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1.ミス・クレマン
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「あなたがどう言おうが、何と思おうが、私は絶対、来年までに、ランディと、ミス・ブラウンを結婚させます。よろしいですわね?」
そう言いながら、五十七歳になる、マーガレット・モーガンは、その焦げ茶色の瞳を、かっと見開きながら、その幾分ふくよかな体格で、五歳年上の夫、ヘンリー・モーガンに詰め寄った。
四月中旬の午後、アンダーソン家の大邸宅に引けを取らないモーガン邸の、一番日当たりのいい部屋で、イーゼルに画板を置き、絵に色をのせながら、妻の雑談とも苦情ともとれる話に、いつものように耳を傾けていたヘンリーは、そのマーガレットの迫力に、さすがに、絵筆を止めた。
「私は何も、反対はしていないよ、マギー。ただ、ランディの気持ちを一度、きちんと確かめた方がいいんじゃないかと、言っただけだ」
小柄なヘンリーは、妻マーガレットの勢いの前に、少々押され気味だった。
「あなたが、そんな悠長なことを仰っているからいけないんです。あの子が、いくつになったがご存じでしょう」
「三十だったかな」
「三十歳!」
嘆きを含んだ声でそう言った後、マーガレットは、ため息をもらした。
「モーガン家の跡取りが、三十歳にもなって、妻子がない。これを由々しき事態だとは、思いませんの?」
「マギー、ランディは、結婚しなかったわけじゃない」
「もちろん、わかっていますわ」
マーガレットは、肩で息をついた。
当然、マーガレットはそれをよくわかっていた。
ランドルフが、七年前、フローレンスと幸せな結婚をしたということを。
そして、五年前に死別したと言うことを。
ランドルフの受けた苦痛は、計り知れなかった。
フローレンスが亡くなって、絶望の淵に追いやられた、最愛の息子の姿を思い出すのは、マーガレットにとって、この上なく辛いものだった。
「わかっているからこそ・・・、私も何も言わずにきたんじゃありませんか」
マーガレットは、呟くように、そう言った。
七百エーカーに及ぶモーガン家の綿花プランテーションには、ヘンリー一家と、ヘンリーの弟トーマスの一家が住み、その広大な農園を経営していた。
ヘンリーとマーガレットの間には、ランドルフという一人息子がいた。
トーマスとその妻レイチェルの間には、二十代になる二人の男の子と、ひとりの娘がいたのだが、いずれも結婚し、農園内に屋敷を持って、暮らしていた。
孫は、すでに四人いて、夏には五人目の孫が生まれて来る予定だった。
ヘンリー一家と、トーマス一家の関係は、すこぶる良好で、同じ農園内に住む従兄弟たちとランドルフは、兄弟のように育ち、大人になった今も、かけがえのない家族で、親友だった。
トーマスとレイチェル、そして、その子供たちは、温厚で平和主義だった。
だから、自分たち一家が、どれほど数で兄の一家をしのぎ、勢いづいていたとしても、兄一家をないがしろにはしなかった。
兄一家をモーガン家の長として、立てて来た。
だからといって、マーガレットが、何も感じていないかといえば、そうではなかった。
トーマス一家が、あれよあれよと子孫を増やしていくのに引き換え、自分たちには、配偶者を失った、失意のランドルフがいるだけだった。
レイチェルが、よちよち歩きの孫と一緒に、邸宅にやって来た時や、農園内を散歩しているのに出会った時、何でもない風を装ってはいるものの、羨ましいという気持ちは、どうにも、抑えようがなかった。
しかし、それよりも何よりも、このままでは、自分たち亡き後、ランドルフは、独り身のまま、この農園でひっそりと生涯を終えてしまう。
いずれ立場は逆転し、この広大なプランテーションをトーマス一家が主軸となって運営し、年老いたランドルフは、肩身の狭い思いをしなくてはならないかもしれない。
それは、マーガレットにとって、悪夢だった。
そんな事態は、何が何でも避けなければならなかった。
これまでは、最愛の妻を亡くしたランドルフの心中を慮って、あれこれ差し出がましいことを言うのを控えて来た、マーガレットだった。
けれども、自分が歳を重ね、ランドルフも三十歳を迎えると、次第に焦りを覚えるようになってきた。
ヘンリーは、本来が、鷹揚な性格だったため、なるようにしかならない、と、そういったことをあまり気には留めてはなかった。
このままでは、いけない。
母親の私が、なんとかしなくては。
マーガレットは、奮起する決意をした。
ランドルフは、マーガレットが二十歳で結婚をし、結婚七年を経てようやく生まれた、待望の男の子だった。
明るく優しい性格で、誰からも愛されるランドルフだった。
一度、深い絶望を味わったランドルフを、今度こそ、幸せにしてやりたかった。
マーガレットは、この半年というもの、その社交術を駆使し、上流階級の者が集まる様々な集いで、ランドルフに似合いの娘を探した。
そして、この娘ならと見つけ出したのが、ペンナで不動産会社を経営するブラウン家の三女、シャーロット・ブラウン、二十三歳だった。
シャーロットは、まずまずの器量良しで、明るい性格から、それまでにも数多くの縁談が寄せられていたのだが、本人が、親元にいて、何不自由ない暮らしを楽しみたいという理由で、縁談を断り続けていた。
両親も、上のふたりの娘が嫁ぎ、残った末娘のシャーロットを、可愛さのあまり、中々手放せなかった。
しかし、シャーロットが二十三という年齢を迎え、これでは、本当に娘が嫁ぎ損ねてしまうと焦りだした両親が、相手を探していたところだった。
シャーロットの両親と、マーガレットに、異存はなかった。
あとは、段取りを整えて、見合いをし、当人同士さえうまくいってくれれば、話は順調に進んでいくはずだった。
そして、息子ランドルフの縁談から、少々、蚊帳の外にいたヘンリ―に、マーガレットが逸る気持ちを抑えられずに、顛末を話しに行ったところ、大切な一人息子の縁談話だと言うのに、絵筆を止めようともせず、あまり気乗りしない様子で、一度、ランドルフの気持ちを確かめた方がいいのでは、そう、告げたのだった。
せっかくの話に、水を差されたような気分になったマーガレットだった。
それで、思わず、
「あなたがどう言おうが、何と思おうが、私は絶対、来年中に、ランディと、ミス・ブラウンを結婚させます。よろしいですわね?」
ヘンリーに向かって、そう詰め寄ったのだった。
「まあ・・・、君の言うように、確かに、いい機会かもしれないがね」
ヘンリーは、ようやく絵筆を絵具箱に、そっと置いた。
「ようやくその気になってくださった?」
思わず、マーガレットの顔がほころぶ。
「あまり、最初から何事も決めつけない方がいい。ランディの気持ちを尋ねてから、準備を進めて・・・」
マーガレットは、ヘンリーに最後まで話をさせなかった。
「いいえ、私は、この件に関して、もう、待ったりしません。私はただ、母親として、子供を幸せにしたいだけです。ランディも優しい性格ですし、相手のお嬢さんも、美しくて明るい性格だと聞くので、会う機会さえ設ければ、きっと、うまく行くはずです。あなたもどうか、そのおつもりでいてください」
猪突猛進。
思わず、そんな言葉が、ヘンリーの頭に浮かんだ。
けれども、結婚生活も三十八年を迎えると、そんなマーガレットの性格は熟知していて、別段、驚くことでもなかった。
「失礼します」
そこへ、経理を任せているアンソニー・ヒューズが、入って来た。
「旦那様、旦那様と、ランドルフ様に、少し、確認していただきたい資料がございまして。今、少し、お時間を頂戴してもよろしいですか」
「もちろんだ。では、マギー、私はこれで失礼するよ」
「ちょっと、あなた、まだ、話が・・・」
マーガレットが、何か言いだすのも構わずに、ヘンリーは部屋を離れた。
そう言いながら、五十七歳になる、マーガレット・モーガンは、その焦げ茶色の瞳を、かっと見開きながら、その幾分ふくよかな体格で、五歳年上の夫、ヘンリー・モーガンに詰め寄った。
四月中旬の午後、アンダーソン家の大邸宅に引けを取らないモーガン邸の、一番日当たりのいい部屋で、イーゼルに画板を置き、絵に色をのせながら、妻の雑談とも苦情ともとれる話に、いつものように耳を傾けていたヘンリーは、そのマーガレットの迫力に、さすがに、絵筆を止めた。
「私は何も、反対はしていないよ、マギー。ただ、ランディの気持ちを一度、きちんと確かめた方がいいんじゃないかと、言っただけだ」
小柄なヘンリーは、妻マーガレットの勢いの前に、少々押され気味だった。
「あなたが、そんな悠長なことを仰っているからいけないんです。あの子が、いくつになったがご存じでしょう」
「三十だったかな」
「三十歳!」
嘆きを含んだ声でそう言った後、マーガレットは、ため息をもらした。
「モーガン家の跡取りが、三十歳にもなって、妻子がない。これを由々しき事態だとは、思いませんの?」
「マギー、ランディは、結婚しなかったわけじゃない」
「もちろん、わかっていますわ」
マーガレットは、肩で息をついた。
当然、マーガレットはそれをよくわかっていた。
ランドルフが、七年前、フローレンスと幸せな結婚をしたということを。
そして、五年前に死別したと言うことを。
ランドルフの受けた苦痛は、計り知れなかった。
フローレンスが亡くなって、絶望の淵に追いやられた、最愛の息子の姿を思い出すのは、マーガレットにとって、この上なく辛いものだった。
「わかっているからこそ・・・、私も何も言わずにきたんじゃありませんか」
マーガレットは、呟くように、そう言った。
七百エーカーに及ぶモーガン家の綿花プランテーションには、ヘンリー一家と、ヘンリーの弟トーマスの一家が住み、その広大な農園を経営していた。
ヘンリーとマーガレットの間には、ランドルフという一人息子がいた。
トーマスとその妻レイチェルの間には、二十代になる二人の男の子と、ひとりの娘がいたのだが、いずれも結婚し、農園内に屋敷を持って、暮らしていた。
孫は、すでに四人いて、夏には五人目の孫が生まれて来る予定だった。
ヘンリー一家と、トーマス一家の関係は、すこぶる良好で、同じ農園内に住む従兄弟たちとランドルフは、兄弟のように育ち、大人になった今も、かけがえのない家族で、親友だった。
トーマスとレイチェル、そして、その子供たちは、温厚で平和主義だった。
だから、自分たち一家が、どれほど数で兄の一家をしのぎ、勢いづいていたとしても、兄一家をないがしろにはしなかった。
兄一家をモーガン家の長として、立てて来た。
だからといって、マーガレットが、何も感じていないかといえば、そうではなかった。
トーマス一家が、あれよあれよと子孫を増やしていくのに引き換え、自分たちには、配偶者を失った、失意のランドルフがいるだけだった。
レイチェルが、よちよち歩きの孫と一緒に、邸宅にやって来た時や、農園内を散歩しているのに出会った時、何でもない風を装ってはいるものの、羨ましいという気持ちは、どうにも、抑えようがなかった。
しかし、それよりも何よりも、このままでは、自分たち亡き後、ランドルフは、独り身のまま、この農園でひっそりと生涯を終えてしまう。
いずれ立場は逆転し、この広大なプランテーションをトーマス一家が主軸となって運営し、年老いたランドルフは、肩身の狭い思いをしなくてはならないかもしれない。
それは、マーガレットにとって、悪夢だった。
そんな事態は、何が何でも避けなければならなかった。
これまでは、最愛の妻を亡くしたランドルフの心中を慮って、あれこれ差し出がましいことを言うのを控えて来た、マーガレットだった。
けれども、自分が歳を重ね、ランドルフも三十歳を迎えると、次第に焦りを覚えるようになってきた。
ヘンリーは、本来が、鷹揚な性格だったため、なるようにしかならない、と、そういったことをあまり気には留めてはなかった。
このままでは、いけない。
母親の私が、なんとかしなくては。
マーガレットは、奮起する決意をした。
ランドルフは、マーガレットが二十歳で結婚をし、結婚七年を経てようやく生まれた、待望の男の子だった。
明るく優しい性格で、誰からも愛されるランドルフだった。
一度、深い絶望を味わったランドルフを、今度こそ、幸せにしてやりたかった。
マーガレットは、この半年というもの、その社交術を駆使し、上流階級の者が集まる様々な集いで、ランドルフに似合いの娘を探した。
そして、この娘ならと見つけ出したのが、ペンナで不動産会社を経営するブラウン家の三女、シャーロット・ブラウン、二十三歳だった。
シャーロットは、まずまずの器量良しで、明るい性格から、それまでにも数多くの縁談が寄せられていたのだが、本人が、親元にいて、何不自由ない暮らしを楽しみたいという理由で、縁談を断り続けていた。
両親も、上のふたりの娘が嫁ぎ、残った末娘のシャーロットを、可愛さのあまり、中々手放せなかった。
しかし、シャーロットが二十三という年齢を迎え、これでは、本当に娘が嫁ぎ損ねてしまうと焦りだした両親が、相手を探していたところだった。
シャーロットの両親と、マーガレットに、異存はなかった。
あとは、段取りを整えて、見合いをし、当人同士さえうまくいってくれれば、話は順調に進んでいくはずだった。
そして、息子ランドルフの縁談から、少々、蚊帳の外にいたヘンリ―に、マーガレットが逸る気持ちを抑えられずに、顛末を話しに行ったところ、大切な一人息子の縁談話だと言うのに、絵筆を止めようともせず、あまり気乗りしない様子で、一度、ランドルフの気持ちを確かめた方がいいのでは、そう、告げたのだった。
せっかくの話に、水を差されたような気分になったマーガレットだった。
それで、思わず、
「あなたがどう言おうが、何と思おうが、私は絶対、来年中に、ランディと、ミス・ブラウンを結婚させます。よろしいですわね?」
ヘンリーに向かって、そう詰め寄ったのだった。
「まあ・・・、君の言うように、確かに、いい機会かもしれないがね」
ヘンリーは、ようやく絵筆を絵具箱に、そっと置いた。
「ようやくその気になってくださった?」
思わず、マーガレットの顔がほころぶ。
「あまり、最初から何事も決めつけない方がいい。ランディの気持ちを尋ねてから、準備を進めて・・・」
マーガレットは、ヘンリーに最後まで話をさせなかった。
「いいえ、私は、この件に関して、もう、待ったりしません。私はただ、母親として、子供を幸せにしたいだけです。ランディも優しい性格ですし、相手のお嬢さんも、美しくて明るい性格だと聞くので、会う機会さえ設ければ、きっと、うまく行くはずです。あなたもどうか、そのおつもりでいてください」
猪突猛進。
思わず、そんな言葉が、ヘンリーの頭に浮かんだ。
けれども、結婚生活も三十八年を迎えると、そんなマーガレットの性格は熟知していて、別段、驚くことでもなかった。
「失礼します」
そこへ、経理を任せているアンソニー・ヒューズが、入って来た。
「旦那様、旦那様と、ランドルフ様に、少し、確認していただきたい資料がございまして。今、少し、お時間を頂戴してもよろしいですか」
「もちろんだ。では、マギー、私はこれで失礼するよ」
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