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1巻

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  第一章 婚約破棄ですか? 


「マリッサ、すまないが婚約は破棄させてもらう。俺は、運命の人を見つけたんだ!」

 婚約者のデリオル・ガーダ様が約束もなしに急に邸に姿を現し、玄関で迎えた私に、顔色一つ変えずにいきなり婚約破棄を告げた。
 彼の言う運命の人とは、おそらく私の義妹のロクサーヌの事だろう。
 すまない?  本当にそう思っているの? 
 義妹のロクサーヌと、浮気していた事には気付いていた。
 というよりも、ロクサーヌ自身がほのめかしていたのだ。それでも知らないフリをして婚約を続けて来たのは、デリオル様のお父様が私の亡くなったお父様と親友だったからだ。
 だけど、引き止めるつもりなんて毛頭ない。

「分かりました」

 それだけ言って、玄関の扉を閉める。
 私の返事を聞いても、デリオル様は眉ひとつ動かさなかった。長い間婚約者だったというのに、呆気ない終わり方だ。
 デリオル様とは九年婚約していたが、好意を持つ事はなかった。
 そう考えると、デリオル様がロクサーヌを選んだのは正解なのかもしれない。どんなに頑張っても、私は彼を愛する事が出来なかった。申し訳ないとは思うけど、裏切られて泣き寝入りする程、私は優しくない。
 デリオル様には莫大な慰謝料を請求させてもらう。そして、借金の全額返済もしてもらう。
 ロクサーヌを選んだことで、彼は破滅することになるだろう。


 私の名前は、マリッサ・ダナベード。十七歳。お父様とお母様は、私が八歳の時に事故で天国にってしまった。
 そして一人娘の私は亡き父の跡を継ぎ、八歳で侯爵こうしゃくとなった。まだ幼かった私の代わりに、侯爵こうしゃく代理となったのが叔父のドナルドだ。叔父は私を養子にし、この邸に家族で越して来たのだが、幼かった私を叔父夫婦は冷遇した。
 当時まだ七歳だったロクサーヌも、十歳になると叔父夫婦にならって私を使用人扱いするようになり、十六歳になった今では、私の婚約者を奪うまでになった。ロクサーヌは、私のものを全て自分のものにしないと気がすまないようだ。
 一年ほど前までは、デリオル様は私を愛してくれていたのだが、ロクサーヌはそれが許せなかったのだろう。
 初めの頃、デリオル様はロクサーヌを相手にしなかった。それが、なぜか半年前に二人は付き合い始めた。
 正直、デリオル様は私を想ってくれるのに、私は好意を持てない事に罪悪感を抱いていたけど、これできれいさっぱり終わりにする事が出来る。
 九年もの間、婚約者だったというのに何も感じない。もしかしたら、私は冷たい人間なのかもしれない。

「デリオル様は、何の用だったの?」

 部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、ロクサーヌが話しかけて来た。分かっているくせに、わざわざ聞いて来たのは、私が泣くとでも思っていたからだろう。

「私との婚約を、破棄すると言われたわ」

 ロクサーヌは嬉しそうな顔で、私の顔に雑巾ぞうきんを投げつけて来た。

「婚約者に捨てられたなんて可哀想ね! これであんたにはもう誰も居なくなっちゃった! そんなボロボロの服を着て、笑いもしない女なんて、愛されるはずなかったのよ。身の程を知りなさい。ああ、その雑巾ぞうきんで床をピカピカに磨いてね。それくらい、何もないあんたにも出来るでしょう?」

 そう言って嬉しそうに去って行く、ロクサーヌ。
 このまま部屋に戻りたいけど、床を掃除しなかったら後で何をされるか分からない。
 ロクサーヌが投げつけて来た雑巾ぞうきんで、床を掃除する。ボロボロの服……か。本当にその通りだ。四つんいになりながら床を拭いていると、ぽたぽたと涙がこぼれた。
 デリオル様に捨てられても、涙なんて出なかったのに、悔しくて涙が止まらない。
 こんな仕打ち、いつものことなのに、今日は凄く自分がみじめに思えた。


  ◇ ◆ ◇


 翌日、学園に登校すると、婚約を破棄された可哀想なマリッサ……ではなく、義妹をいじめていた挙句、義妹に婚約者を奪われた性悪な女と噂になっていた。
 今まで皆は『人気者のデリオル様の婚約者』という理由だけで、私の友達でいたようだ。
 確かにデリオル様は、容姿だけは美しい。金色の髪に蒼い瞳、絵に描いたような美男子だ。だけど、良いのは容姿だけ。中身は、ウジウジしてるし決断力もない。すぐに泣くし、お金使いも荒いし、自分の容姿に酔っているナルシスト。知れば知るほど、好きにはなれなかった。皆、見た目しか見ていないのだと思いながら、教室に入る。

「何あれ……やっぱり、図々しいわ」
「婚約破棄されても、泣きもしないのね。私なら、あんな素敵な人に婚約破棄されたら耐えられない!」
「ロクサーヌ様、可哀想……よくあんな仕打ちに耐えられたわね」

 ロクサーヌが、可哀想? 婚約者を奪われたのは、私の方なのに……心の中でイラッとしながら、窓際の一番後ろの席に着く。

「階段から突き落とされたこともあったそうよ!」
「ロクサーヌ様は幼い頃から、物置で暮らしていたんですって!」
「食事に虫を入れられて、それを食べさせられたそうよ!」
「大切に育てていた花を、踏みつけられたそうよ!」

 ……それは、全て私がされたことだ。ロクサーヌは、デリオル様を奪っただけでなく、嘘の噂まで広げていた。
 違うと言いたいけど、私が何を言ったとしても、信じてもらえないだろうし、私には気弱令嬢・・・・でいなければならない理由があるから、言い返したりは出来ない。噂の中ではもう、気弱令嬢ではなくなっているけど……
 ロクサーヌは人にびるのが上手い。上目遣いで目をうるませながら、か細い声で同情を誘う。
 男性でも女性でも、心を操るのが得意だ。それに比べて私は、容姿も銀髪の蒼い目で冷たそうな上に、笑うことが苦手だ。両親を亡くしてから、笑い方を忘れてしまった。笑わないのではなく、笑えないのだ。
 それが原因なのかは分からないけど、叔父夫婦が私を見る目はいつも冷たい。
 叔父の一家が邸へ越して来て、私は自分の部屋をロクサーヌに奪われた。そして叔父夫婦は、私の部屋を物置に移した。ベッドもなく、床にシーツを敷いて寝る毎日。
 その対応があまりにも酷いと、執事のマーカスが叔父夫婦に抗議したが、そのせいでマーカスは解雇されてしまった。
 マーカスが解雇された事で、叔父夫婦に逆らう使用人は誰も居なくなった。
 食事は皆で一緒にとってはいるけど、夕食は私だけ前日の残り物。叔父夫婦は、ロクサーヌと私を比べて、優越感にひたるために毎日一緒に食事をしている。
 服も宝石も、ロクサーヌに好きなだけ買い与える。私が持っている服はたった二着。それを自分で毎日洗いながら、着回している。
 学園の校則は制服着用だから、仕方なく買ってくれた。本当は学園に通わせたくなかったようだけど、さすがに世間体が気になったようだ。
 叔父は、自分が所詮代理に過ぎないという事を忘れているのだろうか? もうすぐ私は十八歳になる。
 私が大人しくしてきたのは、叔父に殺されるかもしれないと思ったからだ。私が死ねば、叔父は侯爵こうしゃくになれる……だから、殺されないように自分を押し殺して生きて来た。
 十八歳になれば、後見人は必要なくなる。
 その時は全てを返してもらう。
 それまでは、気弱で何でも言う事を聞くマリッサで居なければならない。



  第二章 嫌いだった生徒



 授業が始まっても、私の悪口が聞こえて来る。先生は注意しようとしない。何かしたわけでもないのに、先生も私が嫌いなようだ。たった一日で、全てが変わってしまった。
 生徒達は丸めた紙を、クスクス笑いながら次から次へと私に投げつけて来る。机の上が、ゴミでいっぱいになって行く。投げられた紙を広げてみると、私の悪口が書いてある。クズ、性悪、ブス、学園に来るな、消えろ……今まで一緒に授業を受けて来たクラスメイトが、私の事をそんな目で見ている。学園にも、私の居場所はなくなってしまった……
 心が折れかけた時、二つ隣の席に座っていた一人の男子生徒が机をバンッと叩いて勢いよく立ち上がった。

「うっせーな! てめーら、何しに学園に来てんだ!?」

 彼が他の生徒達を鋭い目付きで睨み付けると、皆がいっせいに下を向く。
 そんな中できっと私だけが、彼から目が離せなくなっている。
 教室の中がシーンと静まりかえり、悪口の嵐が止んだ。
 乱暴な言葉使いだけど、彼はこの国、キラヌス王国の第三王子、レイド様。正直、今まで私はレイド様が嫌いだった。乱暴な言葉使いに乱暴な行い、授業態度も悪くて授業中はいつも寝ている。近付きたくない、学園の問題児だった。だけど今、その嫌いだったレイド様に私の心は救われていた。

「そ、そうだぞ、みんな! 学園は勉強をするところだ。雑談は止めて、ちゃんと授業を聞きなさい!」

 先生もレイド様が怖いようだ。明らかに動揺して、教科書が逆さまになっている。

「はあ!? 授業中は寝る時間だろ? 静かにしろ! 寝られねぇじゃねーか!」

 助けてもらったと思ったけれど、うるさくて眠れなかっただけのようだ……
 教室が静かになり、レイド様は机に突っ伏して寝息を立て始めた。
 彼は寝たいだけだったとしても、私の心が救われたのは事実だ。嫌いだなんて思っていて、ごめんなさい……寝ている彼の姿を見ながら、そう心の中で呟いた。
 それにしても、眠っている時のレイド様はとても美しい顔をしている。青みがかった白銀の髪に透き通るような白い肌。鼻も高くて、まつ毛も長い。悪い噂さえなかったら、デリオル様なんかよりも騒がれていたと思う。
 レイド様のおかげで、授業中に悪口を言われたり、メモを投げつけられる事はなくなったけど、休み時間になると野次馬が集まって来た。

「あの方でしょう? ロクサーヌ様がいじめられていたなんて、お可哀想。全く反省していないみたいね」
「デリオル様も気の毒ね。幼い頃から、あんな人と婚約させられていたなんて……」

 私に聞こえるように、大きな声で悪口を言って来る。面識なんてほとんどないのに、私の何を知っているというのか。悪い噂はすぐに広まり、すっかり学園の有名人になっていた。
 ロクサーヌが気の毒……それを言うなら、気の毒なのは私の方だと思う。
 デリオル様のお父様であるガーダ侯爵こうしゃくは、私のお父様に何度もお金を借りていた。借金が膨れ上がり、返せなくなった侯爵こうしゃくは息子のデリオル様が私を好きな事を知って、縁談を持ちかけて来たのだ。
 私のお父様は、デリオル様がそんなに娘の事を想っているのならと、その申し出を受け入れた。そして私達は婚約し、お父様は家族になるのだからと借金を帳消しにした。
 まだ八歳でしかなかったのに、私はデリオル様のその恋心のせいで、今酷い目にあわされている。
 普通なら、逆だと思う。私が彼を好きで、借金を帳消しにするかわりに私達が婚約するというのなら分かるけど、どうして私が好きでもない相手と婚約しなければならなかったのか。

(たとえそうであっても、借金を利用して無理に婚約するようなことはしないけど……) 

 お父様は大がつくほどのお人好しだったから、仕方がないのだと諦めていた。

「あれ見て? 友達が一人もいないのね」
「それはそうよ。かなりの性悪なんだから!」
「私はずっと、ロクサーヌ様とデリオル様がお似合いだと思っていたわ!」

 悪口というのは尽きないようだ。そんなに楽しそうに、人の悪口を言っているあなた達は、性悪ではないのだろうか? 

「邪魔だ。どけ」

 教室の入口に立ったレイド様が、聞こえよがしに悪口を言っていた令嬢達を睨み付けながら言い放った。

「す、すみません……」

 レイド様に睨み付けられた令嬢達は、顔を真っ青にしてそそくさと逃げて行った。
 レイド様は単に彼女達が邪魔だったから言っただけかもしれないけど、結果的に私が彼に救われたのはこれで二度目ということになる。
 それにしても今日はずっとこの調子……いいえ、きっとこれから毎日、私は悪口を言われ続けるのだろう。
 王立ガルシア学園。この国で唯一の、貴族の令嬢や令息達が通う学園。
 勉強をするのは好きだったし、学園に来れば話しかけてくれる友達がいた。友達だと思っていたのは、私だけだったようだけど。
 それでも、邸ではいつも独りぼっちだった私には、楽しい学園生活だった。
 邸では出来るだけ使用人と関わらないようにするしかなかった。もし使用人と仲良くしているところを見つかったら、その使用人が処罰されてしまうから。
 学園で友達と話すことが、私にとっての唯一の楽しみだったのに、それも全てロクサーヌに奪われた。
 十八歳の誕生日まではあと少しだけど、また独りぼっちになってしまった。
 お昼休みは、いつも中庭に行く。生徒達は食堂で昼食をとるけど、私にはお金がない。中庭は食堂からは見えないから、誰にも詮索せんさくされる事がなくて楽なのだ。

「……お腹空いたなあ」

 中庭にあるベンチに一人で座りながら、空を見上げてぼーっとする。流れる雲を見ていると、食べ物に見えてくる。……美味しそうなパン。お腹はぐーぐー鳴り、地響きのような音を立てている。
 どんなにお腹が空いていようと、夕食までは我慢しなければならない。私の食事は、一日一食。朝食や学園がお休みの日の昼食では基本的に水しか出されない。夕食は前日の残り物で、冷たいまま出されるけど、一日における唯一の食事の為、私にとってはご馳走だ。ずっとこの生活を続けているから、ダイエットは必要ないのがメリット。
 ダイエットどころか、あばら骨が見えてしまうくらいガリガリで、お尻にもお肉がない。極めつけに胸も全くない……

「もっと胸が欲しいな……」

 空を見上げたまま、胸元を触りながらそう呟く。私だって、年頃の女の子だ。
 お腹が空くと、いつもこんなことを考えてしまう。

「肉でも食えば?」

 空をぼーっと見上げていた私の顔を、ベンチの後ろから男子生徒が覗き込んできた。
 レ、レ、レ、レイド様!? こんな所にいるはずないのに? 
 顔を覗き込んできた男子生徒は、レイド様だった。ビックリしすぎて、ベンチから落ちそうになった。
 お肉を食べたら、胸って大きくなるの……? じゃなくて! 

「どうして、こんなところに!?」

 生徒達は、この時間にはみんな食堂にいるはず。そう思っていたからこそ、お腹が特大音量で鳴ろうが気にせずにぼーっとする事が出来たのだ。まさかお腹の音どころか、恥ずかしい独り言まで聞かれていたなんて今すぐ逃げ出したいくらいだ。

「あんたこそ、なんでこんなところにいるんだ? 飯を食わないから、デカくならないんだろ」

 そう言いながら、ベンチに座る私の隣に腰を下ろした。
 デカくって……む、胸のことはもういいから……! 

「ダイエットです!」

 お金がなくて、食堂に行けないなんて言えない。

「それ以上痩せたら、骨と皮しかなくなるぞ?」

 私を見ながら、レイド様が呆れた顔をする。
 人が気にしていることを、ズバズバ言って来る。初めて話すのに、遠慮も何もない……
 まあ、話したこともないのに、今までレイド様を一方的に嫌っていた私も私だけどね。反省しなきゃ……と、思ったけど。

「そうなったら、結婚も無理だな」

 やっぱりこの人、嫌い! 

「そういうのが好きな人も、いると思いますけど?」

 結婚が無理なんて、婚約を破棄されたばかりの私に言うセリフ? 私はムスッとしながら、レイド様を見る。

「俺は肉が付いてる方が好きだ。行くぞ」

 彼はそう言うと、ベンチから立ち上がり、私の手を掴んで歩き出した。
 まっすぐ前を見て歩き続ける彼に手を引かれるまま、私も仕方なく歩き始めた。

「え? え? あの……手を離して下さい!」


 何が起きてるの? どうしてレイド様が私の手を掴んでいるの? どこに行く気? 手を引かれている状態では、彼の表情が見えない。
 わけが分からないまま、何も説明してくれない彼に連れられて来たのは、学園の食堂だった。

「あの……」

 レイド様は私の事を完全に無視している。なのに、手だけは離してくれそうにない。
 食堂に入ったのは、入学式の日に校内を案内してもらって以来だ。食堂といっても、王族や貴族の令息令嬢が通う学園なだけあって、高級レストランのように豪華な造りだ。
 高い天井にきらびやかなシャンデリア、テーブルやイスには繊細な細工が施され、床には一面にふわふわな絨毯じゅうたんが敷きつめられている。
 もちろん、出される料理も一級品だ。……食べた事はないけど。

「おばちゃん、スープとパンと野菜と肉を二人前。適当にみつくろって」
「はいよ!」

 レイド様は次々注文し、おばさんが料理を載せてくれたトレイを受け取ると、近くの空いているテーブルに置いた。それからイスを引くと、私をそこに座らせて、自分は向かいの席に腰を下ろした。
 周りの生徒達は私達に気付いた様子で、コソコソと噂話を始めている。教室での悪口と違って、声高に言ったりしないのは、レイド様が怖いからだろう。

「私……、お金が……」

 目の前に、沢山の美味しそうな料理が並んでいる。こんなに豪華な料理は、もう何年も口にしていない。
 レイド様が適当に頼んだ料理は、ほうれん草のポタージュ、きたてのクリームチーズベーグル、季節の温野菜、牛ヒレ肉のポワレ。匂いだけでヨダレが出そうなのを、必死に我慢する。

「知ってる。あんた一回も食堂に来た事ないし。理由は知らないけど、あんたの義妹が言ってた事って、本当は全部あんたがされた事なんだろ?」

 さっきまで骨と皮になるとか、意地悪くからかっていたのに、急に真剣な顔で話し出す。
 どうしてそんな事が分かるの……? こうして二人きりで話すのは初めてだし、私の事を何も知らないはずなのに……
 それでも、真実を分かっている人がいて、私は嬉しかった。

「……」

 私は何も言わずに、コクンと頷いた。ロクサーヌが話した事を、嘘だと見抜いた人は初めてだった。みんなあの見た目にだまされる。話し方や仕草でこの人の事を守らなくちゃと思うようになるのだ。
 クリクリの焦げ茶色の大きな目に、ふわふわの金色の髪。天使みたいに可愛らしい容姿のロクサーヌを疑う人は今まで誰一人いなかった。

「まあ、食え」

 意地悪で、乱暴で、口が悪くて……そう思っていた人が、ちゃんと私を見ていてくれた。今だってぶっきらぼうな言い方なのに、彼の優しさが伝わって来る。
 スプーンでスープをすくい、口の中に入れてみる。

「……温かい」

 温かい料理を食べたのは、何年ぶりだろうか。
 とても甘くて、とても優しい味。あまりにも美味しくて、ここが天国じゃないかとさえ思えてくる。

「残さず食えよ。残したら、作ってくれた人にも、食材にも失礼だからな」

 まだ私が幼い頃、お父様やお母様が言っていたようなことを真面目な顔で口にするレイド様。彼はナイフとフォークを手に取ると、真剣な様子でお肉を切り分けてくれた。

「ふふっ」
「なんで笑うんだ?」

 私が笑った理由が分からないようで、面食らった表情をしている。だけど、その顔はなぜだか嬉しそうにも見えた。
 まさか、あのレイド様がそんな真っ当なことを言うとは思わなかったし、こんなに優しい人だということも知らなかった。
 今日のことも、本当はずっと私をかばってくれたのだと気付いた。

「美味しいからです!」

 本当に美味しい。こんなに美味しい料理を食べたのは、何時ぶりだろう。
 ……あれ? 私、笑ってるんだ……
 自然に笑えたことが嬉しくて、レイド様の顔を見る。すると、今までなごやかな空気が流れていたというのに、私の背後を見たレイド様はなぜか急に不機嫌な顔になった。


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