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1.ミス・クレマン
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アンヌは、約三年前、二十一歳の春、ベアトリス・アンダーソンの協力を得て、綿花栽培を始めた。
ベアトリス指導の下、購入した百エーカーの土地の敷地内に、自らの住まいを建て、一名の農園監督者を雇い、十五人の奴隷と、十頭の家畜を所有し、綿花栽培を始めた。
新大陸へと移る前、アンヌは、ラングラン公爵令嬢として、数多くの使用人たちを従えて生きて来た。
王都アルカンスィエルが陥落し、住み慣れた屋敷を離れ、ウッドフィールドへの旅が始まるまで、アンヌは靴下一つ、宝石一つ、自分で身に着けることなどなかった。
身支度だけではなく、アンヌの身の回りの世話、生活のすべては、全て、使用人たちの手によって滞りなく、整えられてきた。
アウラで、プランテーションを経営すると決めた時、奴隷を持つのは当然だった。
綿花に限らず、広大な土地に作物を栽培しようとするならば、奴隷の所持は、必然だった。
アンヌは、当初、その奴隷の存在を、かつて自分が従えて来た使用人と同じように、考えた。
けれども、その考えは、直ぐに改めなければならなかった。
使用人は、どれほど安い給金であろうが、仕事に対しての対価が支払わればならなかった。
主人は、使用人に対して、権力を持ち、時に、決して表ざたにはできない精神的、肉体的な、支配者としての一方的な行いがあったのだとしても、それらが明るみになれば、処罰があるかどうかは別にして、人々の非難の対象には、なった。
けれども、奴隷は違った。
奴隷は、金を支払って、奴隷市場で買う、主人の所有物だった。
年齢、性別、健康状態、労働力によって値がつけられ、奴隷商人に、金を払って買いさえすれば、主人の持ち物になった。
だから、持ち物になった奴隷を、主人がどう扱おうが、どれほど劣悪な環境に置こうが、酷使しようが、虐待しようが、非難の対象になどなるはずもなかった。
奴隷には、自由などなかった。
家族のある者は家族で、単身者は単身で、広大なプランテーションの片隅に建てられた、狭い奴隷小屋に住み、限られた食料を与えられ、朝から晩まで、ひたすら農作業に従事した。
奴隷の運命は、主人によって決まると言って、過言ではなく、善良な主人であれば、食事や休息も、妥当に与えられたが、酷い主人に買われた奴隷の行く末は、悲惨だった。
主人の機嫌一つで、鞭打ちや虐待が、平然と行われた。
主人の激しい怒りをかって、殺されるようなことがあったとしても、誰にも、どこにも、訴える場所などなかった。
当然のように、奴隷の女たちは、主人の性欲のはけ口に使われた。
奴隷には、主人のどれほど理不尽な行いも、拒否する権利はなかった。
犯された女たちに、どれほどの嘆きと怒りがあろうが、耳を傾ける者はなく、その必要もなかった。
主人が犯した女の腹に、子が宿ることは、よくあることで、決して珍しいことではなかったが、大抵の場合、主人は、奴隷の産んだ子を、自分の子だとは認めなかった。
認めなければ、それで終わった。
主人を父親に持ちながらも、子もまた、一生、奴隷として過ごした。
アンヌが、綿花プランテーションを始めようとする時、まず、頭が痛かったのは、奴隷を所有物だと考えていることに、何の疑いも持っていないアウラの農園の支配者層との、考え方の相違だった。
アンヌのプランテーションの奴隷は十五名で、夫婦と子供がひとりいる三人家族と、十二名の独身の男だった。
妻子持ちの奴隷は、ベアトリス・アンダーソンの農園から来たのだったが、それ以外の奴隷は、奴隷市場で買い、そして、街の、ある豪商の紹介で、一人の農園監督者を雇った。
この農園監督者は、十年以上前に移住してきた四十代の男で、長年、綿花プランテーションの監督者を務めた者だったが、数年前ほど前に、離婚して、子供はなかったため、単身で、アンヌのプランテーションの一角に住んだ。
移住者の多くは、新大陸での成功を夢見て、海を渡るのだったが、人に騙されたり、稼いだ金を使い果たしたりして、自分の農園を持つこともなく、この農園監督者のように、雇われの身から抜け出せないものも多かった。
農園監督者の働きは、悪くなかった。
主人であるアンヌに対して、必要以上に媚びるような態度は、どうにも好きにはなれなかったが、いいつけは守る方だった。
けれども、奴隷に対する扱いが、酷かった。
常に鞭を手にしていて、少しでも、その作業が遅れるようなことがあれば、容赦なく、鞭を振り下ろした。
見かねたアンヌが、この農園では鞭は必要ないと、忠告した。
けれども農園監督者は、へっ、と、唇を歪めて、
「アンヌ様は、奴隷の扱いをご存じない。奴らに言うことを聞かせるためには、これが一番なんですよ。そのうち、アンヌ様にも分かる時がきますあ」
と、嘲る様に笑い、鞭を手放さなかった。
そうこうするうち、アンヌは、その農園監督者が、奴隷の子供に対してまでも、鞭を振り上げる場面を目撃した。
アンヌは、即刻、農園監督者をクビにした。
直ぐに、荷物をまとめさせて、自分の農園から追い出した。
「上流階級のお嬢ちゃんに、農園主が務まるわけねえ。あんたが、ケツ割るのを楽しみにしてるよ」
農園監督者は、アンヌにそう言い捨てると、唾を吐いて、出て行った。
と、当初から、こういった具合だった。
それでも、何とか、新しい農園監督者オーウェン・スミスを探しだし、といっても、今度は、アンヌよりひとつ年上の、ひょろりとした、とても頼りになるとは思えない若者で、それはそれで、この男に、十五人の奴隷を束ねる大役が務まるのかと、心配になった。
実際、綿花栽培が始まると、本当にこの若者で大丈夫なのだろうか、と、はらはらする場面も多々あったのだが、妻子持ちのリーダー格の奴隷、ディエゴが、十分な経験者だったため、何とか無事、収穫を迎えることが出来たのだった。
頼りにならない農園監督者ではあったが、人柄は良く、真面目に働いた。
そして、ディエゴとの相性も良かった。
だから、当初は、奴隷のディエゴにオーウェンが教わる、と言う妙な関係だったが、近頃では、オーウェンの方も、ずいぶんと、良い働きをするようになってきたのだった。
決して、奴隷を鞭で叩いたり、殴ったりしてはいけないと言うアンヌの言いつけもよく守って、手を上げることもしなかった。
けれども、実際のところ、奴隷たちの中には、アンヌや、オーウェンの眼を盗んで、さぼったり、怠けたり、他の奴隷の物を盗んだりする者があった。
そういう時、アンヌは一日の労働の後、夕食を抜いて、一晩、部屋の中で反省をさせた。
一日の厳しい労働の後の、夕食抜きというのは、かなりこたえた。
大抵の場合、それで、奴隷たちは態度を改めた。
そうするうちに、奴隷たちの方も、気づき始めた。
この、若くて、めったに笑わない、気位の高そうな女主人は、決して理不尽な処遇をしないということに。
食事や、住居、衣類まで、アンヌは、清潔で行き届いたものを、奴隷たちに与えた。
アンヌが、本当に体調が悪いと判断した奴隷には、十分な休息と、栄養を与えた。
鞭でたたいたり、殴ったりするようなことは一度もなく、むやみに、声を荒げたり、威嚇したりもしなかった。
五百エーカー、千エーカーを所有し、何十、何百という奴隷を抱える大農園主ならばともかく、アンヌのような百エーカー程度の、中規模の農園では、綿花の収穫時などは、猫の手も借りたいほどの忙しさだったが、アンヌは、当たり前のように、奴隷たちと一緒に、黙々と綿花を積んだ。
奴隷たちは、アンヌという女主人を知るうち、次第にアンヌのことを慕うようになった。
他の農園で働く、仲間の過酷の状況を知るだけに、自分たちはずいぶん主人に恵まれていると思うようになっていった。
そうするうち、奴隷たちは、自然と、熱心に働くようになっていったのだった。
ベアトリス指導の下、購入した百エーカーの土地の敷地内に、自らの住まいを建て、一名の農園監督者を雇い、十五人の奴隷と、十頭の家畜を所有し、綿花栽培を始めた。
新大陸へと移る前、アンヌは、ラングラン公爵令嬢として、数多くの使用人たちを従えて生きて来た。
王都アルカンスィエルが陥落し、住み慣れた屋敷を離れ、ウッドフィールドへの旅が始まるまで、アンヌは靴下一つ、宝石一つ、自分で身に着けることなどなかった。
身支度だけではなく、アンヌの身の回りの世話、生活のすべては、全て、使用人たちの手によって滞りなく、整えられてきた。
アウラで、プランテーションを経営すると決めた時、奴隷を持つのは当然だった。
綿花に限らず、広大な土地に作物を栽培しようとするならば、奴隷の所持は、必然だった。
アンヌは、当初、その奴隷の存在を、かつて自分が従えて来た使用人と同じように、考えた。
けれども、その考えは、直ぐに改めなければならなかった。
使用人は、どれほど安い給金であろうが、仕事に対しての対価が支払わればならなかった。
主人は、使用人に対して、権力を持ち、時に、決して表ざたにはできない精神的、肉体的な、支配者としての一方的な行いがあったのだとしても、それらが明るみになれば、処罰があるかどうかは別にして、人々の非難の対象には、なった。
けれども、奴隷は違った。
奴隷は、金を支払って、奴隷市場で買う、主人の所有物だった。
年齢、性別、健康状態、労働力によって値がつけられ、奴隷商人に、金を払って買いさえすれば、主人の持ち物になった。
だから、持ち物になった奴隷を、主人がどう扱おうが、どれほど劣悪な環境に置こうが、酷使しようが、虐待しようが、非難の対象になどなるはずもなかった。
奴隷には、自由などなかった。
家族のある者は家族で、単身者は単身で、広大なプランテーションの片隅に建てられた、狭い奴隷小屋に住み、限られた食料を与えられ、朝から晩まで、ひたすら農作業に従事した。
奴隷の運命は、主人によって決まると言って、過言ではなく、善良な主人であれば、食事や休息も、妥当に与えられたが、酷い主人に買われた奴隷の行く末は、悲惨だった。
主人の機嫌一つで、鞭打ちや虐待が、平然と行われた。
主人の激しい怒りをかって、殺されるようなことがあったとしても、誰にも、どこにも、訴える場所などなかった。
当然のように、奴隷の女たちは、主人の性欲のはけ口に使われた。
奴隷には、主人のどれほど理不尽な行いも、拒否する権利はなかった。
犯された女たちに、どれほどの嘆きと怒りがあろうが、耳を傾ける者はなく、その必要もなかった。
主人が犯した女の腹に、子が宿ることは、よくあることで、決して珍しいことではなかったが、大抵の場合、主人は、奴隷の産んだ子を、自分の子だとは認めなかった。
認めなければ、それで終わった。
主人を父親に持ちながらも、子もまた、一生、奴隷として過ごした。
アンヌが、綿花プランテーションを始めようとする時、まず、頭が痛かったのは、奴隷を所有物だと考えていることに、何の疑いも持っていないアウラの農園の支配者層との、考え方の相違だった。
アンヌのプランテーションの奴隷は十五名で、夫婦と子供がひとりいる三人家族と、十二名の独身の男だった。
妻子持ちの奴隷は、ベアトリス・アンダーソンの農園から来たのだったが、それ以外の奴隷は、奴隷市場で買い、そして、街の、ある豪商の紹介で、一人の農園監督者を雇った。
この農園監督者は、十年以上前に移住してきた四十代の男で、長年、綿花プランテーションの監督者を務めた者だったが、数年前ほど前に、離婚して、子供はなかったため、単身で、アンヌのプランテーションの一角に住んだ。
移住者の多くは、新大陸での成功を夢見て、海を渡るのだったが、人に騙されたり、稼いだ金を使い果たしたりして、自分の農園を持つこともなく、この農園監督者のように、雇われの身から抜け出せないものも多かった。
農園監督者の働きは、悪くなかった。
主人であるアンヌに対して、必要以上に媚びるような態度は、どうにも好きにはなれなかったが、いいつけは守る方だった。
けれども、奴隷に対する扱いが、酷かった。
常に鞭を手にしていて、少しでも、その作業が遅れるようなことがあれば、容赦なく、鞭を振り下ろした。
見かねたアンヌが、この農園では鞭は必要ないと、忠告した。
けれども農園監督者は、へっ、と、唇を歪めて、
「アンヌ様は、奴隷の扱いをご存じない。奴らに言うことを聞かせるためには、これが一番なんですよ。そのうち、アンヌ様にも分かる時がきますあ」
と、嘲る様に笑い、鞭を手放さなかった。
そうこうするうち、アンヌは、その農園監督者が、奴隷の子供に対してまでも、鞭を振り上げる場面を目撃した。
アンヌは、即刻、農園監督者をクビにした。
直ぐに、荷物をまとめさせて、自分の農園から追い出した。
「上流階級のお嬢ちゃんに、農園主が務まるわけねえ。あんたが、ケツ割るのを楽しみにしてるよ」
農園監督者は、アンヌにそう言い捨てると、唾を吐いて、出て行った。
と、当初から、こういった具合だった。
それでも、何とか、新しい農園監督者オーウェン・スミスを探しだし、といっても、今度は、アンヌよりひとつ年上の、ひょろりとした、とても頼りになるとは思えない若者で、それはそれで、この男に、十五人の奴隷を束ねる大役が務まるのかと、心配になった。
実際、綿花栽培が始まると、本当にこの若者で大丈夫なのだろうか、と、はらはらする場面も多々あったのだが、妻子持ちのリーダー格の奴隷、ディエゴが、十分な経験者だったため、何とか無事、収穫を迎えることが出来たのだった。
頼りにならない農園監督者ではあったが、人柄は良く、真面目に働いた。
そして、ディエゴとの相性も良かった。
だから、当初は、奴隷のディエゴにオーウェンが教わる、と言う妙な関係だったが、近頃では、オーウェンの方も、ずいぶんと、良い働きをするようになってきたのだった。
決して、奴隷を鞭で叩いたり、殴ったりしてはいけないと言うアンヌの言いつけもよく守って、手を上げることもしなかった。
けれども、実際のところ、奴隷たちの中には、アンヌや、オーウェンの眼を盗んで、さぼったり、怠けたり、他の奴隷の物を盗んだりする者があった。
そういう時、アンヌは一日の労働の後、夕食を抜いて、一晩、部屋の中で反省をさせた。
一日の厳しい労働の後の、夕食抜きというのは、かなりこたえた。
大抵の場合、それで、奴隷たちは態度を改めた。
そうするうちに、奴隷たちの方も、気づき始めた。
この、若くて、めったに笑わない、気位の高そうな女主人は、決して理不尽な処遇をしないということに。
食事や、住居、衣類まで、アンヌは、清潔で行き届いたものを、奴隷たちに与えた。
アンヌが、本当に体調が悪いと判断した奴隷には、十分な休息と、栄養を与えた。
鞭でたたいたり、殴ったりするようなことは一度もなく、むやみに、声を荒げたり、威嚇したりもしなかった。
五百エーカー、千エーカーを所有し、何十、何百という奴隷を抱える大農園主ならばともかく、アンヌのような百エーカー程度の、中規模の農園では、綿花の収穫時などは、猫の手も借りたいほどの忙しさだったが、アンヌは、当たり前のように、奴隷たちと一緒に、黙々と綿花を積んだ。
奴隷たちは、アンヌという女主人を知るうち、次第にアンヌのことを慕うようになった。
他の農園で働く、仲間の過酷の状況を知るだけに、自分たちはずいぶん主人に恵まれていると思うようになっていった。
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