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第六章 最終章の、その先

最後のピース1

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 「残りの片付けはまた明日するから、無理しないのよ」


 エミィこと佐山絵美は、玄関先で雇い主に向き直った。


 「はい」


 雇い主の女性が笑いながら頷いた。
 やはり親子だ。ふとした時の表情が、ルナとよく似ている。


 一歩外へ踏み出すと、冷えた空気が頬を撫でた。
 自宅までは徒歩で十五分ほど。
 街灯だけの静かな道を歩いていると、風に乗って白いものがチラチラと舞い始めた。


 「あら、雪……」


 東京ここでクリスマスイブに雪が降るなんて、以来じゃないかしら。


 懐かしい思いで夜空を見上げる。

 あの年のクリスマスイブ。
 二人とも若かった。

 狭いワンルームで慣れない料理を出して、一緒にワインを飲んだ。
 外は猛吹雪だった。

 あの部屋は二人で暮らすには狭すぎて、結婚を機に引き払ってしまったけれど。



 二人の関係を進展させるため、積極的に動いたのは絵美の方だった。

 佐山は普段から愛を囁くわけでもないし、イベントなどでパートナーを喜ばせるような器用さもない。
 付き合っている当時から老夫婦並みに落ち着いた関係であったが、若気の至りから深手を負っていた絵美には、それが心地よかった。


 佐山は結婚後転職し、現在は移動動物園を経営している。
 動物の飼育代などの維持費や、かかる労力の割に収入は少ない。元来動物好きな彼は儲けなど気にする人ではないから、佐山家の生活は絵美の肩にかかっている。

 絵美の仕事も雇い主の都合次第だが、できる限りは続けたかった。
 ルナたちの傍で働くのは楽しい。

 忙しい夫が帰るのは週に一、二度だが、それでも絵美は幸せだった。


 「いろんなことがあったわねぇ」


 白い息がたなびいた。

 夫婦の間に子どもはいない。
 元々、絵美は赤ちゃんが大の苦手だった。

 結婚前から、佐山はそれを知っている。
 その上で、彼は言ってくれた。



 ──その恐怖は、むしろ愛情ではないですか。



 この人との子どもなら。
 そう思った時期もある。

 しかし。身体の問題だったのか、長年の悩みが心に蓄積していたためなのか。
 ついに子どもには恵まれなかった。


 「お子さん、おいくつですか」

 「早い方がいいんじゃないの?」

 「いないんですか? 作らない主義なんですか?」


 今日の空模様の話みたいに、言った傍から忘れてしまうほどの気楽さで放たれた言葉は、絵美の胸にくさびのように突き刺さった。

 悪気の無さは、世の中でいちばんタチが悪い。

 いたたまれなかった。
 申し訳なかった。

 動物と同様、佐山が子ども好きなことは手に取るように分かっていた。
 動物園を訪れる子どもたちを見守る、その眼差しを見れば。


 でも。


 「何故あなたが謝るのです?
 僕は、今の生活に満足していますよ」


 佐山は、結婚前から何度もそうしてくれたように、絵美を優しく抱きしめた。
 そして、こう付け加えた。



 「それにね。どういう訳か、赤ちゃんのことを考えるとお腹いっぱいな気分になるのですよ」



 彼は、いわゆる『優しい嘘』をつく人ではない。
 真面目に言っているのだろう。

 
 首を傾げたくなるような、納得できるような。
 不思議な表現だった。
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