのかと、探るようなランドルフとアンヌの眼差しに、
「及ばずながら、私も、加勢しよう」
ヘンリーは、そう答えた。
「加勢?」
そうランドルフが問い返した時、レイチェルの声を交えた、賑やかな婦人たちの声が、ゲストルームに届いた。
アンヌは、その声に聞き覚えがあった。
レイチェルに案内されて、ゲストルームに入って来たふたりの婦人は、ランドルフとアンヌの姿が眼に入った途端、まあっ、と悲鳴にも近い声を上げた。
「あなたが何故、ここにいるの!それに、まあ、一体、何事!」
手を取り合い、誰がどこからどう見ても、一際、親密な様子に見える、ランドルフとアンヌを目の当たりにして、あまりの驚きに、ジャクリーンとシーラは、胸を押さえた。
「驚かせてごめんなさい、ジャクリーンにシーラ。クリスマス前の忙しい時に、よく招きに応じてくださったわね。さあ、どうぞ、座ってちょうだい。すぐに、お茶の支度をさせるわ。シーラ、もちろん、あなた専用のケーキスタンドを用意してあるから、ゆっくり召し上がってね」
マーガレットは、お菓子に眼のないシーラのために、たっぷりと甘い菓子の盛ったケーキスタンドを、ふたつも用意させ、持ってこさせた。
「一体、これは・・・」
まだ、最初の動揺から抜け出せないままのふたりに、再度、さあ、どうぞ座ってと、席を促し、ようやくふたりは、着席した。
いつもなら、着席してすぐ、お菓子に手が伸び始めるシーラだったが、今日ばかりは、流石にそうはいかなった。
「ふたりを、こうしてわざわざお招きしたのは・・・、実は、先月、十一月の初めに、ランドルフとアンヌが結婚したことを、お知らせしたいと思ったの」
「結婚!」
そう叫んだきり、二人の婦人は、口が開いたままになった。
これには、ランドルフとアンヌも、思わず声を上げそうになるところを、何とかこらえた。
これから結婚するのではなく、すでに結婚式を済ませた。
当の本人たちは、式を挙げた覚えがないのに、一体、どうすれば、そのような事態になるのか、ふたりには、全く分からなかった。
それらは、全て、一昨日、マーガレットが、聖マティス教会を訪れて、まとめ上げた話だった。
聖マティス教会に掛け合い、ランドルフとアンヌの結婚式は、既に挙げたことにする。
そのマーガレットの企みを聞いた時、ヘンリーは、余計な手出しはしない方がいい、ランドルフとアンヌのことは、ふたりで、話し合って決めればいいと、マーガレットを諭すつもりだった。
マーガレットが意気込んで進めて来た、ランドルフとシャーロットの縁談は頓挫し、結局は、いらぬ混乱を招く結果となった。
だから、もう、余計な口出しはせずに、ふたりの事はふたりに任せてそっとしておくべきだと、嗜めようとした。
しかし、ヘンリーは、そうできなかった。
何故なら、ランドルフとシャーロットとの縁談が水の泡となり、しょんぼりと肩を落とし、涙を零していたマーガレットが、ランドルフとアンヌとの結婚という新たな目的を見つけ、あの落胆が、嘘のように、今や、水を得た魚の様に、溌溂としている姿を、目の当たりにしたからだった。
アンヌのお腹に、子どもが宿っているということも、マーガレットを一層、行動に駆り立てた。
今、社交界に君臨するマーガレットは、かつて、罪を犯し、長く人々の非難に耐え続けた日々があった。
それ故に、その非難が、どれほど辛いものか、誰よりも良く分かっていた。
未婚で、ランドルフの子を宿したと言う非難を、アンヌに浴びせてはならない。
思い込んだら、何があっても突き進む性格のマーガレットは、そう思い立つと、もうじっとしてはいられなかった。
私が、何とかしなければ。
使命感に突き動かされる、マーガレットだった。
ランドルフが、ペンナへ赴き、モーガン家が信徒となる教会の牧師と、話し合いを持っていたのと同時刻、マーガレットは、義妹レイチェルを伴って、鼻息荒く、聖マティス教会の門をたたいた。
聖マティス教会、それは、四月、モーガン邸で開かれたお茶会で、ジャクリーン・テイラー、シーラ・ドハティと諍い、アンヌが、モーガン家への出入りを差し止められる原因となった、まさにその教会だった。
前年、牧師が変わってからというもの、聖マティス教会は、素性の知れない者、酷い時には、本当に信者かどうかわからないような者でも、寄付という名の金を支払いさえすれば、結婚式や葬儀が執り行われ、古くからの真面目な信徒たちの間で、その評判は落ちる一方だった。
新しく赴任してきた牧師は、牧師という立場にありながら、派手好き、女好き、金好きというのが、専らの評判で、年配の婦人などからは、激しい非難の対象となったが、一方、古めかしい教義に馴染めない若い世代や、教会の、時代にそぐわない慣習に辟易とする者、そして少々後ろ暗い過去や、秘密を持つ者にとっては、個人の要求に、柔軟に対応してくれる牧師ということで、密かに人気を有するのも事実だった。
四月のモーガン邸での、アンヌとジャクリーンたちの諍いは、お腹の大きい娘の結婚式を執り行ったと噂される、聖マティス教会についての賛否を言い争うものだった。
その時、マーガレットは、その教会の行為を、明確に否、として受け入れなかった。
今、マーガレットは、その自分の発言を悔いていた。
この四十年、自らの罪を悔い、祈り続け、モーガン家の一員としての務めを果たしつつ、社会への奉仕と貢献を欠かさなかった、マーガレットだった。
けれども、モーガン家の当主夫人として、敬われるうちに、気づかぬ間に、奢りが生まれ、寛容さを失っていたのかもしれないと、深く反省した。
そして、何より、マーガレットの胸に、沸き上がって来るのは、ランドルフとアンヌ、ふたりの間に生まれ来る、赤ちゃんのことだった。
ああ、赤ちゃんのためにだったら、おばあさまは・・・、おばあさまにできることは、何だってします!
マーガレットは、近々、訪れるであろう初孫の誕生に、結婚後、二度の流産を乗り越えて、七年目にしてようやく授かったランドルフの誕生を重ね、目頭が熱くなった。
意気込み激しく、聖マティス教会に馬車を乗りつけ、ドレスの裾を、かっと持ち上げ、正面の階段を、突き進む義姉の後を、慌てて追いかけるレイチェルだった。
その日の朝、急遽、人を遣らせて、聖マティス教会のグレゴリー牧師との面会を、無理やりねじ込んだマーガレットだったが、金の匂いをかぎ分けるのに敏感なグレゴリー牧師は、前々から決まっているどれほど重要な務めがあったのだとしても、そちらを反故にして、マーガレットの来訪を断るなどということはしなかった。
僧衣を纏った、小太りの牧師は、張り付いたような笑顔を浮かべ、マーガレットを迎え、自己紹介をした。
流石に、一見しただけで、その品行の悪さを見極めることは出来なかったが、宗教者の持つ厳かな雰囲気は、少しも感じ取ることは出来なかった。
「息子の結婚式を、挙げたいのです」
教会内にある、とある一室に案内され、着席すると、マーガレットは、すぐにそう切り出した。
グレゴリー牧師は、おおっ、と大袈裟に声を上げ、
「それは、まことに喜ばしい。ご子息の結婚式を、この聖マティス教会にて、執り行うことができるのは、わたくし共にとっても、大変な喜びです。どうぞ、全て、私にお任せください。完璧、そして完全なる結婚の祝福を、若いお二人には授けましょう」
マーガレットの傍で、グレゴリー牧師の耳に話を傾けながら、レイチェルは、一瞬、牧師ではなく、販売員の販売話術を聞いているような気にすらなった。
「息子は、三日後、私たちの屋敷、モーガン邸にて、結婚式を挙げます」
「ほう、それはまたひどくお急ぎで。つまり、私が、そちらのお屋敷へ伺い、式を挙げ、結婚の祝福を与えるわけですな。降誕祭前の、忙しい身ではありますが、もちろん、他ならぬモーガン夫人の依頼です、私が責任を持って、お引き受けしましょう」
「息子は、三日後、私たちの屋敷で、結婚式を挙げます。けれども、実際の結婚式は、十一月の最初に、聖マティス教会で、行われたことにするのです」
マーガレットのその言葉を聞いて、グレゴリー牧師は、少々、考え込んだ。
けれども、勘のいい、そして、何度か同様の依頼を引き受けた経験のあるグレゴリー牧師は、直ぐに、思い至った。
「つまり、その、理由と言うのは・・・、世間で良くありがちな、若気の至りで既成事実が出来た、ということでしょうな」
「一般的には、そのように言うこともあるようですが、私の息子に限っては、真実の愛で結ばれた、そういうことです」
「真実の愛・・・、おお、それは、何とも素晴らしい表現ですな。しかし、その真実の愛を叶えるのには、少々、必要になるものが・・・」
と、言いかけたグレゴリー牧師に、マーガレットは最後まで語らせなかった。
グレゴリー神父の前に、勢いよく差し出されたのは、小切手だった。
その小切手に記された、金額を覗き込んだレイチェルは、驚きで目を丸くした。
義姉は、桁数をひとつ間違えているのではないかと、思うほどだった。
グレゴリー牧師が、ごくんと唾を飲み込む音が、レイチェルの耳に入った。
「それで、問題ないでしょう」
マーガレットは、居丈高に言った。
「お望みなら・・・、もう少々日付を早めることも可能ですが、もちろん、追加料はなしに・・・、いや、寄付はもう十分でございますので」
「余計な気遣いは結構よ、グレゴリー牧師。私の言ったとおりに、息子夫婦の結婚式を執り行ってちょうだい。でも、結婚式が執り行われたのは、十一月初旬です。そして、当然、他言無用です。よろしいですわね」
マーガレットのその意気込みは、グレゴリー牧師に、有無を言わせなかった。
ランドルフの予想通り、教会は、ランドルフの申し入れを難なく受け入れた。
牧師は、婚姻前の契りを認めないという、教義を守るために、絶大な権力を持つモーガン家当主直々の申し出と、破格の寄付を断るなどという、愚かな過ちを、犯したりはしなかった。
牧師は、教会のために、そして、牧師自身のために、どうすることが有益であるかを即座に理解できる、柔軟な頭脳の持ち主だった。
アンヌの体調を考慮し、二日後の午後、牧師自らモーガン家へ赴き、ランドルフと、アンヌに結婚の祝福を与えるということで、あっさり話はついた。
ランドルフのその行動は、大変手際のよいもので、その日の夜、屋敷へ戻ったランドルフは、父母にそう報告をし、翌朝、自らアンヌの屋敷へ赴いて、その経緯を報告するつもりでいた。
けれども、モーガン家には、ランドルフ以上に、手際のよい人物がいた。
猪突猛進。
その人物・・・、つまり、マーガレットを評して、ヘンリーは、心の内で、そう呟くこともしばしばだった。
そのマーガレットが、モーガン家にとってのこの一大事に、黙って、成り行きを見守るなどということは、あり得なかった。
翌朝、アンヌの屋敷へ現れたランドルフの表情は、決して晴れやかではなく、どこか、戸惑いがあった。
もしかしたら、難題の多い結婚式を、牧師に認められなかったのかもしれないと、アンヌは察した。
けれども、そうではなかった。
「昨日、牧師と相談して、明日、僕の屋敷で、僕たちの結婚式を、挙げることになったよ」
アンヌの屋敷のリビングに通されてすぐ、そう切り出したランドルフだったが、どうにも歯切れが悪かった。
「それは、安心しました。ですが、何か困りごとが?顔色が、冴えないように、思います。その・・・、手にしている荷物は、何でしょう?」
ランドルフは、大きな包みを手にしていた。
説明するより、見せた方が早いと思ったのか、ランドルフはテーブルで、包みを解いた。
「これは・・・」
中身を見て、アンヌも戸惑った。
包みの中身は、真っ白い大きな襟のついたキャロットオレンジの、シンプルで清楚なドレスだった。
けれども、それは胸の下に切り返しがあって、一目で、お腹に子供を宿した女性のためのもの、いうことがわかった。
「これを、わたくしに?」
ゆくゆく、そういったドレスが必要になるであろうことは、理解していた。
けれども、今はむしろ、アンヌのお腹に子どもがいることは、隠しておくべきで、まだお腹の膨らみもほとんどなかったから、コルセットを締めつけないようにして、普通のドレスを身に着けていたアンヌだった。
「母からだ」
「マーガレット様から?」
「昨夜、教会での経緯を、両親に話したんだ。明後日、牧師を招いて、モーガン家で結婚式を挙げることになったって。そしたら、母が、その結婚式は、挙げる必要がないから、断っておくように、と。一体どういうことか、説明を頼んだけど、明後日になったら全てがわかるから、とにかく、君はそのドレスを着て、モーガン家へ来るように、って」
「一体、どういうことでしょう?」
「僕にも、全く見当がつかない。説明してくれるように、僕も、随分、食い下がったんだけど、明後日、アンヌを連れてくればいいと、そう繰り返すばかりだ。父は、どうやら母の企みを知っているようだけど、教えてはくれない。何だか、妙な気分だよ」
ランドルフの話を聞いて、アンヌも、ランドルフと同じく、妙な気分になった。
それから、一体、マーガレットが何をしようとしているのか、ふたりであれこれ考えてはみるものの、全く予想がつかなかった。
結局、ともかくマーガレットの指示に従うより仕方ないだろう、ということになり、翌朝、マーガレットから贈られたドレスを身に着けて、迎えに来たランドルフと一緒に、アンヌは、モーガン邸へと向かった。
昼前、ランドルフに伴われ、モーガン邸へ着いたアンヌは、先日はとても心に余裕がなかったせいで、眼を向けることのなかった、モーガン邸のクリスマスの飾り付けに眼を止め、同じ農園に暮らす親戚たち、ランドルフの叔父にあたるトーマスとその妻レイチェル、そして従兄弟たちと、その子供たちに、顔を合わせた。
クリスマスを間近に控えていたことと、新しい家族が増えるということで、集うモーガン家の人々は、心浮き立っていた。
ランドルフとアンヌの事情は、すっかり知れていて、アンヌは、早くもランドルフの妻としての扱いを受けた。
そこには、既にマーガレットの策略があったのだと知ったのは、後のことだった。
突然、モーガン家の家族の輪の中へ導かれて、既に、家族の一員のように扱われることに、驚きがないと言えば嘘になったが、一昨日、ランドルフに言われた、モーガン家に嫁ぐ心づもりをという、その言葉を胸に、そして、ずっとアンヌの傍らにいて、困らぬように、気配りをしてくれるランドルフを支えに、ここが、これから自分が生きてゆく場所なのだと、アンヌは、心を決めた。
和やかな昼食の時間ではあったけれど、アンヌの体調を気遣うマーガレットは、昼食を早めに切り上げた。
しばらくして、ランドルフとアンヌは、マーガレットにゲストルームへと呼び出された。
そうして、マーガレットは、その場の主役となるかのように、ソファの中央に並んでふたりを座らせ、親密な関係を演出させるかのように、手を重ねるよう促し、召使のひとりに命じて、念入りに、アンヌのドレスの裾の膨らみを直させた。
そして、咳払いをひとつすると、
「あなた方は、そこにそうして座っていなさい。アンヌは、身体を楽にしているのです。できるだけ、早く済ませますから」
並んだふたりを前に、そう言った。
「お母さん、一体・・・」
「ランドルフ、話は後です。全て、私に任せておきなさい」
いつものように、ランディとは言わず、わざわざランドルフというあたり、何か、これから特別な事態の起こることが、予想された。
少々遅れて、そのゲストルームに姿を見せたヘンリーだったが、何やら、その表情には、緊張が見て取れた。
一体何が始まるのかと、探るようなランドルフとアンヌの眼差しに、
「及ばずながら、私も、加勢しよう」
ヘンリーは、そう答えた。
「加勢?」
そうランドルフが問い返した時、レイチェルの声を交えた、賑やかな婦人たちの声が、ゲストルームに届いた。
アンヌは、その声に聞き覚えがあった。
レイチェルに案内されて、ゲストルームに入って来たふたりの婦人は、ランドルフとアンヌの姿が眼に入った途端、まあっ、と悲鳴にも近い声を上げた。
「あなたが何故、ここにいるの!それに、まあ、一体、何事!」
手を取り合い、誰がどこからどう見ても、一際、親密な様子に見える、ランドルフとアンヌを目の当たりにして、あまりの驚きに、ジャクリーンとシーラは、胸を押さえた。
「驚かせてごめんなさい、ジャクリーンにシーラ。クリスマス前の忙しい時に、よく招きに応じてくださったわね。さあ、どうぞ、座ってちょうだい。すぐに、お茶の支度をさせるわ。シーラ、もちろん、あなた専用のケーキスタンドを用意してあるから、ゆっくり召し上がってね」
マーガレットは、お菓子に眼のないシーラのために、たっぷりと甘い菓子の盛ったケーキスタンドを、ふたつも用意させ、持ってこさせた。
「一体、これは・・・」
まだ、最初の動揺から抜け出せないままのふたりに、再度、さあ、どうぞ座ってと、席を促し、ようやくふたりは、着席した。
いつもなら、着席してすぐ、お菓子に手が伸び始めるシーラだったが、今日ばかりは、流石にそうはいかなった。
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そう叫んだきり、二人の婦人は、口が開いたままになった。
これには、ランドルフとアンヌも、思わず声を上げそうになるところを、何とかこらえた。
これから結婚するのではなく、すでに結婚式を済ませた。
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そのマーガレットの企みを聞いた時、ヘンリーは、余計な手出しはしない方がいい、ランドルフとアンヌのことは、ふたりで、話し合って決めればいいと、マーガレットを諭すつもりだった。
マーガレットが意気込んで進めて来た、ランドルフとシャーロットの縁談は頓挫し、結局は、いらぬ混乱を招く結果となった。
だから、もう、余計な口出しはせずに、ふたりの事はふたりに任せてそっとしておくべきだと、嗜めようとした。
しかし、ヘンリーは、そうできなかった。
何故なら、ランドルフとシャーロットとの縁談が水の泡となり、しょんぼりと肩を落とし、涙を零していたマーガレットが、ランドルフとアンヌとの結婚という新たな目的を見つけ、あの落胆が、嘘のように、今や、水を得た魚の様に、溌溂としている姿を、目の当たりにしたからだった。
アンヌのお腹に、子どもが宿っているということも、マーガレットを一層、行動に駆り立てた。
今、社交界に君臨するマーガレットは、かつて、罪を犯し、長く人々の非難に耐え続けた日々があった。
それ故に、その非難が、どれほど辛いものか、誰よりも良く分かっていた。
未婚で、ランドルフの子を宿したと言う非難を、アンヌに浴びせてはならない。
思い込んだら、何があっても突き進む性格のマーガレットは、そう思い立つと、もうじっとしてはいられなかった。
私が、何とかしなければ。
使命感に突き動かされる、マーガレットだった。
ランドルフが、ペンナへ赴き、モーガン家が信徒となる教会の牧師と、話し合いを持っていたのと同時刻、マーガレットは、義妹レイチェルを伴って、鼻息荒く、聖マティス教会の門をたたいた。
聖マティス教会、それは、四月、モーガン邸で開かれたお茶会で、ジャクリーン・テイラー、シーラ・ドハティと諍い、アンヌが、モーガン家への出入りを差し止められる原因となった、まさにその教会だった。
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その時、マーガレットは、その教会の行為を、明確に否、として受け入れなかった。
今、マーガレットは、その自分の発言を悔いていた。
この四十年、自らの罪を悔い、祈り続け、モーガン家の一員としての務めを果たしつつ、社会への奉仕と貢献を欠かさなかった、マーガレットだった。
けれども、モーガン家の当主夫人として、敬われるうちに、気づかぬ間に、奢りが生まれ、寛容さを失っていたのかもしれないと、深く反省した。
そして、何より、マーガレットの胸に、沸き上がって来るのは、ランドルフとアンヌ、ふたりの間に生まれ来る、赤ちゃんのことだった。
ああ、赤ちゃんのためにだったら、おばあさまは・・・、おばあさまにできることは、何だってします!
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意気込み激しく、聖マティス教会に馬車を乗りつけ、ドレスの裾を、かっと持ち上げ、正面の階段を、突き進む義姉の後を、慌てて追いかけるレイチェルだった。
その日の朝、急遽、人を遣らせて、聖マティス教会のグレゴリー牧師との面会を、無理やりねじ込んだマーガレットだったが、金の匂いをかぎ分けるのに敏感なグレゴリー牧師は、前々から決まっているどれほど重要な務めがあったのだとしても、そちらを反故にして、マーガレットの来訪を断るなどということはしなかった。
僧衣を纏った、小太りの牧師は、張り付いたような笑顔を浮かべ、マーガレットを迎え、自己紹介をした。
流石に、一見しただけで、その品行の悪さを見極めることは出来なかったが、宗教者の持つ厳かな雰囲気は、少しも感じ取ることは出来なかった。
「息子の結婚式を、挙げたいのです」
教会内にある、とある一室に案内され、着席すると、マーガレットは、すぐにそう切り出した。
グレゴリー牧師は、おおっ、と大袈裟に声を上げ、
「それは、まことに喜ばしい。ご子息の結婚式を、この聖マティス教会にて、執り行うことができるのは、わたくし共にとっても、大変な喜びです。どうぞ、全て、私にお任せください。完璧、そして完全なる結婚の祝福を、若いお二人には授けましょう」
マーガレットの傍で、グレゴリー牧師の耳に話を傾けながら、レイチェルは、一瞬、牧師ではなく、販売員の販売話術を聞いているような気にすらなった。
「息子は、三日後、私たちの屋敷、モーガン邸にて、結婚式を挙げます」
「ほう、それはまたひどくお急ぎで。つまり、私が、そちらのお屋敷へ伺い、式を挙げ、結婚の祝福を与えるわけですな。降誕祭前の、忙しい身ではありますが、もちろん、他ならぬモーガン夫人の依頼です、私が責任を持って、お引き受けしましょう」
「息子は、三日後、私たちの屋敷で、結婚式を挙げます。けれども、実際の結婚式は、十一月の最初に、聖マティス教会で、行われたことにするのです」
マーガレットのその言葉を聞いて、グレゴリー牧師は、少々、考え込んだ。
けれども、勘のいい、そして、何度か同様の依頼を引き受けた経験のあるグレゴリー牧師は、直ぐに、思い至った。
「つまり、その、理由と言うのは・・・、世間で良くありがちな、若気の至りで既成事実が出来た、ということでしょうな」
「一般的には、そのように言うこともあるようですが、私の息子に限っては、真実の愛で結ばれた、そういうことです」
「真実の愛・・・、おお、それは、何とも素晴らしい表現ですな。しかし、その真実の愛を叶えるのには、少々、必要になるものが・・・」
と、言いかけたグレゴリー牧師に、マーガレットは最後まで語らせなかった。
グレゴリー神父の前に、勢いよく差し出されたのは、小切手だった。
その小切手に記された、金額を覗き込んだレイチェルは、驚きで目を丸くした。
義姉は、桁数をひとつ間違えているのではないかと、思うほどだった。
グレゴリー牧師が、ごくんと唾を飲み込む音が、レイチェルの耳に入った。
「それで、問題ないでしょう」
マーガレットは、居丈高に言った。
「お望みなら・・・、もう少々日付を早めることも可能ですが、もちろん、追加料はなしに・・・、いや、寄付はもう十分でございますので」
「余計な気遣いは結構よ、グレゴリー牧師。私の言ったとおりに、息子夫婦の結婚式を執り行ってちょうだい。でも、結婚式が執り行われたのは、十一月初旬です。そして、当然、他言無用です。よろしいですわね」
マーガレットのその意気込みは、グレゴリー牧師に、有無を言わせなかった。
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