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1.ミス・クレマン

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 「こんなことを言っては、陰口の様かもしれませんけど、聖マティス教会も、牧師様が変わってからは、本当に、何だか、格式を失ったようですわ」 
ジャクリーンは、扇をせわしなく開いたり閉じたりしながら、かれこれゆうに二十分は、教会への苦言を続けていた。



 四月末、週に一度は催される、マーガレット・モーガンのお茶会に出席した、ジャクリーン・テイラーの近頃の一番の不満は、自分たちの信仰する教会の牧師が、前の年に変わってから、その格式が落ちたというものだった。 
「近頃は、いかがわしい職業の者や、素性の定かではない者も、酷い時には、本当に信者かどうかわからない人でも、結婚式や葬儀を、執り行うと言うんですからね」 
二十分以上続く、ジャクリーン・テイラーの教会への不満に、ゲストルームに集う、同年代の他の三人の夫人は、少々、疲れを覚えてはいたものの、調和の重要性を優先して、決してそう口には出さなかった。
それでも、フォルティスからの移民の流れを汲むジャクリーンと、マーガレットと、義妹のレイチェルは、同じ宗派に属し、マーガレットとレイチェルは、別の教会の信徒であったため、今のところ直接の影響はなかったが、これから、身内に起こるであろう誕生、結婚、葬儀の際のことを思うと、そう言った不評のある教会はやはり避けるべきで、そうそう無関心でいられないのは事実だった。
そういう意味では、集まった夫人の中で、綿花豪商の妻、シーラ・ドハティだけが、別の宗派で、ジャクリーンの話は直接関係なかった。 
けれども、上流階級の紳士や淑女の集まる社交界の場で、どんな会話にでも、
「そのお話なら、私、とてもよく知っていてよ」
と、知ったようなそぶりで入り込むシーラにとっては、どのようなささいな話でも耳に入れておくべきで、直接関係はないものの、ジャクリーンの話にしっかり耳を傾けていた。 
ただ、無類の甘党で、顎に贅肉の揺れるほどのシーラだったので、シーラのためにマーガレットが用意した、テーブルに並ぶ数種類のお菓子をメイドに取らせ、フォークを入れる手は、止めようとはしなかったため、会話には加わらず、専ら、ジャクリーンの話をきくばかりだったけれども。 



 ジャクリーンが、こうも聖マティス教会に対する苦言を呈するのは、近々、聖マティス教会で息子の結婚式を、予定していたからだった。
最も、街には同じ宗派の教会が他にもいくつかあったので、どうしてもその教会が気に入らなければ、モーガン家が信徒となっている同じ宗派の別の教会でもよかったのだが、それなりに由緒ある教会だと言うこと、テイラー家と教会とのこれまでの長い関わりを考えると、すぐに別の教会に移ると言うのも、なかなか難しかった。 
「でも、牧師様も、そのように節度のないことをすれば、信徒の不信を買うことはわかっているでしょうにね」
聞き上手で、場をまとめる能力に長けているため、こういった集いには重宝されるレイチェルが、そう言った。
「要は、お金ですよ、お金」 
「まあ、そんなことが・・・」 
「お金を積めば、何でもしてくれる教会だっていう、噂でもちきりよ。今の牧師様に代わってから、ずいぶんと教会の金庫は、潤ったそうだわ。牧師様の生活も、前の牧師様に比べて、とても派手なようだし。来年あたりには、大規模な教会の改装を予定しているのだそうよ」 
「教会がきれいになることは、いいことだと思うけれど・・・」 
「節操がなさすぎですよ。先日は、お腹に子供のいる娘の挙式が、あったとか」
「まあ、なんてこと」 
と、ジャクリーンとレイチェルの会話に口を挟んだのは、マーガレットだった。 
「あなたもそう思うでしょう、マーガレット。お腹の大きい娘の結婚式だなんて、なんて破廉恥な」 
「もし、あなたのいうようなことが、本当にあるのだとしたら、それは聖マティス教会だけの問題ではありませんよ。信徒一同の問題です。もし、今度、そのようなことがあったら、言ってちょうだい、ジャクリーン。私も聖マティス教会を糾弾します。そんなことが、許されていいはずがありません」
正義感が強く、こうと思えば真っすぐに突き進む、マーガレットらしい言葉だった。
社交界の中心人物、マーガレットの同調を得て、ジャクリーンは、ようやく少々気が収まったようだった。



 話がひと段落したところで、マーガレットは、一番端の席に座って、四人の夫人の会話に入るそぶりもなく、無表情ともとれる面持ちで、黙って、時折、お茶を口に運ぶアンヌにちらりと眼をやった。
アンヌは、そのすらりと引き締まった身体を深紅のドレスに身を包み、背筋を伸ばして、隙のない様子で、椅子に座っていた。
全く、ベアトリスときたら、一体何を考えているのかしら。
マーガレットは、四十年来の親友である、ベアトリス・アンダーソンの顔を、脳裏に思い浮かべた。



 今日、モーガン邸でのお茶会にアンヌが出席をしているのは、決して、マーガレットが招いたからではなかった。 
つい先日、モーガン邸にベアトリス・アンダーソンからの、手紙が届けられた。 
そこには、次のモーガン邸のお茶会に、アンヌを招待してほしい、そう記されてあった。 
その手紙に眼を通した時、マーガレットは、何て、ベアトリスは厄介な頼みごとをするのだろう、正直、そう思った。
社交界での、アンヌの評判を、ベアトリスが知らないはずはなかった。
貴族の令嬢だか何だか知らないが、いつも澄ました顔で、気位の高い物言いをし、他の農園主たちに対しても、へりくだるということを知らない。
女でありなから、自分の農園を経営し、時には、奴隷に交じって、畑仕事まで手伝うという。 
必要以上に、奴隷に同情的で手厚く、アウラの農園主としての立場や品格を、貶めるような行いを改めない。
アンヌに対するそういった不評を知らないはずはないのに、何故、ベアトリスがアンヌを庇護するのか、そしてアンヌのプランテーション経営に協力するのかが、マーガレットには不思議だった。
そして、ベアトリスからの手紙に眼を通したマーガレットは、厄介な頼まれごとをしてしまった、と気が重くなった。 
さりとて、四十年来の親友の頼みを断れるほど、薄情でもなかった。 



 一方、アンヌの方も、ベアトリスから手紙を受け取った。 
そこには、やはり、次のモーガン邸でのお茶会に出席するようにと、記されてあった。
そして、アウラで、農園主としてやっていくのなら、他の農園主たちとの交流も大切にしなさいと、諭すような趣旨の文面が、書かれていた。
輪を持つ。 
これは、アンヌにとって、難題だった。 
ラングラン公爵令嬢、ミラージュの実力者として、必要な能力は、指導力、統率力であり、協調性ではなかったのだから。
「あなたも・・・、せっかくだから、こちらで話さない?」 
見計らったように、気を回したレイチェルが、アンヌにそう声をかけた。 
一同の視線が一斉に、アンヌに注がれる。
「いえ、わたくしは・・・、皆さまとは、宗派が違いますから」 
「そう言わずに、若い方の意見も伺いたいわ、ねえ、みなさん」 
と、取りなすようなレイチェルに、
「確かに、こういう機会でもなければ、伺うこともないでしょう。今の話を聞いて、ミス・クレマンは、聖マティス教会をどうお思い?」 
ベアトリスから頼まれている以上、アンヌのことをそう邪険にもできなかったので、マーガレットはそう言って、会話の中へ誘った。 
一同はみな、アンヌがどのように答えるのか、興味津々の体だった。 
「わたくしは・・・、教会は、どのような宗派であっても、神の教えを正しく説き、信徒を正しく導き、悪から遠ざける必要があると思います。ですから、今のお話のような、欲に眼がくらんだ牧師は、言語道断でしょう」 
そのアンヌの答えに、一同は、気をよくした。 
だが、アンヌの話は、それで終わらなかった。
「ですが、もし、子供を宿した若い娘が、伴侶と共に、教会の門をたたき、自らの軽率さを悔い、罪を悔い改めるのであれば、許しを与えるべきではないかと思います」
「何ですって?」 
ジャクリーンの顔が、みるみるうちに強張った。 
不穏な空気に、シーラ・ドハティの、菓子を口に運ぶフォークも止まった。 
「あなたは、結婚前に身ごもった娘が、教会で式を挙げることを、認めると言うの?」
「わたくしは、この件についての意見を求められたので、答えたまでです。わたくしたちは、みな罪人です。そして、みな神の許しを得ています。身ごもった娘だけが、許されないはずはありません」 
「あなた、頭がどうかしているわ」 
「他人の意見を受けいれずに、相手を非難する方が、寛容さに欠けているのです」 
アンヌの意見は一応の筋が通っているだけに、余計にジャクリーンの神経に障った。 
白いハンカチで口元を拭いながら、年長者としての威厳を作るためか、アンヌに劣らない風格を纏おうとするせいか、こほんと、ひとつ咳をしてから、いつもよりいささか高い声で、すかさず、シーラが加勢して来た。
「今の発言は、あなたが間違っていると思います。あなたがそれなりの身分の貴婦人なら、当然、あなたのお母様に、結婚前の娘が、そういった関係を持つということは、あってはならないことだと教わるでしょう。結婚式で、神の祝福を受ける前に、子供を宿すなどということは、恐ろしい罪だと教わるでしょう。あなたの意見が、正しいというのなら、お母様が間違っているということになるわ、いかが?」 
「あなたのお母様は、このような集いの時に、床やお口の周りを汚しながら、お菓子を口にすることが恥ずかしいことだとは、教えなかったのですね」 
アンヌは、シーラの方を見ようともせずに、ぴしゃりと言い切った。 
不当な攻撃を受ければ、決して屈しない、譲らない気性のアンヌだった。
「あなた・・・!」 
シーラは、顔を真っ赤にして、思わず椅子から立ち上がった。 
「シーラ、落ち着いて。ミス・クレマンも、少し言葉が過ぎますよ」 
レイチェルが、取りなした。 
「いいえ、レイチェル、この人には、みんな気分を悪くしているのよ。いい機会だから、はっきり言っておくわ」 
ジャクリーンも椅子から立ち上がって、アンヌの前に、立ちはだかった。 
「ジャクリーン・・・」
と、マーガレットも取りなしかけたが、無駄だった。
「貴族の出身か何か知らないけれど、あなたは、アウラでは新参者なのよ。もう少し、私たちに敬意を払ったらどうかしら?あなたのしていることは、私たち農園主の品格と地位を、落としめることばかり。奴隷と一緒に畑仕事をしたり、必要以上に奴隷の肩を持ったり。つい先日も、奴隷女を庇ったそうじゃないの。しかも、アンダーソン家から、その奴隷女を譲り受けたんですって。差し出がましいほどにも、ほどがあるわ」 
「敬意というものは、払うべき方に払うものだと、教わっています」
激昂するジャクリーンに対して、アンヌは、座ったまま静かな声音で言った。
「つまり、私たちには、敬意を払えないと言う訳ね」 
ジャクリーンの手は、怒りに震えていた。 
「なんて人・・・」 
シーラが、苦々しげに呟いた。 



 そもそも、ジャクリーンとシーラは、アンヌに対して、劣等感があった。
ジャクリーンは、三百エーカーを所有する綿花農園の夫人ではあったものの、農園主たちの中では、その規模は小さい方だった。 
そのことに、いつも心のどこかで気後れをしていたジャクリーンだった。 
それなのに、自分より劣る規模の農園主であるアンヌが、常に気位の高い物言いで、堂々としていることが、最初から気に入らかかった。
そして、シーラ・ドハティは、その人並外れた食欲のせいで、若いころから緩んだ体型で、頬には、おしろいでは隠し切れないそばかすが、たくさんあった。
アンヌの人を惹きつける、深い緑色の瞳と、知的な容貌、そして、無駄な贅肉などひとかけらもない容姿は、どれほどシーラが望んだところで、手に入れることの出来ないものだった。 
それ故に、一旦、こういった言い争いになれば、ジャクリーンも、シーラも、日頃のそう言った感情が抑えられなくなって、酷い事態になった。 
「あなたが、わたくしに、敬意を要求とするのなら、わたくしが、奴隷の女を引き受けた経緯を、十分に理解したらいかがでしょう。そうしたら、わたくしは、あなたに、敬意を示しましょう。でも、あなたがもし、その経緯を十分に理解することが出来たのなら、あなたの方が、わたくしに敬意を表すはずです」
「何ですって、この・・・!」 
ジャクリーンは、持っていた扇を、アンヌのドレスに投げつけた。
アンヌは、逃げなかった。
ただ、その深い緑色の瞳で、じっと、ジャクリーンを見据えた。 
「もう、よろしい!」 
ついに耐えかねて、声を上げたのは、マーガレットだった。 
「この場は、一旦私が預かります。ミス・クレマン、どうぞ、今すぐこの部屋から、退出くださいな」 
非難と敵意の籠った皆の眼が、一斉に、アンヌに向く。 
「少なくとも、この酷い諍いの一因は、あなたです。その点を、あなたは深く反省するべきです」 
アンヌは、答えなかった。
「ミス・クレマン。あなたはしばらく、この屋敷に出入り禁止です」 
マーガレットは、毅然と、そう告げた。
 
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