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第五章 クリスマスの涙
衝突1
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乳母車に毛布を敷き詰め、身体にはベビー布団や膝掛けを何重にも掛けた。
昨夜調べておいたクリニックが開く午前九時までの間、生きた心地がしなかった。
癖のように103号室へ目が行ってしまう。
佐山はもう仕事へ出ている。
頼ってばかりいてはダメだ。
振り切るように歩き出した。
ルナは、まだ細い声で泣いている。
途中で道を間違えた時には、情けなくて震えが止まらなかった。
やっと辿り着いた時には、本当に暗闇に灯台を見たような気分だった。
混んでる。
焦りが募った。
風邪のシーズンだからか、待合室は小さな子供と親たちでごった返していた。
ルナは泣き止んだものの、まだ表情は硬い。
受付にも四、五組の親子が並んでいる。
早く──。
私は、祈るような思いで列のいちばん後ろについた。
小児科らしく壁には鮮やかな色遣いで森が描かれ、木々の間から可愛らしい動物たちが覗く。
母親の膝の上で絵本を眺める女の子。
プレイマットの上でソフトブロックを箱ごと引っくり返す男の子。
イライラする。
みんな、そんなに大した病気じゃないでしょう。
どうして、嫌がらせみたいに混雑させるの。
後ろにも人が並んでくる。
上品そうなおばあさんと二歳くらいの女の子だ。
孫を連れてきたのだろうか。
「あの、お母さん。ちょっといいかしら?」
おばあさんが穏やかに声をかけてきた。
「えっ?」
「寒い中、大変ね。
でもそれ、もう少し減らしても大丈夫だと思いますよ」
毛布や膝掛け。
暖房が効く室内で、私はルナをぐるぐる巻きにしたまま並んでいたのだ。
「子どもって意外と暑がりなの。
温め過ぎも良くな……」
私は反射的にルナをかばい、おばあさんが伸ばしてきた手を避けた。
おばあさんは一瞬驚いたような表情を浮かべたが、
「ごめんなさいね。
余計なことを」
と、微笑んで手を引っ込めた。
突然、周囲がシンとなる。
嫌な空気が待合室を覆う。
責めるような視線。
さっきまで私のことなんか気にも留めていなかったのに、どうして。
ルナは身体が冷たくなっているのだ。
寒いと言っているのだ。
何も知らないくせに。
こんなことに構っていられない。
早く、ルナを診て。
「お待たせ致しましたぁ」
受付の若そうな女性に呼ばれた。
「あ、初めてなんです」
「では、保険証と子ども医療証をお願いします」
頭をガンと殴られたようなショックに続き、ゾワリとした感触が頬を走る。
事の重大さに初めて気がついた。
「……忘れてきました。
取りに帰ります」
「後日でも大丈夫ですよ。
こちらの用紙にご記入を」
「い、いいんです!
帰りますっ!」
呆気に取られる受付の女性に背を向け、待合室を突っ切った。
刺すような視線を浴びながら。
昨夜調べておいたクリニックが開く午前九時までの間、生きた心地がしなかった。
癖のように103号室へ目が行ってしまう。
佐山はもう仕事へ出ている。
頼ってばかりいてはダメだ。
振り切るように歩き出した。
ルナは、まだ細い声で泣いている。
途中で道を間違えた時には、情けなくて震えが止まらなかった。
やっと辿り着いた時には、本当に暗闇に灯台を見たような気分だった。
混んでる。
焦りが募った。
風邪のシーズンだからか、待合室は小さな子供と親たちでごった返していた。
ルナは泣き止んだものの、まだ表情は硬い。
受付にも四、五組の親子が並んでいる。
早く──。
私は、祈るような思いで列のいちばん後ろについた。
小児科らしく壁には鮮やかな色遣いで森が描かれ、木々の間から可愛らしい動物たちが覗く。
母親の膝の上で絵本を眺める女の子。
プレイマットの上でソフトブロックを箱ごと引っくり返す男の子。
イライラする。
みんな、そんなに大した病気じゃないでしょう。
どうして、嫌がらせみたいに混雑させるの。
後ろにも人が並んでくる。
上品そうなおばあさんと二歳くらいの女の子だ。
孫を連れてきたのだろうか。
「あの、お母さん。ちょっといいかしら?」
おばあさんが穏やかに声をかけてきた。
「えっ?」
「寒い中、大変ね。
でもそれ、もう少し減らしても大丈夫だと思いますよ」
毛布や膝掛け。
暖房が効く室内で、私はルナをぐるぐる巻きにしたまま並んでいたのだ。
「子どもって意外と暑がりなの。
温め過ぎも良くな……」
私は反射的にルナをかばい、おばあさんが伸ばしてきた手を避けた。
おばあさんは一瞬驚いたような表情を浮かべたが、
「ごめんなさいね。
余計なことを」
と、微笑んで手を引っ込めた。
突然、周囲がシンとなる。
嫌な空気が待合室を覆う。
責めるような視線。
さっきまで私のことなんか気にも留めていなかったのに、どうして。
ルナは身体が冷たくなっているのだ。
寒いと言っているのだ。
何も知らないくせに。
こんなことに構っていられない。
早く、ルナを診て。
「お待たせ致しましたぁ」
受付の若そうな女性に呼ばれた。
「あ、初めてなんです」
「では、保険証と子ども医療証をお願いします」
頭をガンと殴られたようなショックに続き、ゾワリとした感触が頬を走る。
事の重大さに初めて気がついた。
「……忘れてきました。
取りに帰ります」
「後日でも大丈夫ですよ。
こちらの用紙にご記入を」
「い、いいんです!
帰りますっ!」
呆気に取られる受付の女性に背を向け、待合室を突っ切った。
刺すような視線を浴びながら。
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