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7.I MISS YOU
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九月中旬、アウラの綿花農園は、収穫の時期を迎えていた。
これから一カ月以上かけて、奴隷たちは、広大な綿花畑に実る、真っ白なコットンを、摘み取って行くのだった。
収穫の時期、日の出から日没まで、奴隷たちは、休息の時間さえ惜しんで、ただひたすら綿花を摘み取る。
収穫は、実りの喜びであると同時に、奴隷たちにとっては、過酷な重労働に違いなかった。
綿花で、はちきれそうにいっぱいになった麻袋を、荷馬車に山積みし、毎日、何台も農園から出て行く光景は、この時期、アウラの風物詩だった。
そんな収穫の真っただ中の十月の初め、マーガレット・モーガンは、例年、十一月の初めに、モーガン邸で開かれる夜会の準備に、余念がなかった。
毎年のこととはいえ、アウラの農園主たち、ペンナの街の有力者たちを、一斉に招待する集いに、不手際があってはならなかった。
晩餐会のメニューの選定、招待客たちの人間関係の把握、席順、料理人の手配、宿泊客の部屋の割り当て、晩餐会の後に催される舞踏会で演奏する、楽団の手配、屋敷内のあらゆる場所を華やかに彩る花々や、調度品に装飾・・・、準備しなければことは、枚挙にいとまがなかったが、それらに、マーガレットは細心の注意を払い、指示を出した。
夜会の成功は、モーガン家の名声と権力を、社交界に見せつけることでもあったからだった。
そして、今年のモーガン家の秋の夜会には、例年以上に、マーガレットの気合が入っていた。
何故なら、この秋の夜会に、ペンナの街の富豪、ブラウン家を招待したからだった。
ブラウン家は、ペンナで不動産会社を営んでおり、政治家を輩出する家系でもあった。
そのブラウン家の三女、シャーロット・ブラウンこそ、マーガレットが、モーガン家に・・・、つまりは、ランドルフの妻にと希望する娘だった。
姉二人が、少々遠方に嫁ぎ、ブラウン夫妻は、末娘であるシャーロットを手放す気になれず、シャーロット自身も、両親の元で、気儘で、何不自由ない生活に満足していたせいで、二十歳を超えても、寄せられる縁談に関心を示さなかった。
ところが、シャーロットが、二十三歳という年齢を迎え、これでは、本当に嫁ぎ損ねてしまうかもしれないと、両親は焦り始めた。
そのブラウン夫妻の耳に、ペンナの綿花の大農園主の跡取り息子、ランドルフ・モーガンが、再婚相手を探していると言う噂が、届いた。
それで、四月、マーガレットとブラウン夫妻は直接会って、お互いの感触を、それとなく確かめた。
マーガレットは、ランドルフにできるだけ早く相応しい妻を、と望んでいたし、ブラウン夫妻の方も、本当に娘が嫁ぎ遅れてしまう前にと考えていたので、双方に、少なからず焦りがあった。
そのせいもあって、話は、すぐにまとまり・・・、といっても、親同士の間だけではあったが、段取りを整えて見合いを、という話になった。
そういう訳で、六月には、ブラウン家からお茶会の招待状が届き、・・・もちろんそれは、単なるお茶会ではなく、ランドルフとシャーロットの見合いの場となる予定だった。
ところが困ったことに、ランドルフは、全くの無関心だった。
シャーロットとの見合いの件をきちんと話そうと、マーガレットがランドルフの部屋に向かえば、いつももう外出した後で、帰宅は、夜遅かった。
そのランドルフに、自分の農園を放り出して、毎日、一体どこへ行っているのと詰め寄ったことも、一度や二度ではなかったが、その度にのらりくらりとかわされ、結局、見合いの話が出来ずじまいだった。
業を煮やしたマーガレットが、使用人の一人にこっそりランドルフの後をつけさせ、その行き先が、アンヌの農園だと知ったマーガレットは、当惑し、苛立ち、落胆した。
よりにもよって、あの娘・・・。
正直なところ、ランドルフの行き先が、異性のところではないか、という予感がないわけではなかった。
それは、マーガレットにとって、決して、悪いことではなく、この夏、誰の眼にも、快活なランドルフだったので、そうまで望むのなら、相手の娘に酷い落ち度さえなければ、シャーロットの件は、理由をつけて反故にし、少々の身分差には、目をつぶるつもりでいた。
けれども、アンヌでは、いけなかった。
その高慢な態度は、今や社交界で知らぬものはいなかった。
この夏は、自分の農園のことで手いっぱいだったせいか、上流階級の人々が集まる集いに、めったに顔を出すことはなかったが、四月のモーガン邸での騒ぎも、当事者のジャクリーンやシーラがあらゆる上流階級の集いで、吹聴して回ったため、知らぬものはなかった。
いくらランドルフが、アンヌに好意を抱いていたとしても、アウラの農園主を始めとする社交界の人々から、嫌悪されるアンヌを、マーガレットは、認めるわけにはいかなかったのだった。
八月末、ランドルフに、もうこれ以上、アンヌに会ってはいけないと引導を渡したのは、 アンヌをモーガン家に迎えることが出来ない以上、けじめをつけさせなければならないと、判断したからだった。
恨まれることは、承知の上だった。
憎まれることも、覚悟の上だった。
それでも、ランドルフの将来のため、モーガン家の未来のために、これ以上深入りする前に、ふたりの関係を終わらせなければならなかった。
けれども、アンヌの屋敷を訪れたマーガレットに、あろうことか、アンヌは、ランドルフを農園監督者として雇ったので、その支払いをすると言い、さらには、農園を手伝ってもらった見返りに、ランドルフに迫られて困っているのだと、言い放った。
もし、アンヌが、ランドルフを雇った対価として、中途半端な額の小切手を送りつけて来たなら、即刻、送り返すつもりのマーガレットだったが、アンヌが送りつけて来た小切手の金額は、破格ともいうべき額で、これで異存はないでしょう、というアンヌの澄ました顔が、目に浮かぶようだった。
本当に、何て、底意地の悪い娘。
あれから、一カ月以上が過ぎてはいたが、その時の事を思い出すと、マーガレットは今でも、はらわたの煮えくり返るような気がした。
ランドルフの、一方的な好意であるはずがない。
それは、ふたりの関係に対する、マーガレットの一貫とした見解だった。
そのような卑劣な行いを、ランドルフがするはずがなかった。
マーガレットは息子の性格を、良く知っていた。
つまり、アンヌは、全てをランドルフの一方的な好意だと言い張って、自らの名誉と立場を守ったに違いなかった。
ああ、なんて忌々しい。
しおらしく、涙の一つでも見せれば、少しは可愛げがあるのに。
全く、あの娘と来たら!
でも・・・、と、マーガレットは、思いを巡らせた。
もし、あの娘が、泣き崩れて、ランドルフとは別れたくないと、請い縋ったなら、どうなっていたのだろう。
私は、それでもふたりの間を、引き裂くことができただろうか?
随分、厄介な話になったに違いない。
結果的に、あの娘は、身を引いたのだ・・・。
マーガレットは、沸き上がったその感情を振りきる様に、強く首を振った。
・・・いえいえ、マーガレット、妙な感傷に囚われてはだめよ。
自己中心的なあの娘に限って、そんな思慮があるはずないじゃないの。
マーガレットは、そう思い直した。
それに、ランドルフとあの娘とのことは、終わった話なのだと、言い聞かせた。
この夏、ランドルフとアンヌの間に、何があったにせよ、それはもう過去の話だった。
八月末、玄関ホールで、ランドルフとマーガレットが、激しい言い争いをし、マーガレットがアンヌの屋敷を訪れ、別れを迫った日の翌朝も、アンヌの屋敷を訪れたランドルフだったが、その日以降、ぱったりと、アンヌの農園に、足を運ぶことを止めた。
正直、マーガレットは、そうすんなりと別れ話がまとまるとは、思ってはいなかった。
何故なら、前日、アンヌの屋敷から帰ったマーガレットが、その夜、昼間のアンヌとのやり取りを・・・、つまり、あの娘は、あなたを想ってなどいない、今回の一件は、全てあなたのひとりよがりだと、何度、話して聞かせたところで、作り話は聞きたくない、と、迷惑そうに繰り返す、ランドルフだった。
アンヌが終止符を打とうとしたところで、ランドルフが受け入れないのは、想像に難くなかった。
こじれるかもしれないと、覚悟をしていたマーガレットだった。
ところが、マーガレットの予想に反して、ランドルフは、その日、アンヌの屋敷を訪れて以降、二度と、足を向けなかった。
ふたりの間で、一体どんな話し合いがあったのか、マーガレットとしては大いに気になるところだったが、円満に、二人が別れてさえくれれば、マーガレットは満足だった。
せっかく決着がついた話を、蒸し返したくなかった。
だから、この件については、それ以降、一切、触れなかった。
そうして、九月に入って一週間ほどたった頃、マーガレットはランドルフに、シャーロットとの見合いの話を、切り出した。
ランドルフは、見合い話を、あっさりと受け入れた。
見合いの件は、お母さんに任せるよ、と、言って。
マーガレットは、ようやく話が前へ進み始めたことに、大いに気をよくした。
何としても、ふたりの間をまとめてみせましょうと、意気込んだ。
それで、改めて、ブラウン夫妻と見合いの日程を取り決めようと、手紙をやり取りしたところ、ブラウン夫人からの手紙に、少々気になることが記されていた。
それは、娘の結婚相手としては、何の異存もなく、良縁だとは思っているが、街の賑やかな暮らしに慣れているシャーロットが、アウラのような静かな場所で、農園主の妻が務まるだろうか、という内容だった。
つまり、端的に言えば、ブラウン夫妻の心配は、都会の、便利で洗練された暮らしに慣れている娘が、アウラのような田舎暮らしでは、退屈してしまうのではないか、ということに違いなかった。
マーガレットは、ブラウン夫妻のその不安に対し、確かに、アウラは、ペンナのような街とは違い、綿花畑しかない田舎ではあるけれども、緑豊かな自然に恵まれて、風景の大変美しいところでもあり、四季の移ろいは、長く暮らしていても、見慣れることがありません、と。
農園主の方々との交流も多く、また、ペンナから社交界の方々が邸宅を訪れることもしばしばで、こちらからそれらの方々を訪れることも度々あり、とても時間を持て余すことなどないと言うこと、そして、アウラは、ペンナの街からも、馬車で二時間ほどの距離であるので、街が恋しくなれば、ブラウン夫妻の住む実家を訪ねてもいいし、ペンナにある、モーガン家の別邸に滞在してもいいと、記した。
そして、そう記してから、マーガレットは、あることを、思いついた。
シャーロットとランドルフの出会いの場を、毎年秋に開かれる、モーガン邸の夜会で、ということを。
シャーロットは、モーガン家の権力と財力を、十分にわかっていないのではないか。
マーガレットには、そう思えた。
アウラのような田舎では、街のような、心浮き立つ、煌びやかで華やかな催しなど、あるはずないと、誤解しているのではないか。
マーガレットは、そう考えたのだった。
そのシャーロットの懸念を払拭するために、秋の夜会への招待は、絶好の機会とも思えた。
アウラの農園主たちが、華やかに着飾って一堂に会し、街からは、有数の著名人や権力者を招き、街でも、めったに催されるとは思えない、まるで、宮廷を思わせる、盛大で煌びやかな夜会に、シャーロットが心躍らないはずがない。
それらはきっと、ランドルフとシャーロットの仲を深めてくれるに違いない、マーガレットは、そう思った。
そう思えば、あと一カ月ほどに迫った、十一月初めに催される夜会の準備には、露ほども粗相のないよう、そして、モーガン家の実力を見せつけるためにも、より一層、豪華に煌びやかにと、例年以上に、気合が入るマーガレットだった。
ただ、この一カ月、マーガレットには、気がかりなことがあった。
それは、アンヌと別れてからの、ランドルフの様子だった。
一見、ランドルフに変わった様子は、見受けられなかった。
以前と変わらず、農園主として、真面目に、従兄弟たちと共に農園経営に携わり、農園主たちや、上流階級の人々との交流を、そつなくこなし、いつもと変わらず、朗らかで、親しみやすく、温和だった。
仕事でペンナの街へ赴いた際には、街の別宅に泊まり、友人たちと遊ぶこともあるようだった。
けれども・・・、母親であるマーガレットには、わかった。
この夏の、ランドルフの快活さが、すっかり消えてしまったということが。
それは、まるで、どこかに、心を置き去りにしてしまったようだった。
街で、友人たちと遊んでいたのだとしても、それは楽しんでいるというより、何か、気晴らしを求めているような気がして、ならなかった。
それが、アンヌのせいだということは、間違いなかった。
アンヌを失ったことが、ランドルフの心に、暗い影を落としているのだと言うことは、確かだった。
それ故に、何としても、ランドルフに心からの笑顔を、取り戻させたかった。
シャーロットと新たな恋に落ちれば、過ぎた恋など、どうでもいいように思えるはずだと、マーガレットは、信じた。
そして、実を言えば、もうひとり、マーガレットの気にかかる人物がいた。
それは、夫のヘンリーだった。
ランドルフがアンヌと別れた時期と同じ頃から、ヘンリーの様子も、どうもおかしかった。
どことなく浮かない様子で、窓の外をぼんやり眺めていたかと思うと、深いため息をついて首を振る姿を、このひと月の間に、マーガレットは幾度見かけたことだろうか。
絵筆を手に、長い時間、ボードに向かっているため、何を描いているのだろうと、そっとマーガレットが覗き込めば、ボードは白紙のままで、心はどこかを彷徨ったまま、ということも、一度や二度ではなかった。
マーガレットは、ヘンリーとアンヌとの間にどういった交流があるのかを、具体的に知っているわけではなかった。
けれども、ランドルフがアンヌと決別したのと同じ時期に始まった、このヘンリーの好ましくない変化は、アンヌと何か関係あるのではないか、という勘は働いた。
マーガレットのその勘は、的中していて、二度と屋敷に来てはいけないというアンヌの言葉を、ランドルフから伝え聞いて、すっかり気落ちしていたヘンリーだった。
ヘンリーは、アンヌと、ランドルフの関係が壊れてみて初めて、自分は、アンヌがモーガン家に嫁いできてほしいと、心から願っていたのだと、気づかされた。
美しく気品ある娘と、ランドルフがモーガン家の農園を、幸せそうに歩く日々が、自分の願いだったのだと、気づいた。
ヘンリーは、趣味の水彩画を通じてアンヌと交流するうちに、アンヌが綿花を実らせる大地を心から愛し、また、深く人を思いやることのできる人柄だということを、知った。
アンヌならば、ランドルフと手を取り合って、将来を築いていけるのではないかと、期待していた。
けれども、その願いは・・・、壊れてしまった。
ランドルフと、アンヌの仲が終わって、ふたりへの、自分の期待が、思った以上に強いものだったと、思い知らされていたヘンリーだった。
ランドルフとヘンリーの様子を、間近に見ていたマーガレットは、一層、奮起した。
どんなことをしても、夜会を成功させて、シャーロットを虜にするの。
ランドルフとシャーロットが、親しくなれる、絶好の機会なのだから。
ふたりが、うまくいきさえすれば、ヘンリーだって、喜んでくれる。
きっと、あの浮かない顔も、すっかりどこかへ消え去ってしまうでしょう。
さあ、ここが、力のいれどころよ、マーガレット!
私たちの・・・、モーガン家の未来が、かかっているのだから。
夜会の日が、近づくにつれて、並々ならぬ熱が入るマーガレットだった。
これから一カ月以上かけて、奴隷たちは、広大な綿花畑に実る、真っ白なコットンを、摘み取って行くのだった。
収穫の時期、日の出から日没まで、奴隷たちは、休息の時間さえ惜しんで、ただひたすら綿花を摘み取る。
収穫は、実りの喜びであると同時に、奴隷たちにとっては、過酷な重労働に違いなかった。
綿花で、はちきれそうにいっぱいになった麻袋を、荷馬車に山積みし、毎日、何台も農園から出て行く光景は、この時期、アウラの風物詩だった。
そんな収穫の真っただ中の十月の初め、マーガレット・モーガンは、例年、十一月の初めに、モーガン邸で開かれる夜会の準備に、余念がなかった。
毎年のこととはいえ、アウラの農園主たち、ペンナの街の有力者たちを、一斉に招待する集いに、不手際があってはならなかった。
晩餐会のメニューの選定、招待客たちの人間関係の把握、席順、料理人の手配、宿泊客の部屋の割り当て、晩餐会の後に催される舞踏会で演奏する、楽団の手配、屋敷内のあらゆる場所を華やかに彩る花々や、調度品に装飾・・・、準備しなければことは、枚挙にいとまがなかったが、それらに、マーガレットは細心の注意を払い、指示を出した。
夜会の成功は、モーガン家の名声と権力を、社交界に見せつけることでもあったからだった。
そして、今年のモーガン家の秋の夜会には、例年以上に、マーガレットの気合が入っていた。
何故なら、この秋の夜会に、ペンナの街の富豪、ブラウン家を招待したからだった。
ブラウン家は、ペンナで不動産会社を営んでおり、政治家を輩出する家系でもあった。
そのブラウン家の三女、シャーロット・ブラウンこそ、マーガレットが、モーガン家に・・・、つまりは、ランドルフの妻にと希望する娘だった。
姉二人が、少々遠方に嫁ぎ、ブラウン夫妻は、末娘であるシャーロットを手放す気になれず、シャーロット自身も、両親の元で、気儘で、何不自由ない生活に満足していたせいで、二十歳を超えても、寄せられる縁談に関心を示さなかった。
ところが、シャーロットが、二十三歳という年齢を迎え、これでは、本当に嫁ぎ損ねてしまうかもしれないと、両親は焦り始めた。
そのブラウン夫妻の耳に、ペンナの綿花の大農園主の跡取り息子、ランドルフ・モーガンが、再婚相手を探していると言う噂が、届いた。
それで、四月、マーガレットとブラウン夫妻は直接会って、お互いの感触を、それとなく確かめた。
マーガレットは、ランドルフにできるだけ早く相応しい妻を、と望んでいたし、ブラウン夫妻の方も、本当に娘が嫁ぎ遅れてしまう前にと考えていたので、双方に、少なからず焦りがあった。
そのせいもあって、話は、すぐにまとまり・・・、といっても、親同士の間だけではあったが、段取りを整えて見合いを、という話になった。
そういう訳で、六月には、ブラウン家からお茶会の招待状が届き、・・・もちろんそれは、単なるお茶会ではなく、ランドルフとシャーロットの見合いの場となる予定だった。
ところが困ったことに、ランドルフは、全くの無関心だった。
シャーロットとの見合いの件をきちんと話そうと、マーガレットがランドルフの部屋に向かえば、いつももう外出した後で、帰宅は、夜遅かった。
そのランドルフに、自分の農園を放り出して、毎日、一体どこへ行っているのと詰め寄ったことも、一度や二度ではなかったが、その度にのらりくらりとかわされ、結局、見合いの話が出来ずじまいだった。
業を煮やしたマーガレットが、使用人の一人にこっそりランドルフの後をつけさせ、その行き先が、アンヌの農園だと知ったマーガレットは、当惑し、苛立ち、落胆した。
よりにもよって、あの娘・・・。
正直なところ、ランドルフの行き先が、異性のところではないか、という予感がないわけではなかった。
それは、マーガレットにとって、決して、悪いことではなく、この夏、誰の眼にも、快活なランドルフだったので、そうまで望むのなら、相手の娘に酷い落ち度さえなければ、シャーロットの件は、理由をつけて反故にし、少々の身分差には、目をつぶるつもりでいた。
けれども、アンヌでは、いけなかった。
その高慢な態度は、今や社交界で知らぬものはいなかった。
この夏は、自分の農園のことで手いっぱいだったせいか、上流階級の人々が集まる集いに、めったに顔を出すことはなかったが、四月のモーガン邸での騒ぎも、当事者のジャクリーンやシーラがあらゆる上流階級の集いで、吹聴して回ったため、知らぬものはなかった。
いくらランドルフが、アンヌに好意を抱いていたとしても、アウラの農園主を始めとする社交界の人々から、嫌悪されるアンヌを、マーガレットは、認めるわけにはいかなかったのだった。
八月末、ランドルフに、もうこれ以上、アンヌに会ってはいけないと引導を渡したのは、 アンヌをモーガン家に迎えることが出来ない以上、けじめをつけさせなければならないと、判断したからだった。
恨まれることは、承知の上だった。
憎まれることも、覚悟の上だった。
それでも、ランドルフの将来のため、モーガン家の未来のために、これ以上深入りする前に、ふたりの関係を終わらせなければならなかった。
けれども、アンヌの屋敷を訪れたマーガレットに、あろうことか、アンヌは、ランドルフを農園監督者として雇ったので、その支払いをすると言い、さらには、農園を手伝ってもらった見返りに、ランドルフに迫られて困っているのだと、言い放った。
もし、アンヌが、ランドルフを雇った対価として、中途半端な額の小切手を送りつけて来たなら、即刻、送り返すつもりのマーガレットだったが、アンヌが送りつけて来た小切手の金額は、破格ともいうべき額で、これで異存はないでしょう、というアンヌの澄ました顔が、目に浮かぶようだった。
本当に、何て、底意地の悪い娘。
あれから、一カ月以上が過ぎてはいたが、その時の事を思い出すと、マーガレットは今でも、はらわたの煮えくり返るような気がした。
ランドルフの、一方的な好意であるはずがない。
それは、ふたりの関係に対する、マーガレットの一貫とした見解だった。
そのような卑劣な行いを、ランドルフがするはずがなかった。
マーガレットは息子の性格を、良く知っていた。
つまり、アンヌは、全てをランドルフの一方的な好意だと言い張って、自らの名誉と立場を守ったに違いなかった。
ああ、なんて忌々しい。
しおらしく、涙の一つでも見せれば、少しは可愛げがあるのに。
全く、あの娘と来たら!
でも・・・、と、マーガレットは、思いを巡らせた。
もし、あの娘が、泣き崩れて、ランドルフとは別れたくないと、請い縋ったなら、どうなっていたのだろう。
私は、それでもふたりの間を、引き裂くことができただろうか?
随分、厄介な話になったに違いない。
結果的に、あの娘は、身を引いたのだ・・・。
マーガレットは、沸き上がったその感情を振りきる様に、強く首を振った。
・・・いえいえ、マーガレット、妙な感傷に囚われてはだめよ。
自己中心的なあの娘に限って、そんな思慮があるはずないじゃないの。
マーガレットは、そう思い直した。
それに、ランドルフとあの娘とのことは、終わった話なのだと、言い聞かせた。
この夏、ランドルフとアンヌの間に、何があったにせよ、それはもう過去の話だった。
八月末、玄関ホールで、ランドルフとマーガレットが、激しい言い争いをし、マーガレットがアンヌの屋敷を訪れ、別れを迫った日の翌朝も、アンヌの屋敷を訪れたランドルフだったが、その日以降、ぱったりと、アンヌの農園に、足を運ぶことを止めた。
正直、マーガレットは、そうすんなりと別れ話がまとまるとは、思ってはいなかった。
何故なら、前日、アンヌの屋敷から帰ったマーガレットが、その夜、昼間のアンヌとのやり取りを・・・、つまり、あの娘は、あなたを想ってなどいない、今回の一件は、全てあなたのひとりよがりだと、何度、話して聞かせたところで、作り話は聞きたくない、と、迷惑そうに繰り返す、ランドルフだった。
アンヌが終止符を打とうとしたところで、ランドルフが受け入れないのは、想像に難くなかった。
こじれるかもしれないと、覚悟をしていたマーガレットだった。
ところが、マーガレットの予想に反して、ランドルフは、その日、アンヌの屋敷を訪れて以降、二度と、足を向けなかった。
ふたりの間で、一体どんな話し合いがあったのか、マーガレットとしては大いに気になるところだったが、円満に、二人が別れてさえくれれば、マーガレットは満足だった。
せっかく決着がついた話を、蒸し返したくなかった。
だから、この件については、それ以降、一切、触れなかった。
そうして、九月に入って一週間ほどたった頃、マーガレットはランドルフに、シャーロットとの見合いの話を、切り出した。
ランドルフは、見合い話を、あっさりと受け入れた。
見合いの件は、お母さんに任せるよ、と、言って。
マーガレットは、ようやく話が前へ進み始めたことに、大いに気をよくした。
何としても、ふたりの間をまとめてみせましょうと、意気込んだ。
それで、改めて、ブラウン夫妻と見合いの日程を取り決めようと、手紙をやり取りしたところ、ブラウン夫人からの手紙に、少々気になることが記されていた。
それは、娘の結婚相手としては、何の異存もなく、良縁だとは思っているが、街の賑やかな暮らしに慣れているシャーロットが、アウラのような静かな場所で、農園主の妻が務まるだろうか、という内容だった。
つまり、端的に言えば、ブラウン夫妻の心配は、都会の、便利で洗練された暮らしに慣れている娘が、アウラのような田舎暮らしでは、退屈してしまうのではないか、ということに違いなかった。
マーガレットは、ブラウン夫妻のその不安に対し、確かに、アウラは、ペンナのような街とは違い、綿花畑しかない田舎ではあるけれども、緑豊かな自然に恵まれて、風景の大変美しいところでもあり、四季の移ろいは、長く暮らしていても、見慣れることがありません、と。
農園主の方々との交流も多く、また、ペンナから社交界の方々が邸宅を訪れることもしばしばで、こちらからそれらの方々を訪れることも度々あり、とても時間を持て余すことなどないと言うこと、そして、アウラは、ペンナの街からも、馬車で二時間ほどの距離であるので、街が恋しくなれば、ブラウン夫妻の住む実家を訪ねてもいいし、ペンナにある、モーガン家の別邸に滞在してもいいと、記した。
そして、そう記してから、マーガレットは、あることを、思いついた。
シャーロットとランドルフの出会いの場を、毎年秋に開かれる、モーガン邸の夜会で、ということを。
シャーロットは、モーガン家の権力と財力を、十分にわかっていないのではないか。
マーガレットには、そう思えた。
アウラのような田舎では、街のような、心浮き立つ、煌びやかで華やかな催しなど、あるはずないと、誤解しているのではないか。
マーガレットは、そう考えたのだった。
そのシャーロットの懸念を払拭するために、秋の夜会への招待は、絶好の機会とも思えた。
アウラの農園主たちが、華やかに着飾って一堂に会し、街からは、有数の著名人や権力者を招き、街でも、めったに催されるとは思えない、まるで、宮廷を思わせる、盛大で煌びやかな夜会に、シャーロットが心躍らないはずがない。
それらはきっと、ランドルフとシャーロットの仲を深めてくれるに違いない、マーガレットは、そう思った。
そう思えば、あと一カ月ほどに迫った、十一月初めに催される夜会の準備には、露ほども粗相のないよう、そして、モーガン家の実力を見せつけるためにも、より一層、豪華に煌びやかにと、例年以上に、気合が入るマーガレットだった。
ただ、この一カ月、マーガレットには、気がかりなことがあった。
それは、アンヌと別れてからの、ランドルフの様子だった。
一見、ランドルフに変わった様子は、見受けられなかった。
以前と変わらず、農園主として、真面目に、従兄弟たちと共に農園経営に携わり、農園主たちや、上流階級の人々との交流を、そつなくこなし、いつもと変わらず、朗らかで、親しみやすく、温和だった。
仕事でペンナの街へ赴いた際には、街の別宅に泊まり、友人たちと遊ぶこともあるようだった。
けれども・・・、母親であるマーガレットには、わかった。
この夏の、ランドルフの快活さが、すっかり消えてしまったということが。
それは、まるで、どこかに、心を置き去りにしてしまったようだった。
街で、友人たちと遊んでいたのだとしても、それは楽しんでいるというより、何か、気晴らしを求めているような気がして、ならなかった。
それが、アンヌのせいだということは、間違いなかった。
アンヌを失ったことが、ランドルフの心に、暗い影を落としているのだと言うことは、確かだった。
それ故に、何としても、ランドルフに心からの笑顔を、取り戻させたかった。
シャーロットと新たな恋に落ちれば、過ぎた恋など、どうでもいいように思えるはずだと、マーガレットは、信じた。
そして、実を言えば、もうひとり、マーガレットの気にかかる人物がいた。
それは、夫のヘンリーだった。
ランドルフがアンヌと別れた時期と同じ頃から、ヘンリーの様子も、どうもおかしかった。
どことなく浮かない様子で、窓の外をぼんやり眺めていたかと思うと、深いため息をついて首を振る姿を、このひと月の間に、マーガレットは幾度見かけたことだろうか。
絵筆を手に、長い時間、ボードに向かっているため、何を描いているのだろうと、そっとマーガレットが覗き込めば、ボードは白紙のままで、心はどこかを彷徨ったまま、ということも、一度や二度ではなかった。
マーガレットは、ヘンリーとアンヌとの間にどういった交流があるのかを、具体的に知っているわけではなかった。
けれども、ランドルフがアンヌと決別したのと同じ時期に始まった、このヘンリーの好ましくない変化は、アンヌと何か関係あるのではないか、という勘は働いた。
マーガレットのその勘は、的中していて、二度と屋敷に来てはいけないというアンヌの言葉を、ランドルフから伝え聞いて、すっかり気落ちしていたヘンリーだった。
ヘンリーは、アンヌと、ランドルフの関係が壊れてみて初めて、自分は、アンヌがモーガン家に嫁いできてほしいと、心から願っていたのだと、気づかされた。
美しく気品ある娘と、ランドルフがモーガン家の農園を、幸せそうに歩く日々が、自分の願いだったのだと、気づいた。
ヘンリーは、趣味の水彩画を通じてアンヌと交流するうちに、アンヌが綿花を実らせる大地を心から愛し、また、深く人を思いやることのできる人柄だということを、知った。
アンヌならば、ランドルフと手を取り合って、将来を築いていけるのではないかと、期待していた。
けれども、その願いは・・・、壊れてしまった。
ランドルフと、アンヌの仲が終わって、ふたりへの、自分の期待が、思った以上に強いものだったと、思い知らされていたヘンリーだった。
ランドルフとヘンリーの様子を、間近に見ていたマーガレットは、一層、奮起した。
どんなことをしても、夜会を成功させて、シャーロットを虜にするの。
ランドルフとシャーロットが、親しくなれる、絶好の機会なのだから。
ふたりが、うまくいきさえすれば、ヘンリーだって、喜んでくれる。
きっと、あの浮かない顔も、すっかりどこかへ消え去ってしまうでしょう。
さあ、ここが、力のいれどころよ、マーガレット!
私たちの・・・、モーガン家の未来が、かかっているのだから。
夜会の日が、近づくにつれて、並々ならぬ熱が入るマーガレットだった。
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Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
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※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
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