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9.マーガレット<前編>
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その招待状が、ジョーンズ家に届いたのは、十月初旬のある午後だった。
差出人は、ヘンリー・モーガンで、十一月の初めにモーガン邸で催される、秋の夜会への招待状だった。
モーガン家の秋の夜会と言えば、アウラでも一、二を争うほどの盛大な催しで、去年、初めて出席したマーガレットは、その豪華さと華やかさに、息を呑み、晩餐会の後の舞踏会を、心行くまで楽しんだ。
けれども、ジョーンズ家を襲った悲劇の後、舞踏会やお茶会などの、上流階級の集いへの招待状が、ジョーンズ家に届くことはなかった。
あのような事件で、世間を騒がせた一家と、関わりを持ちたいなどと思う者が、あるはずもなく、それは、当然と言えば、当然だった。
事件以降、ひっそりと孤立するジョーンズ家だった。
だから、ヘンリーからの招待状に、ティモシーは少々驚いた。
差出人が、父親のパトリックではなく、ヘンリーであることにも、少々違和感を覚えた。
農園の規模の大きさは、モーガン家に敵うはずはなかったが、このアウラで同じ綿花農園経営するパトリックとは、旧知の間柄ではあった。
だから、パトリックからの招待ならばともかく、息子のヘンリーからの招待状には、何故、と首をかしげるばかりだった。
イザベラとエレノアの喪は、既に明けていたが、ティモシーは、とてもその招待を受ける気にはなれなかった。
だから、丁重に断りの手紙を認めた。
それで、その件は終わったつもりだった。
ところが、数日後、ヘンリーから返信が届いた。
手紙には、先日のマーガレットとの経緯が記されていた。
もちろん、ヘンリーは、マーガレットが川に入って自殺しようとしていたなどと、あからさまには、記さなかったが、散歩中のマーガレットと、偶然知り合ったのだが、事件のせいで、随分塞ぎ込んでいるようだ、と。
少々、自分を責めすぎて、自分を見失っているように見える。
若い娘なのだし、将来のある身でもあるのだから、この夜会を機会に、少しずつ前向きになれれば、良いのではないか、と。
モーガン家の夜会に出席されるのであれば、マーガレットが夜会で、辛い思いをしないよう努めると、記されてあった。
その手紙を受け取って、ヘンリーがマーガレットに、関心を示しているということが、ティモシーにはすぐわかった。
マーガレットは、美しい娘だった。
だから、偶然出会ったマーガレットに、ヘンリーが興味を示したとしても、ティモシーは別段驚かなかった。
だが、ヘンリーの招待を受けるかどうかは、随分、迷った。
ヘンリーの言うことも、最もだとは思った。
悲惨な事件を引き起こし、すっかり閉じこもって、塞ぎ込んでいるマーガレットだった。
とはいえ、いつまでも、このままでいいとは思わなかった。
ティモシー自身、マーガレットの軽率な行動が原因で、愛する妻と娘を失って、その心には、癒えない大きな傷を負っていた。
しかし、まだ二十歳にもならない美しい娘が、今回の一件で、自分の将来を台無しにしてしまうことは、不憫でならなかった。
我儘に育ててしまった娘ではあったが、幸せに生きてほしいという、ティモシーの親としての想いは、変わることはなかった。
ヘンリーからの手紙を受け取って、しばらく、どうするべきか、迷っていたティモシーだったが、招待に応じるかどうかは、マーガレットに任せよう、と、判断した。
ティモシーの書斎に呼ばれ、ヘンリー・モーガンから、夜会の招待状が届いていると知らされたマーガレットは、
「招待状?」
思いがけない出来事に、思わずそう問い返した。
「そう、夜会の招待状が届いている。散歩中に偶然知り合ったんだとか?彼からの手紙に書いてあった」
「ええ・・・、そう、そうなの」
まさか、川に入って死のうとしたところを、助けてもらったとは、言えなかった。
「それで、誘いを受けるのかい?」
「まさか!」
「そう言うだろうと思ったよ。お前の気持ちはわかるが、せっかくこうして誘ってくれているのだから、少し考えてみては?」
「お父様・・・、夜会だなんて、私、とても、そんな気持ちにはなれません。ミスター・モーガンが、どういうつもりで、招待状を送って来たのか知りませんが、私、行くつもりはありませんわ。お父様だって、お招きに応じるつもりはないのでしょう?」
「彼が、夜会に招待したいのは、私じゃない」
ティモシーは、ヘンリーから届いた手紙を、マーガレットに差し出した。
マーガレットは、一読して、
「お気持ちは・・・、有り難いですけれど、やはりお受けするつもりはありません」
手紙をティモシーに、返した。
「そうか・・・。お前がそう言うのなら、私は無理にとは言わないよ。確かに、招きに応じれば、辛いこともあるかもしれない。ただ、断りの手紙は、お前が書きなさい」
「私が?」
「実は、私は、この夜会の招待を、一度断っているんだ。それでも、お前のために、わざわざこうして手紙まで書いて、誘ってくれているのだから、お前の方から、気遣ってもらった礼と、丁重に断りの手紙を書いた方がいい」
ティモシーにそう言われれば、確かに、その方が礼儀に適っているだろうと、マーガレットは思った。
だから、では、そのようにしますと、マーガレットは答え、自室に戻ると、直ぐに断りの手紙を記した。
マーガレットはわざと、先日の一件には、一切触れなかった。
助けてくれて、ありがとうございましたとも、話を聞いてくれて、気持ちが落ち着きましたとも、記さなかった。
何故なら、マーガレットは、誰とも、何の関わりも、求めていなかったからだった。
今、マーガレットは、誰かと、関わりを持つことを、極端に恐れていた。
自分と関われば、みんな、不幸せになる、と。
悲惨な事件を引き起こした自分とは、誰も関わりたくなどないはずだ、と。
そう信じていたマーガレットは、気遣ってもらった礼と、体調が優れないため、夜会には出席できないということを、当たり障りのない文章でまとめた。
封をしてから、マーガレットは、ふと、ヘンリーの鳶色の優しい眼差しを、思い出した。
あの人は・・・、水に濡れたままの衣服で、不快に違いなかったはずなのに・・・、私がマーガレット・ジョーンズだと知って、関わりたくなどなかっただろうに、最後まで、黙って話を聞いてくれた。
子どもの様に、泣きじゃくる私の背中をいたわる様に、ずっと擦り続けてくれていた。
優しい人だった・・・。
封筒に記した、宛名の文字を、マーガレットは、そっと指でなぞった。
それで、モーガン家の夜会の件は、すっかり決着がついたと思っていた、ティモシーとマーガレットだった。
だから、それから数日後、十月中旬土曜日の午後、何の前触れもなく、突然、ジョーンズ家を訪れたヘンリーに、ティモシーもマーガレットも、驚き、戸惑ったが、マーガレットとふたりで話をしたいというヘンリーの希望を、ティモシーは、快く受け入れた。
「久しぶり。あれから、どうしているかと、ずっと心配していたんだよ。元気に過ごしている?」
そう言って、ヘンリーの待つ応接間に、姿を現したマーガレットに、ヘンリーは柔らかく微笑みかけた。
ヘンリーは、この前と、随分、印象が違って見えた。
前は、誰もいない緑豊かな場所で、ひとりでゆっくり絵を描くために、スーツを着崩していた上に、マーガレットのせいで、頭の先からつま先まで、ずぶ濡れになって、身だしなみは、最悪といってよかった。
その点、今日は、ネイビーブルーのフロックコートとズボンに、グレーのネクタイとベストをきちんと着込んで、他家を訪れるに相応しい、礼儀正しい恰好の紳士だった。
「あの、ご用件は・・・?」
お茶の支度を済ませた召使が立ち去ると、ヘンリーの向かいに座った、マーガレットは、おずおず、そう尋ねた。
母と姉を亡くしてから、ほぼ一年間、ほとんど引きこもった暮らしで、前回、ヘンリーと初めて会った時のように、感情的になっている時ならばともかく、今日のように、改まって、ということになると、マーガレットは、他人と話すことを、すっかり臆するようになっていた。
「夜会の件で」
「その件なら、先日、お断りの手紙を・・・」
「受け取ったよ。だけど、どうしても、納得できないから、直接、君と話をするために、ここへ来た」
「わざわざお越しいただいて、申し訳ありませんが、お返事しました通り、私、ずっと体調が優れなくて、夜会には出席できませんわ。せっかくですけれど・・・」
「君は、今、こうして、僕と話をしている。どこか、具合が悪いようには見えないよ」
「自宅を訪れたお客様と、少しお話するのと、夜会に出席するのでは、随分、違いますわ。それに・・・、本当は、こんなことを言ってはいけないのでしょうけれど、今、お話させていただいているのも、精一杯ですの。ご用件が済みましたら、どうか、もうお引き取りください」
マーガレットは、俯き加減で、ぼそぼそと、囁くような声で、そう話した。
そのマーガレットを、しばらくじっと見つめていたヘンリーだったが、
「いつまで、逃げるの?」
そう告げた。
その声に、マーガレットは、顔を上げた。
「そうやって、いつまで逃げるつもり?」
マーガレットをじっと見つめるヘンリーの眼は、先ほどとは違って、厳しかった。
核心をつく、その問いかけに、マーガレットは、直ぐには答えられなかった。
「君が、何故、夜会へ来ないのか、ずっと引きこもって暮らしているのか、その理由を僕は、よく知っている。そうせずにはいられない、君の気持ちも、理解できる。だけど、こんなことをいつまで続けるつもりだ?」
「あなたに・・・、なにがわかるというの?他人の・・・あなたに!」
マーガレットの唇は、わなわなと震え出した。
「僕は、この件を、少なくとも、君よりは俯瞰して見ているつもりだ」
「余計な口出しをしないで、帰って!」
「感情的なところは、以前と変わらないね。でも、哀しんでいるより、怒っている方がまだいい。君らしいよ」
「もう、放っておいてちょうだい!」
マーガレットの瞳から、ぽろぽろと、大粒の涙が溢れた。
ヘンリーはポケットからハンカチを取り出して、マーガレットに差し出したが、マーガレットは受け取らなかった。
テーブルに置かれたヘンリーのハンカチには、眼もくれずに、指で涙を拭った。
「僕に、どう八つ当たりをしてもいいよ。だけど、君は、そろそろ、この屋敷に閉じこもることを、やめないといけない。君らしく、人生を、前向きに生きる方法を考えないといけない」
「あなたに、私の気持ちは、わからないわ」
「君の気持ちなら、先日、聞いたよ。君が、姉上や母君のことで、どれほど、自分を責め続けているのか、良く分かった」
「私の気持ちが分かると言うのなら、私をそっとしておいてくれるはずよ。私が、どれだけ、姉を・・・、母を苦しめて、追い詰めたのか。そして、そのことを、私が、どれほど後悔しているのか、後悔しても、後悔しても・・・、もう取り返しがつかないことを、毎日、毎日、思い知らされている私の気持ちを、少しでも理解してくれているのなら、夜会へ誘うだなんて強引なことは、決してしないはずよ」
「君の言う通りだ。君がいくら後悔しても、姉上も、母君も、絶対に帰っては来ない」
非情な、けれども、変えようのない現実を今、はっきり他者から告げられて、マーガレットは動揺した。
ただ感情に溺れ切っていた自分を、諭されたような気がした。
「マーガレット、後悔と贖罪は別物だ」
その正論すぎるほどの正論を、これまで誰も、マーガレットに教えてはくれなかった。
はっきりと告げられたその刹那、マーガレットの目の前に、これまでとは違う視点が生まれたような気がした。
「まずは、日常を取り戻す努力を。そして、日々の暮らしの中で、罪を贖っていくしかない。とても、難しいことだとは思うけれど」
「日々の暮らしの中で・・・」
そう聞かされても、それがどういうことなのか、どう生きるべきなのか、すぐにはわからなかった。
ただ、今のように屋敷に引きこもって、自分を責め続けて暮らすことは、もうこれ以上続けるべきではないのだということに、今、マーガレットははっきりと、気付かされた。
「ひとつ、尋ねてもいい?」
「何?」
「何故、あなたは、そんなことをわざわざ私に、話しに来たの?あなたには、関わりのないことでしょう?私に関われば・・・、きっと面倒なことがたくさんあるわ」
「川に入って死のうとする人を、そのまま放っておけると思う?力になれるなら、力になりたいと思った、それだけだよ」
「あなたは・・・、変わっているわ」
マーガレットは、ぽつりと、呟くように言った。
「僕の屋敷の夜会に、来るね?」
「・・・そんな、勇気がないわ。ご家族は、反対するでしょうし、きっと、みんな好奇の眼で、私を見るでしょう。私を・・・、蔑むでしょう。もし、あなたと一緒にいれば、あなたの名誉にも、傷がつくことになるわ」
「家族は、関係ない。君を招待するのは、僕だ。そして、僕は、他人の評価を気にしない」
「強いのね」
「君も、勇気を持つんだ」
ヘンリーの瞳を見つめ返しながら、こんなにも力強い眼差しを持つ人は、見たことがない、と、マーガレットは、思った。
激しくはないけれど、決して、自分の信念を譲ることのない、この芯の強さには、私などとても敵わないだろうと、心の内で白旗を上げた。
「私、勘違いをしていたわ・・・」
「何を?」
「あなたのこと、温和で優しい人だと思っていたの。でも、とても頑固な人なのね」
「僕が、とんでもなく頑固だと言うことを、僕の周囲で知らない人はいないね」
ようやく、ヘンリーは、微笑んだ。
「夜会に、来るね?」
そのヘンリーの問いに、マーガレットは、小さく頷いた。
「自信はないけれど・・・、あなたの言う通りにしてみます。もしかしたら、お屋敷の中に入った途端、怖気づいてしまって、帰ることになるかもしれないけれど・・・」
「帰さないよ」
真顔で、そう切替されて、どくん、と、マーガレットの心臓が、打った。
夜会からはすぐに帰さないと、ヘンリーはただ、それだけのことを言っただけなのに、何故か、マーガレットの脈は速くなって、頬が赤らんだ。
「夜会を、楽しみにしているよ」
そう言って微笑むヘンリーには、何の屈託もなかった。
鳶色の、優しい瞳をしていた。
ヘンリーが帰った後で、マーガレットは、ヘンリーが、テーブルの上に、ハンカチを置き忘れたままであることに、気づいた。
一点の染みもないその真っ白なハンカチを、マーガレットは、そっと手に取ってみた。
深い、深い闇の中にあるマーガレットの心に、一筋の光が差し込んだような気がした。
差出人は、ヘンリー・モーガンで、十一月の初めにモーガン邸で催される、秋の夜会への招待状だった。
モーガン家の秋の夜会と言えば、アウラでも一、二を争うほどの盛大な催しで、去年、初めて出席したマーガレットは、その豪華さと華やかさに、息を呑み、晩餐会の後の舞踏会を、心行くまで楽しんだ。
けれども、ジョーンズ家を襲った悲劇の後、舞踏会やお茶会などの、上流階級の集いへの招待状が、ジョーンズ家に届くことはなかった。
あのような事件で、世間を騒がせた一家と、関わりを持ちたいなどと思う者が、あるはずもなく、それは、当然と言えば、当然だった。
事件以降、ひっそりと孤立するジョーンズ家だった。
だから、ヘンリーからの招待状に、ティモシーは少々驚いた。
差出人が、父親のパトリックではなく、ヘンリーであることにも、少々違和感を覚えた。
農園の規模の大きさは、モーガン家に敵うはずはなかったが、このアウラで同じ綿花農園経営するパトリックとは、旧知の間柄ではあった。
だから、パトリックからの招待ならばともかく、息子のヘンリーからの招待状には、何故、と首をかしげるばかりだった。
イザベラとエレノアの喪は、既に明けていたが、ティモシーは、とてもその招待を受ける気にはなれなかった。
だから、丁重に断りの手紙を認めた。
それで、その件は終わったつもりだった。
ところが、数日後、ヘンリーから返信が届いた。
手紙には、先日のマーガレットとの経緯が記されていた。
もちろん、ヘンリーは、マーガレットが川に入って自殺しようとしていたなどと、あからさまには、記さなかったが、散歩中のマーガレットと、偶然知り合ったのだが、事件のせいで、随分塞ぎ込んでいるようだ、と。
少々、自分を責めすぎて、自分を見失っているように見える。
若い娘なのだし、将来のある身でもあるのだから、この夜会を機会に、少しずつ前向きになれれば、良いのではないか、と。
モーガン家の夜会に出席されるのであれば、マーガレットが夜会で、辛い思いをしないよう努めると、記されてあった。
その手紙を受け取って、ヘンリーがマーガレットに、関心を示しているということが、ティモシーにはすぐわかった。
マーガレットは、美しい娘だった。
だから、偶然出会ったマーガレットに、ヘンリーが興味を示したとしても、ティモシーは別段驚かなかった。
だが、ヘンリーの招待を受けるかどうかは、随分、迷った。
ヘンリーの言うことも、最もだとは思った。
悲惨な事件を引き起こし、すっかり閉じこもって、塞ぎ込んでいるマーガレットだった。
とはいえ、いつまでも、このままでいいとは思わなかった。
ティモシー自身、マーガレットの軽率な行動が原因で、愛する妻と娘を失って、その心には、癒えない大きな傷を負っていた。
しかし、まだ二十歳にもならない美しい娘が、今回の一件で、自分の将来を台無しにしてしまうことは、不憫でならなかった。
我儘に育ててしまった娘ではあったが、幸せに生きてほしいという、ティモシーの親としての想いは、変わることはなかった。
ヘンリーからの手紙を受け取って、しばらく、どうするべきか、迷っていたティモシーだったが、招待に応じるかどうかは、マーガレットに任せよう、と、判断した。
ティモシーの書斎に呼ばれ、ヘンリー・モーガンから、夜会の招待状が届いていると知らされたマーガレットは、
「招待状?」
思いがけない出来事に、思わずそう問い返した。
「そう、夜会の招待状が届いている。散歩中に偶然知り合ったんだとか?彼からの手紙に書いてあった」
「ええ・・・、そう、そうなの」
まさか、川に入って死のうとしたところを、助けてもらったとは、言えなかった。
「それで、誘いを受けるのかい?」
「まさか!」
「そう言うだろうと思ったよ。お前の気持ちはわかるが、せっかくこうして誘ってくれているのだから、少し考えてみては?」
「お父様・・・、夜会だなんて、私、とても、そんな気持ちにはなれません。ミスター・モーガンが、どういうつもりで、招待状を送って来たのか知りませんが、私、行くつもりはありませんわ。お父様だって、お招きに応じるつもりはないのでしょう?」
「彼が、夜会に招待したいのは、私じゃない」
ティモシーは、ヘンリーから届いた手紙を、マーガレットに差し出した。
マーガレットは、一読して、
「お気持ちは・・・、有り難いですけれど、やはりお受けするつもりはありません」
手紙をティモシーに、返した。
「そうか・・・。お前がそう言うのなら、私は無理にとは言わないよ。確かに、招きに応じれば、辛いこともあるかもしれない。ただ、断りの手紙は、お前が書きなさい」
「私が?」
「実は、私は、この夜会の招待を、一度断っているんだ。それでも、お前のために、わざわざこうして手紙まで書いて、誘ってくれているのだから、お前の方から、気遣ってもらった礼と、丁重に断りの手紙を書いた方がいい」
ティモシーにそう言われれば、確かに、その方が礼儀に適っているだろうと、マーガレットは思った。
だから、では、そのようにしますと、マーガレットは答え、自室に戻ると、直ぐに断りの手紙を記した。
マーガレットはわざと、先日の一件には、一切触れなかった。
助けてくれて、ありがとうございましたとも、話を聞いてくれて、気持ちが落ち着きましたとも、記さなかった。
何故なら、マーガレットは、誰とも、何の関わりも、求めていなかったからだった。
今、マーガレットは、誰かと、関わりを持つことを、極端に恐れていた。
自分と関われば、みんな、不幸せになる、と。
悲惨な事件を引き起こした自分とは、誰も関わりたくなどないはずだ、と。
そう信じていたマーガレットは、気遣ってもらった礼と、体調が優れないため、夜会には出席できないということを、当たり障りのない文章でまとめた。
封をしてから、マーガレットは、ふと、ヘンリーの鳶色の優しい眼差しを、思い出した。
あの人は・・・、水に濡れたままの衣服で、不快に違いなかったはずなのに・・・、私がマーガレット・ジョーンズだと知って、関わりたくなどなかっただろうに、最後まで、黙って話を聞いてくれた。
子どもの様に、泣きじゃくる私の背中をいたわる様に、ずっと擦り続けてくれていた。
優しい人だった・・・。
封筒に記した、宛名の文字を、マーガレットは、そっと指でなぞった。
それで、モーガン家の夜会の件は、すっかり決着がついたと思っていた、ティモシーとマーガレットだった。
だから、それから数日後、十月中旬土曜日の午後、何の前触れもなく、突然、ジョーンズ家を訪れたヘンリーに、ティモシーもマーガレットも、驚き、戸惑ったが、マーガレットとふたりで話をしたいというヘンリーの希望を、ティモシーは、快く受け入れた。
「久しぶり。あれから、どうしているかと、ずっと心配していたんだよ。元気に過ごしている?」
そう言って、ヘンリーの待つ応接間に、姿を現したマーガレットに、ヘンリーは柔らかく微笑みかけた。
ヘンリーは、この前と、随分、印象が違って見えた。
前は、誰もいない緑豊かな場所で、ひとりでゆっくり絵を描くために、スーツを着崩していた上に、マーガレットのせいで、頭の先からつま先まで、ずぶ濡れになって、身だしなみは、最悪といってよかった。
その点、今日は、ネイビーブルーのフロックコートとズボンに、グレーのネクタイとベストをきちんと着込んで、他家を訪れるに相応しい、礼儀正しい恰好の紳士だった。
「あの、ご用件は・・・?」
お茶の支度を済ませた召使が立ち去ると、ヘンリーの向かいに座った、マーガレットは、おずおず、そう尋ねた。
母と姉を亡くしてから、ほぼ一年間、ほとんど引きこもった暮らしで、前回、ヘンリーと初めて会った時のように、感情的になっている時ならばともかく、今日のように、改まって、ということになると、マーガレットは、他人と話すことを、すっかり臆するようになっていた。
「夜会の件で」
「その件なら、先日、お断りの手紙を・・・」
「受け取ったよ。だけど、どうしても、納得できないから、直接、君と話をするために、ここへ来た」
「わざわざお越しいただいて、申し訳ありませんが、お返事しました通り、私、ずっと体調が優れなくて、夜会には出席できませんわ。せっかくですけれど・・・」
「君は、今、こうして、僕と話をしている。どこか、具合が悪いようには見えないよ」
「自宅を訪れたお客様と、少しお話するのと、夜会に出席するのでは、随分、違いますわ。それに・・・、本当は、こんなことを言ってはいけないのでしょうけれど、今、お話させていただいているのも、精一杯ですの。ご用件が済みましたら、どうか、もうお引き取りください」
マーガレットは、俯き加減で、ぼそぼそと、囁くような声で、そう話した。
そのマーガレットを、しばらくじっと見つめていたヘンリーだったが、
「いつまで、逃げるの?」
そう告げた。
その声に、マーガレットは、顔を上げた。
「そうやって、いつまで逃げるつもり?」
マーガレットをじっと見つめるヘンリーの眼は、先ほどとは違って、厳しかった。
核心をつく、その問いかけに、マーガレットは、直ぐには答えられなかった。
「君が、何故、夜会へ来ないのか、ずっと引きこもって暮らしているのか、その理由を僕は、よく知っている。そうせずにはいられない、君の気持ちも、理解できる。だけど、こんなことをいつまで続けるつもりだ?」
「あなたに・・・、なにがわかるというの?他人の・・・あなたに!」
マーガレットの唇は、わなわなと震え出した。
「僕は、この件を、少なくとも、君よりは俯瞰して見ているつもりだ」
「余計な口出しをしないで、帰って!」
「感情的なところは、以前と変わらないね。でも、哀しんでいるより、怒っている方がまだいい。君らしいよ」
「もう、放っておいてちょうだい!」
マーガレットの瞳から、ぽろぽろと、大粒の涙が溢れた。
ヘンリーはポケットからハンカチを取り出して、マーガレットに差し出したが、マーガレットは受け取らなかった。
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「僕に、どう八つ当たりをしてもいいよ。だけど、君は、そろそろ、この屋敷に閉じこもることを、やめないといけない。君らしく、人生を、前向きに生きる方法を考えないといけない」
「あなたに、私の気持ちは、わからないわ」
「君の気持ちなら、先日、聞いたよ。君が、姉上や母君のことで、どれほど、自分を責め続けているのか、良く分かった」
「私の気持ちが分かると言うのなら、私をそっとしておいてくれるはずよ。私が、どれだけ、姉を・・・、母を苦しめて、追い詰めたのか。そして、そのことを、私が、どれほど後悔しているのか、後悔しても、後悔しても・・・、もう取り返しがつかないことを、毎日、毎日、思い知らされている私の気持ちを、少しでも理解してくれているのなら、夜会へ誘うだなんて強引なことは、決してしないはずよ」
「君の言う通りだ。君がいくら後悔しても、姉上も、母君も、絶対に帰っては来ない」
非情な、けれども、変えようのない現実を今、はっきり他者から告げられて、マーガレットは動揺した。
ただ感情に溺れ切っていた自分を、諭されたような気がした。
「マーガレット、後悔と贖罪は別物だ」
その正論すぎるほどの正論を、これまで誰も、マーガレットに教えてはくれなかった。
はっきりと告げられたその刹那、マーガレットの目の前に、これまでとは違う視点が生まれたような気がした。
「まずは、日常を取り戻す努力を。そして、日々の暮らしの中で、罪を贖っていくしかない。とても、難しいことだとは思うけれど」
「日々の暮らしの中で・・・」
そう聞かされても、それがどういうことなのか、どう生きるべきなのか、すぐにはわからなかった。
ただ、今のように屋敷に引きこもって、自分を責め続けて暮らすことは、もうこれ以上続けるべきではないのだということに、今、マーガレットははっきりと、気付かされた。
「ひとつ、尋ねてもいい?」
「何?」
「何故、あなたは、そんなことをわざわざ私に、話しに来たの?あなたには、関わりのないことでしょう?私に関われば・・・、きっと面倒なことがたくさんあるわ」
「川に入って死のうとする人を、そのまま放っておけると思う?力になれるなら、力になりたいと思った、それだけだよ」
「あなたは・・・、変わっているわ」
マーガレットは、ぽつりと、呟くように言った。
「僕の屋敷の夜会に、来るね?」
「・・・そんな、勇気がないわ。ご家族は、反対するでしょうし、きっと、みんな好奇の眼で、私を見るでしょう。私を・・・、蔑むでしょう。もし、あなたと一緒にいれば、あなたの名誉にも、傷がつくことになるわ」
「家族は、関係ない。君を招待するのは、僕だ。そして、僕は、他人の評価を気にしない」
「強いのね」
「君も、勇気を持つんだ」
ヘンリーの瞳を見つめ返しながら、こんなにも力強い眼差しを持つ人は、見たことがない、と、マーガレットは、思った。
激しくはないけれど、決して、自分の信念を譲ることのない、この芯の強さには、私などとても敵わないだろうと、心の内で白旗を上げた。
「私、勘違いをしていたわ・・・」
「何を?」
「あなたのこと、温和で優しい人だと思っていたの。でも、とても頑固な人なのね」
「僕が、とんでもなく頑固だと言うことを、僕の周囲で知らない人はいないね」
ようやく、ヘンリーは、微笑んだ。
「夜会に、来るね?」
そのヘンリーの問いに、マーガレットは、小さく頷いた。
「自信はないけれど・・・、あなたの言う通りにしてみます。もしかしたら、お屋敷の中に入った途端、怖気づいてしまって、帰ることになるかもしれないけれど・・・」
「帰さないよ」
真顔で、そう切替されて、どくん、と、マーガレットの心臓が、打った。
夜会からはすぐに帰さないと、ヘンリーはただ、それだけのことを言っただけなのに、何故か、マーガレットの脈は速くなって、頬が赤らんだ。
「夜会を、楽しみにしているよ」
そう言って微笑むヘンリーには、何の屈託もなかった。
鳶色の、優しい瞳をしていた。
ヘンリーが帰った後で、マーガレットは、ヘンリーが、テーブルの上に、ハンカチを置き忘れたままであることに、気づいた。
一点の染みもないその真っ白なハンカチを、マーガレットは、そっと手に取ってみた。
深い、深い闇の中にあるマーガレットの心に、一筋の光が差し込んだような気がした。
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