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10.マーガレット<後編>
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「・・・どうやら君は、自分と自分の家族を、破滅させたいようだ」
ヘンリーに伴われたマーガレットが、パトリックの書斎に姿を現した時、机に座って書類に眼を通していたパトリックは、書類から顔を上げ、マーガレットを鋭く睨みつけた。
パトリックを訪問する約束は、なかった。
面会の約束を取りつけようとしても、どうせ断られるからと、ヘンリーは、直接マーガレットを伴って、パトリックを訪れた。
結婚を前提の交際を、認めてもらうためだった。
ただ、この点においては、マーガレットとヘンリーとの間で、若干、認識が違っていて、マーガレットは、結婚を前提とした交際の許可をもらうためだと認識し、ヘンリーは、結婚を前提とした交際の報告だと、位置づけていた。
ヘンリーとマーガレットが交際を決めた日から、一週間が経とうとしていた。
「最後通告だ。今すぐ、ここから出て行け。そうすれば、ジョーンズ家を叩きつぶすことだけは、見逃してやる。出て行かなければ、本当に容赦しない」
パトリックに、そう睨みつけられて、マーガレットは、背筋が、すっと冷たくなった。
ヘンリーと結婚して、この人が、父になって・・・、本当にやっていけるのだろうか。
「お父さん、僕は、マーガレットと結婚します。言っておきますが、僕は、あなたに許可を求めてはいません。これは、報告です」
ヘンリーは、毅然としていた。
「お前は、私に、恥をかかせたいのか?その娘が、どういう娘か知っているだろう。卑しい方法で、男を盗み取るような娘だ。周りに害をもたらす、疫病神だ。私は、絶対に認めない」
「口を慎んでください。彼女への侮辱は、許さない」
「馬鹿者が・・・、すっかり騙されおって」
パトリックは、苦々しげにつぶやいた。
けれども、
「・・・いいだろう。ペンナの街に、家を買うといい」
そう、持ち出してきた。
「何の話ですか?」
「お前は、純粋すぎる。その娘に騙されていることに、気がついていないだけだ。その娘も、所詮は、金が目当てだ。ペンナの街に家を買って、その娘を住まわせ、月々の手当てを取り決めて、契約書を作らせる。ただし、期間は半年だ。それ以上は、認めない。もし契約違反をすれば、裁判所へ持ち込む。恥をかきたくなければ、契約を守ることだ、ミス・ジョーンズ。半年後、おとなしく引き下がれば、その家は、くれてやる。ヘンリー、どんないい女でも、飽きる。お前はわかっていないだけだ。一度味わえば、眼が覚めるだろう。半年後には、私の言ったことが正しかったと、思うはずだ」
姉エレノアと、母イザベラが自死してから、マーガレットは周囲からの非難を、受け続けた。
けれども、自分の過ちを思えば、仕方のないことと、諦め、耐え続けて来た。
けれども、これほどまでに酷い屈辱は、受けたことがなかった。
愛人になれと、期限付きの愛人なら認めてやると言われて、怒りで体が震え、瞳には、涙が浮かび上がった。
「お父さん・・・、彼女に、謝ってください」
ヘンリーの声にも、怒りが濃く滲んでいた。
「目を覚ませ、ヘンリー」
「目を覚ますのは、あなたの方です。本当に、人を愛したことのないあなたに、一体、何が分かる。あなたは、母を裏切り続け、苦しめ続け、家族をないがしろにし続けた。一度も、母の気持ちを、顧みようとはしなかった。その哀しみを・・・、理解しようとはしなかった。そのくせ、臆病なほど、対面を気にして、家族には、自分の意見を押し付け、自分の意に沿わなければ、威嚇して、抑圧する。僕は、あなたのような人生だけは、送りたくない。僕は妻に・・・、マギーに、決して、母のような思いをさせたりはしない」
マーガレットは、ヘンリーの抱える心の闇が、いかに根深いか、改めて気づかされた。
そうして、何かが、マーガレットの心の中で、膨らみ始めた。
「若造め・・・!」
パトリックは、椅子から、立ち上がった。
「僕は、中身の空っぽなこんな家は、いらない。もう、たくさんだ。お父さん、僕たちの結婚を認めてもらえなければ、僕はマギーと共に、出て行きます。モーガン家の全てを放棄します」
その瞬間、マーガレットの中で、何かがスパークした。
・・・違う。
私は、守られるんじゃない。
これから・・・、ヘンリーに守り続けてもらうだけの人生を、歩むべきじゃない。
傷つけられることを恐れるのは、もう終わり。
どれほど、酷く傷つけられたのだとしても、耐えて、乗り越えて、ヘンリーに、愛を与え続けて生きることこそ、私の使命なのだから!
「この・・・」
パトリックが、ヘンリーに掴みかかろうとした瞬間、ふたりの間に、マーガレットは割って入った。
「お父様!」
突然、マーガレットに、お父様と呼ばれて、パトリックは、ぎょっと、眼を向いた。
「なにを・・・」
「私、この家に嫁ぎます。お父様が何と言おうと、嫁いできます。そして、ヘンリーが、モーガン家の当主として、立派に務めを果たせるよう、生涯をかけて、尽くします」
「お前みたいな娘に、何が・・・」
「どう罵られても、もう私は逃げません。自分の過ちを認め、生涯、その罪と向き合っていきます。それが・・・、どんなに辛いことだったとしても、決して逃げません。私は、十一回もお見合いをしても、伴侶に巡り合えなかったヘンリーが、選んだ娘です。ヘンリーには、私しかいません」
不遜だと思われるのは、覚悟の上だった。
けれども、不思議と、身体の底から、力がわいてきた。
パトリックのことを、もう怖いとは思わなかった。
「ぬけぬけと・・・、よくそんな偉そうな口が、きけたものだ」
「私は、どんな非難も受けます。そして、贖罪の道を、探し続けます。でも、私はヘンリーの妻になります。ニコラス・グリーンの二の舞は、絶対にさせません。私は、彼を夫とし、生涯、支え続けます。そうして、あなたとヘンリーが、親子らしい関係を築き、親子の情を取り戻すことが出来るよう、力を尽くすことを誓います」
パトリックもヘンリーも、急所を突かれた。
あなたとヘンリーが、親子らしい関係を築き、親子の情を取り戻すことが出来るよう、力を尽くすことを誓います。
その言葉は、パトリックとヘンリー双方の、一番の弱点を見抜いていた。
「小賢しい娘め・・・」
パトリックは、マーガレットを睨みつけながら、そう呟くのが、精一杯だった。
「・・・行こう」
ヘンリーは、そっと、マーガレットに呼びかけた。
マーガレットは、まだ興奮状態だった。
頬は赤く上気し、息が荒かった。
「みんな、少し、頭を冷やそう。でも、お父さん、今、マギーが言ったことは・・・、全て僕の望みです。その・・・、最後のところも」
パトリックは、答えなかった。
黙ったまま、答えなかった。
もう一度、行こうと、ヘンリーは、マーガレットを促し、その背中を押した。
書斎に一人残ったパトリックは、眼を閉じた。
そこには、誰も知ることのない苦悩が、あった。
ヘンリーは、マーガレットの手を引いて、両脇に木立の並ぶ、石の小道を進み、夜会の夜、舞踏会を抜け出して、ふたりでダンスの練習をした場所へ向かった。
その先には、手入れの行き届いた池と、広めに設えた屋根付きのベンチがあった。
十一月とは思えない、日差しの温かな午後だった。
パトリックの書斎を出てから、ヘンリーは一言も、話さなかった。
真顔のまま、無言で、マーガレットの手を引いて、歩いた。
「私・・・、差し出がましいことを言って、ごめんなさい」
興奮が冷めて来ると、自分は、パトリックに向かって、なんということを言ってしまったのだろうと、反省と後悔が押し寄せる。
「つい、興奮してしまって・・・」
「感謝しているよ」
マーガレットを見つめるヘンリーは、穏やかな表情をしていた。
「ヘンリー・・・」
「父に向かって、あんな風に、自分の考えを率直に言える人を、僕はこれまでに見たことがない。君は、勇気がある。一層、君が好きになった」
ヘンリーの眼差しに、マーガレットは頬を赤くした。
「あの時、何だか、あなたが、ずっと、重い荷物を背負わされ続けているように思えて・・・。お父様とお母様の事で、あなたが、ずっと、苦しみ続けているような気がして、何とかしないと、って思ったの」
ヘンリーは、マーガレットをベンチに促し、自分も、その隣に座った。
「そうだね・・・、確かに僕は、父を恨んでいる。母を苦しめ続けた父を、これまでずっと、憎み続けて来た。でも・・・、いつも心のどこかに、本当にこのままでいいのだろうかという、思いがある。僕たち親子は、互いに理解し合えないまま、このままずっと、憎しみあったままで終わるんだろうかという、もどかしい思いを、心の片隅に抱えている。それは、弟のトーマスも、同じだと思う。でも、僕たちがそう思ったところで、父はあの通り、横暴で威圧的で、何も変わらない。だから、僕もトーマスも、正直、どうすればいいのかわからない。八方塞がりだ」
ヘンリーは、首を振った。
「複雑に絡み合ってしまった糸を、どこからどう解けばいいのか、わからないのね」
「君の言う通りだ。あの父と分かり合うなんて、絶対に無理だと思いつつ、どこかで、それを諦めきれない自分がいる。・・・難しいね」
「あんな偉そうなことを言っていながら、正直、私も、どうすれば、あなたとお父様が分かり合えるようになるのか、わからないの。でも、いつかそうなれるように、私にできることを、少しずつでも、お手伝いしたいわ。あなたのお父様を怖いという気持ちは、もうなくなったことだし」
「それは、すごいね。あの父に」
「私、何故だか、お父様がとても可哀想な気がするの・・・」
「可哀想?」
「自分の心の内を、簡単に話すような方には見えないけれど、胸の内には、人に話せない色んな想いを、秘めていらっしゃるように思えるわ」
「確かに・・・、君の言う通りかもしれないね」
と、ヘンリーは、並んでベンチに座るマーガレットの手を取って、慈しむように触れた後、改まった様子で、マーガレットの前に、跪いた。
そして、静かにマーガレットの両手を取った。
「正式に、プロポーズを」
マーガレットは、頬を染めて、ええ、と、小さく頷いた。
「僕は、喜びの時、苦しみの時、哀しみの時、いかなる時も、君の味方でいることを、約束する。生涯、君を愛し、敬い、夫として誠心誠意、君に尽くすことを、誓うよ。マーガレット、僕と結婚してほしい」
そうして、ポケットから取り出したエンゲージリングを、マーガレットの薬指にはめつつ、その指輪が、代々モーガン家の当主の妻に受け継がれる品だと、語った。
ヘンリーの真摯な眼差しを、ひと時見つめ返し、マーガレットは、答えた。
「私、マーガレット・ジョーンズは、生涯をかけて、夫を支え、真心を尽くすことを誓います。夫を助け、敬い、その信頼と愛情を受けるに価する妻となるよう、務めます」
「マーガレット・・・」
「愛しているわ、ヘンリー」
ふたりは抱きしめ合い、頬を寄せ、これからの長い生涯を、共に生きる喜びを、噛みしめた。
翌年の秋、花嫁の希望により、結婚式は、ごく慎ましやかに執り行われ、マーガレットは、晴れて、ヘンリー・モーガンの妻となった。
ヘンリーに伴われたマーガレットが、パトリックの書斎に姿を現した時、机に座って書類に眼を通していたパトリックは、書類から顔を上げ、マーガレットを鋭く睨みつけた。
パトリックを訪問する約束は、なかった。
面会の約束を取りつけようとしても、どうせ断られるからと、ヘンリーは、直接マーガレットを伴って、パトリックを訪れた。
結婚を前提の交際を、認めてもらうためだった。
ただ、この点においては、マーガレットとヘンリーとの間で、若干、認識が違っていて、マーガレットは、結婚を前提とした交際の許可をもらうためだと認識し、ヘンリーは、結婚を前提とした交際の報告だと、位置づけていた。
ヘンリーとマーガレットが交際を決めた日から、一週間が経とうとしていた。
「最後通告だ。今すぐ、ここから出て行け。そうすれば、ジョーンズ家を叩きつぶすことだけは、見逃してやる。出て行かなければ、本当に容赦しない」
パトリックに、そう睨みつけられて、マーガレットは、背筋が、すっと冷たくなった。
ヘンリーと結婚して、この人が、父になって・・・、本当にやっていけるのだろうか。
「お父さん、僕は、マーガレットと結婚します。言っておきますが、僕は、あなたに許可を求めてはいません。これは、報告です」
ヘンリーは、毅然としていた。
「お前は、私に、恥をかかせたいのか?その娘が、どういう娘か知っているだろう。卑しい方法で、男を盗み取るような娘だ。周りに害をもたらす、疫病神だ。私は、絶対に認めない」
「口を慎んでください。彼女への侮辱は、許さない」
「馬鹿者が・・・、すっかり騙されおって」
パトリックは、苦々しげにつぶやいた。
けれども、
「・・・いいだろう。ペンナの街に、家を買うといい」
そう、持ち出してきた。
「何の話ですか?」
「お前は、純粋すぎる。その娘に騙されていることに、気がついていないだけだ。その娘も、所詮は、金が目当てだ。ペンナの街に家を買って、その娘を住まわせ、月々の手当てを取り決めて、契約書を作らせる。ただし、期間は半年だ。それ以上は、認めない。もし契約違反をすれば、裁判所へ持ち込む。恥をかきたくなければ、契約を守ることだ、ミス・ジョーンズ。半年後、おとなしく引き下がれば、その家は、くれてやる。ヘンリー、どんないい女でも、飽きる。お前はわかっていないだけだ。一度味わえば、眼が覚めるだろう。半年後には、私の言ったことが正しかったと、思うはずだ」
姉エレノアと、母イザベラが自死してから、マーガレットは周囲からの非難を、受け続けた。
けれども、自分の過ちを思えば、仕方のないことと、諦め、耐え続けて来た。
けれども、これほどまでに酷い屈辱は、受けたことがなかった。
愛人になれと、期限付きの愛人なら認めてやると言われて、怒りで体が震え、瞳には、涙が浮かび上がった。
「お父さん・・・、彼女に、謝ってください」
ヘンリーの声にも、怒りが濃く滲んでいた。
「目を覚ませ、ヘンリー」
「目を覚ますのは、あなたの方です。本当に、人を愛したことのないあなたに、一体、何が分かる。あなたは、母を裏切り続け、苦しめ続け、家族をないがしろにし続けた。一度も、母の気持ちを、顧みようとはしなかった。その哀しみを・・・、理解しようとはしなかった。そのくせ、臆病なほど、対面を気にして、家族には、自分の意見を押し付け、自分の意に沿わなければ、威嚇して、抑圧する。僕は、あなたのような人生だけは、送りたくない。僕は妻に・・・、マギーに、決して、母のような思いをさせたりはしない」
マーガレットは、ヘンリーの抱える心の闇が、いかに根深いか、改めて気づかされた。
そうして、何かが、マーガレットの心の中で、膨らみ始めた。
「若造め・・・!」
パトリックは、椅子から、立ち上がった。
「僕は、中身の空っぽなこんな家は、いらない。もう、たくさんだ。お父さん、僕たちの結婚を認めてもらえなければ、僕はマギーと共に、出て行きます。モーガン家の全てを放棄します」
その瞬間、マーガレットの中で、何かがスパークした。
・・・違う。
私は、守られるんじゃない。
これから・・・、ヘンリーに守り続けてもらうだけの人生を、歩むべきじゃない。
傷つけられることを恐れるのは、もう終わり。
どれほど、酷く傷つけられたのだとしても、耐えて、乗り越えて、ヘンリーに、愛を与え続けて生きることこそ、私の使命なのだから!
「この・・・」
パトリックが、ヘンリーに掴みかかろうとした瞬間、ふたりの間に、マーガレットは割って入った。
「お父様!」
突然、マーガレットに、お父様と呼ばれて、パトリックは、ぎょっと、眼を向いた。
「なにを・・・」
「私、この家に嫁ぎます。お父様が何と言おうと、嫁いできます。そして、ヘンリーが、モーガン家の当主として、立派に務めを果たせるよう、生涯をかけて、尽くします」
「お前みたいな娘に、何が・・・」
「どう罵られても、もう私は逃げません。自分の過ちを認め、生涯、その罪と向き合っていきます。それが・・・、どんなに辛いことだったとしても、決して逃げません。私は、十一回もお見合いをしても、伴侶に巡り合えなかったヘンリーが、選んだ娘です。ヘンリーには、私しかいません」
不遜だと思われるのは、覚悟の上だった。
けれども、不思議と、身体の底から、力がわいてきた。
パトリックのことを、もう怖いとは思わなかった。
「ぬけぬけと・・・、よくそんな偉そうな口が、きけたものだ」
「私は、どんな非難も受けます。そして、贖罪の道を、探し続けます。でも、私はヘンリーの妻になります。ニコラス・グリーンの二の舞は、絶対にさせません。私は、彼を夫とし、生涯、支え続けます。そうして、あなたとヘンリーが、親子らしい関係を築き、親子の情を取り戻すことが出来るよう、力を尽くすことを誓います」
パトリックもヘンリーも、急所を突かれた。
あなたとヘンリーが、親子らしい関係を築き、親子の情を取り戻すことが出来るよう、力を尽くすことを誓います。
その言葉は、パトリックとヘンリー双方の、一番の弱点を見抜いていた。
「小賢しい娘め・・・」
パトリックは、マーガレットを睨みつけながら、そう呟くのが、精一杯だった。
「・・・行こう」
ヘンリーは、そっと、マーガレットに呼びかけた。
マーガレットは、まだ興奮状態だった。
頬は赤く上気し、息が荒かった。
「みんな、少し、頭を冷やそう。でも、お父さん、今、マギーが言ったことは・・・、全て僕の望みです。その・・・、最後のところも」
パトリックは、答えなかった。
黙ったまま、答えなかった。
もう一度、行こうと、ヘンリーは、マーガレットを促し、その背中を押した。
書斎に一人残ったパトリックは、眼を閉じた。
そこには、誰も知ることのない苦悩が、あった。
ヘンリーは、マーガレットの手を引いて、両脇に木立の並ぶ、石の小道を進み、夜会の夜、舞踏会を抜け出して、ふたりでダンスの練習をした場所へ向かった。
その先には、手入れの行き届いた池と、広めに設えた屋根付きのベンチがあった。
十一月とは思えない、日差しの温かな午後だった。
パトリックの書斎を出てから、ヘンリーは一言も、話さなかった。
真顔のまま、無言で、マーガレットの手を引いて、歩いた。
「私・・・、差し出がましいことを言って、ごめんなさい」
興奮が冷めて来ると、自分は、パトリックに向かって、なんということを言ってしまったのだろうと、反省と後悔が押し寄せる。
「つい、興奮してしまって・・・」
「感謝しているよ」
マーガレットを見つめるヘンリーは、穏やかな表情をしていた。
「ヘンリー・・・」
「父に向かって、あんな風に、自分の考えを率直に言える人を、僕はこれまでに見たことがない。君は、勇気がある。一層、君が好きになった」
ヘンリーの眼差しに、マーガレットは頬を赤くした。
「あの時、何だか、あなたが、ずっと、重い荷物を背負わされ続けているように思えて・・・。お父様とお母様の事で、あなたが、ずっと、苦しみ続けているような気がして、何とかしないと、って思ったの」
ヘンリーは、マーガレットをベンチに促し、自分も、その隣に座った。
「そうだね・・・、確かに僕は、父を恨んでいる。母を苦しめ続けた父を、これまでずっと、憎み続けて来た。でも・・・、いつも心のどこかに、本当にこのままでいいのだろうかという、思いがある。僕たち親子は、互いに理解し合えないまま、このままずっと、憎しみあったままで終わるんだろうかという、もどかしい思いを、心の片隅に抱えている。それは、弟のトーマスも、同じだと思う。でも、僕たちがそう思ったところで、父はあの通り、横暴で威圧的で、何も変わらない。だから、僕もトーマスも、正直、どうすればいいのかわからない。八方塞がりだ」
ヘンリーは、首を振った。
「複雑に絡み合ってしまった糸を、どこからどう解けばいいのか、わからないのね」
「君の言う通りだ。あの父と分かり合うなんて、絶対に無理だと思いつつ、どこかで、それを諦めきれない自分がいる。・・・難しいね」
「あんな偉そうなことを言っていながら、正直、私も、どうすれば、あなたとお父様が分かり合えるようになるのか、わからないの。でも、いつかそうなれるように、私にできることを、少しずつでも、お手伝いしたいわ。あなたのお父様を怖いという気持ちは、もうなくなったことだし」
「それは、すごいね。あの父に」
「私、何故だか、お父様がとても可哀想な気がするの・・・」
「可哀想?」
「自分の心の内を、簡単に話すような方には見えないけれど、胸の内には、人に話せない色んな想いを、秘めていらっしゃるように思えるわ」
「確かに・・・、君の言う通りかもしれないね」
と、ヘンリーは、並んでベンチに座るマーガレットの手を取って、慈しむように触れた後、改まった様子で、マーガレットの前に、跪いた。
そして、静かにマーガレットの両手を取った。
「正式に、プロポーズを」
マーガレットは、頬を染めて、ええ、と、小さく頷いた。
「僕は、喜びの時、苦しみの時、哀しみの時、いかなる時も、君の味方でいることを、約束する。生涯、君を愛し、敬い、夫として誠心誠意、君に尽くすことを、誓うよ。マーガレット、僕と結婚してほしい」
そうして、ポケットから取り出したエンゲージリングを、マーガレットの薬指にはめつつ、その指輪が、代々モーガン家の当主の妻に受け継がれる品だと、語った。
ヘンリーの真摯な眼差しを、ひと時見つめ返し、マーガレットは、答えた。
「私、マーガレット・ジョーンズは、生涯をかけて、夫を支え、真心を尽くすことを誓います。夫を助け、敬い、その信頼と愛情を受けるに価する妻となるよう、務めます」
「マーガレット・・・」
「愛しているわ、ヘンリー」
ふたりは抱きしめ合い、頬を寄せ、これからの長い生涯を、共に生きる喜びを、噛みしめた。
翌年の秋、花嫁の希望により、結婚式は、ごく慎ましやかに執り行われ、マーガレットは、晴れて、ヘンリー・モーガンの妻となった。
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