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1、幸せが壊れた日
しおりを挟む愛する人と結婚して一年、幸せな毎日を送っていた。それが、一瞬で消え去った……
「どなたですか……?」
リビングで、見知らぬ女性と五歳位の男の子が、まるで自分の邸のように寛いでいた。
来客があるとは聞いていないのに、使用人は当たり前のように通したようだ。この状況が一体なんなのか分からないまま、親子であろう二人を呆然と見つめる。
「ああ、奥様ですか? あまりにみすぼらしいので、使用人かと思いました」
女性はソファーから立ち上がることもなくそう言うと、足を組みながらお茶を飲んだ。
初対面なのに、あまりにも無礼な態度や言葉。いったい彼女が誰なのか、全く分からない。
「ライラ、もう来ていたのか。約束は、午後からだったはずだが?」
ライラと呼ばれた女性は、嬉しそうに微笑んだ。
この人が私の旦那様、クリス・ダーウィン様。彼は五年前に、二十歳で侯爵になった。彼と知り合ったのは二年前の夜会だった。クリス様のことは、前から知ってはいたけれど、話したことはなかった。というのも、彼はいつも令嬢達に囲まれていて、話す機会がなかったからだ。
吸い込まれそうな青い瞳に、輝く金色の髪。まつ毛が長く、透き通るような白い肌で美しい容姿のクリス様を、令嬢達は放っておかなかった。もちろん、彼の魅力は容姿だけではない。私は、彼の優しさに惹かれた。
夜会が行われている会場で、挨拶回りに少し疲れてしまった私は、バルコニーのベンチに座り、休んでいた。
その時、面識のない男性にしつこく声をかけられた。
「彼女が困っているのが分からないのか?」
何度断っても諦めない男性にウンザリしていた時、クリス様が助けてくださった。
しつこく声をかけてきていた男性は、伯爵令息だと自分で言っていた。侯爵であるクリス様に逆らえるはずもなく……
「も、申し訳ありませんでした!」
そう言いながら、そそくさと逃げていった。
「ありがとうございました」
お礼を言うと、優しく微笑んでくれた。その時私は、クリス様に恋をした。
彼はそのまま、会場へと戻って行った。わざわざ私のことを助ける為に、バルコニーまで出て来てくれた。それが嬉しくて、彼の姿を目で追っていた。
次に会ったのは、その一ヶ月後のお茶会だった。クリス様は、いつものように令嬢達に囲まれていた。私には、その中に入って行く勇気なんてなかったけれど、姿を見ているだけで幸せな気持ちになった。そう思っていたのだけれど、彼の方から話しかけてくれた。
「また会えて、嬉しいです」
甘く優しい声で、目を細めながら微笑むクリス様。彼の周りに居た令嬢達の視線が痛いけれど、気にならないほど嬉しかった。
「この前は、ありがとうございました。覚えていてくださったのですね」
嬉しさからか、自然に笑顔になっていた。
「当たり前です、セシル嬢。何度かお見かけしていたのですが、話しかける勇気がありませんでした。情けない男ですよね」
周りの話し声が何も耳に入ってこない。まるで、ここに居るのは私達二人だけのような……そんな感覚。
名前まで知っていてくれたことに驚いた。彼の真っ直ぐな眼差しに見つめられて、ふわふわしてくる。
「情けなくなんてありません。あの時、クリス様が助けて下さらなかったらと思うと……」
あの男性は、お酒に薬を入れて女性を連れ帰るという噂を先日聞いた。あのまま、付きまとわれていたらと思うと恐ろしい。
「そんな顔をしないでください。あなたのことは、私が必ず守ります。だから、安心してください」
私の顔が曇ったことに気付き、一番欲しい言葉をくれた。
彼を愛するようになるまで、時間はかからなかった。クリス様は、ストレートに想いを伝えてくれる。それが照れくさくもあり、愛されているのだと実感が出来た。
そして私達は、結婚した。
結婚してからも、彼は優しくて私を想ってくれていた。子供はまだ出来てはいないけれど、焦りはなかった。それほど彼の愛を、信じることが出来ていたからだ。
それが今、何もかもが夢だったのではないかと思えていた。
女性と男の子を見た瞬間、本当は心のどこかで気付いていた。それを認めたくなかった。頭の中で、サイレンが鳴っている……今すぐ、ここから去れと。
話を聞かなければ、何も知らなければ、私は彼を愛し続けられる。だけど、足が動かない……
「クリス様に少しでも早くお会いしたくて……。カミルも、この日をずっと心待ちにしていました」
私への態度とは全く違っていていた。先程の女性とは別人のように思える。女性はソファーから立ち上がると、少し顔を赤らめながら、男の子と一緒にクリス様の元に駆け寄った。
「そうか! カミル、お前と暮らせる日を、私も心待ちにしていたんだ」
クリス様は嬉しそうに、男の子を抱き上げた。
私に気付いていないはずはないのに、まるで私は居ないみたいに振る舞うクリス様。
楽しそうに笑い合う三人を見ながら、私は呆然と立っていた。話しかけるのが、怖かった。私の想像が、外れて欲しいと願いながら、ただ見ていることしか出来なかった。
「セシル、紹介するよ。私の子のカミルと、愛人のライラだ。二人は、今日から離れに住むことになった」
胸が抉られているみたいに、酷く痛む。呼吸をするのも苦しい。突きつけられた現実に、あまりのショックで三人に視線を向けることすら出来ない。
どうして……?
そう聞いたら、彼はなんて答えるのだろうか。
愛されていると思っていたのに、全てが幻想だった。彼には、五年も前から付き合っていた人が居て、子供までいたのだから。そのことを今まで隠して来たのに、なぜ今になって……?
これは裏切り? 先に付き合い子供まで産んだのはライラさんの方だ。私の方が、邪魔者。二人が居るのに、なぜ私と結婚をしたの?
どんなに考えても、答えなんて出るはずがない。
「……私はいったい、何なのでしょうか?」
やっと口から出た言葉。
聞きたいのは、そんなことじゃない。
どうして私を裏切ったの? どうして私と結婚をしたの? どうして二人を連れて来たの?
……私を、愛していなかったの?
「何を言っているんだ? セシルは、私の愛する妻だよ」
出会った時と同じ、優しい微笑み。
彼が、何を考えているのか分からない。
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