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第五章 クリスマスの涙
すれ違い4
しおりを挟む行きの賑やかさはどこへやら。
私たちは、すごすごとアパートへ引き返した。
ルナがしんみり呟く。
「パパ、気づいてくれなかったねぇ」
「仕事中だもん。忙しいのよ」
私は胸に引っ掛かりを感じつつ、無難に答えて部屋の鍵を回転させた。
おかしいな。
店を出てからずっと、胸が空洞みたい。
周囲は急に色を失った。
日常も、クリスマス・カラーも。
違和感を振り切るように、いつもの生活に戻る。
部屋を片付けて、洗濯物を取り込んで。
クローゼットにシャツをしまおうとして、ふっと壁を見遣った。
もう癖になっている。私と佐山を隔てる壁。
「頼られてるんだ。意外と……普通に馴染めてるんじゃん」
強がりで吐いた言葉は、硬い壁に跳ね返されて自分に刺さる。
あ、痛い。
愕然とした。
私は嫉妬しているのだ。
彼の同僚に、大切に扱われる動物たちに。
彼を取り巻く世界の全てに。
私は、隣室からルナを訪ねてくる彼しか知らなかった。
彼とて、社会に出ている一人の男だというのに。
「絵美ぃ? 何か言ったの?」
呼びかけてくるルナに「何でもないよ」と応じる。
競争率が低い?
彼が本当に変人扱いされるような人物かどうか、私自身が身に染みて分かっていた筈ではないのか。
私、どうしちゃったんだろう。
ずっとおかしい。佐山と出会ってから。
こんなの、まるで初恋に揺れる中学生だ。
調子が狂う。彼のことになると。
──あなたは、本当に仕様がない人ですね。
ずっと耳に残ってる。
特別な言葉じゃなかったんだ。
私は、彼の特別じゃない。
だから、心がぐちゃぐちゃするんだ。
好きだったんだな。
白い壁から目が離せない。
「どうしたの」と這い寄ってきたルナを抱き上げた。
ほわんとした感触。気が緩む。
「こんなに、好きだったんだなぁ……」
声に出したら涙がこぼれた。
「絵美ぃ?」
ルナを抱きしめた。
ごめん、ルナ。
彼がパパになるのは無理っぽいよ。
私、そんな特別じゃないんだ。
頬に、ぺたんと冷たいものが当たった。
ルナが、もみじみたいな手で私の頬を撫でている。
一生懸命な顔で。
胸が震えた。
次から次へと、涙は流れた。
可愛いルナ。
どうして今まで、素直に認められなかったんだろう。
あんたも、いずれはどこかへ帰ってしまうのかな。
私はまた、ひとりぼっちだ。
怖いな。もう、ひとりだった時を思い出せない。
あの女は、どう思っていただろう。
孤独な誘拐犯。
女は家族の温もりを渇望していた。
人から奪ってしまおうと思いつめるほどに。
女は、梨奈ちゃんのことを神様からの贈り物だと言った。
じゃあ私にとってのルナは?
ベビー・アレルギーだと言いながら。
赤ちゃんという存在に恐れを感じながら。
ルナが現れた時、標準的な幸せを得るチャンスだと思った。
例えば麻由子みたいな。
ずっと苦しかった。
結婚して赤ちゃんを望む人と、ベビー・アレルギーの私。
うまくいくはずがなかった。
ルナは神様からのプレゼント。
私も、あの女と同じ思いを抱いたのだ。
雹とともに現れたルナ。
そういう劇的な登場に、運命のようなものも感じていた。
だけど。
雹は単なる自然現象だし、気づかれないようにルナを置いていくことは人間にも可能だ。
私の部屋は一階なんだから。
神様なんて、いない。
私は、神様に同情されるほど不幸じゃない。
神様にご褒美をもらえるほど、苦労も努力もしていないのだ。
それなのに。
ベビー・アレルギーだからって、世界中の不幸を一人で背負ったような顔をして。
三ヶ月の試用期間。
チャンスを活かせなかったのは、私自身ではないか。
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