コットンブーケ

海子

文字の大きさ
上 下
21 / 61
4.恋風

しおりを挟む
 マーガレット・モーガンは、舞い上がっていた。 
思わず、歌を口ずさむほどに。
マーガレットが舞い上がる理由、それは、昨夕届いた、ブラウン家のお茶会への招待状のせいだった。 
もちろん、それは単なるお茶会などではなく、ブラウン家の三女、シャーロット・ブラウンと、モーガン家の嫡男、ランドルフ・モーガンの見合いとなる場だった。 
ああ、うまくいってほしい、うまくいくはず、いいえ、何としてもうまくいかせるの。
そうすれば、来年には、結婚式、またその先には・・・、と、想像が膨らんで、うっとりと、赤子を抱く手つきにまでなってしまったマーガレットだったが、慌てて、気持ちを引き締めた。
まだまだ、始まったばかり。
気を緩めてはだめよ、マーガレット。
結婚、にたどり着くまでは。 
マーガレットは、ブラウン家からの招待状を手に、大理石の廊下を進んだ。
ブラウン家の三女と縁談が持ち上がっているということと、今度、ブラウン家で見合いをするという件を、ランドルフに、どう説明するか一晩ゆっくり考え、考えがまとまったところで、今朝、自ら、ランドルフの部屋へと向かっていたのだった。
勢いよく廊下を行き過ぎる、その気合の籠ったマーガレットの横顔が、部屋のドアを開けたままで、絵筆を握っていたヘンリーの眼に入り、 
「空回りしないといいんだが・・・」 
小さくそっと呟いた。



 勢いづいて、ランドルフの部屋を訪れたマーガレットだったが、ランドルフはそこにはいなかった。 
マーガレットは広い邸宅内を、使用人に尋ねながら探し歩き、ようやく玄関ホールに、ランドルフの姿を認めた。
時刻は、まだ八時前だったが、ランドルフは、既に朝食を済ませて、身支度を整え、ちょうど出かけようとしているところだった。 
「ランディ、どこかへ行くの?」 
玄関ホールへと続く、オープン階段の上から、マーガレットは、そう呼びかけた。
「ああ・・・、ちょっと友達のところへね」 
「まあ、こんな朝方から?ずいぶんと健康的なお友達ね」
「僕に、何か用事?」 
「あなたに、話があるの。本当に、大切なお話。出かける前に、時間をちょうだい」 
大切、の部分を殊更強調したマーガレットだった。 
「話なら、また今度聞くよ。今日は、忙しいんだ。ああ・・・、今日だけじゃなくて、これから少し忙しくなる。ちょっと、手間暇のかかる仕事があるんだ」 
「一体、何の仕事?」 
訝し気な顔つきになる、マーガレットだった。 
まさか、アンヌの農園の手伝いに行くとは、口にできなかった。
ひとりしかいない農園監督者が、昨日、怪我をして、働けなくなって、困っているだろうから、手助けに行くのだなどといえば、騒ぎになるに違いなかった。
「それは、言えない。つまり・・・、男同士の約束だから、喋っちゃいけないことになっている」 
そう言いながらも、ランドルフは、ドアの取っ手に手をかけた。
「待ちなさい、ランディ。あなた、自分の農園は、どうするの?来週の、綿花協会の会合には、参加するんでしょうね?」 
「ああ、綿花協会の方は、イーサンに、頼んである。・・・農園も」
イーサンというのは、同じ農園内に住む、従兄弟だった。
ランドルフの従兄弟イーサンは、事情をよく理解してくれた。 
ランドルフは従兄弟でもあり、親友でもあるイーサンには、アンヌのことも話した。
もちろん、イーサンは、それらが全て、伯母マーガレットには内緒だと言うことも、ちゃんと理解していた。
「頼んであるって・・・、この農園の責任者は、あなたなのよ!自分の農園を放っておいてまでする仕事って、一体何なの!言いなさい、ランディ、勝手は許しません!」 
と、マーガレットは、ランディの立つ玄関ホールへと、オープン階段を降りて来る。
「ああ、もうこんな時間だ、僕、もう行かないと。お母さん、それじゃあ、また」
と、ランドルフは急いで、玄関のドアを開ける。
「待ちなさい、ランディ!」 
マーガレットが、まだ階段を降り切らないうちに、ランドルフの姿は、マーガレットの視界から消えていた。 



 素っ気なくあしらっておけば、そのうち、自分の農園には足を向けなくなるだろうというアンヌの予想は、大きく外れることになった。
オーウェンが怪我をした翌朝、アンヌの屋敷を訪れたランドルフは、いつもの応接間へ案内されると、オーウェンが動くことが出来るようになるまで、僕が君の農園の監督をするよ、と、提案をした。 
「朝から、くだらない冗談は聞きたくありません。どうぞ、お引き取りください」 
アンヌは、そのランドルフの提案を一蹴した。
「冗談を言っているわけじゃない。農園を管理する者がいなくて、君はどうやって、農園をやっていくつもり?奴隷に任せきりにすることは、できないだろう。君だって、農園を離れて、ペンナの街へ行かなくてはいけないこともある」
そう言われると、ランドルフの言う通りで、返す言葉がないアンヌだった。 



 昨夜、アンヌの指示で、医者を連れてくるため、奴隷のひとりが、ペンナの街へと向かった。 
その使いの者が、馬車を走らせて、ペンナの街についた頃には、宵の口で、もうとっくに診療を終えていた医者は、自宅で既にほろ酔いだった。
けれども、事情を聞いた医者は、支払いの良さもあったには違いないが、酔いを覚ますために、水をたらふく飲んだ後、使いの者が手綱を握る馬車に乗って、アンヌの農園まで来てくれた。 
その中年の、でっぷりと腹の出た、いかにも酒を好みそうな赤ら顔の医者は、オーウェンのひどく腫れた腰の患部を診た後、随分酷く打ったようだから、痛みが治まるまで、二カ月程度はかかると思うが、痛みが治まるまでは、無理は禁物、絶対安静だと言った。
同じような症例をいくつか知っているが、こういった場合、痛みがある間に無理をすると、この先ずっと、腰に不調を抱えたままになるかもしれないと、忠告した。
そして、どうやら医療器具の考案者でもあるらしい医者は、近頃、自分が生み出した、腰を固定する石膏の医療器具があるから、明日にでも届けさせようと、言った。 
そして、もうすっかり夜は更けていたが、再び、奴隷が手綱を握る馬車に乗り、二時間をかけてペンナの街へと帰って行った。 



 オーウェンが、これから二カ月、絶対安静という事実は、アンヌにとって、大きな痛手だった。
医者は、二カ月の絶対安静を命じたが、では、二カ月を過ぎれば、すぐもとのように働けるかといえば、そうではなく、腰の様子を見ながら、少しずつということになるはずだった。 
ということは、今季、オーウェンは農園で働くことが、出来ないかもしれないという判断をする必要があり、つまり今年は、農園に、農園監督者が不在、ということになった。
奴隷に農園を任せきりにすることなどできるはずはなく、結局、アンヌが、農園に出て、奴隷たちを働かせ、農園の管理をする必要があった。
農園主がひとりというアンヌの農園では、通常の業務だけでも、アンヌは手いっぱいだった。 
救いは、アンソニーがいてくれることで、いくらか経営の方は、任せられることができたが、それでも、アンヌの負担は、限りなく増えた。 
新しい農園監督者を探すと言っても、どこの農園でも、綿花栽培の真っ最中で、この時期に、アンヌの農園へ来てくれる者がいるとも思えなかった。 
アンヌは、綿花の収穫まで、無休を覚悟した。 
無休であっても、どうあっても、乗り越えるしかない。
試練を、乗り越えるしかない。 
失敗はできない。
全ては、わたくしの肩にかかっているのだから。 
農園の、みなの暮らしがかかっているのだから。 
眠りの浅い夜を過ごした、アンヌだった。 
そうして一夜明け、おはよう、と昨日と変わらない爽やかな表情で、アンヌの農園へとやってきたランドルフは、今日から、君の農園で働くよと、切り出したのだった。



 「自分で言うのも照れ臭いけど、僕は、中々優秀だと思うよ。何せ、生まれてから三十年間、綿花の農園で暮らしている。綿花の農園主とはいえ、経営の知識ばかりで、綿花栽培に、全く知識がないというのは、よく聞く話だけど、その点、僕は、綿花栽培を知り尽くしている。今はもう半分引退したようなものだけれど、ああ見えて父は、家業には厳しい人だったんだ。父の方針で、跡継ぎには、跡を継ぐまで、徹底的に畑で仕事をさせる。朝早くから、土にまみれて畑仕事をしていたその当時は、昼近くに起きて、趣味や交遊に時間を割く友人たちが羨ましくて、随分父を恨めしく思ったものだけど、今となっては、心から感謝しているよ」 
「あなたの自己紹介は、もうたくさんです。第一、こんなことを、あなたのお母様が、許すはずはないでしょう。もし、マーガレット様の耳に入ったら、どうするのですか?」 
「その時は、その時だよ。事情を話せばいい」 
「それで、あなたのお母様が、納得するとは思いません」
「母が納得してもしなくても、関係ない。僕の判断で、決めたことだ。モーガン家の農園には、頼りになる従兄弟たちがいる。僕がいなくなることで、負担はかかることになるけれど、特別何か大きな問題起こらない限り、大丈夫だ。僕たちは、必要な時に協力し合える良き隣人なんだろう、アンヌ?だったら、今がその時だ。さあ、話している時間がもったいない。とにかく、今から、オーウェンに話を聞きに行こう。まずは、君の農園の状況を、把握しないと。ところで、オーウェンの腰の具合はどう?昨夜、ペンナから医者が来たんだろう・・・」 
と、ランドルフはオーウェンの住む建物へと、アンヌを誘いつつ、歩き出した。 
オーウェンが治るまでの間、ランドルフがいてくれるということは、アンヌとアンヌの農園にとって、随分、心強いことに違いなかった。 
けれども、マーガレットや、上流階級の人々の耳に入れば、また、非難を浴びると思えば、素直に喜ぶことは出来なかった。
アンヌ自身が、陰口を叩かれることにはもう慣れていたが、それが、ランドルフにも及ぶのかと思えば、心穏やかではいられなかった。
「ほら、アンヌ、行くよ」 
ランドルフは、躊躇うアンヌを、急かせた。
その態度には、アンヌの返答がどうであれ、譲らないランドルフの決心が見て取れた。
不承不承、アンヌは、ランドルフの後に続いた。 
  
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

巨根王宮騎士の妻となりまして

天災
恋愛
 巨根王宮騎士の妻となりまして

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

王女の朝の身支度

sleepingangel02
恋愛
政略結婚で愛のない夫婦。夫の国王は,何人もの側室がいて,王女はないがしろ。それどころか,王女担当まで用意する始末。さて,その行方は?

別に要りませんけど?

ユウキ
恋愛
「お前を愛することは無い!」 そう言ったのは、今日結婚して私の夫となったネイサンだ。夫婦の寝室、これから初夜をという時に投げつけられた言葉に、私は素直に返事をした。 「……別に要りませんけど?」 ※Rに触れる様な部分は有りませんが、情事を指す言葉が出ますので念のため。 ※なろうでも掲載中

【R18】私はお父さんの性処理係

神通百力
恋愛
麗華は寝ていたが、誰かが乳房を揉んでいることに気付き、ゆっくりと目を開けた。父親が鼻息を荒くし、麗華の乳房を揉んでいた。父親は麗華が起きたことに気付くと、ズボンとパンティーを脱がし、オマンコを広げるように命令した。稲凪七衣名義でノクターンノベルズにも投稿しています。

【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?

碧桜 汐香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。 まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。 様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。 第二王子?いりませんわ。 第一王子?もっといりませんわ。 第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は? 彼女の存在意義とは? 別サイト様にも掲載しております

【完結】どうして殺されたのですか?貴方達の愛はもう要りません  

たろ
恋愛
処刑されたエリーゼ。 何もしていないのに冤罪で…… 死んだと思ったら6歳に戻った。 さっき処刑されたばかりなので、悔しさも怖さも痛さも残ったまま巻き戻った。 絶対に許さない! 今更わたしに優しくしても遅い! 恨みしかない、父親と殿下! 絶対に復讐してやる! ★設定はかなりゆるめです ★あまりシリアスではありません ★よくある話を書いてみたかったんです!!

何も出来ない妻なので

cyaru
恋愛
王族の護衛騎士エリオナル様と結婚をして8年目。 お義母様を葬送したわたくしは、伯爵家を出ていきます。 「何も出来なくて申し訳ありませんでした」 短い手紙と離縁書を唯一頂いたオルゴールと共に置いて。 ※そりゃ離縁してくれ言われるわぃ!っと夫に腹の立つ記述があります。 ※チョロインではないので、花畑なお話希望の方は閉じてください ※作者の勝手な設定の為こうではないか、あぁではないかと言う一般的な物とは似て非なると考えて下さい ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。  史実などに基づいたものではない事をご理解ください。 ※作者都合のご都合主義、創作の話です。至って真面目に書いています。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

処理中です...