【完結】改稿版 ベビー・アレルギー

キツナ月。

文字の大きさ
上 下
87 / 130
第四章 続・十一月の受難

温もり2

しおりを挟む
 ヒュッと喉が鳴り、涙は完全に引っ込んだ。
 私、佐山と抱き合ってた!

 「大丈夫ですよ、もう」

 佐山の腕に力が加わる。
 声がしたのは耳のすぐ傍だ。
 動揺が震えとなって伝わり、佐山は私がまだ泣いていると思ったようだった。


 別の意味で大丈夫ではない!


 私は、身体は丈夫な方だと自覚している。
 二十九歳の健康体の女性が、ある一定の条件下で心臓発作を起こす。
 医学的にそういうことはあるのか、などと意味のないことを考える。

 そうこうする内、佐山の手が肩にかかって身体がそっと離された。
 前髪の間から覗く目が、様子をうかがうように私の方を向いている。

 「今日はこれで失礼しますが、大丈夫ですか?」

 すぐには声が出なくて、私はコクッと頷いた。
 佐山は、こちらに気遣わしげな視線を送ってくる。

 「僕が夜通しここにいるのも問題ですし」

 か、構わないけど。

 「ピーコを待たせているのでね」




 ……だから。いつもいつも、一言余計なんだよっ!!


 と、頭の中では怒号が渦巻いていたのだが。
 私が苦笑いとともに口にできたのは、たった一言であった。


 「でしょうね──」



 戸締りをきちんとするようにと言い置き、佐山は出て行った。
 我に返って見送りに立った時には、玄関の扉がバタンと音をたてて閉まるところだった。

 つい今まで、仮にも女性を抱きしめていたというのに。
 一切の余韻を引きずらない、見事なまでにドライなお帰りである。


 ピーコね。
 そうだ。佐山とは、そういう男だ。



 熱い風呂にでも入ろう。
 佐山に言われた通り玄関に鍵を掛けると、そのままバスルームに向かう。

 小さなバスタブに湯を張り始めて顔を上げ、驚愕した。
 鏡に酷い顔が映っている。

 化粧の剥がれた、薄汚れた顔面。
 涙の跡でグチャグチャだ。

 当然だが、警察に連行されて以来、顔のお手入れは一切していない。
 風呂にも入っていないので臭ったかもしれない。

 思えば寝顔も見られている。
 どんな顔をしていたか分かったもんじゃない。
 疲労でいびきをかいていたかもしれないし。


 最悪だ!


 私はバスタブの縁に手を掛け、狭いバスルームにうずくまった。
 ドボドボと湯がたまる音が響く。

 無様な姿しか見せてない。
 私って、こんなだったっけ?

 佐山には、どうも色々と誤解されているような気がしてならない。
 私だって、頑張ればもう少し……。


 今さら嘆いても取り返しはつかない。
 私はノロノロと顔を上げた。
 ルナの様子を見に部屋へ戻る。
 電気が煌々と灯る中、ルナはまだ気持ち良さそうに寝息をたてていた。

 この薄い壁の向こうに佐山はいる。

 隣に誰が住んでいようと関係ないと思ってた。
 少し前までは。

 壁にクッションを投げつける。
 怒られない程度に力は加減した。

 「何がピーコよ!
 私は鳥以下かっ!」

 モヤモヤが口をつく。

 まだ行かないで。
 そう言ってすがったら、佐山は今もここで私を抱きしめていてくれただろうか。

 白状すれば、あの温もりの中にいるのはそんなに悪くなかった。
 むしろ、もう少し温めてほしかったかも──。



 「素直じゃないわねぇ、もっと甘えとけば良かったのにぃ」



 楽しげな声がした。
 人の心を読んだかのような内容に心臓が飛び跳ねる。

 「あ、ルナ……起きてたの」

 私は懸命に平静を装った。
 ルナは短い腕を振り回し、歌うように続ける。

 「いい感じだったから、邪魔しちゃいけないと思ってね」
 
 「な、何を言ってるの。
 あれはそういうんじゃ……」

 「って、なぁに?」

 「大人をからかわない!」

 「好きなんだねぇ」

 「な……」

 「顔、赤いよ」

 「そんなことない!」

 「騒ぐと、またパパに怒られちゃうよ」

 「不公平だわ!   喧嘩はお互い様でしょう!?」

 「大人げ無さすぎだよ、絵美ぃ」



 ああ、もうチャージできてるみたい。
 私のメンタルは意外と頑丈だ。

 まだ行かないでと甘えたところで、佐山には見透かされてしまっただろう。
 そして、結局ピーコを優先するのだ。

 肌に触れる。
 わずかに残る、佐山の体温を確かめるように。

 いつもそう。
 彼の身体は温かい。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】護衛騎士と令嬢の恋物語は美しい・・・傍から見ている分には

月白ヤトヒコ
恋愛
没落寸前の伯爵令嬢が、成金商人に金で買われるように望まぬ婚約させられ、悲嘆に暮れていたとき、商人が雇った護衛騎士と許されない恋に落ちた。 令嬢は屋敷のみんなに応援され、ある日恋する護衛騎士がさる高位貴族の息子だと判明した。 愛で結ばれた令嬢と護衛騎士は、商人に婚約を解消してほしいと告げ―――― 婚約は解消となった。 物語のような展開。されど、物語のようにめでたしめでたしとはならなかった話。 視点は、成金の商人視点。 設定はふわっと。

蝶々結びの片紐

桜樹璃音
ライト文芸
抱きしめたい。触りたい。口づけたい。 俺だって、俺だって、俺だって……。 なぁ、どうしたらお前のことを、 忘れられる――? 新選組、藤堂平助の片恋の行方は。 ▷ただ儚く君を想うシリーズ Short Story Since 2022.03.24~2022.07.22

【完結】限界離婚

仲 奈華 (nakanaka)
大衆娯楽
もう限界だ。 「離婚してください」 丸田広一は妻にそう告げた。妻は激怒し、言い争いになる。広一は頭に鈍器で殴られたような衝撃を受け床に倒れ伏せた。振り返るとそこには妻がいた。広一はそのまま意識を失った。 丸田広一の息子の嫁、鈴奈はもう耐える事ができなかった。体調を崩し病院へ行く。医師に告げられた言葉にショックを受け、夫に連絡しようとするが、SNSが既読にならず、電話も繋がらない。もう諦め離婚届だけを置いて実家に帰った。 丸田広一の妻、京香は手足の違和感を感じていた。自分が家族から嫌われている事は知っている。高齢な姑、離婚を仄めかす夫、可愛くない嫁、誰かが私を害そうとしている気がする。渡されていた離婚届に署名をして役所に提出した。もう私は自由の身だ。あの人の所へ向かった。 広一の母、文は途方にくれた。大事な物が無くなっていく。今日は通帳が無くなった。いくら探しても見つからない。まさかとは思うが最近様子が可笑しいあの女が盗んだのかもしれない。衰えた体を動かして、家の中を探し回った。 出張からかえってきた広一の息子、良は家につき愕然とした。信じていた安心できる場所がガラガラと崩れ落ちる。後始末に追われ、いなくなった妻の元へ向かう。妻に頭を下げて別れたくないと懇願した。 平和だった丸田家に襲い掛かる不幸。どんどん倒れる家族。 信じていた家族の形が崩れていく。 倒されたのは誰のせい? 倒れた達磨は再び起き上がる。 丸田家の危機と、それを克服するまでの物語。 丸田 広一…65歳。定年退職したばかり。 丸田 京香…66歳。半年前に退職した。 丸田 良…38歳。営業職。出張が多い。 丸田 鈴奈…33歳。 丸田 勇太…3歳。 丸田 文…82歳。専業主婦。 麗奈…広一が定期的に会っている女。 ※7月13日初回完結 ※7月14日深夜 忘れたはずの思い~エピローグまでを加筆修正して投稿しました。話数も増やしています。 ※7月15日【裏】登場人物紹介追記しました。 ※7月22日第2章完結。 ※カクヨムにも投稿しています。

ミミサキ市の誘拐犯

三石成
ファンタジー
ユージは本庁捜査一課に所属する刑事だ。キャリア組の中では珍しい、貧しい母子家庭で育った倹約家である。 彼はある日「ミミサキ市の誘拐犯」という特殊な誘拐事件の存在を知る。その誘拐事件は九年前から毎年起こり、毎回一〇〇〇万イェロの身代金を奪われながら、犯人の逃亡を許し続けていた。加えて誘拐されていた子供は必ず無傷で帰ってくる。 多額の金が奪われていることに憤りを感じたユージは、一〇年目の事件解決を目指し、単身ミミサキ市へ向かう。ミミサキ市はリゾート地化が進んだ海沿いの田舎だ。 彼はそこでノラという一五歳の少女と出会って相棒となり、二人で事件の捜査を進めていくことになる。 ブロマンス要素あり、現実に近い異世界での刑事モノファンタジー。 表紙イラスト:斧田藤也様(@SERAUQS)

【完結】伯爵の愛は狂い咲く

白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。 実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。 だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。 仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ! そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。 両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。 「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、 その渦に巻き込んでいくのだった… アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。 異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点) 《完結しました》

ほどけそうな結び目なのにほどけないね

圍 杉菜ひ
ライト文芸
津賀子さんに迫り来るものとは…… 紹介文 津賀子は小学一年生の時以来と思われるソナタさんとトイレで偶然に再会した。この再会により津賀子は大変な目に……。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

完結 愛のない結婚ですが、何も問題ありません旦那様!

音爽(ネソウ)
恋愛
「私と契約しないか」そう言われた幼い貧乏令嬢14歳は頷く他なかった。 愛人を秘匿してきた公爵は世間を欺くための結婚だと言う、白い結婚を望むのならばそれも由と言われた。 「優遇された契約婚になにを躊躇うことがあるでしょう」令嬢は快く承諾したのである。 ところがいざ結婚してみると令嬢は勤勉で朗らかに笑い、たちまち屋敷の者たちを魅了してしまう。 「奥様はとても素晴らしい、誰彼隔てなく優しくして下さる」 従者たちの噂を耳にした公爵は奥方に興味を持ち始め……

処理中です...