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第五章 クリスマスの涙

天秤2

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 『──無論、この子も記憶をなくす』


 目の前のものは、変わらず無機質な声で告げた。


 『──生まれる前の未知のものがこの世界に存在したという事実は、完全に消さなければならない』


 「楽になる」のは、全てが無かったことになるからということか。
 だとしたら、間違いもいいところだ。


 「そっちの都合なんか知らない!」


 何よりも大切だった。
 やっと見つけた光だった。
 なぜ奪おうとするの?

 震えがきた。
 怒りで震えるなんて初めてだった。
 渡してなるものかと、必死でルナの感触を確かめた。

 大丈夫。ルナはまだ、ここにいる。


 『──もう時がない。始めるぞ』


 再び掌がかざされる。
 必死で顔を背けた。
 その掌を見ていると、本当にルナを吸い取られるような気がした。


 『──良いのか?
 いたずらに時を消費すれば、身体を借りたこの者の生命も危ういぞ』


 音にならない悲鳴が喉に留まり、それきり呼吸が止まる。
 腕の中で、ルナがびくんと身体を震わせた。


 あなたは何者?


 ルナと、佐山の生命と。
 どうして、全部奪おうとするの?


 三人で歩く未来。私の大切な──。

 喉に留まっていた悲鳴が一気に漏れた。



 「だったら、私もこの子と同じ場所に連れて行きなさいよ!」




 『──愚かな』


 目の前の『声』に憐れみの色が混じった。


 『──おまえは、ただ子供のようにごねているだけだ。
 物事を自力で決断することもできないのか』


 あれが苦し紛れの言葉であったことは否定できなかった。
 もし私がルナと同じ場所へ行くことができたとして、それは佐山との永遠の別れを意味する。


 行き止まり。奇跡は起きない。



 ふいに、頬にぺたりと冷たいものが当たった。
 ルナが身体を伸び上がらせ、もみじのような手で私の顔に触れていたのだった。


 「もう充分だよ、絵美ぃ」


 ルナがひくひくと眉を下げる。


 「もう無理だよ。分かってるんでしょ?」



 奇跡は起きない。



 「決まりを破った、あたしがいけないの。
 それに、このままじゃパパが死んじゃう」


 本当は分かっていた。
 三人で歩く未来なんて私の独りよがりで、ルナの本当の幸せは生まれ変わること。
 私は、この子に順番が回ることを願ってやるべきなのだ。

 辛すぎる決断を、ルナにさせてしまった。


 「あたし、還るよ」


 ルナは告げた。
 眉をハの字に下げ、指を握り込んだまま。


 奇跡は起きなかった。


 ふわふわのほっぺに涙が落ちる。
 ルナはしゅんと鼻を啜った。


 「もういいんだ。
 あたしたちケンカばっかしちゃうしさ……パパと仲良くやりなよ」


 小さな拳が、私の胸の辺りをぽくんと叩く。


 『──そう言っているぞ。どうする』


 目の前にいる者が腕を下げた。



 この存在は問うている。私の審判を。
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