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第四章 続・十一月の受難
男の本音5
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外へ出ると、鈍色の雲が垂れ込めていた。
また一雨くるかもしれない。
「自分のこと、イイ女だと思ってる?」
足早に乳母車を押していると、ルナが声をかけてきた。
「別に。これくらい普通よ」
「ふうん。
珍しく褒めてあげようと思ったのに」
「ベビーに褒められてもね」
「おにーさんのこと、ちょっと見直したわ。
あたしは断然パパ派だけどね」
ルナがカゴの中で足を突っ張り、品物が入った紙袋がグシャリと音をたてる。
「何よ、パパ派って。それより。
今度こそユイカさんに会っても大丈夫よね?」
「いいんじゃない?
もう、イヤな予感はしないから」
──大切すぎて怖くなるんだ。
昌也の気持ちは何となく分かるような気がした。
あの女はどうだったろう。
偶然にも、ルナが来たのと同時期にベビーを拐った犯罪者。
何故だか、ずっと頭を離れない。
鬼のようでもない、寂しそうでもない。
普通の女。
それでも心は満たされていなかった。
周囲から見たら、私だってあの女と同じだ。
冴子さんだって昌也だって。
世の中の大多数の人間は、“普通”の皮を被りながら心が安定しているとは限らない。
ルナは、そんな時にやって来た。
審判のことを考えない日はない。
でも、ルナには何も聞けなかった。
発したら最後、すべて消えてしまいそうで。
“今”は永遠には続かない。
こうしている今も、時は否応なく進んでいるのだった。
***
十一月も終わろうかという頃、木田がようやく引っ越していった。
荷物を片付ける日が数回、佐山のシフトに合わせて設定された。
引越しも佐山の監視下で行われ、一連の作業はつつがなく終了したのだった。
女の供述も、ちょくちょくと耳に入ってくる。
あの誘拐は衝動的なものではなく、計画犯罪だったと。
人が動き、新しい情報が出回る。
時は確実に動いていた。
後戻りすることなく、常に前へと。
ルナとの別れは確実に近づいている。
佐山との交流が途絶える瞬間も。
そんな中、私は女の供述に引っ掛かるものを感じていた。
あれが計画犯罪だったという供述である。
初めから誘拐する子を物色するためにショッピングセンターへ行った。
わざと遠くの店を選んだ。
ベビー用品店は狙いの一つだった。
そういった店舗には、当然ながら赤ちゃんが連れられてくるからだ。
誘拐を実行した『ララマート』は初めて行った店舗だが、大体の雰囲気は想像がついていた。
何ヵ所も似たような店舗に足を運び、つぶさに観察していたからだ。
怪しまれないよう、その度に商品を購入していた。
母親の手はベビーカーから離れた。
注意は商品の方に向けられていた。
「できる」と確信した。
ある日の帰り道。
駅に直結した地下街。
いつもは足早に素通りする華やかな空間。
小さな服を手に取った。
それを身につけるであろう小さな者の温もりを想像した。
その時、女の胸で何かが弾けた。
ずっと心に巣食っていた闇が姿を現す。
どす黒くも希望に満ちた一つの計画だ。
持てないなら奪えばいい。
この小さな服を着てくれる、誰か──。
不可思議だった。
母親の手がベビーカーから離れた。
偶然、誰も気がつかなかった。
これは計画と言えるだろうか。
下見を兼ねて幾つか店舗を巡ったようだが、これも確実性はない。
女の心に巣食っていた黒い思いは、実はもっとささやかなものだったのではないだろうか。
「だったらいいな」という程度の。
しかし、女はあっさりと全てを認めてしまった。
計画性の有無。
量刑にも関わる重大事を。
あの万引きさえ、無意識のようでいて意識的に行われたのではと思えてくる。
暇潰しの、ただの推測だ。
実際は梨奈ちゃんを持て余したのかもしれない。
風に吹かれるように生きる、身勝手な女なのかもしれない。
この推測が当たっていようが外れていようが、女の罪は重い。
しかし。
私は何故かそこに、女の覚悟のようなものを感じるのだった。
女の素顔は、分からないまま。
年の瀬へ向かうにつれ、誘拐事件の話題は徐々に人の口の端に上らなくなっていった。
また一雨くるかもしれない。
「自分のこと、イイ女だと思ってる?」
足早に乳母車を押していると、ルナが声をかけてきた。
「別に。これくらい普通よ」
「ふうん。
珍しく褒めてあげようと思ったのに」
「ベビーに褒められてもね」
「おにーさんのこと、ちょっと見直したわ。
あたしは断然パパ派だけどね」
ルナがカゴの中で足を突っ張り、品物が入った紙袋がグシャリと音をたてる。
「何よ、パパ派って。それより。
今度こそユイカさんに会っても大丈夫よね?」
「いいんじゃない?
もう、イヤな予感はしないから」
──大切すぎて怖くなるんだ。
昌也の気持ちは何となく分かるような気がした。
あの女はどうだったろう。
偶然にも、ルナが来たのと同時期にベビーを拐った犯罪者。
何故だか、ずっと頭を離れない。
鬼のようでもない、寂しそうでもない。
普通の女。
それでも心は満たされていなかった。
周囲から見たら、私だってあの女と同じだ。
冴子さんだって昌也だって。
世の中の大多数の人間は、“普通”の皮を被りながら心が安定しているとは限らない。
ルナは、そんな時にやって来た。
審判のことを考えない日はない。
でも、ルナには何も聞けなかった。
発したら最後、すべて消えてしまいそうで。
“今”は永遠には続かない。
こうしている今も、時は否応なく進んでいるのだった。
***
十一月も終わろうかという頃、木田がようやく引っ越していった。
荷物を片付ける日が数回、佐山のシフトに合わせて設定された。
引越しも佐山の監視下で行われ、一連の作業はつつがなく終了したのだった。
女の供述も、ちょくちょくと耳に入ってくる。
あの誘拐は衝動的なものではなく、計画犯罪だったと。
人が動き、新しい情報が出回る。
時は確実に動いていた。
後戻りすることなく、常に前へと。
ルナとの別れは確実に近づいている。
佐山との交流が途絶える瞬間も。
そんな中、私は女の供述に引っ掛かるものを感じていた。
あれが計画犯罪だったという供述である。
初めから誘拐する子を物色するためにショッピングセンターへ行った。
わざと遠くの店を選んだ。
ベビー用品店は狙いの一つだった。
そういった店舗には、当然ながら赤ちゃんが連れられてくるからだ。
誘拐を実行した『ララマート』は初めて行った店舗だが、大体の雰囲気は想像がついていた。
何ヵ所も似たような店舗に足を運び、つぶさに観察していたからだ。
怪しまれないよう、その度に商品を購入していた。
母親の手はベビーカーから離れた。
注意は商品の方に向けられていた。
「できる」と確信した。
ある日の帰り道。
駅に直結した地下街。
いつもは足早に素通りする華やかな空間。
小さな服を手に取った。
それを身につけるであろう小さな者の温もりを想像した。
その時、女の胸で何かが弾けた。
ずっと心に巣食っていた闇が姿を現す。
どす黒くも希望に満ちた一つの計画だ。
持てないなら奪えばいい。
この小さな服を着てくれる、誰か──。
不可思議だった。
母親の手がベビーカーから離れた。
偶然、誰も気がつかなかった。
これは計画と言えるだろうか。
下見を兼ねて幾つか店舗を巡ったようだが、これも確実性はない。
女の心に巣食っていた黒い思いは、実はもっとささやかなものだったのではないだろうか。
「だったらいいな」という程度の。
しかし、女はあっさりと全てを認めてしまった。
計画性の有無。
量刑にも関わる重大事を。
あの万引きさえ、無意識のようでいて意識的に行われたのではと思えてくる。
暇潰しの、ただの推測だ。
実際は梨奈ちゃんを持て余したのかもしれない。
風に吹かれるように生きる、身勝手な女なのかもしれない。
この推測が当たっていようが外れていようが、女の罪は重い。
しかし。
私は何故かそこに、女の覚悟のようなものを感じるのだった。
女の素顔は、分からないまま。
年の瀬へ向かうにつれ、誘拐事件の話題は徐々に人の口の端に上らなくなっていった。
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