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5、貴族のたしなみ

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 「昨夜は、どちらへ行かれていたのですか?」

 朝食をテーブルに並べながら、エリーは私のことを見ることなくそう聞いてきた。

 「え……?」

 どうして私が、部屋に居なかったことを知っているのだろうと思い、彼女の顔をちらりと見るけれど、表情からは何も読み取れない。

 「気付かないと思っていたのですか? もう自害なさるようなバカなことはしないと信じていましたので、お探しせずにそのまま眠ってしまいましたが」

 私の侍女にしておくのはもったいないくらい、しっかりしている。エリーは本音で会話してくれるから、一緒に居て居心地がいい。

 「ちょっとお腹が空いちゃって、調理場に忍び込んでいたの」 

 朝食を食べながら、昨夜のお好み焼きの味を思い出す。  

 「!? アイシャ様は、何をお考えなのですか!? そのようなことでしたら、仰ってくだされば夜食をお持ちいたします!」

 大きな目を吊り上げて怒りながらも、カップにお茶を注いでくれる。

 「エリーに頼ってばかりじゃ、いけないと思うの。ただでさえ私は役立ずなのだから」

 何もしないでこんな豪華な部屋に住まわせてもらい、毎日贅沢なご飯を三食食べさせてもらい、エリーみたいな優秀な侍女までつけてもらっているのに、これ以上ワガママを言ったらバチが当たりそうだ。と言いつつ、夜食までちゃっかり食べちゃったけど……

 「あなた様は側妃なのですから、役に立つ立たないなどというお考えが間違えています」

 前世の記憶が戻ってから、今まで生きて来たアイシャの記憶はなくなってしまった。この世界の知識どころか、この国のことさえ何も知らない。きっと私には、何も出来ない。文字でさえ……

 あれ? 私……日記を読めた……?

 急いで部屋の中にある本を開いてみる……と、日本語ではない文字がびっしり書かれているが、全部理解出来る。忘れているだけで、知識はあったようだ。

 「アイシャ……様?」
 
 私の行動を不思議に思ったエリーが、本を手に取り読んでいる私の顔を覗き込んできた。

 「エリー、私……文字が読めるみたい」

 「……………………はい?」

 ああ、そうか。エリーにとっては、私は記憶がないだけのアイシャなのだから、文字が読めるのは当たり前か。誤魔化さなくちゃ。

 「わ、私、頭は悪くないみたいなの」

 これで誤魔化せるはずがないのは分かってる。仮にも貴族令嬢なんだから、文字が読めないはずがない。

 「わあ、凄いですねー」

 ものすごく棒読みだ。

 「でしょう? 私、すごいの!」

 全てを説明出来ないのだから、誤魔化すことしか出来ない。エリーに話してしまえたら、楽にはなるかもしれない。そんなことをしたら、彼女まで苦しめることになる。アイシャの、唯一の味方だったのだから。アイシャには、もう二度と会えないなんて言えるわけがない。

 午後からは、エリーに刺繍を教えてもらうことにした。もちろん、やったことなんてない。裁縫ですら、得意な方じゃない。刺繍は、貴族のたしなみらしい。

 「器用ね」

 エリーがお手本として刺繍をしているところを見ながら、あまりの器用さに感心する。

 「アイシャ様の方が、私より綺麗に刺繍出来ました」

 見よう見まねで刺繍をしてみると……

 「痛っ!!」

 指に針を刺してしまった。どうやら、手先の器用さはアイシャのままじゃなかったみたい。
 
 「大丈夫ですか!?」

 針を刺した指にそっと触れてみたけど、血が滲んでいる……つまり、自分の傷は治せないらしい。それとも、あの力に発動条件があったりするのだろうか。

 「大丈夫。でも、刺繍は向いてないかも」

 お手上げのポーズを取る私に、エリーは無言でプレッシャーをかけてくる。

 「わ、分かった。もう少しやるわ」

 エリーは、子爵令嬢らしい。アイシャの記憶がない私よりも、完璧なお嬢様ということだ。
 
 「アイシャ様は、何でも出来るお方でした。きっと、幼い頃から努力して来たのでしょう。私は、そんなアイシャ様を尊敬しています」

 そんな風に言われてしまったら、期待を裏切るわけにはいかない。正直、刺繍が出来ることに何の意味があるのかは分からないけど、何もしないよりはマシだと思った。

 「出来たー!」

 三時間かけてやっと完成した。お世辞にも上手いとは言えない出来に、エリーは苦笑いしている。

 「本当に向いていませんね……」

 刺繍は蝶のつもりだけど、いびつなパンみたいに見える。ここまで不器用だとは、自分でも知らなかった。

 「それでも、やり続けるわ。私には、やることがないのだから」

 また一から刺繍を始める私を見て、エリーは笑顔になる。

 「そういうところは、変わっていませんね」

 アイシャがエリーを大切だったように、今の表情を見るとエリーもアイシャが大切だったのだと分かる。

 「……ごめんね」

 思わず、そう口に出していた。
 少なくとも、エリーだけはアイシャを大切に思ってくれていた。そのアイシャを、奪ってしまった。

 「謝る必要はありません。記憶を失ってしまったのは残念ですが、今のアイシャ様は明るくなられました。悩みがなさそうなので、安心しています」

 半分は、バカにしてるような気が?
 自殺をするほど悩んでいたアイシャが、エリーはずっと心配だったのだろう。

 「悩みくらいあるわ。お腹が空きすぎるのよね」

 エリーは笑っていたけど、私にとっては本気の悩みだった。
 この日の夜も、こっそり調理場へ忍び込むことにした。

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